友人だと思っている
「ふわあぁぁー……」
精霊達が“外”と呼ぶ側の精霊の森。
木漏れ日が揺れる中、眠気を多分に含んだ大きなあくびを、我慢ならずにパリスはもらした。
あまりに心地の良い天気、時間帯、雰囲気。
眠気を誘うには十分過ぎる条件が揃っている。
目に滲んだ涙を指で軽く拭いながら。
「眠いなあ……」
思わずぼやく。
ざっくざっくと歩むパリスの足取りは、どこかいい加減だ。
正直に白状すると、飽きた、の一言に尽きる。
『パリスよ、飽きたのかえ?』
そう思ったところで、内心を見透かされたように言い当てられた。
パリスの首にとぐろを巻く紅淡色の蛇、ヒョオがちろと舌を出す。
『そりゃ、ちょっとは飽きるよ。ただ歩いてるだけだしさ』
この場にはパリスとヒョオしかいない。
誤魔化す必要もないので、パリスは正直な気持ちを吐露する。
『騎士隊の体制がちょっと変わって、新たに森の巡回も組み込まれたけどさ。こんなの表向きで魔物対策頑張ってますよって見せてるだけで、ただの森の散歩じゃん』
そう。長年、人の出入りが森になかったことで発生していた魔物。
近年では街に程近い場所での目撃証言もあった。
ゆえに行われた少し前の調査という名の討伐。
そこから問題視されたのが、森への長年に渡る立ち入りのなさだった。
始めは騎士隊から領主。そこから国へ進言。
魔物が発生するようになった要因として、当時の人の王が森を“精霊の森”として、ある種の禁域のようにしてしまったこともある。
魔物が増えれば、その地の動植物の生態にも影響を及ぼす。
そこで騎士隊に新たに組み込まれたのが、森の巡回業務だった。
が、実質は決められた経路を歩くだけ。これは森の散歩だ。
先の討伐や、近頃は精霊側も動きをみせてくれているからか、魔物の目撃情報もない。
ゆえに、巡回中に魔物と対峙するということもない。
だから、緊張感が薄れ、散歩気分になっても仕方ないではないか。
大事なのは経路通りに歩くこと。と、隊長も言っていた。
『パリスよ、それが重要なのではないのかえ』
『どーいうこと……?』
諭すようなヒョオの声に、パリスの視線が向けられる。
『ただ、森の散歩をすることが?』
『うむ、その通りよ。だが、“ただ”の散歩ではないゆえ』
ヒョオが鎌首をもたげ、視線を巡らせて。
『……やはりな』
納得した風情でひとつ頷く。
ぴたとパリスが歩みを止め、そんなヒョオをちょっと不愉快そうに見やった。
さっさと教えてくれてもいいのに。
焦れた気持ちが胸中に燻る。
『そう焦るでない。お主も近頃は、魔法とやらの書物を繰っているではないか』
『それは、そーだけど……』
ぶっきらぼうに言い、自分を見やるヒョオへ請うような目を向ける。
先の討伐の一件以来、自分にも新たに出来ることがあるかもしれないと、改めて魔法について調べ始めた。
時折ヒョオに助言をもらいながら、ゆっくりと紐解いている最中だ。
じいと己を見やる視線を受けながら、ヒョオはかぶりを振り、はあと嘆息をひとつ。
『ひとつ、助けをやろう。――街の周囲に然程強くはないが、結界が張られているようぞ』
『結界が……? ……てことは、結界魔法ってことだよなぁ?』
顎に手を添え、パリスが考え込み始め、その様子をヒョオは満足そうに眺める。
『……巡回……始めから決められた経路……』
ぶつぶつと呟きながら、パリスの思考は深くなっていく。
そういえば、隊員によって巡回する区域は違うが、その巡回経路を結べば街を一巡する。
『街を、一巡……?』
何かが引っかかり、パリスは頭の中で巡回経路を描く。
一見すれば単なる全体経路。
だが、何かの図形に見えないか。
そう、あれを眺めた時に既視感を覚えた。
あれをどこかで見たのだ。それも最近。
記憶を手繰る。思い出せ。
書物を繰るように記憶を手繰る。
その最中、書物に栞が差し込まれるように声がした。
――お主も近頃は、魔法とやらの書物を繰っているではないか
先程のヒョオの声だ。
魔法。書物。脳裏にひらめく、それ。
「…………!」
そこではっと思い出して。
「陣だっ!」
パリスは突然声を上げた。
その声に驚いたヒョオが目を丸くし、落ち着きなくちろちろと舌を出し入れする。
『……ああ、ごめん』
パリスが苦笑しながら謝れば、ヒョオはうむとひとつ頷く。
『……して、パリスよ。何かわかったのかえ』
『ああ、うん。そう、思い出したんだ』
『ほお?』
『隊員によって巡回経路は異なるけど……』
ちらとヒョオを見やるパリスに、彼は黙って続きを促す。
『それを全て結べば、大きな陣になる。これは――』
ざっく、パリスが歩き始める。
その足取りは先程と変わって、しっかりとした足運びだった。
『街を囲う程の、結界魔法の陣だ』
そう言葉を発するパリスの声はどこか誇らしげで、ヒョオが満足げに頷く。
『うむ、その通りよ。ヒトは面白いことを考えるものよの』
『ん、どういうこと?』
『精霊結びもその陣とやらになぞって歩かせることにより、流れをつくりて浄化作業も担っておる』
くっ、と。ヒョオから笑う声がもれる。その声は楽しそうで。
お、珍しいこともあるもんだな、と。
今度はパリスが目を丸くした。
ここまで辿り付ければ、パリスにはもう、この森の巡回の意味がわかっていた。
結界を織り成すには、やはり魔法の扱える魔法師、もしくは魔法騎士が、歩きながらオドで陣を描く必要がある。
だが、陣を描くだけでは発動しない。その陣に発動させるためのオドが必要だ。
そこへ定期的にオドを流し続けるために、巡回も目的としたこれなのだ。
おそらく魔法騎士達はオドを流し込みながら巡回しているのだろう。
パリスは魔法が扱えないゆえに、それに気づけなかった。
織り成された結界は街を囲み、広範囲ゆえに然程強くはないが、魔物の侵入やマナ溜まりの侵食を防ぐには十分だ。
さらにそこへ、精霊結びの者も陣をなぞれば、そこにマナへの流れもうまれる。
精霊結びは精霊の庇護がある。
ゆえに、精霊が傍になくとも、マナの流れをうむことは可能だ。
が、精霊は気に入りの
結局は精霊の道がうまれ、マナの流れができる。
そうすればどうなるか。それは浄化となる。
なるほど。確かに面白い。
ヒョオの言うことにも頷ける。
そんなパリスを横目で見やったヒョオが言葉を投げた。
『パリスよ、もう眠くはないのかえ?』
『っ』
言葉を詰まらせたパリスがヒョオを見れば、彼の瞳が悪戯にきらめいた。
そこに愉しげな色を見、口をへの字に歪める。
『そう、拗ねるでない』
『拗ねてないしー……』
ざっくざっく。足音だけが響く。
さわと風が吹けば、木々が揺れて木漏れ日が揺れる。
穏やかな空気だ。
と。そんな空気を震わすひとつの声。
『お、パリスみっけ』
ヒョオのものでも、パリスのものでもないその声に彼らは振り向いた。
振り向かなくとも誰のものかはわかっている。
随分と軽い調子のこの声は。
『スイレンさん、少しぶりッスね』
振り向いた先。
陽光弾く白の体毛は、白銀にきらめいて。
空の瞳を懐っこく細めたスイレンがいた。
『んー、そうだったかー?』
少しとぼけるように応えるスイレンに、パリスが苦笑をもらす。
『そうッスよ。数日前にも会いました、駐屯所で』
『んー、そうだったかもなー』
歩み寄って来るスイレンに、パリスは問いを投げかける。
『今日も隊長の用事の帰りッスか?』
『いや、これから向かうところだよ。その途中でパリスを見つけたから、寄ってみた』
『へえ、そんなんッスか』
あの一件以来、スイレンは街の騎士の駐屯所を訪れることが多い。
浄化とか。それをするにしても、自生する植物の性質に合わせてのマナ濃度の調整とか。
パリスにはよくわからないけれども、隊長らと難しい話をしているようだ。
よくわからないけれども、精霊と人が並んでいる姿を見るのは、パリスは何だか嬉しい。
だからたぶん。これはいい変化なのだと思う。
そしてスイレンは、あれから何かとパリスを気にかけてくれているらしく、こうしてよく会いに来てくれる。
それも何だかパリスは嬉しいのだ。
だけれども、困り事もあったりする。
『――して。お主は何故に、毎度毎度パリスの元に訪れる!?』
パリスの肩で口を開け、しゃーっと威嚇音まで発するヒョオ。
そう、パリスの困り事はこれだ。
『ん? パリスは俺の気に入りだ。みつけたなら、立ち寄るのが道理だろ?』
威嚇をされているというのに、スイレンは動じる様子もない。
いや、逆に楽しんでいる節もある。
尾が振れているのが証拠だろう。
『お主は昔からよなっ! かの方もパリスも、みつけたのは我ゆえっ! なのに、お主は毎度毎度あとからっ――!』
びしばしと乾いた音が響く。
苛立ちにまかせて振り上げられたヒョオの尾がパリスの背を激しく叩く。
痛いな。
叩かれ揺れる身体に、パリスが遠くぼんやりと虚空を見つめる。
ヒョオに露骨な態度をとられているのに、当のスイレンは飄々として笑っている。
『だから、パリスとは結んでいないだろ?』
『そういう問題ではないゆえっ!』
怒る色を濃くするヒョオを一瞥し、スイレンがちらりとパリスへ視線を投じた。
ああ、そろそろ頃合いか。
それだけでパリスは了承する。
視線を交わすだけで、意味を汲み取れるくらいには関係は良好だ。
『――まあまあ、ヒョオ。落ち着けって』
『……む』
なだめるパリスの声に、ヒョオは渋々口を閉じた。
だが、不機嫌な雰囲気は隠す気もないようでパリスは苦笑する。
『オレにはお前だけだよ。オレが結ぶのはヒョオだけ』
『……だが、わからぬではないか。この先、気が変わるやもしれぬ。……かの方も、始めはそう申して……』
ヒョオの瞳が伏せる。
『……ヒトは移ろいゆくものゆえ』
ぽつりと零れた言葉は。
柔らかく吹き抜けた風に溶け、パリスに聞かせまいと、ざわと葉を擦って身を隠す。
だから、彼にヒョオの言葉は届かなかった。
一方でスイレンには届く。
彼は苦笑を浮かべたが、でも少しだけ切なげで。
だが、すぐに悪戯に笑うそれに隠される。
『……結ばないよ、ヒョオ』
ヒョオの瞳が睨むようにスイレンを見やる。
それはどこか挑戦めいていて。
『わからぬゆえ』
強く言葉を返す。
が、スイレンは悪戯に笑う顔を深めた。
『結べないよ。だって、パリスの心は俺に向いてないから』
はっとしたようにヒョオがパリスを向けば、パリスの指が優しくヒョオの頭を撫でる。
そういうことだよ、パリスがちょっと不貞腐れたように言う。
『……ヒョオは、オレのこと信じてないわけ?』
『ぐぬっ……そういうことではないが、我は、お主に対しては存外余裕がないゆえ……許せ……』
しゅんと項垂れたように頭を垂れるヒョオに、パリスは仕方ないなあと苦笑して息をつく。
『それにさ、スイレンさんはああ言うけど』
と、スイレンの方を見やり。
『スイレンさんだって、オレに心を向けてないッスよね?』
首を傾げる。
当のスイレンはパリスの言葉に軽く目を見張った。
瞬く瞳は純粋な驚きを表す。
気付かれていたとは。
『そうか、気付かれてたか』
繕うことなく苦く笑う。
けれども、だが、と言葉を置く。
『――だが、俺はパリスを友人だと思ってる』
悪戯に笑うスイレンに、今度はパリスが目を見張った。
『――――』
ほ、細く息を吐き、そして、口元にゆると仄かな笑みが乗る。
『うん……オレも、スイレンさんのことは友達だと思ってるッス』
じんわりと沁みるあたたかさは何だろうか。
言葉にし難い満ちた気持ちに熱が走って、ちょっとふわりと身体が浮き立つようだった。
『…………』
そんなパリスの横顔を、ヒョオは面白くなさそうに眺めていた。
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