やっと、逢えた


 風で木々がさざめく。

 時折木々の隙間から差し込む陽光が目を刺すのを、目を細めることでやり過ごしながら。

 ティアを背に乗せたシシィは、さくと草地を踏みしめながら森を進んでいた。

 光が差し込むようになってきた周りの風景は、それだけヒトの街が近い事を示す。

 ちらと背へ視線を投じる。

 目を閉じるティアの様子は眠っているように見えた。

 つきり。シシィの胸が小さく軋む。

 眠っている姿に不安を覚える。

 もう二度と目覚めないのかもと思ってしまって。

 けれども、彼女には息づかいがあって。

 それも眠っているそれではなくて、ただ休んでいるだけのもので。

 それなのに、ちょっと不安になってしまうのは。


『――――』


 やっぱり身体の亀裂がそのままだから。

 と。

 さわあ。シシィの毛並みを風が優しく撫でて行く。


『――……』


 葉が触れ合う音が響き、木漏れ日が揺れる中で。

 ティアがゆっくりと目を開いた。

 ほうと細く長く吐く吐息が風に溶けて、彼女は遠くをみはるかす。


『……ルゥ?』


『――来る』


『なにが……?』


 端的すぎる言葉にシシィは首を傾げた。

 来るとは何がだろうか。

 思わず歩みの足を止めてしまう。

 もっとわかるように言ってよと、物足りなさそうに彼女を見やった。

 たまに彼女がわからなくなる時がある。

 歳は同じはずなのに、時たま大人みたいな顔をする。

 楽しい時には笑って。

 怒った時には怒って。

 辛いときには苦しそうで。

 ころころと表情をその時々で変える。

 それがシシィの知っている“ティア”という精霊だ。

 それなのに。今の彼女は、近くに居るのにそうじゃない気がして。

 何だか、不安になる。

 どこかに行ってしまいそうで。

 碧の瞳に仄かな陰が射した――刹那だった。

 シシィの両の耳がぴくりと立ち上がて。

 視線が自然とそちらへ向いて、じいと凝視する。

 何かが地を踏み締める音――。

 あの魔物ではようだ。

 否。足運びから別の生き物。

 彼女が来ると言っていたのは、これのことなのだろうか。

 彼女に警戒の色はない。

 ならば、少なくとも自分達に害を及ぼす存在ではないということ。

 知らずのうちに強張っていた身体から、ほるりと力が抜けた。

 それを気配から察したのだろう。


『大丈夫よ。風が教えてくれたの。あの子は、この森の仲良しさんなんだって』


 彼女が声をかけてきた。


『あのこ……? なかよしさん……?』


 背に視線を向ければ、いつもみたいに笑う彼女の姿があった。


『ええ。だから、私達の力になってくれるかもって』


 けれども。

 その姿にシシィは不安を感じた。

 いつもみたいに笑う彼女の姿。

 そう。いつもみたいに笑う彼女の姿だったから。

 彼女が、なんだか遠い――。




   *




 いつもみたいに笑えているだろうか――。

 ティアはシシィとの距離感がわからなくなっていた。

 自分を見やる碧の瞳がゆれている気もしたが、それを見ることなく、ティアは前方をみはるかす。

 風が教えてくれたという先程の言葉は嘘ではない。

 足音からヒトだと判断した。

 けれども、足運びから推測できる歩幅と速度がヒトのそれではない。

 風が運ぶ気配も、ヒトのようでいて違う何かが混ざっている。

 何なのだろうと警戒を強めようとした時。

 また風が教えてくれた。

 あの子は我々と仲良しの子。

 昔から居るこの地によく馴染んでいる子。

 そう、精霊の森が訴えてくるのだ。

 だから、害を及ぼすような存在ではないのだろう。

 なら少しだけ、少しだけ眠ってもいいだろうか。

 万全な状態ではない身体。やはり、ちょっと無理をしていたようだ。

 眠くて、仕方がない。

 それに、何だかいっぱいあって、ひどく疲れている。

 まぶたが、重い。


『――ルゥ……!?』


 ティアの異変に気付いたシシィが叫ぶ。

 閉じられようとしている彼女のまぶた。

 それをシシィは必死になって、沈もうとしている意識を引っ張りあげようとする。


『ルゥっ! 《ルイ》っ! 《ルイ》っ!』


 閉じかけられていたまぶたが震えて、僅かに開かれる。

 それに安堵の色を滲ませた碧の瞳だが、彼女の言葉で大きく震えた。


『……少しだけ、休むだけよ』


 顔に薄く笑みをのせたティアは続ける。


『ちょっとね、疲れちゃっただけだから』


 大丈夫よ、と。

 今度こそ、ティアのまぶたはゆっくりと閉じられた。

 それからシシィがどれだけ呼びかけようとも、彼女から応えの声はなかった。


 ――疲れたから、少し眠るだけ


 その言葉に覚えのある彼だから、その時はひどく動揺して混乱していた。

 かつての“彼”がそう言って眠った先が“シシィ”なのだ。

 だから、落ち着いて確認すれば、本当に眠っているだけだと気づけたはずなのに。

 それに全く気付けない程に、彼は動揺して混乱していた。

 やはり、身体の亀裂がなおせなかったのがいけなかったのか。

 自分では、彼女という存在を繋ぎ留めるには不十分だったのか。

 いろんな事がぐるぐると回るも、気ばかりが急くだけで。

 だから、気付けなかった。

 己の背後に接近する気配に。

 がさりと大きな葉擦れの音がして、初めてその存在に気付いた。

 彼が振り返った頃には、もう、その存在は目の前にいて。


「……やっと、あえた」


 その存在は。


「――へへっ。こんどはわたしがみつけたよ」


 と言って、優しく笑った。




   ◇   ◆   ◇




 残滓や気配を追い、気が付けばスイレンはヒトの街へ辿り着いていた。

 途中でヒトの姿へ転じたスイレンは、そのまま行き交うヒト混みに紛れ込む。

 が、ヒトの流れに逆らうことも出来ず、気付けば大通りらしき場所まで流されていた。

 大通りは立ち並ぶ天幕で賑わっている様子。

 行き交う人々は、思い思いに気にとめた天幕前で足を止める。

 ある者は並べられた工芸品に。細かな意匠が人々の目を惹いた。

 ある者は露天に腰を落ち着け談笑を。その手にはクレープ。

 頃合いは昼過ぎ。人々が一息つく時間なのかもしれない。

 ヒトの街は久方ぶりだった。

 何となくかつての雰囲気を残した街並みではあったが、やはり様変わりしたなと少しだけ胸がほろ苦い。

 歩き慣れない石畳の道に疲弊しながら、スイレンは人々の間を縫って気配を追う。

 気配は薄いが、この街にいるのは間違いない。

 足を気持ち速めた。

 時折すれ違った人々から好奇な目や、奇異な目を向けられる。


「見て、あの殿方。白の髪をお持ちよ」


「あら、なかなかの見目ね。異国の血を継ぐお貴族様かしら……?」


「もしかしたら異国の商人とか、お忍びのお坊っちゃんかも」


 楽しそうな婦人の談笑。

 この国にも白の色を持つヒトもいるが、それは少数だ。

 主に異国の血を継ぐ家系の者。

 うまれ所以に神聖視される精霊の、その上位の色である白。

 様々な意味で目立つのだ。

 余計な諍いは避けたいスイレンは、足早に天幕通りを抜けることにした。




 足を早める最中。

 とある天幕の前を通りかかった時だった。


「――――」


 慣れ親しむ気配を感じて、スイレンは足を止めた。

 どうして、こんなヒトの街中で――?

 あり得ない。そんなはずはない。

 そう思いつつも、足を自然と止めてしまった。

 ちらと様子を伺えば、何やら騒がしい様子。


「――だから、私は迷子ではありません」


 人混みの向こうから聞こえた声に、スイレンは小さく目を見張る。

 記憶のものよりも、随分と幼さをはらんだ声だったけれども。

 あり得ない。そんなはずはない。

 先程と同じ事を胸に抱く。

 人を掻き分け進めば、店主らしき男と少女の姿。

 どうやら騒ぎの中心は彼ららしかった。

 けれども、スイレンにはそんなことはどうでもよくて。

 一点に据えられる彼の視線。その先には少女の姿。

 左右の耳の上で結われた髪は、白。


「でもねぇ、お嬢ちゃん。きょろきょろと誰かを探している様子だったよ?」


「……そ、それは」


 言い淀み困ったようにゆれる瞳は、瑠璃。

 その顔はまだ、あどけなさがある。


「この辺りはまだ治安はいい方だけどね、お嬢ちゃんみたいに異国の血を継ぐ可愛い子は拐われやすいんだよ」


「……確かに私は家族を探しています。ですが、迷子ではありません」


「うーん……そうは言ってもねぇー……」


 参ったなあ、と男が頭を掻いた。

 少女との会話に終わりが見えない。

 迷子ではないと言うが、家族を探していると言う。

 事情が掴めない以上は、はいそうですかと少女を放すわけにもいかない。

 どうしたもんかと顔を上げた時だ。

 男の目に白の色が映った。

 あ。思わず声をもらす。

 その声を聞き留めた周囲の人々も、男の視線を追うように振り向いた。


「白の髪だ」


「じゃあ、あの女の子のご家族とか……?」


 人々のささやき声に、少女もようやく振り向いた。

 彼女が着ているワンピースが動作に沿って揺れる。

 そして、その姿を瞳に映すと。


「――――っ!」


 喜色を浮かべた瑠璃の瞳を目一杯に見開いて。


「スイレンっ……!」


 わっと駆け出した少女は、その勢いのままにスイレンへと飛び込んだ。

 それを少しだけよろめいて受け止めた彼は、堪えきれず驚きの声をもらしてしまう。


「ヴィー……?」


 と。

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