きらきら
転移術を使い、裏通りへと降り立ったティアは石畳をかつと踏み鳴らす。
ふうと息を吐き出し、彼女の肩口で風が渦巻けば真白の小鳥、ばななが姿を現す。
『――って、あれ? シシィは?』
はたと気付く。一緒に転移したはずの彼の姿がない。
きょろと辺りを見回しても彼の姿はなく、肩に留まるばななを見るも、彼も首を傾げるだけ。
どこに行ったのか。そう思った時だ。
どんがらしゃんと離れた所から音が響き、弾かれたように彼女は振り返った。
軽く吹き付ける風が彼女へその状況を知らせる。
何かが崩れた音のように思えるそれと、風から得た情報に、彼女は思わず額を抑えてやれやれと首を振った。
まとう空気が呆れを多分に含む。
『……なんで、一本向こうの裏通りに転移して、そこからさらに積まれた空樽に落ちるのよ……』
彼女の声が虚しく裏通りに響いた。
『ごめんね、ちょっと失敗しちゃって』
あははと軽く笑って誤魔化すシシィの頭から、ティアは視線が逸らせなかった。
もはや視線を向けるというよりかは凝視だ。
確かに彼は転移術を不得手としているのは知っているし、近頃はその練習で少しずつだが、精度が上がってきているのも知っている。
だが、やはりその精度はまだまだで、一本向こうの通りに転移し、さらに積まれた荷物――今回は空樽――に落ちるのは、彼にとってはよくある出来事でもある。らしい。
だが。だが、しかし。
『……そんな王道な事までしてこなくていいのに……』
思わずティアが嘆くように呟いた理由は、彼が頭にバナナの皮を引っ提げて現れたから。
その肩では、ミントが必死に小さな身体で背伸びをし、バナナの皮へ手を伸ばそうしている。
落とそうとしているようだ。
そんなあまりな姿――愉快な姿とも言う――で、彼は少しばかり困ったように笑った。
『いやあ……これでも良くなった方で、少し前は空樽に落ちてお尻がはまったし、その前はなぜか海の上だったかな……?』
『…………』
それほどまでだったとは。
呆れを超えて情けなさを感じる。
否。もはや嘆く程か。それとも、いっその事絶句すべきか。
悩ましいところだ。
不得手が過ぎる状況に、当の彼はあははと笑うだけであるし、精霊としての危機感はないのだろうか。
いや、練習はしているのだから、危機感は少なからずあるのだろう。
『あっ! シシィさま、取れたのっ!』
そこへ、嬉しそうな声が弾む。
『うん。ありがとう、ミント』
シシィの肩にて、バナナの皮を払い落とすことに成功したミントは誇らしげだ。
てへへと照れくさそうにその笑みを深める。
そんな和やかな雰囲気に、吹き抜ける風までもがそよよとどこか柔らかだ。
目の前のそれに、ここへ転移してきた理由までも忘れそうになる。
ティアはふるふると頭を振り、彼らの気を引くために、わざとこほんと咳払いをひとつ落とす。
『あなた達、ここに転移してきた目的覚えてる?』
すると、二対の視線がティアを見て。
『もちろん、覚えてるよ』
『あいっ!』
それぞれからそれぞれの声が返ってきた。
*
転移するきっかけは、変なところがあるというばななの言葉だった。
風から拾えない箇所があるらしく、そこが変なのだと言う。
フウガの命もあり、ばななは常に街に風を走らせ探っている。
この頃、この街に迷い込む精霊が少しばかり多い印象もあるものの、それもこの街の常ではある。決して珍しいことではない。
例の精霊以外に解れの見られる精霊もいない。
だが、様子のおかしい精霊がまた現れた。
ミントの現れをきっかけに、ばななは注意深く風で改めて探り、ようやく気が付いた些細な違和感。
その箇所だけ何も拾えないのだ。
『――でも、それって何もないからじゃないの?』
ティアと並び歩くシシィが訊ねた。
『それが変なのよ。私も風を送って探ってみたけど、何も拾えない』
困惑を多分に含んだ碧の瞳がティアを見つめ、眉間に刻まれたしわの深さがその困惑ぶりを表す。
『この街は迷宮みたいに入り組んでるでしょ?』
『ああ、通りとか運河とかあるもんね』
この海街は海に造られた都市。
運河が縦横にと縦横無尽に走り、それに寄って家屋も乱立し、通りも含めばさながら迷宮だ。
街に風が走れば、それは必ず何処かにぶつかる。つまりは遮蔽物が多いのだ。
それは外壁かもしれない。橋かもしれない。人かもしれない。とにかく、必ず何かに触れる。
そんな中で何も触れない――何も拾えない。
『――それが不自然なのよ』
かつこつ。石畳を踏む足音が響く。
『……不自然、ね……。ここでも自然
、か……』
ぽつりと呟き、シシィはふむと息をついて考え込む。
近頃その言葉を意識することが多い――自然な、それ。
自然。すなわち、
本来のものとは違う動きをしているのが、違和の正体なのかもしれない。
ゆえに外部からだと考えた。
その外部という大雑把だったものが形をまとい、ぬるりと顔を覗かせる。
外部じゃなくて――。
『ねえ、シシィ』
『うん? どーかした?』
ティアの声に思考で伏せていた瞳を持ち上げれば、隣を歩く彼女が顔を覗き込んでいた。
『さっきの問いの意図を聞きたくて』
『問い……?』
『ぐわんぐわんがどうとかって』
『ああ、それね』
肩に乗るミントも、シシィ達の話に耳を傾ける気配がした。
『似てるって思ったんだ。ちあが芯になるものを見つけて見失わなかったように、ミントが自分自身に言い聞かせていたのも、もしかしたら芯になったんじゃないかってさ』
自身の名を必死に言い聞かせていたというミント。
つまり、己を保っていたということだ。
それは言い換えれば、芯になるものを見つけた、とも言えるのではないだろうか。
『――それが、似ているって思った理由』
『マナ溜まりみたいって、こと……?』
ちらとティアの様子を窺えば、その顔は思案顔で、何かを考え込んでいる様子だった。
そして、やがてぽつりとこぼす。
『……ねえ、やっぱり』
琥珀色の瞳がゆっくりとシシィを見る。
『自然なものじゃ、ないわよね……?』
その声は緊張をはらんで硬く、疑問というよりも、確信。
けれども、彼女の瞳は不確かなそれで揺れ動く。
『僕はそう思ってる』
彼女の瞳をしかと受け止め、真っ直ぐに見つめ返した。
『自然な動きから外れたそれが、外部からの衝撃のせいで起こったものだとすれば――』
自ずと見えてくるもの。それは。
『――それは、意図的につくられたものなんじゃないかと思うんだ』
そう、外部じゃなくて――何者かの干渉。
大雑把だったものが、明確になりて形を身にまとう。
ティアの表情が一瞬にして強張った。
『マナ溜まりを? でもそれって、可能なのかな』
彼女は眉をひそめて唸る。
揺れ動く瞳にちらちらと不安な色を垣間見せながら。
『……それはまだ、僕にもわかんないけど。でも、フウガさんが言ってたんだよ。ちあは聴こえてなかったかもしれないけど……』
自信がなく一度俯くも、意を決して顔を上げる。
『フウガさんが精霊界に戻ったあの夜、精霊の子を視て、“壊れ始めてる”って言ってたんだ』
『始めてるって……まさか……』
ティアの口が半開きなのは、たぶん、物事が繋がった顔からだ。シシィが言わんとしていることを。
彼はゆっくりと口を開いた。
『何者か――これは人が関わってる』
碧の瞳に鋭さを滲ませる彼の言葉に、彼女はごくりと喉を鳴らした。
漂う緊迫した雰囲気に、シシィの肩のミントは身を縮こまらせる。
ティアの肩では、未だ若いとも言えない精霊らを、ばななが静かに見つめていた。
彼らを先導するように風が走り。
『もうすぐよ』
ティアの一言で彼らも足を早める。
裏通りの先。きらと何かが陽を弾くのをティアが見つけ、あれはなんだと、それぞれが訝る中で風は一直線に走って行く。
距離が縮まり、そのきらめきが紅をまとっていることに気付く。
あっ。シシィの肩に乗るミントから声がもれた。
『これ、何かしら』
きらめきの前で足を止めた一同はそれを見下ろす。
どこか張り詰めたような空気が漂うのは、この場のマナが濃いからだろうか。
じわりと侵食するように広がりを見せるそれに、ティアとシシィは己から微細なマナを迸らせて一掃する。
きらと紅が陽を弾き、ティアの呟きに応う声はない。
何だか、血みたいな色だ。胸中に不穏な影を落とす。
風が悲しく渦巻く。
その風に眉をひそめながら、ティアが屈んで拾い上げた――刹那。
『――っ!』
小さな悲鳴が迸る。
ぴりとした鋭い痺れが指先に走った。
言い知れない何かが、自分の中へ流れ込むような不快感。
思わずそのきらめきを取り落とす。
彼女の異変に気付いたシシィから声が飛んだ。
『ちあっ!』
はあと息をつき荒くするティアの手を彼が勢いよく掴む。
『どーしたの、大丈夫!?』
シシィが彼女の顔を覗き込めば、顔色は悪く、瞳は空を彷徨い、唇がわなないていた。
様子がおかしい。脳裏に過るのは、いつかの時の彼女の姿。
器に亀裂が入り、もれ出るマナの輝きと、目覚めたら傍になかったぬくもり。
急激に心が冷え、焦燥が滲んでもつれるように彼女を再度呼んだ。
『ちあっ!』
その声にティアははっと息を呑む。
ややして、琥珀色の瞳が彷徨い、やがてシシィを見つける。
『……うん、ごめん。……だいじょうぶ』
応えの声は震えており、大丈夫との言葉に説得力は伴っていない。
同時に、掴んだ彼女の手も、かたかたと小刻みに震えていることに、そこでシシィは気付いた。
『ちあ、嘘つかないで』
そっと彼女の身体を引き寄せ、腕を背へ回す。
手の平も彼女の頭へ回し、遠慮がちに優しく撫でる。すると、彼女はすがるようにその身を寄せた。
一瞬、シシィの中で妙な熱が帯びて身体が強張るも、次いでこぼれたティアの震える声に、彼は邪念を振り払う。
『……なにあれ……気もち、わるい……』
『ちあ……?』
気持ち悪いとは何が。訝しげに眉をひそめ、あの紅のきらめきへ視線を投じる。
きらめくそれは、紅い結晶のような小さなもので、シシィが軽く見つめるときらと鋭く陽を弾いた。
その様はまるで、己の存在を主張しているようにも見え、形容し難い不気味さをまとう。
同時に、肩に乗るミントも身体を震わせ、シシィへと身を寄せた。
ちらと視線を向けると、彼女は紅い結晶を凝視している。
そこで思い出す。
『――ねえ、ミント。もしかして、君の言っていた“きらきら”って、あれ……?』
『……ミント、お船できらきら見たの。あかい、あかい……きらきら……』
小さな彼女の手が、ゆっくりとそれを示す。
そっか、とだけ返したシシィは、ティアから身体を離し、彼女の肩へミントを乗り移す。
彼の意図を察した彼女がおずと口を開いた。
『……シシィ、気を付けて』
彼女の心配する声に頷き返し、改めて紅い結晶へと向き直る。
膝を折って屈み、それへと伸ばした指先が触れ――ぴり、鋭い痺れが走った。
『――っ!』
触れた指先を通じ、無理矢理に流れ込むのは何だ。
嫌悪感が全面に浮き上がり、不快感が忍び寄る。
じんわりと嫌な汗が噴き出し、目の焦点が僅かにぶれた。
目を閉じ、その衝動を堪える。
『シシィっ!』
悲鳴のような声が背後から飛び、大丈夫だよと一度肩越しに振り返って視線を送る。
波がひとつ去ったところで、今度は己を強く想って拾い上げ、手の平で結晶を転がした。
『……これって、魔結晶?』
手の平から感じる波長は魔力のそれ。
『魔結晶って、マナの濃いところで発生する、マナの塊よね? 濃いマナ溜まりとかでよく見かける』
ティアがシシィの背後から手元を覗き込むも、それがどこか遠巻きなのは、少しでも近付きたくないから。
『でも、魔結晶は透き通るみたいに透明度が高くて、それに色は持たないはずよ』
『それでも、これは魔結晶だよ。正確には、魔力の塊を魔結晶って呼ぶらしいよ。前に父上から聞いた』
シシィが碧の瞳を歪める。
これは手で触れるだけで惑わされそうだ。
彼の手の平から静かな水の気が走り、円を描く。ややして、球を形造ると魔結晶を包み込んだ。
結界が張れたことにほっと息をつき、肩を落とす。
彼は立ち上がるとティアらに振り返り、結界に囲われた魔結晶を見せるように差し出した。
『……でも妙だね。紅いし、マナと波長が違う』
魔力と呼ばれるそれは、マナともうひとつのものの総称であり、マナでないとすれば自ずと答えは見えてくる。
『マナでないとすれば、オド……?』
『そーなるね。紅い理由はわからないけど』
断言するシシィに、ティアは言葉を継ぐことが出来ずに黙り込む。
刹那、風がひゅおと鳴り――琥珀色の瞳が見開かれてティアが風を仰ぐ。
その瞳は剣に染まり、形なき風を睨んで細められる。
『ばななはこれが、何か知っているのね……?』
風が空へ立ち登り、その勢いにティア達の髪を乱して行く。
『――――』
風が走り去った方向を辿り、瞬間、ティアは目を据わらせた。
困惑を滲ませるシシィに向き直ると。
『精霊の隠れ家に戻るわよ。――おじさんは何か隠してるわ』
そう、苛立った声で告げた。
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