抱える気持ち、行き着いたのは


『――それでね。ぼく、きめたの』


 シシィはここまでの経緯をティアに話した。

 何を決めたのかと彼女が問えば。

 真摯な眼差しで彼は彼女を射抜き、真っ直ぐに告げる。


『ちあの……ルゥのほうをむくって』


 ティアは、そんな彼の、その碧の瞳から目を逸らすことが出来なかった。

 そこに宿る確かな光。彼の真剣さが伝わる。

 彼女の琥珀色の瞳が揺れ惑う。

 だって、そんなことを言われたら。

 振れ幅の変わった心が、とくんと小さく跳ねてしまうではないか。

 何だかよくわからない期待をしてしまうではないか。


『……ち、ちょっと、待って』


 己の在り方をみつけたからか。

 今まで感じていた熱が、確かな熱となって灯ってしまう。

 だが、熱で染まりそうになる頬を懸命に堪えようとしていたところで。


『せきにんとるって、ぼくいったもん。それをまもらないと』


 彼のその言葉。

 それが、ティアの中で灯っていた熱が吹き消した。

 ああ、そうか。そうだよね。

 冷水を浴びたように、思考も急激に落ち着きを取り戻す。


『いまのぼくじゃ、ぜんぶはもてないから』


 シシィの目が伏せられる。

 遠くに想いを馳せるように、彼はぼんやりと下を見つめていた。


『…………』


 その姿を見、ティアは堪らず彼から顔を背けた。

 あの視線の先にいるのは、自分じゃない。

 たぶん、彼が己を見失う程に求めた存在だ。

 思い出すのは、“外”へと出てしまった直前と、左目に傷を負った時の彼の姿。

 その時の姿と今の彼の姿が重なる。


『……っ』


 寂しさのような、羨ましいような。

 ないまぜになったあまりいい色ではないそれが、胸をざわつかせるのは気のせいだ。

 気のせいだ、と己に言い聞かせる。

 だが同時に嬉しさも滲んだ。

 そう言い聞かせるということは、きちんと自分がティアであるからだ。

 だから自分は、己に“言い聞かせる”のだ。――気のせいだ、と。

 今はまだ、この気持ちに名前は付けたくない。

 こんな中途半端な段階ではまだ、その気持ちとは向き合えない。

 けれども、蓋をするわけではなくて。

 ちょっと自分勝手だな。とは自分でも思うけれども、そう決めたのだ。

 それが“ルイ”の想いを受け取った精霊としての在り方。

 受け取ったのだ。それはこの身体に沁み込んでしまっている程に。

 それを今更なかったことには出来ない。

 それがたぶん、受け取ったことへの責任でもあって。

 でも、やはり自分はティアだから、抱き始めた気持ちにも嘘はつけない。つきたくない。

 随分とわがままな気もするなと。

 ティアは小さく苦笑した。


『――ってもいいかな?』


『へ?』


 シシィの声でティアは顔を上げた。

 が、彼女の顔が呆けていたから、彼の顔にむっとした色が広がる。


『ちゃんときいてなかったでしょー……』


『あ、うん。聞いてなかったわ』


『んもぉー、しかたないなあ……。ほら、いうことあるでしょ? ちあ』


 悪戯に笑うシシィに、ティアは思わず黙ってしまった。

 何かその言動は誰かに似ている気もする。あれ、自分だろうか。

 何だかシシィの顔も、仕方ないなあと言いながら、少しだけ得意げに見える。

 ちょっとその顔が癪に触った。からだろう。


『はいはい、ごめんなさい。私が悪かったですぅー』


 我ながら可愛くない言動だと思った。

 ヒトの姿だったのならば、口を尖らせていたところだろう。

 ちらとティアは横目でシシィを見やる。と。

 ティアを見やる碧の瞳が揺れ動いた。

 一瞬その瞳が潤んだように見えたかと思えば、その瞳の持ち主が駆けて。


『ちあっ――!!』


 ティアを押し倒す。

 ばふっと細かな草葉が舞い上がった。

 そのまま彼は彼女の羽毛へ顔を埋め、うりうりと顔を押し付ける。

 ちょっと何するの。反射的に上げかけた声をティアは飲み込んだ。


『ちあが、ちゃんとここにいる』


 彼の声が震えていたから。

 ティアの中で何かが振れた。

 は、と。何かを諦めるような息。


『あなたって、よくくっついてくるわよね』


 それはどこか呆れたような、苦笑混じりの声。


『……だって。そのほうがここにいるって、すぐにわかるもん』


 羽毛に埋めているからか、シシィの声はくぐもって聞こえた。

 彼の顔は見えない。


『あったかいってわかるもん。――ぼく、さむがりだから』


 ひとりは寂しい。寂しいは寒い。

 寒いのは傍に誰もいないから。

 ぬくもりを求めるように、シシィはさらに身体をティアへ寄せる。


『……ねえ、ずっとそばにいてよ。……ぼくのそばに、いてよ』


 ささやくような、頼りないか細い声だった。

 それでいて、物を請うような強情な響きもあって。


『さむいのは、もう……いやだよ……』


 目を覚ましたら、傍に在ったはずのぬくもりがなかった。

 それに気付いた時の恐怖を、きっと彼女は知らないだろう。


『せきにんとるっていったもん。だから、ぼくはちあのそばにいるよ』


 溢れた言葉は止まらない。


『――だから、ちあにもぼくのそばにいてほしい』


『…………』


『ねえ、だめ……?』


 請う、甘えた声。


『――――』


 息を吐き出したのはティアで。

 それは嘆息にも似た息だった。


『あなたは、大きくなったらあの子を探しに行くんでしょ?』


 ティアが言葉を紡ぐ。

 彼自身が先程話してくれたことではないか。

 次は自分から会いに行く、と。

 ならば、いつか彼は離れて行ってしまうということで。

 それはとても、寂しいではないか。


『……私だって、寒いのはいやだもの』


 ぽつりと呟いた言葉は、空気に溶ける程に細かった。

 寂しいは寒い。そう言ったのも彼だ。

 なのに、そんな思いを自分にさせるのか。

 シシィはとんでもない奴だ。

 と。シシィが身を起こし、碧の瞳でティアを見下ろした。


『それでさっきいったの』


『さっき?』


 ティアは彼の下で首を傾げてから思い出す。

 あ、先程のあれか。思考に沈んで彼の声を聞き逃したあれ。

 彼女の様子から察したシシィが、もう一回言ってあげるよと、仕方ないなあという顔をする。

 それにティアの琥珀色の瞳に不満げな色が滲むも、聞き逃した自分が悪いと口ごもる。

 彼女の様子にくすっと小さく笑い、彼が口を開いた。


『おおきくなったら、もういちど、あいにいってもいいかな? ――ちあと、いっしょに』


 はにかむ彼の顔から、暫くティアは目を逸らせなかった。

 思わず瞬く琥珀色の瞳。

 なるほど。そういう結論に至ったのか。


『あなたって、ワガママね』


 ふ。息を吐くようにティアが笑った。


『いいわよ、傍に居てあげる』


 それに、あの快感を憶えてしまったら、もう私から手放すことは出来そうもないし。

 との言葉は胸にしまっておく。

 刹那。シシィがティアにのしかかった。

 衝撃で一瞬潰れ、ぐえと声がもれかけたが、千切れんばかりに振られるシシィの尾が目に入り、仕方ないなあとティアは息をそっともらした。

 己の頬をティアの頬へ擦り寄せながら、シシィは想いのままに言葉をこぼす。


『――ちあ、だいすき』


『――っ! ……あー、うん。……そーね、うん……』


 ときん、と一瞬胸が鳴りそうになるも、ティアの胸中に別の気持ちが湧き上がる。

 何だか犬に懐かれた気分だなあ。

 ティアは乾いた笑いを浮かべる。

 いつかはその好きが、自分が欲しいなと思う好きになったらいいなと思いながら。

 でも、不思議と心は満たされた心地だった。

 だって、彼がシシィとして自分を選んでくれたことだから。

 それはつまり。

 彼が“彼”でなく、彼として――シシィとして、地に足をつけて歩き始めたことだと思うから。

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