何が出来るのだろうか


『……んー、やっぱりなおせない』


『無理よ。あなたにはまだ治せないわ』


『…………むりじゃないもんっ』


 むっと膨れる気配がした。

 既に意地になってはいないだろうか。

 はあああ、と。深くて重い嘆息を、ティアはシシィへもらした。




 あれから二匹は寄り添って眠り、夜を明かした。

 シシィが張った水の膜が、時折とぷんたぷんと揺蕩いながらも、眠る二匹を見守った。

 まるで水の中のようなそれは、外からも内からも音を遮断し、匂いも断つ。

 だから、その場に留まり身を隠すには十分だった。

 さらに言えば、自分らよりも背丈のある草むらに身を潜めたのも、結果として視覚的に守ってくれたのだろう。

 そして、今。

 夜が明けて目を覚ましてから、シシィはずっと続けていた。

 ティアの亀裂を治せないか、と。


『まえにちちうえがいってたもんっ。ちからあるせーれーにはなおせるって……!』


 力のある精霊。

 シシィは上位精霊の、しかも“白”。

 その、力のある精霊に部類されるのだろうが。


『…………』


 冷めた目を彼へ向けてしまうのは仕方ないだろうとティアは思うのだ。

 ふんぬうと力んでいらっしゃるシシィ。

 けれども、亀裂は治る気配すらみせない。

 ふわあ、とティアは大きなあくびをもらす。

 彼女は早々に飽き、もう諦めないかと既に彼へ訴えていた。

 けれども、彼はそれを頑として首を横には振らなかった。


 ――だって、ぼくのせいだもんっ。


 碧の瞳を揺らしながら彼にそう言われてしまえば、ティアは押黙るしかなかった。

 彼なりに責任を感じてしまっている様子で、かけるべき言葉をみつけられなかったのだ。

 これはシシィがシシィで居て欲しくて自分でしたこと。

 ある意味、自業自得だと彼女は思っている。

 だから、責任とか感じなくていいのに。そう思う。

 でも、と。それで彼の気が済むのならと、彼女の方が折れることにした。

 そうすることで彼の気持ちを少しでも軽くできるのなら。

 それなら、とことん彼に付き合ってやろうと。だが。

 そう。だが、なのだ。


『――――』


 これは思わず半目にもなってしまうというものだ。

 朝からしばらく。

 気が付けば、頭上に高く登ったお天道様。

 ヒトで言うお昼時ではないだろうか、と。

 “その頃の感覚”が未だに抜けきれないティアは思った。

 生きる時の長さゆえか、時間という概念には乏しい精霊。

 だからだろう。彼はあまり意識していないらしくて。


『ふんぬうっ……!』


 未だに力んでいらっしゃるのだ。

 始めは彼の気が済めばと思って折れることにした。

 だが、さすがにもう付き合っていられない。それに。


『シシィ、あまり意識を傾け過ぎると保てなくなってしまうわ』


 心配にゆれるティアの琥珀色の瞳が上を見やる。

 たぷん、とぷん。揺蕩う水の膜。

 それが、先程から大きくたわみ始めているのだ。


『……っ』


 きらり。頭上に高く昇った陽の光。

 それが水の膜を通して鋭く光った。

 思わずティアが目を細めた、刹那だ。


 ――ぱちんっ、と弾ける音。


 水の膜が破れた。水の気が余韻を残しながら散る。

 水の気によって冷やされていた空気に外気が押し寄せ、ティア達の周囲に軽く風を巻き起こした。

 それを顔を背けてやり過ごしたティアは、ほらみろと呆れた眼差しをシシィへ向けようとして。


『シシィっ……!』


 きゅうと目を回す彼を見つけて悲鳴を上げた。




   *




 風の層が張られた中で。


『……だから言ったのよ。あなたには無理だって』


『…………むり、じゃないもん……』


『はあぁ……。ひとつの方向に、必要以上の力を向け過ぎてバテてたんじゃ、説得力がないわ』


『……………………うぅぅ』


 ぱたぱたとティアに翼で扇がれながら、伏せの体勢のシシィは唸った。

 二の句も継げないとはこの事。

 反論することも出来ず、ぺたりと耳が倒れた。


『それに、結界も長時間張り過ぎてて疲れてたんだわ』


『………………』


 返す言葉もなく、シシィは黙り込む。

 情けなくも、くーんと犬のように小さく声がもれた。

 けれども、そこに思いがけない言葉を落とされ、思わず倒れた両の耳がぴんと立ち上がった。


『――――ごめんなさい』


『へ?』


『頑張って維持しててくれてたのに、気付かなかった……』


 頭をもたげて、ティアの方を振り向く。


『私をここまで運んで、結界を張って、周りを警戒したり……』


 扇いでいた翼をたたむとティアは俯いた。

 精霊はマナを扱う。

 だから、力の行使にヒトと違って底はない。

 けれども、やはり限界はある。

 力の行使に底はなくとも、それを維持するのに精神力は消耗する。

 疲れはあるのだ。

 その中で別の方向にも力を傾ければ、それは確かに精霊といえどバテる。

 その事に気付くべきだったのに。

 そう思えば思う程に、ずうんとよどんだ何かが重くティアにのしかかった。


『…………』


 それっきり黙り込んでしまった彼女を見つめ、緩慢な動作でのっそと身体を起こしたシシィは。


『――でも、ルゥ』


 穏やかな声音で、下から彼女の顔を覗き込んだ。

 自然とその声はティアの視線を引き寄せて、碧と琥珀色の瞳が絡み、琥珀色の方が大きく揺れ動く。


『ぼくにはむりだって、ちゃんとおしえてくれたよ?』


『……え?』


『それをむししてつづけたのはぼくだもん。だから、ごめんなさいはぼくだね』


 ごめんね、とシシィは苦く笑った。


『……ルゥのことばをぼくがちゃんときいてれば、ルゥにこんなかおさせなかったのに』


 刹那。シシィがティアとの距離を詰めた。


『――っ』


 息を詰まらせたのはティアで。

 振れ幅の変わったそれが、彼女の鼓動を跳ねさせた。

 反射的に身を引こうとしたけれども、逃さないとばかりにシシィが踏み出す。

 さくっと、地を踏み締める音が妙に響いて。


『――…………!』


 己よりも背丈のある草、その太い茎が背に触れて、逃げ場を塞がれたことを悟る。

 つう、と。かくはずのない汗が背を伝った気がした時。

 こつん。シシィとティアの額が重なった。

 ともすれば、触れ合いそうな距離に吐息も重なる。

 けれども、その距離に焦ったのはティアだけだった。

 そう。その距離にどぎまぎするのは、“その近さの意味を知る”彼女だけ。

 だからシシィの方は、琥珀色の瞳を泳がせるそんなティアの様子がおかしくて、くすっと小さく笑っただけだった。

 そして、しかとシシィの碧の瞳がティアを絡めとり、彼女の視線を捕まえて逸させない。

 視線を逸らせなくなったティアが身動ぐ。

 その様がシシィの瞳に映って、ティアは軽く息を詰めた。たが。

 しっかりと、確かにその瞳に映る自分の姿にティアは安堵の表情を浮かべる。

 ちゃんと、自分を見てくれている。と。

 ほっと安堵するティアへ、シシィが言葉を呟く。


『……ぼく、つよくなるよ』


『?』


 ぽつりと呟いた言葉。

 ティアの琥珀色の瞳が瞬いて。


『ルゥにはもう、あんなかおさせたくないから』


 彼のその言葉で、それは小さく見開かれた。


『…………』


 互いの吐息が触れる中で。

 仄かに笑むシシィを、ティアは静かにじっと見つめる。


『――…………ルゥ?』


 これといった反応を返さないティアにシシィは訝った。

 けれども、そんな彼女の左目の、未だふさがらない傷を目に留めて。

 一瞬、碧の瞳が小さく震えた。

 そして、うわごとのように言葉を紡ぐ。


『……ぼく、つよくなるよ』


 先程の言葉を繰り返す。

 だが、その言葉に否を唱えたのはティアの声だった。


『ねえ、シシィ。これには責任を感じなくていいのよ』


 自身の翼で左目の傷を触れる。

 これは自業自得だから。気にしないで。

 彼の枷になるのだけは嫌だから。

 どうしたら、彼に伝えられるのか。

 ティアは言葉を探す。

 彼の気持ちは、それはもちろん嬉しい。

 だが、決して枷になりたいわけではなくて。

 これは自分の気持ちに動いた結果なのだから。


『ううん、ルゥ』


 その声に、いつの間にか伏せていた琥珀色の瞳が動く。

 彼を見上げた瞬間、真剣味を帯びた碧の瞳にティアは絡め取られた。

 だが、彼の次の言葉で。


『そのせきにん、ぼくにとらせてよ』


 ティアの思考は全て吹き飛ばされた。


『だからぼく、つよくな――』


 ごっちーん。

 言葉を最後まで言い切る前に、衝撃と共にシシィの視界に星が散る。

 痛みはすぐに襲ってきた。

 思わずうずくまり、前足で額を押える。

 しばらく悶て、痛みの波をやり過ごしたあと。

 額は押さえたままに涙を滲ませた目でティアを見上げる。


『……なにするのー』


『何するも何も、言葉の意味わかって言ってるの……!?』


『いみ……?』


 こてんと首を傾げるシシィに、半目になるティア。

 これはまだ“その感覚が残っている”彼女だからこそ、抱く気持ちでもあった。

 ティアはほらみろと、今度こそ呆れた眼差しで彼を見やった。

 責任取るとかさ、言っちゃってさ。

 意味わかってないじゃん。

 枷にはなりたくないのに。


『…………ルゥ、なにかおこってる……?』


 碧の瞳に戸惑いと困惑の色が滲む。


『――……あー、ムカつく』


 気持ちに棘が出来る。


『むか、つく……?』


 彼はティアの言葉の意味が掴めないようで。

 それが何だかもやもやして、腹立たしくて。


『知らないわ、ばーか』


 ぷいと彼から顔を背けた。

 でも、ちょっと気になってちらと振り返る。


『…………ば、ばか……』


 愕然とした様に、まるでがんっと頭部を殴られたかのように、何かに堪えたようだった。

 ちょっとだけ、様を見ろと思ったのは内緒だ。

 それからまた、ふんっと顔を背ける。

 枷にはなりたくない。ただ、それだけで。

 けれども、自分の足で立ち始めた彼の言葉は素直に嬉しかった。

 だから、思うのだ。

 彼の心に寄り添いたいと思う気持ちは変わらずにある。

 優しさの裏に寂しさを抱える子だから。

 それを周りに示せない不器用な子だから。

 だから、だから自分は。その心に寄り添ってあげたいと思ってしまう。

 では、そんな自分は何が出来るのだろうか。

 寄り添いたいと思う。

 だが、枷になりたいわけではない。

 ならば、己には何が出来るのだろうか――。

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