大樹の思惑は
「ヴィー、確認だけどさ。今の状態で問題はないんだよね?」
スイレンのそれは、問いかけというよりも確認だった。
真っ直ぐに己を据えるスイレンの眼差しに、ヴィヴィはしっかりと頷いてみせる。
「はい。問題ありません」
本来の身体――この場合は本体というべきか――とは、深いところで繋がっている。
そのため本体の状況も把握は出来ているし、疑似的なこの身体も違和感なく動かせている。
というか、馴染み過ぎていて逆に不安になりそうなくらいだ。
スイレンがヴィヴィの返答を受けて、すっくと立ち上がった。
「なら、いくぞ。ヴィー」
「はいっ! スイレン」
ヴィヴィはスイレンを見上げ、力強く頷いた。
なのに。
どうしてなのだろうか。
ヴィヴィは一人で首を傾げていた。
どうして自分は、スイレンに抱き上げられているのだろうか。
「…………」
当のスイレンは、ヴィヴィを片手で支えるかたちで抱えながら通りを歩き進んでいる。
かつかつと踵が石畳を踏み鳴らす音が響く。
天幕通りの大通りから外れてしまえば、人の往来はまばらだ。
そんな彼の横顔を見やりながら、ヴィヴィは言葉を投げかけた。
「……スイレン、私も自分で歩けますよ?」
気も引こうと、くいと遠慮気味に彼の服も引く。
それがよかったのか、スイレンの空の瞳がちらと一瞬向いた。
ヴィヴィの瑠璃の瞳が、嬉しそうにぱあと喜色で小さくきらめく。
だからだろうか、スイレンはそこから視線がすぐには逸らせなかった。
「ん"」
スイレンの口から妙な声がもれた。
あ、可愛い。素直にそう思った。
ゆれる瑠璃の瞳。それがおずと上目に自分を見上げ、喜色できらめく。
それは所謂、上目遣いというやつで。
スイレンは我知らず、きゅっと自分の方へ引き寄せるように、彼女を支える腕に力を入れた。
「スイレン」
そんなスイレンの心情には気付かず、請うようにヴィヴィは再度彼の服を引く。
ああ、もう。こちらの気も知らずに。
少しだけ憎らしい気持ちになりながら、スイレンはふいとヴィヴィから視線を逸らす。
「ダメだ」
「どうしてですかっ」
返しの声に、少しだけ不服そうな響きがにじむ。
「どーしても、だ」
「――それでは納得できません」
強い響きを持ったヴィヴィの声音が、スイレンの足を縫い止める。
それを好機と捉えたヴィヴィは、さらに彼へ言葉を重ねる。
「私は王である前に、あなたと同じあの子の親です」
あの子と同じ親。同じ立場。
それなのに、スイレンは己の足で立って歩き、探している。
対する自分は、同じ立場である彼に抱えられている。支えられている。
まるで、彼に庇護されているようではないか。
自分だって、同じ親なのに。それなのに。
「――私が王だから、なのですか?」
瑠璃の瞳が動き、次いでそこに冷たい色が宿る。
「私が王だから、あなたは私を護るのですか――?」
その声に、冷たさがはらんだ。
私だって同じ、あの子の親なのに。
多くの精霊が王と呼び慕う中で、スイレンだけは変わらずに“ヴィー”と呼ぶ。
それがどれだけ嬉しいことか、彼は知らないだろう。
幼い頃から次代候補として周りから接されてきた。それはどこか一線を置いていて。
それが己の定めなのだと納得もしているし、不満だったわけでもないけれども。
その中でも彼だけは、変わらず“ヴィヴィ”として見てくれていた。
だから、自分は己を見失わずにいられたのだ。
それを彼は“王”だからという理由で護るのか。
瑠璃の瞳が悲しそうにゆらぐ。
護ろうとしてくれるのは嬉しい。
だが、そこに“王”という飾りがあるのならば、それは――。
「それならば、私は――」
ヴィヴィの結われた白の髪が翻った。
清冽な水の気が彼女から漏れ出る。
それは山の水のような、澄んで透き通る水の如き冷たさをはらんだそれ。
冷たさがスイレンの肌が刺す。
僅かにひそめられたスイレンの眉。
抵抗するように彼からも水の気が漏れ出て、ゆらりと彼の髪を揺らす。
が、さざなみを飲み込む波のように、彼の抵抗もヴィヴィのそれに飲み込まれてしまう。
スイレンを見上げるヴィヴィの瞳に苛烈な光が宿った。
「私はひとりで参ります」
ざざぁ、と。スイレンは耳元で波の音を聴いた。
ヴィヴィから漏れる不可視な奔流が彼女の髪ばかりか、服やはたまたスイレンのそれらまでなびかせる。
冷たさの鋭さは増すばかりで、スイレンを刺すそれに痛みがまとい始めた。
通りを行き交う人々は、足を止めた彼らへ迷惑そうな視線を向けて横を通り過ぎる。
スイレンの空の瞳がちらと動く。
横を通り過ぎる人々が腕を擦っているのを視界に認めて、彼の瞳に剣が宿った。
水は澄むほどに冷たい。それが研ぎ澄まされれば、研ぎ澄まされる程に。
反抗するようにスイレンから不可視の力が迸った。
けれども、それは瞬時にヴィヴィのそれに飲み込まれてしまう。
苛立ちに駆られたスイレンが舌打ちをする。
精霊はマナを扱う。行使する力の源は大気に含めれるマナ。
それゆえに人のように魔力の底は存在しない。
尽きる、ということがないのだ。
だが、代わりに存在するのが精神と呼ばれるもの。気力ともいうそれ。
精霊が力を行使する際に消費されるのが精神力であり、疲れればそれ以上の行使は難しい。
尽きることはないが、精霊でも疲れるのだ。
その精神力とやらは、精霊自身の格や位に影響される。
そしてスイレンは、力を行使してヴィヴィが疲れたところを見たことがない。
それが精霊王に選ばれた所以のひとつなのかもしれない。
そうでなければ、常に力の流れを大樹へ傾けるという芸当など不可能だろう。
それが大樹が枯れない理由なのだから。
精霊王は大樹の支え。つまりは、そういうことだ。
「――……」
息を吐く。
抗えばそれ以上のものでねじ伏せられ、スイレンの息が上がり始める。
さすがはおーさまだ。
彼の口端が皮肉めいたそれで持ち上がった。
彼女に傷付ける意思はないようで、ただ力を示したいだけの様子。
どちらが上か。それを示すのには実に簡素で明快な方法だ。
スイレンを見上げるヴィヴィの瞳に不快な色が滲む。
どうやら、スイレンの胸中を敏感に感じ取ったらしい。
冷たさに痺れが伴った。
と、そう感じた刹那に、ぴちょんと小さな水音を耳にした。
視界の端に髪から滴る水滴が掠める。
はっと小さく目を瞠れば、今度ははっきりと目に映る。
髪から水滴が滴る様が。
瞬時に周囲へ視線を走らせた。
横を過ぎる人々が肌を触り、身に覚えのない水気に訝しそうに空を仰ぐ。
雨でも降り始めたのか、と。
だが、空はからりと晴れている。それは清々しく。
空を仰いだ人々が不審そうに眉をひそめた。
ともすれば、それは不気味そうに畏怖したようにひそめる。
「――――」
スイレンから微細な力の流れが走った。
瞬間。空を仰いでいた人々が首を傾げながらも、何事もなかったかのように再び歩き始めた。
どうして空を仰いでいたのだろうか。
人々が抱いた疑問。しかし、それも泡沫の如く胸中には残らなかった。
戻る風景。誰もそこに立ち止まるスイレン達を見咎める者もいなかった。
認識阻害。スイレンが周囲のそれへ働きかけたのだ。
ふっと短く息を吐き、スイレンの瞳がついと動く。
空の瞳をすがめ、ヴィヴィを見下ろす。
「――ヴィヴィ」
重い響きを伴った低い呟きに、びくりとヴィヴィは身体を震わせた。
その途端に。ぱちんと何かが弾けるように、彼女から漏れ出ていた不可視のそれも掻き消える。
なびいていた白の髪も、浮力を失いふわりと落ちた。
スイレンから発される重い何か――これは圧だ――が、ヴィヴィが彼を見上げようとするのを邪魔して俯かせる。
同時にヴィヴィの思考も冴えていく。
そうしてようやく見えてくるものがあった。
俯くままに視線を走らせ、ここがヒトの街の通りだと思い出す。
ヒトが住む――つまりは街中なのだ。
その事実に息を詰まらせ、急激に体温が下降した気がした。
おずおずと気圧されそうになりながら、ヴィヴィがスイレンを見上げる。
見上げたスイレンの空の瞳に、確かな咎める色を見つけて、瑠璃の瞳が震える。
そこへ彼の髪から水滴が滴り、己の所業のその先を想像して痛感した。
あのまま、感情のままに力を行使していたら。
否。行使というほど易しくはなかった。あれは奮いだ。力を奮っていた。
周りが見えていなかった。
きゅっと引き結ばれた唇はわなないていた。
スイレンを見上げる瑠璃の瞳は、まるで泣き出す一歩手前。
それでも泣くまいと瞬きを堪える様に、さすがのスイレンも小さく嘆息した。
これでは毒気を抜かれるというものだ。
「……何がいけないことだったか、わかった……? ヴィーは自分がおーさまだって自覚、常に持ってないと」
自分という存在が及ぼす影響は常に意識をする。
それが力在る者の責任だと思うのだ。
先程とは打って変わった、ひどく優しい柔らかな響きの声だった。
それはヴィヴィが必死に堪えていたものをほるりと弛め、瑠璃の瞳からぽろと熱いそれをこぼれ落した。
「……っふっ……ぅ……」
それを合図に、ヴィヴィはスイレンにすがるように泣き出した。
その背を優しい手付きでとんとんと小さく叩きながら、スイレンはやれやれと息をつく。
その様はまるで、幼子をあやす親のようだ。
「……ヴィーがヴィーだから、俺は護るんだからなー」
ぐすとヴィヴィが鼻を鳴らす。
「ヴィーがおーさまで、俺よりもずっと力の在る存在なのは知ってる。でも、俺はヴィーだから護るの、護りたいの」
この意味がわかるかと問うと、ヴィヴィは顔を上げない代わりに、ひしとスイレンにしがみつく。
それが彼女の答えだった。
ふっと柔らかに微笑めば、スイレンはそんな彼女の頭を優しく撫でる。
その心地にヴィヴィは目を細め、しばらく彼に身を委ねるのだった。
ヴィヴィの本質は未だ幼い。
大樹が疑似的な身体を与え、彼女を“外”へ送り出したのは。
彼女自身の母としての願いと。
もしかしたら、彼女自身の成長に繋がればと願ったからかもしれない。
小さな頭を撫でながら、スイレンは静かにそう思った。
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