第3話

 ミドリさんは、鞄からジップロックに入ったビターチョコのプレッツェルを取り出した。


「貴方の素敵なお茶に合うかわからないけれども、是非召し上がりましょう。」

「あら。いいの?」


 恵子さんは、ミドリさんがジップロックの口を開けてくれたので、ビターチョコのプレッツェルをひとつとった。


「可愛らしい形ね。」

「あら、プレッツェルははじめて?」

「えぇ。」

「そうなの。プレッツェル、といってもたくさんあるのよ。パンみたいに大きいものから、この位のサイズの塩味のチップスナックみたいなものまで。」

「まあ。」

「でも、パンのものもチップスナックみたいなのも大きいし、粗塩がついていてとても塩っぱいし硬いのよ。もちろん甘いものや普通のチョコ味もあるけれども、今度は逆に甘すぎてしまって……。

 だからビターチョコが一番無難なのよね。」

「そうなの。」


 恵子さんが、ビターチョコのプレッツェルをひとかじりした。


「結構硬いのね。お煎餅みたい。」

「あら!歯は大丈夫かしら?」

「えぇ。私、自慢じゃないけれども虫歯は一本もないの。」

「凄いわ!お見受けしたところ、髪の毛も地毛よね?」

「ええ。染めた事もないわ。」

「凄いわ。私なんて白髪が目立つから茶色に染めてしまったのに。」

「白髪染めじゃなくて、茶色に染めるなんて本当にハイカラで素敵じゃない。」

「そうね。でも本当に貴女若々しいわ。顔のシワもそんなにないし、お肌もとても綺麗。」

「日本舞踊って見た目以上にハードで筋トレみたいなのよ。一回踊ると動けなくなっちゃう人もいるし、凄く汗もかくから。

 お稽古の後に着物を脱ぐと、ひとまわり小さくなったんじゃないかしらってくらい汗をかくこともあるのよ。」

「凄いのね。」

「えぇ。でもこうやって定年後も日本舞踊を学びながらもお教室を開けているのは……やっぱり若い時に頑張ったからだな、と思うわ。」

「そういえばカルチャーセンターから日本舞踊を始めた、と仰っていたわよね?」

「そうなの。私はもともと九州の呉服屋の娘でね。小さな頃から他の子供達と違って、商人である両親に育てられたれたし、私も兄妹が多かったからかなり勝ち気な性格だった。」

「ふふふ。想像がつくわ。」

「ふふふ。兄が呉服屋を継いでくれたから、私は上京して、とある出版社に就職したの。」

「まあ。」

「少しだけ自慢していいかしら?その出版社はね……。」


 恵子さんは、ミドリさんにコソッと耳打ちした。


「あの大手の?!。」

「当時は、小さくて潰れそうな会社だったのよ。でもそこで私は社内……もしかしたらあの男尊女卑の強い時代で女性初の、女性係長になっていたのかもしれない。」

「やっぱり……恵子さんは只者ではなかったのね。」

「でも、失ったものも沢山あったわ。」

「失ったもの?」

「ええ。私は、離婚しているの。

当時は、女性は結婚して寿退社なのがステータスだったから。

それでもこのまま夫と一緒にいても未来は見えなかった。

東京生まれの東京育ちの男は、すぐ近くに帰られる家や頼れる家族がいるからなよっこくて駄目ね。」

「ふふふ。人によるかもしれないけれども……確かにそうかも。」

「男尊女卑でも環境によっては、女の方がたくましく強くなっちゃうのよね。

 だから息子が五歳の時に離婚して、以前勤めていた出版社に戻れないか相談したの。

 正社員で勤めていたのに、まず「戻りたい」と、言ったら上司から『子供がいるのに離婚して会社に出戻りか?駆け込み寺じゃないんだぞ?

 なぜご主人を支えてあげなかった?我慢できなかった?男は外で働き、女は家を守るものなんだぞ。恥ずかしくないのか?』って、言われたわ。」

「本当に、当時は女性はそういう偏見が強かったわよね。」

「えぇ。それでも息子と生活の為に食い下がれないし、私には私の仕事へのプライドもあった。

 上層部ひとりひとりにアプローチし続けた。

 そしたら、唯一仲の良かった上司が『子供がいるから生活の為に』って掛け合ってくれて、会社に復帰する事が出来たの。」

「凄いじゃない!」

「でも会社に戻っても居場所は無かった。パート扱いでお給料は正社員時よりもウンっと下げられて。仕事内容も電話番や雑用ばかり。毎日周りから『出戻り』『女のくせに』『早くまた辞めろ』と、小言を言われ続けた。

 嫌がらせでも。中には良心からの人もいたのかもしれないけれども、お見合いの話なんてしょっちゅう持ってこられたわ。反発して解雇されても怖るから我慢して受けたけどもどれも上手く行かなくて。

 結局、前の夫以降、男性と……なんてないのよね。

 だから、息子には本当に寂しい思いをさせたと思う。五歳から父親はいないし、小学校入ってすぐに鍵っ子になり、毎日五百円を渡されて、自分でラーメンの出前を取らせていた。

 花嫁修業もそこそこだったから、お休みの日も手作りのご飯なんて、なかなか食べさせてあげられなかったな。

 息子が中学校に上がる頃くらいに、正社員に戻してもらえる事になった。

 そこからは、持ち前の勝ち気な性格と、今までのフラストレーションを発散するかの様にバリバリ働いたわ。

 会社の…売上や株も上げて、『男なんかに負けない!』ってがむしゃらだった。

 それで余計に『生意気だ』『女のくせに』と。男の同期や上司から散々嫌味を言われたり、嫌がらせも沢山受けた。

 でも会社は、結果や数値が全て。

 陰口を叩きながらも、会社の売上や業績の実績は現実問題上がっていたから、全員から小言を言われながらも会社での席は上がっていった。

 そして私は、会社内でも、恐らくあの男尊女卑や偏見の強い時代の中で……女性初の係長となった。

 社内では、歳の近い女性社員達は、お局扱いてお茶くみ扱いだったから、本当に誇らしかった。

 まだまだ偏見や嫌味や嫌がらせは、続いた。

 でも結果を出している。証明されている。

 凄く、嬉しかった。

 でも、息子との信頼関係は無くなっていた。

 息子をなんとか高校までは通わせられたけれどと、高校卒業したら『大道芸人になる!』なんて、言って出て行ってしまったの。」

「でも、恵子さんが精一杯頑張ったから息子さんは、立派に出て行けることができたんじゃない!

 あの時代に。本当に信じられないわ!その勇気と努力は、絶対な並大抵のものではないはずよ!」

「えぇ。息子が出て行ってしまってからぽっかり心も時間も空いてしまった。でも仕事の勢いは止まらない。

 お金と時間が出来ても、大切なものが無くなると駄目ね。

 歩みは止められないのに。心は置いてけぼりなのにどんどん何かが進んでゆく。

 そんなある日だった。仕事終わりの電車で着物を着て、新聞紙に包まれた生花を抱えている女の人達を見たの。」

「生花のお稽古かしら?」

「きっとそうね。ふ、と気がつけば女性がお仕事帰りに好きな習い事を始める時代になっていて。

 私も呉服屋の娘だったし、心のどこかで『もし違う性格で、自分ではない人物だったら?どんな人生だったのだろう。』なんて考えていたから、日本舞踊なら踊る曲によって、全く違う時代や、人生、性別にもなれる、と思ったの。」

「素敵な発想ね。」

「ずっと心の離れてしまった息子と会社の人間としかほとんど接していなかったから、カルチャーセンターで友達が出来た時は本当に嬉しかった。

 カルチャーセンターじゃ満足出来なくて、そのカルチャーセンターの先生のお教室に、その友人達と門下生として入門して、五十代の時に名前を取ったの。

 そして定年前に早期退職をして師範代の資格をとって、こうして今も先生の所に月に二度お稽古に伺い、私自身もお教室を出来ているわ。」

「本当に……凄い頑張ったのね。」

「古典芸能は、とれも難しいだけではなくて時間もお金もとても掛かるのよね。

 舞台に立つなんて、結婚式を挙げられるくらいのお金がかかるもの。それでもチャリティーでも何でも踊れる為ならって……今も節約に必死よ。」

「ふふふ。でも本当にイキイキしていて楽しそう。」

「九州の出だから、そこの業務用スーパーでお好み焼きの元がとても安いのよ。だからキャベツたーっぷりのお好み焼きと、あとお味噌汁にも拘りが強くて。」

「日本食は本当に美味しいわ。アメリカのご飯は駄目。私の住んでる地域がまだ海寄りだから青魚が買いやすいのよ。

 もし違う土地だったら小麦粉の製品ばかりで、それこそ肥満や生活習慣病になっていたと思うわ。」

「まあ、そうなの?」

「えぇ。小麦粉の生産率が良い所程、小麦粉を消費するために肥満者が多いんだから。」

「健康第一よね。」

「本当に。」

「でも、実は嬉しい事があってね。」

「まあ、何かしら?」

「実は、息子が結婚して孫娘が産まれていたの。」

「まあ!素敵じゃない!」

「お嫁さんがね、息子を支え続けてくれて、ずっと息子に『お母さんに感謝しなくちゃ』って言い続けてくれていたらしくて。

 それで、こないだ少しだけ膨らんだお腹で息子と帰ってきてくれたの。

 本当に嬉しかった。お嫁さんが『生活はまだ苦しいです。でもお腹の子が産まれたら私もこの子と御義母様のお教室で日本舞踊を習いたい、と思っています』なんて、言ってくれて。

 お嫁さんも生活が辛いだろうに、息子には大道芸人を続けてほしいらしくて。

 私にはない健気さよね。私自身も援助で切るお金なんてないけれども、息子もお嫁さんも『ちゃんと自分達でしっかりやって行きたい』と、とても前向きなの。

 どこでそんなに逞しくなったんだか、と思ったら息子が『母さんの息子だからだよ』って言ってくれたの。」


 思わず恵子さんは声を震わせた。

 ミドリさんは、優しく恵子さんの背中を擦った。

 恵子さんは、手を震わせながら、着物の袖からハンカチを取り出して、涙を拭いた。


「ごめんなさいね。」

「ううん。やっと、家族にまた、戻れたのね。そして。これからより家族になっていくのでしょうね。」

「えぇ。」

「お互い、女性として誇りとプライドを持ってここまで来たのね。そして、駆け抜けて来た分、今がある。」

「努力や頑張りが認められない事、むしろ実らない事や裏切られることの方が沢山ある。」

「それでも歩みは止められない。でも振り返れば、無駄な事なんて一つもなかった。

 立ち止まったって良かったのかもしれない。

 立ち止まった方が良い時もあったのかもしれない。

 どの選択が正解かなんてわからない。」

「でも、これからも……いいえ。これからは、自分の意志と自分の足で人生を踏みしめて噛み締めて生きてゆきたい。」

「そうね。」


「恵子さん。ちなみにこれからは、どうやって歩んでゆきたいの?」

「うーん。ふふふ、そうねえ。これからも女として生涯現役に!」

「ふふふ。そうね、ハイカラにね!」


☆★☆Fin★☆★

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木漏れ日コーヒー あやえる @ayael

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