風のシルフ
「おい、ジル。日替わりランチ軽食二人前」
がやと静かに賑わうカフェ内。
精霊の隠れ家は、本日も少ないながらお昼時の賑わいをみせていた。
それもこれで一区切り。
フウガが厨房から配膳棚にプレートを二人分置く。
プレートに盛り付けられたのは、ハニートーストと季節果実を盛り付けたヨーグルト。
店内側からジルがプレートを受け取り、注文したテーブルへと配すれば。
「それではごゆっくり」
と笑顔を向けた。
客が驚いたように目を小さく見開き、どうも、とぎこちないながらも笑い返す。
その光景を配膳棚越しに覗き見ていたフウガが、おやと軽く目を見張った。
いつもは仏頂面でどうぞの一言だけだったのに、一体どうしたのか。
そんな不思議がるフウガの視線に気付いたジルが、配膳棚に近寄って眉をひそめる。
「……なんだよ」
「いや、どういう風の吹き回しかと思ってな」
ジルは苦虫を思いっきり噛み潰したような顔を一瞬し、ふいと目を逸らして呟く。
「……ちょっと、尖るのはやめようと思って」
「ほお?」
興味深げに息をこぼして頬杖を付くフウガの瞳が、誰の影響だと問いかける。
細められた枯れ葉色の瞳には、面白そうな色が顔を覗かせていた。
ばつの悪そうに顔を歪め、ジルは仏頂面で答える。
「………………シシィだよ。もっと自分を好きになれってさ。……だから、好きになれるようにやってみようかと」
たっぷりの間を持って答えた彼に、フウガはくつと低く笑い声をもらす。
「そうか。あいつがねぇ」
言うようになったじゃねぇか。
面白がるように、口端が小さくにたりと笑う。
「……まあ、そーいうことだから」
歯切れ悪く言うのはジルに照れくささがあるからで、彼が客に呼ばれて行ってしまえば、フウガはそれを遠巻きに眺めやる。
「シシィの野郎、そんなことを言うようになったか」
にたりと笑う口はそのままに呟くも、ふいにフウガが真面目な表情になる。
「――切り出すなら、そろそろか……?」
そこへ、窓がかたと小さく鳴った。
すっと静かに枯れ葉色の瞳が窓を見る。
フウガが少しだけ窓を開けてやると、滑り込んだ風が彼の耳元でささやいた。
《てぃあたち、いきついた》
『そーか』
低く頷き、目を細める。
『それで?』
《てぃあ、こっち、むかって、おこってる。なんで、ひみつ、したって》
『ああ、なるほどね』
片手で襟元を緩めながら軽く肩をすくめてみせると、もう片方の手で払うしぐさをする。
『階上で待たしとけ』
了と風が微かに鳴いて走り去る――ところで、一度舞い戻りフウガの耳元に言葉を残した。
《まけっしょう、みつけた》
その言葉に、襟元を緩める手が止まる。
『――……そうか』
呻くように呟くと、剣呑に染まった表情でフウガは小さく舌打ちした。
◇ ◆ ◇
シシィとティアは精霊の隠れ家、その階上にて待たされていた。
精霊の隠れ家にて暮らす彼らの共用で使われる場だ。
本来は食堂として利用される場ではあるため、キッチンも併設されてはいる。
だが、精霊は食事を必要としないために、きちんと食堂として利用しているのはジルだけだ。
そのために、普段は彼らの談笑の場として利用されることが多いのが現状である。
椅子に腰掛け、ティアはぼんやりと窓から外を眺めていた。
からん、階下からドアベルの音。
窓から下を覗くと、カフェから出てきた客の姿が見えた。
がやと賑やいでいた声が階下からふつりと消える。
最後の客だったらしい。
問い質してやると勢い込んで帰るなり、ばななに案内されたのはここ。
フウガ曰く、店が閉まるまで待て、とのことで。
勢いが削がれたティアは、それから窓辺で不貞腐れている。
一方のシシィはティアと同じく椅子に腰掛け、視線はテーブルに注がれていた。
彼の視線の先では、疲れたらしいミントが身を丸め、自身の尾を抱え込んではすぴすぴと寝息を立てている。
その姿が愛らしく、悪戯心にシシィが指先で軽くつついてみれば、彼女は身をよじり、拍子に鼻先に触れたらしく、くちゅっと小さなくしゃみをした。
彼が頬を緩ませるのには十分だったようで、彼の表情が和らぐ。
『…………』
ぱちりと瞬く琥珀色の瞳。
不満げにティアが小さく口を尖らせた。
瞬きひとつで鳥の姿へ転じた彼女は、ばさりと羽ばたくとミントの隣へ着く。
『ちあ?』
シシィが目を丸くして瞬き、ややして苦笑を滲ませた。
『ごめんごめん』
頭を撫でながら謝を口にする彼へ、彼女はふいと顔を背けて。
『何を謝ってるのかわからないわ』
と、強気にこぼす声は少しだけ拗ねていた。
それから少し経った頃だった。
早々に店を閉めたらしいフウガが、ばななを伴い階上へと上がって来た。
彼の肩から離れたばなながテーブルへと舞い降りる。
その後に続くようにフウガが椅子に腰掛けるなり開口一番に、さて、と口にする。
それまで和やかだった空気が張り詰めた。
ティアは鳥から少女の姿へと転じ、身を丸めて眠るミントは、抱く自身の尾をきゅっとさらに抱いた。
色を変えた空気に起きてしまったかとシシィがちらりも見やるも、彼女は眠ったままだった。
本能的な何かが敏感にこの場の変化を察知したのかもしれない。
シシィが手をかざすと、静かな水の音が響いて水の膜が彼女を包む。
音を遮断する効果のある結界だ。
これで彼女の眠りは邪魔しないだろう。
シシィが向き直ったことで、フウガが改めて開口する。
『――さて、先ずだが……』
『ちょっと待って、フウガさん。ジルは?』
が、それを早々にシシィが片手を上げて彼を遮った。
言葉を遮られ、フウガは一瞬物言いたげな視線をシシィに向けるも、嘆息をひとつ落として答える。
『……ジルなら後片付けを押し付けてきた。しばらくは上がって来ねぇよ』
『そ、そっか……』
何とも言えない表情で返すシシィの横で、ティアも複雑な表情で苦く笑う。
けれども、同時に安堵もしていた。
ジルの耳に入れなくて済む、と。
交わす言葉が精霊の扱うそれなのは、万一にも聞かれてもわからないように。
部外者扱いをしている気がして罪悪感が燻るが、実際に彼は部外者なのだ。
これは、精霊の問題だ。今のところは。
『でも、おじさん。随分と早かったのね。話が出来るのは夜くらいからだと思ってた』
『それだけ急を要すると俺は判断しただけだ』
ティアの問いに答え、改めてフウガは彼女らへと向き合う。
途端。空気が色を変えた。
フウガの視線が思いの外に剣を帯びていて、自然とティアとシシィの背筋が伸びた。
空気が緊張感をはらみ、張り詰め、彼らから声を奪ってつぐませる。
ティアが口を引き結んで、きゅっと手を握った。
ここで圧し負けてはだめだと自分を奮い立たせる。
『――お、おじさんっ……!』
ひりと空気が震えた。
フウガが視線を投じただけで、ティアは竦み上がりそうになる。
こんな叔父は見たことがない。
怖気づきそうになるのを、椅子から立ち上がって堪える。
がたっと、立ち上がる音が思ったよりも響いた。
横でシシィが心配そうにしているのも気配でわかった。
だから、負けまいと唇を噛んで続ける。
『か、隠してることがあるなら、教えて欲しいの――』
フウガが枯れ葉色の瞳を細めた。
ただ、それだけなのに。
ふつり、と。それまでティアを奮い立たせていた熱が、一気に――否、急速に冷えていった。
唐突に彼女は理解をする。風の精霊として――理解をした。
彼は、フウガは――風の
彼女は俯き、小さく呟く。
『……教えて、ください。長さま――』
すとんと力なく椅子に座ったティアを、シシィがちらりと横目で見やる。
突然の彼女の消沈ぶりに驚いたのだ。
本当は彼女の様子を窺いたかったけれども、それをフウガのまとう空気が許さない。
『…………』
シシィはすぐに向き直った。
フウガが軽く息を吐き出す。その動作だけで、その場に緊張が走った。
『そんな、緊張すんなさ』
若いとも未だに言えぬ精霊らを見やり、彼は小さく苦笑を滲ませる。
『ここに居るのは、おじさん精霊のフウガさんじゃなくて、四大精霊がひとつ、風のシルフってだけさ』
さて、と。一息こぼしたのち。
彼の顔から苦笑が消えた。
『――先ずは、お前らの話を聞かせてもらおうか? 可愛い姪の質問に応えるのは、その内容次第だ』
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