幕章 精霊の春
ティアとミナモ、ちょっぴりシシィ
精霊界。
空に浮かぶ雲は穏やかに流れて行く。
風が吹き渡れば、木々が身を震わせ木漏れ日がゆらと揺れる。
そんな木漏れ日の下に彼女達の姿はあった。
少し前までは、何だか慌ただしいという感じだった。
だが、近頃の精霊界は慌ただしくて落ち着かないというより、そわそわとどこか浮かれた感じがする。
そう、まるでヒトの世で言う祭りの前みたいな。
『あ、そっか。精霊にとっては、祭りみたいなものなんだわ』
納得したようにティアは呟く。
通り過ぎて行く精霊達が話を弾ませながらも、少し忙しそうにしている姿を近頃は幾度も目にしている。
なのに、その雰囲気はどこか楽しそうで。
と。
『ちーさま、どーかされたのですか?』
横からティアへ声をかける存在がひとつ。
その声の主は、ふわりと舞い降りると、ティアの肩へちょこんと腰をおろす。
ティアは今、ヒトの姿をしていた。
大人達曰く、彼女に施された縛りを身体に馴染ませるためらしい。
そのおかげか、安定したヒトの姿を保てる時間も伸びてきた。
つまりは、いつかみたいにちょっとした衝撃で、うっかり小鳥の姿になってしまうことも減ってきたということ。
『ちーさま?』
様子を窺う声に、ティアははっと我に返りゆるく首を振る。
『ああ、ごめんなさい。ちょっと考え事をしていたわ』
『……なにか、おからだの調子がわるいんですか?』
心配そうに瞳を揺らす小さな女の子――ミナモは、背の蝶の翅を動かしてふわと浮き上がると。
その調子を確かめるべく、ティアの前へ回り込んで顔を覗き込む。
それに対し、大丈夫だと再度ミナモへ言葉をかけようと。
『だから、体調は大丈――』
『いいえっ!』
したティアの声に、ミナモはいいえと強く首を振って彼女の言葉を遮った。
『みなもちゃんは、すーさまからちーさま達を見ているようにといいつかっているんですっ! だから、調子がおわるいのでしたら、それもみなもちゃんがしっかりとなおさなくちゃいけないんですっ!』
と、誇らしげにミナモは言い切る。
敬愛する主からの言い付けなのだ。
張り切るなと言う方が無理だろう。
だが、ティアは思うのだ。
その、見ていろ、というのは体調がどうとか、そういうのではなく、単純に監視の意味合いではないのだろうか。
そう思うティアだから、実はちょっとミナモが鬱陶しい。
ちょっとした些細な言動から、どこか痛いだの、どこか気持ち悪いのかだの、細かな質問が飛んでくる。
さらには。
はっと息を呑んだミナモが、目を見開いてティアに詰め寄って。
『まさかちーさま、変なものを食べましたか? 拾い食いはよくないですよっ!』
なんてことまで飛んでくるのだ。
それはちょっと失礼なのではないだろうか。
ティアの目が据わる。
それに、そもそもだ。
『……変なものは食べてないし、そもそも精霊は食べることをしないわ。まあ、嗜好として食べることはあるけど』
少しだけ投げやり口調で言い返せば、ミナモの新緑色の瞳がはたと瞬いた。
『――あ。そーいえば、そーですね』
ぽんっと。拳をつくった手でもう片方の手を打つしぐさをし、ミナモはからからと笑った。
『…………』
なんだろう。この、どっと疲れる感じは。
堪らずティアは深いため息をつく。
あの一件以来、ティア達の傍には常にミナモが居るようになった。
要は監視役だ。
精霊界には元々そこに在る
だが、抜け道というのはあるもので。
存在を保てるのならば、精霊と
らしいというのは、このことはティアもこの件で初めて知った。
ミナモの場合はスイレンに連なる眷属だから。
そこに精霊王であるヴィヴィから加護を与えられ、彼女は自らの意志で精霊界への立ち入りが可能となったのだ。
そしてもう一つ、あの一件以来変わったことがある。
精霊界と“外”の境に、不用意に“外”へ出てしまわないようにと、スイレンの指揮下で精霊が立つようになった。
――まあ、当然の対応といえば対応よね。
自分達のせいだとは思っているが、常に目を光らせられているようで、ちょっと息苦しい感じはする。
あの一件は後悔していないが、反省はしている。
もう少し違った方法はあったのだと思う。
心配をかけたかったわけではないから。
ずしと胸に重い何かが凝り、つきりと小さな痛みが走る。
それを深く息を吐いて誤魔化した。
『ちーさま、やはりどこかお加減が……?』
『ううん、大丈夫よ。本当に考え事をしてただけだから』
心配そうに顔を覗き込むミナモに、ティアは安心させるように笑う。
『……でも、いたそうなお顔をしてましたよ?』
ミナモの新緑色の瞳が揺れた。
ティアの事情はミナモもスイレンから聞かされている。
今は身体を馴染ませる大切な期間だということも知っている。
それをスイレンは、お前だからお願いするのだとミナモに託してくれたのだ。
だから、もし彼女の身に異変があるのならばそれは見逃せない。
ミナモが敬愛するスイレンからのお願いだから。
それになにより。まだ出会って間もないが、ミナモはティアが好きだから。
『……本当に大丈夫だから。もし何かあったら、ミナモに伝えるわ』
真剣な面持ちのミナモに、ティアは誤魔化すことなく真っ直ぐに伝える。
ミナモがティア自身を心配してくれているのは充分に伝わっている。
ちょっと煩いけど。ちょっと鬱陶しいけど。
『…………本当、ですか?』
それでも食い下がるミナモに、ティアが苦笑した。
『うん』
『……ぜったい、ですよ?』
『うん、絶対』
そこでようやくミナモは納得したらしい。
ほっと力が緩むように、へなと飛んでティアの肩に座る。
そんな彼女を見やりながら、ティアは小さく囁いた。
『……ありがとう』
と。
その声を聞き留めたミナモが、驚いたようにティアを見上げて。
瞬間。顔をだらしなく緩めた彼女は、えへへぇと照れくさそうに笑った。
さわと吹き渡る風が彼女らを撫でて行けば、穏やかな空気が周囲に満ちるのだった。
木の影から、ちらと白の髪が覗く。
次いで、小さな獣の耳が見えたかと思えば、幼子が顔を出した。
その表情はどこかつまらなさそうで、碧の瞳がむくれたように彼女達を睨む。
『……ぼくをまぜてくれてもいいのにぃー……』
ぷくうと膨れる頬は不機嫌の現れで。
白の尾も、ひょんひょんと苛立ちに任せて揺れた。
『……ぼくだって、ヒトのすがたになれようにがんばってるのにぃー……』
そりゃあ。
まだ、耳とか尾とはそのままだけど。
まだ、完全なヒトの姿は保てないけど。
それに。ティアと比べると、まだ見た目だって幼くて子供だけど。
精霊は
ならば、中身もおっきくなって、ティアと並んでも釣り合うようになってやる。
『おっきくなるもんっ』
そう思って、頑張ってるのに。
ティアとミナモだけで楽しそうにしてさあ。
面白くないなあ。
不貞腐れたように、シシィは地面を軽く蹴るのだった。
*
精霊界に、春がやってくる。
彼らにとっても久々の春。
だから、近頃の精霊界は慌ただしくも、どこか楽しげで。
季節の巡りもない精霊界。
けれども、人の世に倣って彼らはそれを“春”と呼ぶ。
子の誕生を祝う、精霊の祭り。
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