精霊の春(1)
パリスとヒョオが語らっていた同刻。
精霊界の夜に喧騒が広がっていた。
集い始めた精霊達。
彼らはその時を、まだかまだかと待ちわびていた。
◇ ◆ ◇
先程からシシィは落ち着かない気持ちを持て余していた。
そんな時にちょうど目についたのが自分の尾。
その尾がふりと揺れると、形容しがたい気持ちがうずうずと沸き上がり、気が付けば。
『……シシィ、大人しくしていなさい』
夢中になっていたようだった。
自身の尾を追いかけてくるくると回るシシィをスイレンがたしなめる。
スイレンがシシィの足を引っ掛けるように前足を出せば、案の定、彼は足をもつれさせて軽く転ぶ。
その際に、きゃんっと悲鳴じみた声がもれ、仕上げとばかりに自身の尾が頭に乗ってしまえば、きゅうーんと情けなく鳴いてしまう。
スイレンはそんなシシィの首皮を咥えて立たせると。
『静かにしてなさい』
再度注意を促す。
『……はあぁーい』
シシィは渋々立ち上がると、そのままスイレンの懐へ潜り込み、前足の間からぷはと顔を出す。
その顔は酷くつまらなさそうで、スイレンは小さく苦笑した。
『もうすぐだから』
『むぅぅ』
膨れるシシィ。
いつもと違う雰囲気の精霊界。
喧騒に包まれた夜はシシィにとっては始めてのことで。
そわそわと落ち着かない心地になるのも仕方ない。
それなのに、大人しくしていなさい、静かにしなさい、では、この気持ちをどこに持っていけばいいのか。
『ゔぅぅぅ』
渋面になって唸る。
と、その時だった。
シシィとスイレンの周辺にも、ちらほらと精霊達が集い始めたその中に。
『ちあだっ!』
淡黄色の小鳥の姿を見つけ、反射で喜色の声を上げた。
その声が届いたのか、シシィの視線の先で小鳥が振り返り、彼の姿を見つけて表情を綻ばせる。
そして、彼女は何事かを傍の両親へと伝えている様子。
それを眺めながらシシィは口を開いた。
『ねぇー、ちちうえー』
『んー?』
スイレンが視線を落とせば、懐のシシィがぐりんと勢いよく振り返ってきた。
碧の瞳が期待で揺れる。
『ちあとおはなしなら、していーい?』
『大きな声でお話はしない?』
『うん。しなーい』
『約束は――』
『できるっ!』
シシィはスイレンの言葉に食い気味に大きな声を上げてから、はっとしたように慌てて口をつぐんだ。
それにくつくつと喉奥で笑いながら、じゃあ行っておいでとスイレンはくいと顎で指し示す。
そちらへ視線を向ければ、ちょうど小鳥、ティアがこちらへ歩いて来る姿を見つけて。
『ちあ……!』
彼が声を弾ませながら、弾かれたように駆け出して行くのは早かった。
きゃっきゃっとはしゃぐ息子の姿に、持て余していた気持ちのやり場を見つけられてよかったなと親心に思う。
そのまま子供達は楽しく談笑を始めたらしい。
が。その姿を見やっていたスイレンの表情が途端に強張った。
『……おいおい、シシィ』
思わず声がもれる。
距離があるために、子供達が何の話をしているのかはさすがに聞き取れない。
だが、スイレンはしかと見た。
シシィがティアの嘴を軽く食むのを。
『…………』
狼が相手の口を食むのは愛情表現。
力を込めれば、容易く相手のそれを砕くくらいの力はある。
けれども、そうせずに食むというのは、それだけ相手を想っているということ。
また、相手が食まれて動じないのは、砕く力があるのに砕かないことを知っているから。
つまり、信頼している証拠であって。
スイレン自身も、時折ヴィヴィやシシィ相手にすることのある行動なわけだが。
『え……なにそれ。つまり、あの娘はシシィにとって、そういうことってこと……?』
戸惑い気味にスイレンがティアを見やれば、彼女は困ったように笑っていた。
瞬間。スイレンの空の瞳が据わる。
あの顔は何かが違う。たぶん、そういう甘いようなそれではない。
きちんと想いが伝わっていないのか。
もしくは、そういうつもりではないのか。
彼の真意がわからず、スイレンは息子の将来に少しだけ不安を覚えるのだった。
*
『スイレン様』
遠慮がちな声に振り向けば、集う精霊らがざわめく中に、こちらに歩いて来る二羽の鳥の姿があった。
『……ああ、ティアちゃんのご両親』
互いに会釈をし、二羽はスイレンの隣に腰を落ち着ける。
スイレンの隣には母鳥が。
さらに彼女の隣には父鳥が。
あなたはあの娘を見ていて。
母鳥の言葉に、そのまま彼は自身の娘へと視線を投じる。
言葉通りにずっと見ているつもりらしい。
『先の件では、娘が大変お世話になりました』
口火を切ったのは母鳥だった。
先の件とは、シシィやティアが“外”へと出てしまった騒動のことだ。
頭を下げる彼女に、スイレンは苦く笑いながら告げる。
『……いいえ。あの件は、うちの子がティアちゃんを唆したのが原因のようですし』
『ですが、それでも“外”へ出ると決めたのはあの子自身です。迷惑をかけたことには違いありません』
それに、と母鳥は言葉を濁す。
『そのせいで……その、シシィ様のことを……』
ちらと彼女の視線がシシィらに向けられた。
それだけで、スイレンは彼女の言わんとすることを察する。
同じようにスイレンもシシィらへ視線を向けて、今度は苦笑した。
『それはいいのですよ。どちらにしても、そろそろ限界でしたから』
先の件で、スイレン自身が久々に“外”へ出て痛感した。
“外”の大気が含んだマナの荒々しさに。
あれではマナ溜まりが多発していても不思議ではない。
それだけ長らく役目を放置していた証拠だ。
“内”を彼女が支えるのならば、自分は“外”をと負った役目なのに。
放置も放棄もしていたわけではないが、代役の者に上手く引き継ぎが出来ていなかった時点でそれも同義。
やはり己が望んで負った役目ならば、己が背負えなければならないと痛感した次第である。
だから、そろそろ限界であったのだ。
『……少しだけ、予想よりも早まっただけですよ。精霊王に、子が生まれていたと皆に報せるのが』
先の件の騒ぎで、既に一部の者には知られている。
訳あって精霊の子の面倒を見ているという濁しはもう使えないだろう。
それに、既にヒトには報せは終えている。
後戻りは、もう出来ない。
『きっと、シシィは大丈夫。根底がしっかりしていれば、惑わされることもない』
それはまるで、自分に言い聞かせるような言葉だったから、母鳥は聞こえなかったふりをした。
彼女は離れたところにいる娘と、その傍らに並ぶ精霊王の子を見やる。
笑う顔は何も知らない無垢な子のそれ。
それが何色にも染まらないようにと願うスイレンの気持ちは、同じ親としてわかる。
きっとこの先。あの白狼の子には“精霊王の子”という肩書きが付きまとうだろう。
だからこそ、少しだけ申し訳ないと思う。
シシィはいつも、ティアと一緒だっから。
それを引き離す形になってしまうのは、心苦しい。でも。
母鳥は目を閉じ、ひとつ、息を深くついた。
そして、意を決してスイレンの方を向く。
心は、決めた。
『スイレン様に、お伝えしたいことがあります』
彼女の声に真剣な響きを感じ取り、スイレンが振り向く。
何だと視線で問えば、母鳥は徐に言葉を紡ぐ。
『今すぐにというわけではありませんが、いずれは娘を、夫の弟の元へ預けてみようと考えております』
スイレンの空の瞳が少しだけ見開かれた。
彼は母鳥の隣、その父鳥をちらと見やる。
『……彼の弟というと、シルフだったかな』
『はい。私達、風の精霊の長であるシルフ様の元です』
『なぜと訊いても……?』
『娘の、精霊としての成長に繋がればと』
母鳥とスイレン。二対の瞳はティアへと向けられた。
『もともと精霊としての気配が薄かった娘ですが、あの一件以降、あの子自身の、精霊としてのそれが、より薄くなってしまったように感じるのです。別の気配を感じるというか……』
はっしてスイレンが母鳥を見やるも、彼女は構わず言葉を続ける。
『親として情けないのですが、その原因がわからないのです』
のろのろとスイレンを見上げ、彼女は力なく笑う。
それを何とも言えない心境でスイレンは受け止めた。
そうか、彼女には視えないのか。知らないのか。
ティアを見やれば、スイレンの眼にはしかと視えるのに。
彼女の奥。精霊の
どうしてそうなったのかはスイレンも知らない。
だが、ティアという精霊は、本来とは別の廻りで在る精霊。
それは確かなのだ。その上、今のあの子に絡むのはシシィの縛りだから。
それでは余計に、精霊本来としてのそれは遠退いてしまうのもわかる気がする。
少しだけ母鳥に対して憐れんでしまうのは、失礼になるのだろうか。
これが視えるかどうか。
それは、同じ上位精霊でも、“白”かどうかという違いの現れで。
それを憐れむのは、きっと同じ親として思ってしまうことがあるから。
しかし。だからと言って、これはスイレンが軽々しく口にしていい事実でもない。
それを秘めている理由も、きっとティアにはあるのだから。
『シルフの元で、ティアちゃんにとっての何かが掴めるといいですね』
朗笑し、母鳥へ振り向く。
こう思うのも嘘ではない。
『シルフが居る地は、ここよりも遠く離れた水の都。我ら精霊を信ずる心はあれど、それはこの地よりも濃いものでもない』
『――ですから、預けてみようと思ったのです。精霊はヒトの想いが在るから存在しています。それが希薄な地なれば、己の存在をしっかりと認識しなければ存在を保てません』
ふ。息を吐くように母鳥は笑う。
『今のあの子には、丁度良いと思ったのです。何かに護られるのではなく、自分でそれをみつけて欲しくて。……それに、あの子には何か抱えるものがあるようですし』
ティアはいずれ、“外”へと飛び出してしまう子ですから。
母鳥が苦笑しながら浮かべる表情は、何も知らないはずなのに、けれども、何もかも知っているように見えて。
『…………』
それがスイレンには眩しく映り、思わず目を細めた。
何となしに遠くを眺めやると、その先でシシィが破顔していた。
それが向けられる相手はティアで。
確信のようなものがスイレンの胸中に去来する。
『……――』
ああ。息をひとつ吐く。
以前に感じた、シシィが“外”へ飛び出していくという予感は、たぶん、その時だ。
飛び出すとすれば、きっかけはあのヒトの少女かと思った。
けれども、スイレンは否と緩く首を振った。
飛び出すきっかけは、そう。あの娘だ。
シシィの根底に在るのは、きっとあの娘だから――。
光が、降り落ちる。
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