祈り
その祠は精霊の森にある。
街から森の祠へ続く道は、永らく人の手が入っておらず、文字通りに荒れ放題だった。
背丈が高い草に覆われ、かつての道は廃れ、陽は差し込まないために湿った空気が漂う。
それが、少し前に整備された。
街の騎士らによって草は刈られ、適度に陽が差し込むようになった。
澄んだ空気がその場を明るくする。
祠へ続く道は新たに敷かれ、人の足でも負担少なく訪れられるだろう。
敷かれた道には、木漏れ日が揺れ落ちる。
春が過ぎて強くなり始めた日差しは、木々によって幾分かその勢いを落とす。
道として敷かれたのは白の砂利。
そこに精霊への信仰が窺え、彼女――パティは嬉しさを感じた。
白はかの存在を示す色。ゆえに、精霊の上位は白をまとう。
それがヒトの信仰の色だから。
そして、パティの憧れる色でもある。
『……ふわぁ……ぁ……』
緩んだあくびが、精霊の森に溶けた。
祠の上で寝そべる白銀の狐の精霊は、緩む陽気に堪らずもう一度あくびをもらす。
祠の上と言っても、彼女が寝そべるのは、祠を囲うように生える木の太い枝。
だらりと垂らした尾を呑気に揺らし、眼下を見下ろす。
白銀の尾は揺れる度に陽光を弾いてきらめく。
彼女ら精霊が“外”と呼ぶ側に、その祠はある。
石で造られた祠は、かつてここらに住んでいたヒトらの手によるもので。
精霊の感覚でも遠い時の向こうだ。
それゆえに、祀る意味合いで傍に植えられたかつての苗木は、今やその祠を巻き込んで成長してしまっている。
まるで祠を囲い護るように。
石で造られたそれは、かろうじて祠の形を保っている状態だ。
だからだろうか。今の世のヒトらは、この木そのものを祠と呼んでいるらしい。
らしいというのも、ここ最近、“外”へ出るようになったパティが知ったこと。
精霊王が結界の外へ出るようになったことで、結界を張る必要も、その番も必要なくなり、その任に就いていたパティは解かれることとなった。
そして、次に任された任が祠の守役だった。
“外”と関わることで、己の見聞も広がるだろうと言ったのはあの精霊で。
それがちょっと、パティにとっては面白くなくて。
さらに口添えするように、お願いねと任してくれたのが精霊王。
それもちょっと、パティにとっては面白くなかった。
精霊王に、お願いね、と言われてしまえば、パティに断ることは出来ない。
たぶん、あの精霊はそれをわかっていただろう。
そのやり方が少しだけずるいと思った。
面白くない。
脳裏に過る姿は、飄々と笑う空の瞳の白狼の精霊。
パティの青紫の瞳が不機嫌にきらめいた。
やはり、あの精霊は気に食わない。
けれども、精霊王があの精霊を好く理由も、この頃は何となくわかる気もするのだ。
“外”と関わるようになり、あの精霊が役目を担う姿を見たのは、一度や二度ではない。
そこから見えてくるものもある。
以前のようにはもう思ってはいない。
王の隣に立つ見合う何か、それは在るとも思っている。
だが、やはり気に食わない。
むむうと小さく呻く。
と。ふいにパティは顔を上げた。
『パティサマ、パティサマ』
『キヅカレタ、キヅカレタ』
『アノヒトノコ、ボクタチ、ミタ』
静かな森に響く賑やかな声。
パティが視線を向けた先。
揺れる木漏れ日の中を、幾つかの光の粒――下位精霊がふよふよと浮かび向かって来る。
『何事です?』
その問いかけに、パティの周りをぐるぐると忙しく飛び回りながら、彼らは口々に訴える。
『ニンシキソガイ、カケテモラッタ』
『ナノニ、アノヒトノコ、キヅイタ』
『ボクタチ、ミタ』
『モウイッカイ、ニンシキソガイ、カケテ』
カケテカケテと繰り返しながら、光の粒達は明滅を激しく繰り返す。
それが視界的に少し煩い。
この精霊達は、少し前にパティのもとを訪れた子らだ。
ヒトの街へ行きたいからと、パティに認識阻害をかけてくれとねだりに来た。
今はヒトの街も祭りで活気づいている。
ヒトに惹かれる精霊が興味を持つのも仕方ないだろう。
まだ認識阻害を扱えない精霊が、上位の精霊へかけてもらおうとねだりに来るのも珍しくはない。
だからパティも了承した。
精霊として未熟な子らの面倒をみるのもまた、長者の役目だ。
そして、彼らは認識阻害をかけてもらったのちに、意気揚々と街へ繰り出したはず。
なのだが、それがどうしてか。
ヒトの子と目が合ったらしく、解けたものをかけなおしにもらいに戻って来たらしい。
パティは青紫の瞳をすがめ、彼らの気配を探る。
だが、未だ彼らに施した認識阻害は働いている。解けていないようだ。
『認識阻害は解けていないようですよ?』
『デモ、ヒトノコ、メガアッタ』
『コッチ、ミタ』
『キヅイタ、キヅイタ』
先程よりも激しく明滅をする光の粒達。
どうやら納得していないようだ。
目の前でちかちかと少し煩わしい。
反射でパティは目を細めた。
ナンデナンデと繰り返し訴えられても、それはパティ自身にもわからない。
精霊はたまにヒトの街へ遊びに行く者もいる。
その際は認識阻害を己にかけるか、かけてもらうかをし、隠れながら楽しむ。
それが互いの領域を侵さないため。守るため。
それで、基本的にはヒトに見つかることもないのだが。
そう。基本的には。
ひとつ、可能性があるとすれば――。
『――……』
パティがその可能性を口にしようとした時。
じゃり、音がした。
パティの耳が立ち上がり、激しく明滅をしていた光の粒達は一瞬にして静まる。
じゃり、じゃり。遠くからしていた音は、徐々に大きくなる。
これは、祠へと続く道に敷かれた砂利を踏む音だ。
『どうやら、ヒトが訪れたようですね』
ちらと視線を祠へ落とす。
そこには既に供え物があった。
菓子に果物など、食べ物が主なそれ。
それは全てヒトから精霊へと供えられた物だ。
自分達が豊かに暮らせているのは、精霊のおかげでもあるとヒトは知っているから。
その感謝の表れであり、そして、それは祈りへと通ずる。
ヒトの祈りが精霊へ流れ、それは恩恵としてヒトへと流れる。
つまりは廻り。
『――って。あなた達はなぜ、私の後ろに隠れるのですか……』
呆れた風情にこぼせば、光の粒達は小さく明滅しながら言葉を繰り返す。
『コッチ、ミタ』
『メガアッタ、ヒトノコ、アノコ』
『アノコ、セーレー、ミエテル』
ひゃあと小さく悲鳴を上げながら、彼らは縮こまらせたその身を寄せ合った。
その間にも、じゃり、と砂利を踏む音は近付いている。
音からして二人。ついとパティはそちらへ視線を向けた。
さわあ。風が木の葉を擦り奏で、ぱらと幾つか木の葉が舞い落ちる。
それから間もなく。木の葉が舞い落ちる中、砂利道を歩くヒトの親子の姿が見えた。
父と娘だろうか。手を繋いで歩く姿は仲が良さそうだ。思わず顔が綻ぶ。
『――……』
が。そこでパティはふと気付いた。
あのヒトの子、ヒトとは異なる気配が混ざっている。
もしかして――。
刹那。そのヒトの子が顔を上げた。
『ミタ! イマ、ヒトノコ、コッチ、ミタ!』
『ミタ! ミタ!』
『コッチ、ミアゲタ!』
パティの後ろで光の粒達が声を上げる。
これにはさすがのパティも身を固くしてしまった。
目が、合った。否。今も目が合っている。
『…………』
「…………」
横たわる沈黙に、葉擦れの音と砂利道を踏みしめる音だけが通り過ぎる。
それは、ヒトの親子が祠前まで辿り着いても続いていた。
やがて、父親の方が沈黙を破る。
ずっと上ばかりを見上げる娘を不思議に思ったのだろう。
一度彼も上を見上げたが、首を傾げて娘を再び見やる。
父親の目には精霊は映っていないようで。認識阻害は変わらず働いている。
ということは。
『あの子は感覚が鋭いようですね』
それは先程パティが口にしようとしていた、ひとつの可能性。
時折、感覚が鋭いヒトがいる。
その場合には容易く認識阻害の効果を潜り、精霊をその目に映す。
おそらくは、あの子はそういう子なのだ。
「ジャジィ、何を見ているんだい?」
父親が娘に訊ねると、彼女は木の上を指差しながら父親を見やる。
「きつねさんがきのうえにいるの」
「狐さん……?」
訝りながらも、父親はもう一度木の方を見上げる。
だが、やはり彼の目には何も映さない。
うーんと眉間にしわを寄せながら首を傾げ、暫しののち、合点がいったように瞳が瞬いた。
「……ああ、そうか。ジャジィには精霊様が見えているんだね」
柔らかな声を落としながら、優しい手付きで娘の頭を撫でてやる。
「せーれーさま……?」
首を傾げて振り向く娘に、父親は笑みを深めた。
「そう。精霊様がいらっしゃってくださるから、お父さんやジャジィ達の皆は、この地で暮らしていられるんだよ」
わかるかなと問うと、わからないと娘は首を振る。
だが、一生懸命わかろうとしているのだろう。
彼女は眉間にしわを寄せ、難しい顔つきになっていた。
うんうんと唸りながら、眉間に刻まれたしわは徐々に深くなる。
それを目を細めて見つめていた父親は、くしゃりと娘の頭を撫でて。
「お祈り、しよっか」
と彼女を促す。
「……おい、のり?」
「うん。いつもありがとうっていう感謝と、これからもお願いしますっていうお祈り」
父親の言葉を受け、娘が祠を見上げた。
祠上の木で寝そべるパティを視界に収め、じいと見つめて、それをパティはしかと受け止める。
彼女がゆったりと尾を振れば、ざわあと森は静かにざわめいた。
森の気配を感じたのか、娘が父親へ振り向くと、彼は目を閉じ、手を組んで祈っていた。
慌てて彼女も父親の真似をするように、目を閉じ、手を組んで祈る。
瞬間。一層森はざわつき始めた。
それはまるで。
『森が、嬉しがっている……?』
ようにパティには感じられた。
彼女の呟きは森のざわめきに混ざり、誰の耳にも届かない。
青紫の瞳を細め、パティはヒトの子を見下ろした。
彼女はどうやら、この森に好かれているらしい。
変わったヒトの子も居るものだ、と静かに笑う。
――祈り。それは精霊の起源。
親子の祈りに呼応するように、祠が仄かに光を帯びた。
それが祠を覆う木に流れ、茂る枝葉から光を散らして燐光を降らせる。
それは、雨のようで。
森へと染み込んでいき、祈りの雨は木の上の精霊達にも降り注ぐ。
狐の銀の毛並みが燐光を弾き、その後ろに隠れる光の粒達は、降る燐光にきゃっきゃっとはしゃいで飛び回る。
森に沁み込んだ祈りの雨は、そのまま大樹へと流れ込み、そしてそれは、精霊へと通ずる。
「――あ」
ヒトの子の吐息のような呟き。
その声を聞き留め、祈っていた父親がどうしたのか問うと、娘は木の上を見上げて答えた。
「せーれー様が、きれい」
眩しいものを眺めるように、彼女は金の瞳を細めた。
「そうなんだ」
父親も娘と同じように見上げ、そして瞳を細める。
だが、彼の瞳には何も映らない。
それでも、娘と同じものが見えている様だった。
祈りの雨が降る中。狐の精霊が親子を見下ろす。
青紫の瞳。その目元を和らげると、一鳴きしたのちに見えなくなった。
否。パティが丁寧に認識阻害を再度発動させたのだ。
だからもう、ヒトの子の瞳にも精霊の姿は映らない。
『これが、精霊とヒトが隣人で在るために必要なこと』
祈りの雨は降り止んでいた。
パティの言葉に同意するように森が鳴く。
さわあと風が木々を揺らし、木の葉は舞い落ちる。
それは親子の帰りを促すように。
「どうしたいんだい、ジャジィ?」
「……うん。せーれーさま、みえなくなっちゃった……」
瞳を瞬かせる娘に、そっか、と父親は静かに呟く。
「精霊様が本気で隠れちゃったら、ジャジィでも、みつけるのは難しいみたいだね」
「どーして、せーれーさまはかくちゃったの……?」
「うーん、そうだね……。それが、人と精霊様との丁度いい距離感、だからかな?」
父の言に、娘はこてんと首を傾げた。
ちょっと、難しいかったかな。
苦笑した父親は、娘の手を優しく引いて振り返る。
「そろそろ帰ろっか」
「え……うん……」
それにちょっと不満そうにするも、娘も促されるままに歩き出した。
けれども、やっぱり最後は気になってちらと背後を振り返るけれども、そこにはもう何も居なかった。
さわあ。親子を送り出すように、風が吹き抜ける。
『アノコ、コッチ、ミナカッタ』
『ミナカッタ、ミナカッタ』
『ミエテナイ、アソベル、アソビニイク』
見えていなかったことを確認した光の粒達が、ひゅんひゅんとパティの周りを嬉しそうに飛び回る。
『アソビニイッテクル』
『イッテクル、イッテクル』
『パティサマ、アリガト』
その言葉を合図に、どびゅんと疾風の如く飛んで行った。
途中、親子を勢いよく追い抜いて行き雰囲気はご満悦。
当の親子は突如走った風に、不思議そうに首を傾げるだけ。
それを見た彼らが得意気な顔をして、余所見して、木にぶつかったのは自業自得だろう。
パティは変わらず、祠上の木の上で寝そべって見守るだけ。
それが祠の守役。その役目。
緩くなった空気に、彼女は再びあくびをもらした。
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