想いはゆらゆらり


『――ふーん』


 シシィから一通り話を聞き終えたフウガは、ふむと息をついてから椅子に深く沈んだ。

 その動作だけでぴくりと身体を跳ねさせる様子から、若いとも言えぬ精霊らの緊張度合いが窺える。

 内心では苦笑をもらしながら、沈んだ姿勢を正して続きを促した。


『……そ、それで、これは人が関わってるんじゃないかと思ったところで、紅いそれを見つけて……』


 シシィがテーブル上の紅い魔結晶を視線で示してから、フウガの近くに控えるばななを見やり、次いで自分の隣に座るティアを見やった。

 それを受けて軽く頷いた彼女は、ぐっと手を一瞬握ってから、シシィの言葉を継ぐように続きを紡ぐ。


『そうシシィと話しているところへ、ばなながシルフ様に伺うといいと助言をくれたので、それならば、お訊ねしてみようと参った次第です』


 彼女の口調に、お、とフウガは一瞬眉を小さく上げた。

 彼女の口調が、普段の自分と接するそれとは違う。

 フウガが示した、立ち位置、というものに、彼女自身に思うところがあったのかもしれない。

 机に肘を付き、組んだ手の上に顎を乗せて深く頷く。


『……なるほど、ね』


 何に対しての頷きか、それを判ずることが出来なかったらしいティアの瞳が揺れ惑う。

 フウガが手を伸ばせば、片方で頬杖を付く形になり、伸ばした手の指先でテーブル上のばななをつつく。


『自力でそこまで辿り着いちまったわけね』


 その指先をばななが鬱陶しいとくちばしで噛み付いた。

 気怠げな響きを持った彼の声音に、シシィは怯み、声が喉でつっかえて何も言えない。

 対するティアは彼を軽く睨んで。


『何か問題が?』


 強気の姿勢だ。

 ついとフウガの枯れ葉色の瞳が動いた。

 まるで射抜くような視線に、彼女の身体がびくりと跳ね上がる。

 シルフとして、そして叔父として見抜く。

 彼女はただ、見栄を張っているだけだと。つまりは、強がって見せているだけ。

 だが、そこに精霊としての彼女の成長を感じ、フウガは薄ら笑う。

 ばななに噛み付き返されながらつついていた手を止め、彼はゆるく首を振る。


『いや、何も問題はねぇよ。ちょっとおじさん、お前らを甘く見てたようだなと思っただけさ』


 軽く肩をすくめ、おどけてみせた。


『――だからまあ、褒美ってわけでもねぇが、頑張りに免じて、可愛い姪の質問にひとつ答えてやろうかね』


 そこから一転。少しだけほぐれた空気が、また張り詰めたそれになる。

 真摯な表情になったフウガがシシィへ視線を投じて。


『シシィ、その紅い魔結晶とやらを見せてみろ』


 問題となったものを見せろと促せば、シシィは黙したまま結界ごと差し出した。

 それをやはり、フウガも結界ごと受け取るかとシシィらが思う中、彼は伸ばした手をひとつ払う動作をする。

 空気が震え、小さな風が巻き起こったかと思えば、それは不可視の刃となり、水の膜を喰んで霧散した。

 つまりは、水の膜――結界を容易く裂かれたのだ。

 呆気に取られたシシィは、口を小さく半開きにしたままで。

 けれども、じわりと彼はその状況を解し、そして、テーブルの下でぐっと手を握る。

 それを、彼の隣に座るティアは横目だが確かに見た。

 力量の差というものだ。

 彼の碧の瞳が力なく揺れ、視線が落ちる。

 結界から開放された紅い魔結晶は、ころんと実に軽やかな音を奏でテーブル上へ転がり落ちた。

 それをためらいなくフウガは拾い上げ、眉をひそめることなく、窓から差し込む陽にかざす。

 きらりと鋭く紅がその陽を弾き、軽く目を射る。

 それに枯れ葉色の瞳を細め、フウガがやはりと低く唸った。

 それを聞き留めたティアがゆっくりと彼を見やる。


『――シルフ様は、それが何かご存知なのですね』


 問いかけではなく、それは芯を突く言葉。

 枯れ草色の瞳が彼女を見る。


『これが何の魔結晶かは――』


『オドのものだとシシィが』


 ついと彼女を見ていた瞳が隣のシシィを見た。

 落ちていたシシィの碧の瞳がゆっくりと持ち上がり、二対の視線が絡まる。

 が、すぐにその絡んだ視線はフウガの方から逸して。


『これを見抜いたのはお前なわけか』


 嘆息とも思えるような、そうでもないような息をつきながら、彼はかざしていた紅い魔結晶を手の平で転がし、視線をそこへ落とした。

 それから降り積もる沈黙。

 陽は傾き、部屋を舞う埃がそれを弾いてきらめけば。

 フウガが手の中で紅い魔結晶を転がして遊ぶ中、弾く紅に精霊らの目を時折軽く射る。


『――――』


 外の喧騒は遠く、落ちる吐息は誰のものか。


『オドが何かは知ってんな?』


 フウガの、その当たり前で今更の問いに、彼らの反応が一瞬遅れた。

 彼らはちらりと瞬で視線を交わし、シシィがおずと控えめに答えを口にする。


『……オドは、生き物が体内で保有する魔力を指すことで――』


『じゃあ、マナは』


 フウガが間髪を入れず問いを重ねて畳み掛ける。


『マ、マナは大気に含まれる魔力のことで』


 戸惑いを隠しきれぬままに、シシィがまた問いの答えを口にした。


正解せーかい。それを総じて魔力と呼ぶ』


 気怠げに紅い魔結晶をもて遊んでいた手の動きを止めると、それをころんとテーブル上に再び転がす。

 そして、ついと枯れ葉色の瞳が彼らを見やった。


『そんでこれは、魔結晶。魔力の塊だってことは、お前らも知ってんと思うけどな』


 フウガが瞳を鋭く細め、目元に剣が滲む。


『――この魔結晶はオド。つまりは、オドの塊っつーことだ』


『…………』


 ティアは瞳を瞬かせて、眉間にしわを寄せた。

 だから、それは先程フウガへ伝えた内容ではないか。

 わざわざ同じ事を時間をかけて繰り返し、この叔父はふざけているのだろうか。


『……ちょっと、おじさ――』


 この場のフウガが叔父ではなく、シルフとして居るのだということを忘れ、彼女が反論を口にしかけた時。


『――――っ』


 隣からがたと激しい物音が響いた。

 弾かれるように隣を振り向けば、シシィが椅子から立ち上がっていた。

 彼のその碧の瞳は、激しく揺れ動く。

 その様は何かを抑え込み、様々な感情が駆け巡る瞳で、まるで激情さながら。

 その瞳がフウガを一心に見やっていた。

 だが、その顔色がどうしてだか悪い気がして、今にも倒れ込みそうだ。

 慌てて彼女も椅子から立ち上がり、彼の身体を支えようとして。


『……だ、だいじょーぶ、だから……』


 その彼が片手を上げてやんわりと彼女を制す。


『で、でも、大丈夫って感じじゃないわよ……?』


『……ホント、だいじょーぶだから』


『意味を解して、あてられちまっただけだろう』


 会話に割り込んできたフウガの声に振り向き、彼女は眉をひそめる。


『あてられたって……何に……?』


『こいつの正体』


 こつ、フウガがテーブル上に転がる紅い魔結晶を爪先で突いて示す。


『こいつはオドの塊だ』


『……それは、わかってるわ』


『オドは生き物が体内に保有する魔力のこと。いいか、体内に、保有するんだ』


 何かを諭すような含みある言い方に、彼女の中で何かがじわりと沁み込んで行く。

 魔力。塊。オドに、体内で保有。

 そう、オドは体内で保有するもの。

 何かが引っかかる。

 オド。体内――内。

 あ、彼女の口から吐息がこぼれた。

 そもそも、だ。内で保有されるものが、どうして今目の前にあるのか。

 外に、在るのか――。

 それは、つまり。

 反射的に手で口を覆う。その手が震えている気がした。


『……排出、されたの……? 内から、外へ……?』


 不快げに眉はひそめられ、慄き震える声。瞳が泳ぎ、視線は彷徨う。

 文字通りに絶句し、力が抜けて崩折れるように椅子へすとんと再び座った。

 窓から差し込んでいた陽が雲で陰り、部屋を少しだけ暗くする。

 テーブルの下。震えるティアの手を、椅子に座り直したシシィが握る。

 そのぬくもりに、彼女の琥珀色の瞳が揺れ、静かに握り返した。

 そこでようやく、きちんと息が吸えような気がした。

 彼女らの様子を見て、少し落ち着いたかと判断したフウガが口を開く。


『……今回の手法は知らねぇが、これはそういった類の魔結晶だ』


 一度言葉を切り、大きく息を吐いて続ける。


『だから、紅いんだろうな。この色は、命を巡る色だから――』


 含みのあるフウガの言葉選びに、ティアもシシィも瞳を揺らし、口をつぐむ。

 そう言った彼は窓から空を見上げた。

 喧騒は相変わらず遠く、先程まで晴れていた空は厚い雲を抱いていた。

 しばらく静かな時間が続く。

 だが、そこへふいに、ん、と吐息が空気を震わした。


『……ちょっと待って、おじさん。今回はって、言った――?』


 上がる声がひとつ。その声はティアのもので。

 既に立ち位置やらシルフやらのことは、彼女からすっかり抜け落ちているらしい。

 それ程の衝撃。仕方もないかと内心で肩をすくめながら、フウガは彼女を見やる。だが。


『さて、話は終わりだな』


 それは一瞬だけで、彼はすぐに立ち上がった。


『あ、待ってよっ! 話は終わってな――』


『答える質問はひとつだけと言ったはずだが……?』


 すがるようなティアの声は、彼の一睨みによって振り払われてしまう。

 びくりと大きく彼女の身体が跳ね上がる。

 それに、と。彼は続けた。


『それに、そんな状態で話を続けるのは無理だと思うけどな』


『え……?』


 肩をすくませる彼に、彼女からは気の抜けた声がもれる。

 なんだ、気付いてなかったのか。

 と、彼は少しだけ驚いたように眉を上げた。

 気付いてなかったのかとはどういうことだ。

 眉をひそめ、琥珀色の瞳が訝しげに瞬く。


『ちあ』


 刹那。隣から自身を呼ぶ声がしてゆっくりと振り向けば、揺れる碧の瞳が自分を見ていた。


『シシィ……?』


 首を傾げるなり、腕を引かれて抱き寄せられる。

 は、と吐息をこぼし、そのままシシィの腕の中に捕らわれて、声が降り落ちる。


『ちあ、大丈夫だから』


 まるで幼子に言い聞かせるような声音に、大丈夫とは何がと彼の指すものがわからず、困惑が彼女の中で広がる。

 そんな彼らへフウガの声が響く。


『物事に向き合おうとする姿勢は大切だと思うが、時には自分と向き合うのも大切なことだぞ』


 ティアを一瞥するフウガの表情は、シルフというよりも叔父のものだった。

 けれども、すぐにそれは掻き消え、厳かに告げる。


『覚悟が出来たらなら、訊きに来い』


 それは誰に向けたものか。

 それを最後に、フウガは部屋から出て行く――が直前に、何かを思い出したかのように一度振り返って。


『これだけは覚えとけ。紅い魔結晶を見つけても、不用意に近付くな。俺に知らせろ。……大きさや純度によっては、お前らでも惑わされる』


 と、重く言葉を言い置いた。

 いいなと念を押す様に、ティアを気づかっていたシシィは顔を上げて頷き、ティアは俯いたままに頷いた。

 それを確認し、フウガは今度こそ部屋を出て行く。

 ばななが姿形を風に解かし、フウガの後を追いかける。

 けれども、そのうちの一部が引き返してきたかと思えば、シシィの耳元で何事かをささやき戻って行った。

 え、と碧の瞳が揺れ動き、風の走り去った方向を見やる。

 胸中にうずく仄暗さがシシィの中に影を落とし、不安が鎌首をもたげ始める。

 その気配を敏感に察知したのか、腕の中のティアが身動ぐ。

 彼女自身は気付いていないが、かたかたと小さく震える彼女を抱きしめ、その背を撫でた。

 すると彼女が身を寄せて来たから。


『大丈夫だよ』


 言い聞かせるように再度呟く。

 静かに彼女が腕の中で頷いた気配がした。

 ほ。緩く息を吐き出し、力を抜く。

 根拠もなく呟いた言葉。

 でも、もしかしたら。

 これは、自分自身に言い聞かせるための言葉だったのかもしれない。

 胸中で鎌首をもたげた不安は、どろりと垂れて広がって行く。

 どろと滴る度に、波紋が生じて沁み込んで。

 救いなのは、テーブル上で結界に囲われて眠るミントが、穏やかに眠っていることだった。

 すぴすぴと聴こえる彼女の寝息が、今は酷く心地よかった。






――――――――――

明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願い致します。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る