光、降り落ちる


 夜。精霊界。

 精霊の森に囲われた湖に浮かぶ、ひとつの島。

 その島に樹冠を広げた大樹は根を下ろす。

 ひんやりと冷たさをはらんだ夜風が吹き渡り、湖面に瞬く星を揺らした。


『――時は、満ちました』


 呟かれた言葉は夜の森に溶ける。

 大樹の下に白狼の姿。

 瑠璃の瞳が大樹の樹冠を見上げると、大樹は葉を揺らして応えた。

 りぃん。澄んだ音を伴い、弾かれたように仄かな燐光が舞う。


『…………』


 ほ。白狼が細く息を吐き、目を閉じる。

 それが、合図だった。

 大樹がその身を揺らし、光を帯びて、湖に光の波紋が生じる。

 それは森へと通じて、森の木々が光を宿した。

 白狼が目を開き、瑠璃の瞳が揺れ動く。

 そして。


『――王からの詫びです』


 白狼が言葉をひとつ落とせば、白狼の毛並みを撫で上げながら風が巻き上がった。


 ―――光が、舞い上がる。




   ◇   ◆   ◇




 始まりは、一陣の風だったと思う。

 自室の窓を開け放ち、夜の街をぼんやりとジャスミンが眺めていた時。

 突如、強い風が吹き付けた。

 うわと声を上げて思わず手で顔を庇い、そして、風が過ぎ去った後の光景に目を奪われた。


「すごぉーいぃ……」


 金の瞳をこれでもかと見開き、感嘆の声をもらす。

 彼女の目の前に広がる光景。


 ――光が、降っている。


 人によっては舞っていると思うのかもしれない。

 けれども、ジャスミンの目には降っているように映った。

 思わず手を伸ばす。

 ジャスミンの手に降り落ちた光は、触れた瞬間に弾け、燐光を散らし夜風にさらわれるように消える。

 それはまるで雨のようで。

 ジャスミンの脳裏に日中の祠の出来事を思い出させる。

 これももしかして、精霊が――?

 そう思う間にも、ジャスミンの手には光の雨が降り落ちては弾け、燐光を散らす。


「…………」


 金の瞳が瞬いた。

 光が手に触れる、ほんの些細な瞬間に感じる波長。

 それが似ている気がした。

 あの、白狼の子の波長と。

 水の気をはらんだ光の雨は、優しくジャスミンに降り落ちる。




   ◇   ◆   ◇




『――これって、ひょっとしてマナ……?』


 降り落ちる光の雨に手をかざし、パリスはぽつりと呟く。

 森の巡回の最中。

 突如降り出した光の雨に、パリスは慌てて木の下へと駆け込んだ。

 触れる光の雨は、微弱ながら水の気をはらんでいる気もして。

 それと同時に周囲のマナが凪いでいくのを肌で感じる。


『……マナの濃度が一定に……?』


『うむ』


 パリスの呟きを拾ったのは、彼の首にとぐろを巻くヒョオ。

 ちろと舌が見え隠れする。


『これは微量なマナの集まりゆえ、雨のように見えるのであろう』


 鎌首をもたげ、ヒョオが空を仰ぐ。

 木の葉の隙間を抜けた光の雨が彼の頭に落ち、燐光を散らして消えるも、霧散する水の気配に彼は慌てて頭を引っ込めた。

 それにくすりと小さく苦笑をもらしたパリスが、慰めるようにヒョオの頭を指で撫でると。


『…………水は苦手ゆえ』


 少し情けない声がした。

 火の性質のヒョオには、水の気は少しばかり苦手なのだ。

 しばらくの間、ヒョオはされるがままになっていた。




『――で、なんでマナが降ってるんだ? もしかして、精霊の春の一部なの?』


 光が落ちる空をパリスは仰ぐ。

 まあ、光の雨っていうのも幻想的で綺麗な光景ではあるけれども。

 確か文献にはこんな現象の記載はなかったように思う。

 文献にあったのは、ここ数日に行われていたことのはずで。

 人々が祭りとして楽しみ、そして精霊へ感謝を送る。それが、精霊の春。

 なのにこの現象は、騒ぎになったりしないのだろうか。

 街から騒ぐような声もしないし、たぶん大丈夫なのだろうけれども。

 答えを求めるように、パリスはヒョオを一瞥した。


『ヒトはこれを、精霊の春の一部と思うのであろうな』


 それはヒョオの独り言のような響きを持っていて。


『ん?』


 反応を示すパリスへと視線を投じ、ヒョオもまた空を仰いだ。

 今度は雨に触れないように気を付けて。


『精霊の春とは、ヒトが我ら精霊へ感謝をし、還すこと。それで我らの存在は、より確かなものとなるゆえ』


 感謝は祈りへと通じ、それは精霊という存在を確かなものへとする。

 精霊のはじまりは人の祈りだから。


『我らは、そのヒトからの感謝を精霊の子らへと与え願うのだ』


『何を?』


『――健やかなれと。我らは病などにかかることもないが、やはり願ってしまうものゆえな』


『……それが、精霊の春って呼ばれるものってこと?』


『うむ』


『で――』


 この雨は何なのかと、改めてパリスが手をかざす。

 光が降り落ちては、燐光となって散る。

 ひんやりと冷たさの、その余韻を残して。

 けれども、その余韻もやがては自身の体温に溶け込んでしまう。

 優しい感触だ。


『これは我らが王が降らせているものだろう』


『――……それって、つまり……精霊王、様……?』


 さすがにこれは予想外。

 おそるおそるヒョオを見やる。


『――王から我らへの、全快されたという報せ。……それからヒトへ、王からの詫びなのだと、思う』


『全快……? 詫び……?』


 ヒョオにしては珍しく歯切れが悪い返答な気がして、思わず顔を覗き込むも、蛇ゆえに表情の変化は乏しい。


『……そうか。王はご快復なされたのか』


 それはヒョオの独り言のようで、ほっと安堵したような響きだった。


『我のように、常に“外”へ身を置いておる精霊には、“内”の様子はわからないゆえな』


 ヒョオが遠くを見晴かす。

 光は森だけでなく、街やその周辺にまで降り落ちている様子であり。

 これ程広範囲にマナを扱えるのは、おそらく精霊王くらいだろう。

 あの方の力はそれだけ甚大で、これもその片鱗に過ぎない。

 全く、恐ろしい方だ。静かにヒョオは思う。

 と。


『…………もしもぉーし、ヒョオさぁーん……?』


 痺れを切らしたらしいパリスの声で、ヒョオはひとり思考に沈んでいたことを自覚した。


『む? パリスよ、どうかしたかえ?』


 悪戯心にとぼけてみれば、明らかにむすっと不機嫌な色を宿した瞳が彼を見やる。

 と、その瞬間。

 間合いよく、木の葉の隙間を抜けた光の雨がヒョオの頭に降り落ちた。

 それはやはり、すぐに燐光となって散ってしまうも。


『…………』


『…………』


 横たわる暫しの沈黙。

 そして。


『…………水は苦手ゆえ』


 ぽつりと呟かれた言葉。

 表情に乏しいはずの蛇の顔が、渋面に染まっているように見えて、パリスは小さく吹き出した。




   *




 その翌日。

 騎士隊の方で把握していたマナ溜まりが消失しているのが確認された。

 調査したところ、どうやら昨夜降った光の雨が、一帯のマナを鎮めたようだという結論に至る。


 後日。

 このような大事をする際には事前に報せて欲しいと、スイレンは隊長から苦情をもらうことになる。

 その傍らで、ヒョオが呟いていた詫びとはこのことなのかな、とパリスは思うのだった。

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