僕の在り方
朝になる頃には、すっかり雨風も大人しくなっていた。
昨夜はあれだけ荒れていたのが嘘のように、洗われたばかりの風が静かにシシィを吹き付ける。
さわと白の髪を撫でる風に目を細め、屋根上に上がった彼はぼんやりと起き始めた海街を眺めやる。
街の石畳にできた水溜りや、植木の枝葉に残る雨の粒が、きらりと朝の陽を弾いた。
『――――』
吐息ひとつ。洗われた空気は軽かった。
いつもよりも海街が遠くまで見晴らせる気がする。
けれども、彼の心は一晩経っても晴れない。
ひゅうと風が鳴き、背後に気配が降り立った。
『こんなとこで、なにふてくされてるんだ』
『……別に、ふてくされてなんかないよ』
シシィが振り返れば、朝風に白の髪をなびかせるフウガがいた。
無造作にひとつに束ねた髪が舞い上がる。
『ん、そうか』
愛想のないシシィの返答に、軽く肩をすくめたフウガが口を開く。
フウガがシシィを探していたのは、彼に頼み事があったから。
『あのよ、昨夜の話で伝え忘れてたことがあって――』
『へ……?』
フウガがそう言った瞬間、目に見えてシシィの表情が強張った。
『ん? どーかしたか?』
『あ……その――』
言い淀んでうろたえる彼の様子に、フウガは訝しげに首を傾げる。
しばし目を彷徨わせていたシシィだったが、意を決したように顔を上げた。
『……フウガさんの、言う通りだったよ』
『何が?』
フウガのその返しに、シシィの中でかっと瞬的に熱が弾け、苛立ちに顔をしかめると声を荒げた。
『だからっ! ちあを想うのは、母上への寂しさを埋めるためじゃないかって話っ!』
『あ、ああ。まあ……そんなこと訊いたけど、それがどうしたって……』
シシィの突然の怒りの色合いに、今度はフウガがうろたえる。
彼が怒る意味がわからない。
『だから、それが否定出来なかったんだよ』
苛立ちから悔しげに顔を歪め、彼は俯く。
『否定、出来なかったんだ……』
消え入りそうな彼の声に、フウガは戸惑うように頬を掻いた。
『あー……なあ、シシィ? 何かお前、拗らせてねぇか……?』
『拗らせては、ないよ』
上目にフウガを見やるシシィの碧の瞳が揺れる。
『いやね。俺はただ、ティアのことをちゃんと想って、大切にしてくれてるのかを知りたかっただけでよ?』
何とも複雑な色を滲ませ、フウガはそんなシシィを見下ろした。
それに、精霊の番というものは、魂と魂に縁を結ぶものだ。
それは互いが互いに想い大切にし、通じることで結ばれるもの。
少しでも想いに
それが結ばれているという時点で、彼が彼女へ抱く想いというものは、どんなカタチであれ、想って大切にしているということだ。
それをなぜ、今更になって揺れ惑っているのか。
そこまで考え、ふと枯れ葉色の瞳が瞬く。
たらりと嫌な汗が噴き出し伝ったような感覚がして、何となく手の甲で拭う。
ひゅうお、風が小さく渦巻いた。
フウガの胸中に気まずいような、焦りのような何かが凝った。
『――もしかして、俺が余計なこと言っちまったか……?』
気まずげにシシィを見やると、彼は緩く首を振った。そして。
『ううん、フウガさんは悪くないよ。ただ僕が……』
くしゃり、力なく笑った。
『……僕自身の気持ちに、自信を持てなくなっちゃっただけだよ』
『シシィ……』
『それで、気付いちゃったんだよね』
シシィが立ち上がると、彼を元気づけるかのように風が吹き付けた。
びゅおと低く、力強く鳴く風に一瞬目を閉じ、そして海街を見晴るかす。
路地をまばらに人が歩き始める。朝の仕入れなどの勤めだろうか。
『……好きと寂しいっの違いって、すごく曖昧だよなぁ……って。僕の想いのカタチって、もしかしたら――』
フウガを振り返ったシシィの顔は、泣いているように見えたが笑っていた。
『シシィ、そんなことは――』
そんなことはない。シシィとティアはきちんと縁で繋がっている。
そう言おうとしたフウガの言葉を、シシィはふると首を横に振ることで遮る。
『慰めはいらないよ。だからフウガさんは、僕に僕だけで行けって言ったんでしょ……?』
口にしようとしたのは慰めでは決してなく、彼にだけ行けと言ったのは、そのこととは別の理由からだったのだが、彼の雰囲気が言葉を紡がせなかった。
身体ごとフウガに向き直ったシシィが真っ直ぐに彼を据える。
『……フウガさんが言ったこと、その通りだと思うんだ。僕はちあの傍に居過ぎた』
そもそもだ。
ティアとの関係に名を付けたあの時、彼女に自分は言った。
どうして自分で勝手に結論を出してしまうんだ、と。
どうして話し合って決めようとは思わなかったのか、と。
そう言いながら、提案という言葉に隠れて、彼女との関係をカタチにしてしまった。押し切ってしまった。
『きっかけはたぶん、母上への寂しさ』
『シシィ?』
『その時にちあが何を思ったのかはわからないけど、そこに傍に居てくれたのが彼女だったんだ』
そこでシシィは悔しそうに苦く笑う。
『……そりゃ、想っちゃうよね。寂しい時には必ず、ちあが居てくれたんだもん』
幼心に懐き、それが時をはらんで想う。
想うな、と。大切と感じるな、という方が難しかっただろう。
『だからこそ、欲しいと思ったんだ。居て欲しい時に傍に居てくれて、自分を想ってくれて、受け入れてくれる存在をを、さ……』
彼の頬が仄かに染まっている。
けれども、その瞳はどこか寂しげに揺れている。
風が吹き、遠くからざざと波音が届けば海鳥が鳴き、陽は先程よりも登る。
風に髪を遊ばせながらシシィは言った。
碧の瞳で真っ直ぐに、しかとフウガを見ながら。
『ちあと距離を置こうと思う。僕は僕で見つけなくちゃ、僕の在り方ってやつを』
彼女は彼女自身で決めて、自分に告げた。彼女の言う、やらなくちゃいけないことを。
彼女と差があるとすれば、そこなのだと思う。
『だから、僕は行くよ。ミントを精霊界へ送り届けに』
傍に居すぎた。彼女と同じものを同じように見てきた。
たぶん。そのままじゃ、だめなのだと思うのだ。
『そっか』
フウガが息を吐くように呟いた。
ひゅうと高く鳴いた風が渦を描き、フウガとシシィの髪を撫でて空へと舞い上がる。
『お前がそう決めたんなら、俺からはもう何も言わねぇよ』
苦笑をもらし、軽く肩をすくめてみせると、シシィはありがとうとはにかんだ。
『そんで、そんなお前にお願いしたいことがあるんだ』
『お願い?』
ぱちとシシィの瞳が瞬く。
『おう。さっきも言いかけたけど、昨夜の話で伝え忘れたことがあってよ』
少し気まずげに頭を掻くフウガに、シシィは首を傾げて続きを促した。
『ミントを精霊界へ送ってく道中で、精霊らに状況を尋ねて行って欲しいんだ』
『……なんで?』
シシィが眉を軽くひそめ、首を傾げる。
『精霊王の子が現状を気にしている。そう思わせることが目的だ』
フウガがそう告げた瞬間、シシィはさらに眉をひそめると眉間にしわがよる。その瞳は困惑げに揺れていた。
『それこそ、なんで……? 僕は次代の器じゃないし、それに意味あるの?』
次代でもない己に、そういった意味での価値はないと思うのだ。
それで何があるというのだろう。
『それこそ、自分でその意味を見つけて欲しいなと俺は思うよ』
苦笑を交えるフウガにそう言われてしまえば、シシィは黙る他なかった。
『……――でも、精霊王……なんて、母上の存在が出てくるんだもん、精霊たちに何か動きでもあったの?』
碧の瞳が不安げに揺れる。
『それはもしかして、あの紅い魔結晶が始まり……? それとも、それより前からもう――』
尚も言い募ろうとするシシィを、フウガは片手を上げて制した。
『――そこまでだ、シシィ』
『フウガさん……っ!』
焦れたように叫ぶ彼に、フウガは静かに首を横に振る。
『お前は、お前たちは知らなくていいことだ』
『それって昨日ちあに言ってた、覚悟が出来たら訊けって話のこと……?』
詰問するような口調だった。
『そーだな』
『――っ』
平然と応えるフウガに、シシィの碧の瞳が苛烈にきらめく。
『それが何かは教えてくれないんだ』
『知る必要はないと思うからな』
極力感情を抑えたシシィの声音に対し、フウガの声は淡々としたものだった。
『……あんな光景は知らなくていい。俺らが覚えてるからいいんだ』
顔を俯かせ、枯れ葉色の瞳を揺らめかせる彼にシシィが詰め寄る。
『ねえ、過去に何があったの? 僕達を遠ざけるようなことをしておいて、でも、僕にはお願い事をするってさ――』
その声にはらむのは、苛立ちが混ざった確かな怒りだ。
『――すごく勝手じゃない? 遠ざけるなら、僕らを関わらせないでよ』
『――――』
フウガが顔を上げる。
ざざん、遠くで波が何かを打ち付け、ざざと引く波音が嫌に耳につく。
まるでシシィの言に呼応するように、海から波音が届く。
耳元では抗議するように風が唸った。
自然も彼の味方というわけか。
やがて、フウガは観念したように息をつき、笑みを浮かべた。
『……確かにお前の言うとおりかもな。遠ざける真似して、中途半端に関わらせるなんてよ』
『そーだよ。ずるいよ、そーいうの』
むすっとした様子の彼に、フウガが悪い悪いと頭を撫でくり回すと、やめてよと彼はその手を払い除けた。
『さて、どこから話そうかね――』
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