それが彼女の強さ


「……ヴィーはどうして、“外”にいるの?」


 スイレンの真剣な眼差しに、ヴィヴィの背筋も自然と伸びた。

 だが、でも、とヴィヴィは言葉を探す。


「……私もまだ、現状を把握しきれてはいないのです」


 己の手を見下ろし、結んでは開いてを繰り返す。

 実態はある。感覚もある。だが、何か違和感が拭えない。

 それを数度繰り返し、はたと瑠璃の瞳が瞬いた。


「スイレン、私――」


 ぱっと顔を上げ、スイレンへと言いかけた時。


「ちょっと待って、ヴィー」


 ひどく焦燥が滲んだ声と共に、スイレンがヴィヴィの手を掴んだ。

 見開かれた空の瞳が険しくなる。

 まるで奥底を見通すようなその瞳に、ヴィヴィは居心地が悪そうに身動いだ。


「――もしかして、魂……?」


 掠れたスイレンの呟きのような声。

 そこには困惑、否、混乱が多分に含まれていた。

 スイレンもヴィヴィと同じ一族の出であり、彼の“眼”もまた奥を見通す。

 その眼が、彼にとっては信じ難い事実を映し出した。

 なぜ。どうして。空の瞳が震える。

 混乱するスイレンに反して、ヴィヴィは落ち着いていた。

 スイレンに掴まれた手に、己のもう片方の手を重ねて言葉も重ねる。


「落ち着いてください、スイレン。私は大丈夫です」


 そんな落ち着いた彼女の声は、なにを呑気にと逆に彼を苛立たせた。

 くっと唇を噛むと、スイレンは感情に任せて声を荒げる。


「……っ、落ち着いてなんかいられないだろっ……!」


「スイレン……」


「だって、ヴィーはおーさまってやつで、おーさまは精霊界からは出られない身なんだよ!? それがっ! どーしてっ……!!」


 荒げた声を上げたスイレンは、続いて震える声音で言葉を重ねる。


「本来の器である身体から抜け出て、魂だけなんだよ……」


 掴んだままのヴィヴィの手に、さらにぎゅっと力を込めた。

 存在を確かめるように。すがるように。


「……ヴィーは、魂だけで抜け出るって、どれだけ危険なことかわかってるの……? 皮を剥ぎ取って、臓腑だけで歩いてるものだよ……!」


「その例えはどうかと思いますけれども……」


「一緒さ。魂が傷つけば、それは直にくる……魂が壊れれば、還ることもない……」


 そこでヴィヴィは気付く。瑠璃の瞳がゆれる。

 スイレンの手が震えていた。

 掴まれた手からそれが伝わってくる。

 彼の空の瞳が曇天の如く陰って見えた。


「…………還れなければ、廻ることも……もう、ないんだよ……?」


 声が震える。

 空に雨が降るように、スイレンの空色の瞳がゆれていた。

 と思えば、手を引かれ、ヴィヴィはいつの間にか彼の腕の中にいた。

 ぎゅうと抱きしめられたかと思えば、すぐにほるりと力が緩められる。

 まるで壊さないように、と。

 突然のことに戸惑いが勝っていたヴィヴィだけれども。

 そんな気遣いがくすぐったくて、優しさがじんわりと彼女へ沁み込んだ。

 ヒトの女性はこのように想われ、扱われるのか、と。

 初めて抱擁というものを体感してはにかみむように微笑んだ。


「なに笑ってるのさー」


 少しだけ不満そうなスイレンの声。

 けれども、その口調はいつものそれで。

 きゅう、と。少しだけ腕の力が強まる。

 ぎゅう、ではなく、きゅう、というのが彼の優しさだ。

 くすくすとヴィヴィの笑みが深くなる。


「だから、なに笑ってるんだよー」


「さあ? 私にもわかりません。ただ――」


「ただ?」


 スイレンが腕の力を弱め、そのままひょいとヴィヴィを抱えて直して膝に乗せる。


「スイレン……?」


 ヴィヴィは不思議に思って顔を上げた。

 彼女を見下ろす空の瞳が続きを促している。

 その瞳に少しだけが気圧されて、ひゅっと息を詰まらせたヴィヴィが俯く。

 少しだけ頬が朱に染まって、熱がぽっと灯る。

 今更だが、この青年がスイレンだということを思い出した。


「…………そ、そのっ…………っ……」


 言葉が喉奥で絡まった。

 その網目をすり抜けた呼気だけが口から飛び出る。

 一度こくりと喉を鳴らして絡まりをほぐして。

 だが、絡まりがほどけるなり、今度は渋滞を起こしていた言葉が勢いよく口から滑り出た。


「……た、ただ、幼い頃にスイレンが持ち帰ってくれた“外”の話、で、聞いていた抱擁とは、その……このようなものなのだな、と……体感できて、嬉しかった……と、いうか……」


 ところどころ転びながら滑り出るも、言葉尻になるつれ声の方が萎む。

 それに声が上ずっている気もする。

 あれ、どうしたのだろうか。

 意識した途端に恥ずかしさが湧き出てくる。

 触れる肌が熱を持つ。

 ヒトというのは、こんなにも物理的な距離が近くなるのだろうか。

 獣の成りでは、少なくとも彼の腕にすっぽりとはいかない気がする。

 おそるおそるヴィヴィが顔を上げると、スイレンの空の瞳が笑った。

 そこに愛おしさが垣間見えて。

 ひええ、と。か細い悲鳴がヴィヴィの口からもれた。




 人、一人分の間をあけて座るヴィヴィを眺めやり、丸テーブルに頬杖をつきながら、スイレンは穏やかに目を細めた。

 先程から彼女はちっともスイレンと目を合わせようとしない。

 膝を抱えるように座り、そこに顔を埋めて伏せる様は人の幼子のようだ。

 先程の熱を逃がそうと必死の様子。

 実際にヴィヴィの容姿は幼子で、少女というよりもしっくりとくる。

 上位精霊はヒトの姿にも転じる。

 それが上位精霊たるものの、本来の姿でもあるのだ。

 その際の容姿は精霊の精神に左右されるらしいのだが、それが如実に現れているのが彼女だとスイレンは思う。

 幼少より次代の精霊王候補として先代に仕えていたヴィヴィ。

 今の彼女を彼女としてカタチつくっているのは、その頃に培われたものだ。

 だが、彼女の本質は未だどこか幼い。

 閉ざされた世界で育った彼女。

 そんな彼女へ“外”の話を聞かせていたのがスイレンで。

 彼女はよく目を輝かせて話を聞いていた。

 その姿が嬉しくて、可愛くて、スイレンも“外”から持ち帰る度に聞かせた。

 スイレンが目を伏せる。そこに言葉にし難い色が滲む。

 共に幼かった頃の話だ。

 今の彼女は精霊界から出られぬ身。

 それは大樹の支えが精霊王だから。

 ある種の縛りだなと皮肉げな気持ちが湧き上がる。

 そう、それなのに。そんな彼女がどうして“外”に――?

 決して大樹は精霊王を離さない。

 それは始めの疑問。

 先程の衝撃から一転。落ちついてきた思考。

 曖昧だったものが明確になる感覚。

 思い出すのは感触。先程彼女を腕に収めた際の、その――。


「――……っ」


 スイレンが小さく息を呑み、空の瞳が目一杯に見開かれて。

 がばっと弾かれたように顔を上げた。

 彼女に触れた感触を思い出す。

 その感覚の中に、別の気配が絡まってはいなっただろうか。

 スイレンは“眼”で彼女を“視た”。

 彼女の、ヴィヴィの魂に何かが絡んでいる。

 その波長は――。

 思わずヴィヴィを凝視すれば、スイレンの気配に気付いた彼女が顔を上げた。


「――スイレンも気付いたのですね」


「…………」


 言葉を続けられないスイレンに、ヴィヴィは苦笑をする。


「この身体は大樹によって造られた仮初かりそめ。謂わば、疑似的な器のようです」


「……でも、どーして……?」


「さあ? ですが、これで私もあの子達を探せます。――落ち着いてくださいと、言ったでしょう? スイレン」


 そう言って微笑を浮かべるヴィヴィを暫し見つめたのち。

 スイレンは観念したように俯き苦笑した。


「……ヴィーは、強いな」


 己の本来の身体から抜け出ているというのに。ある意味、奇想天外なことが起こっているのに。

 だが、それにはあまり動じず、その時の優先すべきものを見失わないのもまた、彼女の王たる資質なのだろうか。

 それとも、彼女が持つ生来の強さなのだろうか。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る