『オキと東の塔の魔女』 「ケーネの水面に揺れる地図 ２」

『オキと東《ひがし》の塔《とう》の魔女《まじょ》』 「ケーネの水面《みなも》に揺《ゆ》れる地図《ちず》 ２」

　これは、少年（しょうねん）ユタとお友達（ともだち）になった、若者（わかもの）オキのお話（はなし）です。

　オキは、大（おお）きな街（まち）で、小（ちい）さな金物屋（かなものや）を営（いとな）んでいました。見目麗（みめうるわ）しい青年（せいねん）で、しかも口（くち）が達者（たっしゃ）なものですから、年（ねん）がら年中（ねんじゅう）、いつも女（おんな）の人（ひと）たちから、その恋心（こいごころ）を告（つ）げられていました。

　けれど、オキはすげない態度（たいど）。オキは、自分（じぶん）でも数（かぞ）え切（き）れないくらい、たくさんの女（おんな）の人（ひと）たちを悲（かな）しませてきました。

　オキは、常々（つねづね）こんなことを、商売人仲間（しょうばいにんなかま）たちの間（あいだ）で言（い）っていました。

「俺（おれ）は貧乏人（びんぼうにん）のせがれだ。だから神様（かみさま）は、俺（おれ）に美（うつく）しさ、強（つよ）くて立派（りっぱ）な体（からだ）という財産（ざいさん）を与（あた）えて下（くだ）さったんだ。この一番（いちばん）の武器（ぶき）を、よくよく考（かんが）えて上手（じょうず）に使（つか）わなくちゃ、俺（おれ）の人生（じんせい）、最後（さいご）までひもじいままさ」

　こんなだから、オキには本当（ほんとう）の友人（ゆうじん）と呼（よ）べる者（もの）が一人（ひとり）もいませんでした。

　そのオキの容姿（ようし）の噂（うわさ）を聞（き）きつけたのが、東（ひがし）の塔（とう）に住（す）む、これまた比（くら）べる程（ほど）のない美貌（びぼう）をかねそなえた若（わか）い魔女（まじょ）。

　彼女（かのじょ）は、オキの姿（すがた）を千里眼（せんりがん）の魔法（まほう）で高（たか）い塔（とう）のてっぺんから盗（ぬす）み見（み）、いっぺんに心（こころ）を奪（うば）われてしまいました。

　若（わか）い魔女（まじょ）は、呪文（じゅもん）を唱（とな）えました。

「ムゲルマ、エンゲ、ナマホミス。ヨッタ、アバタマ、スメトラヨ」

　この言葉（ことば）は、遠（とお）くにある自分（じぶん）の欲（ほ）しいものを、この場所（ばしょ）に即座（そくざ）に呼（よ）び寄（よ）せるための呪文（じゅもん）です。

　オキは、自分（じぶん）の住（す）んでいる街中（まちなか）から、魔女（まじょ）の住（す）む東（ひがし）の塔（とう）のてっぺんにある部屋（へや）に、いっぺんに運（はこ）ばれてきてしまいました。オキは目（め）をぱちくり。さっきまで自分（じぶん）が街（まち）の真（ま）ん中（なか）にいたと思（おも）ったら、次（つぎ）の瞬間（しゅんかん）には女（おんな）の人（ひと）の部屋（へや）にいたからです。

　東（ひがし）の塔（とう）の魔女（まじょ）は言（い）いました。

「私（わたし）の名前（なまえ）はロヨラ。オキとやら、私（わたし）を見（み）てどう思（おも）う」

　オキは、この若（わか）い魔女（まじょ）を見（み）ました。年（とし）の頃（ころ）は自分（じぶん）と同（おな）じくらいでしょうか。深（ふか）い紫（むらさき）と漆黒（しっこく）のビロードを身（み）にまとい、純白（じゅんぱく）の真珠（しんじゅ）が控（ひか）えめにあしらわれたカチューシャは、魔女（まじょ）の黒髪（くろかみ）にとても似合（にあ）っていて輝（かがや）かんばかりでした。

　オキはドギマギしました。これまでこんなに美（うつく）しい女（おんな）の人（ひと）を見（み）たことがなかったからです。

　オキは、自分（じぶん）の心臓（しんぞう）の音（おと）が、ロヨラに聞（き）こえてしまわないだろうかと狼狽（うろた）えながら、つい、こんな風（ふう）に言（い）ってしましました。

「なんだ、お前（まえ）も私（わたし）に惚（ほ）れたのか。無理（むり）も無（な）い。俺（おれ）は今（いま）まで、会（あ）う女（おんな）、会（あ）う女（おんな）、みんなから想（おも）いを寄（よ）せられてきた。お前（まえ）が私（わたし）と付（つ）き合（あ）いたいというのなら、お前（まえ）が私（わたし）に金（かね）を払（はら）わなければならないな」

　魔女（まじょ）は、自分（じぶん）が侮辱（ぶじょく）された恥（は）ずかしさに、一度（いちど）に顔（かお）を真（ま）っ赤（か）にして、とっさにテーブルに置（お）いていた魔法（まほう）の小枝（こえだ）を手（て）に取（と）ると、オキにむかって振（ふ）りかざしました。

「乙女（おとめ）の純情（じゅんじょう）を弄（もてあ）ぶ傲慢（ごうまん）な男（おとこ）め。お前（まえ）など狼（おおかみ）になってしまえばいい。イタデ、マタド、ウニシスモ！」

　そして、大粒（おおつぶ）の涙（なみだ）をこぼしながら、ロヨラはどこかへ行（い）ってしまいました。

　ロヨラの部屋（へや）に残（のこ）されたのは、魔法（まほう）で人（ひと）の言葉（ことば）を話（はな）す狼（おおかみ）に変（か）えられたオキばかり。毛（け）むくじゃらの体（からだ）に、ぴんと立（た）った耳（みみ）、良（よ）く効（き）く鼻（はな）、地面（じめん）に着（つ）いた四本（よんほん）の足（あし）、そして尻尾（しっぽ）。

　狼（おおかみ）になったオキは、トボトボと一匹（いっぴき）で、高（たか）い塔（とう）のてっぺんから、螺旋階段（らせんかいだん）を使（つか）って、少（すこ）しずつ下（した）へ降（お）りていきました。

　塔（とう）を半分（はんぶん）も降（お）りた頃（ころ）でしょうか、オキは急（きゅう）にお腹（なか）がすいてきました。そして気付（きづ）いたのです。自分（じぶん）が、動物（どうぶつ）の生（なま）のお肉（にく）しか食（た）べられない、獣（けもの）になってしまったことに。

　オキは怖（こわ）くなりました。今（いま）までも、干（ほ）したお肉（にく）や、焼（や）いたお肉（にく）なら食（た）べたことがあります。けれど、生（なま）のお肉（にく）は一度（いちど）も食（た）べたことがありません。果（は）たして、そんなものを食（た）べて、お腹（なか）を壊（こわ）さないでしょうか。

　そんなことを考（かんが）えながらたどり着（つ）いたのは、ロヨラの塔（とう）の厨房（ちゅうぼう）でした。椅子（いす）の上（うえ）に飛（と）び乗（の）ってみると、テーブルの真（ま）ん中（なか）に、見（み）たこともない形（かたち）のお肉（にく）が置（お）いてあります。それは木（き）の枝（えだ）に、いくつも紫色（むらさきいろ）のまん丸（まる）なものが付（つ）いていて、その皮（かわ）の中身（なかみ）が、全部（ぜんぶ）、生（なま）のお肉（にく）のようなのです。

　そのお肉（にく）は、とても甘（あま）い、いい香（かお）りがします。これなら、オキも食（た）べられそうです。

　オキがその紫色（むらさきいろ）のお肉（にく）の中身（なかみ）を食（た）べ始（はじ）めると、部屋（へや）の上（うえ）からバサバサバサと羽（はね）の音（おと）がしました。

　見上（みあ）げてみると、一羽（いちわ）のオウムが、天井（てんじょう）から吊（つる）されたカゴに入（い）れられてこちらを見（み）ています。

「盗人（ぬすっと）！ 盗人（ぬすっと）！」

　オキは、塔（とう）の主人（しゅじん）に断（ことわ）りも無（な）く、そのお肉（にく）を食（た）べたことを恥（は）ずかしく思（おも）いました。

「ご、ごめんよ。でも、ここのご主人（しゅじん）はどこかへ行（い）ってしまったし、俺（おれ）は狼（おおかみ）の姿（すがた）に変（か）わってしまったから、この紫色（むらさきいろ）の肉（にく）を勝手（かって）に食（た）べてしまったことを、書（か）き置（お）きすることもできないんだ」

　オウムは、オキの言（い）った言葉（ことば）を繰（く）り返（かえ）します。

「できない！ できない！」

　オキは思（おも）いつきました。

「そうだ。伝言（でんごん）を頼（たの）まれてくれないか。お前（まえ）は、人（ひと）の言葉（ことば）を伝（つた）えるのが仕事（しごと）だろう？ 私（わたし）の気持（きも）ちをロヨラに伝（つた）えて欲（ほ）しいんだ。できるかい？」

　オウムは答（こた）えました。

「できる！ できる！」

　オキは、オウムに向（む）かって言（い）いました。

「ロヨラ、ごめんなさい、オキ。ロヨラ、ごめんなさい、オキ」

　オウムは、その言葉（ことば）を繰（く）り返（かえ）します。

「ロヨラ、ごめんなさい、オキ。ロヨラ、ごめんなさい、オキ」

　この塔（とう）の全体（ぜんたい）には、ロヨラの魔法（まほう）が効（き）いていたので、オウムはそこだけ、オキの声（こえ）で話（はな）すことができるようになりました。

　オキは、塔（とう）を出（で）て、人間（にんげん）の姿（すがた）に戻（もど）るための旅（たび）を始（はじ）めました。けれど、その途中（とちゅう）、なかなか食（た）べ物（もの）にありつくことができません。

　狼（おおかみ）になってしまったオキは、生（なま）のお肉（にく）しか食（た）べることができないからです。

　まれに、木（き）の枝（えだ）から落（お）ちている、甘（あま）い香（かお）りのするお肉（にく）にありつくことができました。赤（あか）くて薄（うす）い皮（かわ）に包（つつ）まれたお肉（にく）や、だいだい色（いろ）の分厚（ぶあつ）い皮（かわ）に包（つつ）まれた、今（いま）まで食（た）べたことのないお肉（にく）です。

　それらは、とても柔（やわ）らかくて、懐（なつ）かしいような舌触（したざわ）りがしました。

　ある日（ひ）オキは、荒（あ）れ野（の）で、ユタという少年（しょうねん）に出会（であ）いました。

　オキは言（い）いました。「俺（おれ）はお前（まえ）を食（く）っちまうかもしれないぞ」。

　オキは、本当（ほんとう）はちっともユタを食（た）べるつもりはなかったのですが《全然（ぜんぜん）おいしくなさそうだったからです》、久（ひさ）しぶりに会（あ）えた人間（にんげん）を、少（すこ）しからかってみたくなったのでした。

　狼（おおかみ）の姿（すがた）のオキは、その後（ご）、ユタと再会（さいかい）し、ある出来事（できごと）があったおかげで、再（ふたた）び人間（にんげん）の姿（すがた）に戻（もど）ることができました。

　オキは喜（よろこ）びました。自分（じぶん）が、人間（にんげん）の顔（かお）と体（からだ）を取（と）り戻（もど）せたからです。

　少年（しょうねん）ユタと共（とも）に、北国（きたぐに）の町（まち）、エゾナを訪（おとず）れたオキは、ケーネという女（おんな）の子（こ）の家（いえ）に一晩（ひとばん）泊（とめ）めてもらいました。でも本当（ほんとう）は、早（はや）くこの町（まち）で特別（とくべつ）な仕事（しごと）をしているという女（おんな）の人（ひと）たちに、チヤホヤされてみたくてしようがなかったのです。

　けれど、次（つぎ）の朝（あさ）、一人（ひとり）で町（まち）の通（とお）りへ繰（く）り出（だ）してみて、オキはガッカリしました。自分（じぶん）の顔（かお）や体（からだ）の美（うつく）しさが、エゾナの町（まち）に住（す）んでいる女（おんな）の人（ひと）たちには、まるで通（つう）じないのです。

　それもそのはず、この町（まち）の女（おんな）の人（ひと）たちは、みんな神様（かみさま）の真意（しんい）を読（よ）み解（と）く仕事（しごと）をしています。

　ですから、男（おとこ）の人（ひと）の見（み）てくれになんか、てんで関心（かんしん）がないのです。

　それよりも、魂（たましい）の美（うつく）しい者（もの）、へりくだった心（こころ）を持（も）ち合（あ）わせた者（もの）に、心（こころ）惹（ひ）かれてしまうのです。オキにはそのどちらもありません。

　オキは、ユタと共（とも）に、ケーネにもらった水鏡（みずかがみ）の地図（ちず）を頼（たよ）りに、東（ひがし）の塔（とう）の魔女（まじょ）に、きちんと謝（あやま）りに行（い）くことにしました。

　ケーネの水面（みなも）の地図（ちず）を使（つか）うと、ロヨラの東（ひがし）の塔（とう）まで半日（はんにち）ほどで着（つ）きました。

　ロヨラは、オキの姿（すがた）を見（み）ると、ばつの悪（わる）そうな顔（かお）をしました。

「キッチンのオウムに聞（き）いたわ。あなたが私（わたし）に謝（あやま）ってくれたこと」

　オキは、ロヨラに改（あらた）めて謝（あやま）りました。

「ロヨラ、私（わたし）の鼻持（はなも）ちならない心（こころ）を許（ゆる）して欲（ほ）しい。私（わたし）の見（み）てくれは、魂（たましい）の美（うつく）しさ、へりくだった心（こころ）の前（まえ）には、何（なん）の役（やく）にも立（た）たなかった。私（わたし）と付（つ）き合（あ）うには、お金（かね）が必要（ひつよう）だ、などというのは、あなたがあまりに美（うつく）しかったので、つい照（て）れ隠（かく）しで言（い）ってしまったのだ」

　美（うつくし）しい魔女（まじょ）ロヨラも、オキに謝（あやま）りました。

「私（わたし）こそ恥（は）ずかしい。私（わたし）があなたに、自分（じぶん）の姿（すがた）を褒（ほ）めてもらおうとしたのは、私（わたし）の高慢（こうまん）さ。結局（けっきょく）、私（わたし）はあなたにフラレてしまい、あろうことか、あなたを魔法（まほう）で人（ひと）の言葉（ことば）を話（はな）せる狼（おおかみ）の姿（すがた）に変（か）えてしまった。許（ゆる）されないのは私（わたし）。オキ、どうか私（わたし）のこの力（ちから）を許（ゆる）してくれないかしら」

　オキは答（こた）えました。

「許（ゆる）されないなんて、とんでもない。私（わたし）は、狼（おおかみ）の姿（すがた）に変（か）えられて、荒（あ）れ野（の）をさまよい、おかげで大切（たいせつ）な友人（ゆうじん）を得（え）ることができました。このユタという少年（しょうねん）です。あなたの魔法（まほう）がなければ、この子（こ）に出会（であ）うこともできなかった。あなたの魔法（まほう）は、友達（ともだち）のいなかった私（わたし）に、最初（さいしょ）の友人（ゆうじん）を授（さず）けてくれたのです」

　ロヨラは、ユタの方（ほう）を見（み）て言（い）いました。

「あなたは、ユタというのね。ありがとう。あなたは私（わたし）の大切（たいせつ）な人（ひと）を、人（ひと）の言葉（ことば）を話（はな）す狼（おおかみ）から、人間（にんげん）の姿（すがた）に変（か）えてくれた。お礼（れい）の言葉（ことば）もないわ。代（か）わりに、この魔法（まほう）の巻物（まきもの）をあなたに渡（わた）しておきましょう。何（なに）か困（こま）りごとがあった時（とき）、読（よ）んで使（つか）ってね」

　オキとロヨラが、互（たが）いに自分（じぶん）のことを謝（あやま）り終（お）えると、ロヨラはまた目（め）の前（まえ）にいるオキのことを意識（いしき）し始（はじ）めました。そして、顔（かお）を赤（あか）らめて、もじもじしてしまったのです。

　その姿（すがた）に、オキは二度目（にどめ）の恋（こい）に落（お）ちました。

「ロヨラ、私（わたし）の恋人（こいびと）になってくれないだろうか」

　突然（とつぜん）の告白（こくはく）に、ロヨラはドキドキしました。

「でも、私達（わたしたち）、まだ、出会（であ）ったばかりだし・・・」

　オキは、顔（かお）をほころばせて、こう答（こた）えました。

「あなたの魔法（まほう）の力（ちから）は、私（わたし）の過（す）ぎる時間（じかん）の長（なが）さまで変（か）えてしまったようです」

　ロヨラも、はにかみながら答（こた）えました。

「オキ、私（わたし）もよ。私達（わたしたち）、一緒（いっしょ）になれるかしら」

　その時（とき）、突然（とつぜん）、部屋（へや）の中（なか）に、真（ま）っ黒（くろ）な大（おお）きな闇（やみ）が現（あらわ）れて、見（み）る間（ま）にロヨラを覆（おお）ってしまいました。ロヨラは、始（はじ）め驚（おどろ）いたような顔（かお）をしましたが、その闇（やみ）から現（あらわ）れた腕（うで）の中（なか）で、深（ふか）い眠（ねむ）りに落（お）ちて行（ゆ）きました。

　その大（おお）きな暗（くら）い闇（やみ）は、黒（くろ）いマントを羽織（はお）った、二人（ふたり）よりも一回（ひとまわ）り年上（としうえ）の男（おとこ）の人（ひと）の姿（すがた）になりました。

　男（おとこ）の人（ひと）は、眠（ねむ）りに落（お）ちたロヨラを抱（だ）きかかえると、オキのほうに向（む）かってニヤリと笑（わら）ってから、忽然（こつぜん）と姿（すがた）を消（け）してしまいました。

　オキはうろたえました。男（おとこ）はロヨラをどこに連（つ）れ去（さ）ってしまったのでしょう。もう、どこにも手（て）がかりはありません。

　その時（とき）、ユタの持（も）っているケーネの地図（ちず）が、ゆっくりと光（ひかり）を放（はな）ちました。地図（ちず）の水面（みなも）の表面（ひょうめん）は、まるで命（いのち）を持（も）っているかのようにユラユラと揺（ゆ）れ始（はじ）めました。そして、みるみるうちに、ロヨラの塔（とう）と、その地下（ちか）にあるらしい洞窟（どうくつ）の地図（ちず）を映（うつ）し出（だ）しました。

　そして、黒（くろ）い影（かげ）と光（ひかり）の珠（たま）が、一緒（いっしょ）にその洞窟（どうくつ）の奥深（おくふか）くに消（き）えてゆくのが見（み）えました。

　ふたりは息（いき）をのみました。ロヨラはきっとあの男（おとこ）に、地下（ちか）洞窟（どうくつ）のただ中（なか）へ、連（つ）れ去（さ）られてしまったに違（ちが）いないのです。

　ユタは言（い）いました。「行（い）こう、オキさん。ロヨラさんは、この洞窟（どうくつ）のどこかにきっといる」

　けれど、オキは少（すこ）し怖（お）じ気（け）づいているようでした。「この塔（とう）の地下洞窟（ちかどうくつ）の、そんなに深（ふか）いところまで降（お）りていって大丈夫（だいじょうぶ）だろうか。そこはきっと、大変（たいへん）な魔力（まりょく）のたまり場（ば）だ」

　オキは、一度（いちど）ロヨラの魔法（まほう）で狼（おおかみ）に変（か）えられてしまったことから、魔法（まほう）の力（ちから）の強（つよ）い場所（ばしょ）が、特別（とくべつ）に怖（こわ）くなってしまったようなのです。

　ユタはあきれました。「何（なに）を言（い）っているんですか。オキさん、このままロヨラさんを助（たす）けに行（い）かなくていいんですか」

　オキは不安（ふあん）そうに言（い）いました。

「私（わたし）は、魔法（まほう）を使（つか）うこともできない、町（まち）の小（ちい）さな金物屋（かなものや）のせがれだ。ロヨラには私（わたし）のような男（おとこ）よりも、もっと相応（ふさわ）しい相手（あいて）がいるかもしれない」

　ユタは、ますます呆（あき）れて言（い）いました。

「さっきまで、あんなにこれからのことを誓（ちか）っていたあなたなのに、そんなに弱気（よわき）でどうするんですか。オキさんがしっかりしていれば、そんなことは何（なん）でもありませんよ」

　ところがいっそう、オキはオロオロする始末（しまつ）。オキには、肝心（かんじん）なところで自信（じしん）が無（な）いようなのです。

　オキは、すっかり力（ちから）なく言（い）いました。

「・・・ロヨラは、あれほど美（うつ）しい人（ひと）だから・・・」

　その時（とき）、ユタは、不思議（ふしぎ）にキッパリと言葉（ことば）にして言（い）いました。

「僕（ぼく）は聞（き）きました。ロヨラさんは、オキさんのことを大切（たいせつ）な人（ひと）だと。一緒（いっしょ）になれるかしらって言（い）っていましたよ。あれは、ロヨラさんの本心（ほんしん）じゃありませんか？」

　その言葉（ことば）で、オキはとうとう決心（けっしん）しました。

「行（い）こう、ユタ。私（わたし）はロヨラを、あの魔法使（まほうつか）いの男（おとこ）の手（て）から取（と）り戻（もど）したい」

　そしてふたりは、ロヨラの塔（とう）の下（した）にある洞窟（どうくつ）へと降（お）りてゆくことになりました。

　その洞窟（どうくつ）は、暗（ぐら）くてジメジメしています。洞窟（どうくつ）は複雑（ふくざつ）な形（かたち）をしていて、たくさんの道（みち）に分（わ）かれていました。けれど、ケーネの水面（みなも）の地図（ちず）が、ふたりがどちらへ進（すす）めばいいのかを、きちんと教（おし）えてくれました。

　ふたりは、洞窟（どうくつ）の底（そこ）にたどり着（つ）きました。

　しばらく進（すす）むと、天井（てんじょう）の高（たか）い、開（ひら）けた場所（ばしょ）に出（で）ました。そこには、柱（はしら）のように背（せ）の高（たか）い、赤（あか）い肌（はだ）をした大（おお）きな巨人（きょじん）がいて、スックと立（た）ちふさがっていました。

　ふたりは身構（みがま）えました。巨人（きょじん）は何（なに）かの門番（もんばん）のように、身動（みうご）き一（ひと）つせず、こちらを見下（みお）ろしていたからです。

　巨人（きょじん）は、二人（ふたり）の姿（すがた）を確（たし）かめると、突然（とつぜん）、泣（な）き出（だ）しました。

「私（わたし）は、この先（さき）にある宮殿（きゅうでん）の門番（もんばん）をしている緋色（ひいろ）の巨人（きょじん）。この私（わたし）の愚（おろ）かな姿（すがた）を見（み）てくれ。私（わたし）はこの通（とお）り、とても大（おお）きな体（からだ）をしている。そのため、この洞窟（どうくつ）の門番（もんばん）に選（えら）ばれだのだ。けれども、あまりの大（おお）きさに、天井（てんじょう）に頭（あたま）がくっついて、身動（みうご）きが取（と）れなくなってしまった。なんという愚（おろ）かな姿（すがた）だろう」

　ふたりは、巨人（きょじん）のことを哀（あわ）れに思（おも）いました。

　その時（とき）、ユタは何（なに）かを思（おも）い出（だ）しました。ロヨラからもらった魔法（まほう）の巻物（まきもの）です。巻物（まきもの）を紐解（ひもと）いてみると、紙（かみ）の上（うえ）に書（か）かれていたものは、一曲（いっきょく）の譜面（ふめん）でした。古（ふる）い古（ふる）い、魔法（まほう）の歌（うた）です。

　ふたりは、その魔法（まほう）の歌（うた）を歌（うた）いました。すると、驚（おどろ）いたことに、みるみる巨人（きょじん）の体（からだ）が縮（ちぢ）んでいって、オキと同（おんな）じくらいの背（せ）の高（たか）さになりました。

　さっきまで巨人（きょじん）だった赤肌（あかはだ）の門番（もんばん）は、大粒（おおつぶ）の涙（なみだ）を流（なが）しながら二人（ふたり）に感謝（かんしゃ）しました。背（せ）の高（たか）さが、ちょうど良（よ）い具合（ぐあい）になったからです。そのお礼（れい）に、この先（さき）にあるという宮殿（きゅうでん）の扉（とびら）を開（あ）ける、秘密（ひみつ）の鍵（かぎ）を預（あず）けてくれました。

　洞窟（どうくつ）を先（さき）へ進（すす）むと、先（さき）ほどの門番（もんばん）が言（い）っていた通（とお）りに、厳（おごそ）かな宮殿（きゅうでん）がありました。

　ふたりは、先（さき）ほど門番（もんばん）にもらった鍵（かぎ）を、宮殿（きゅうでん）の飾（かざ）り扉（とびら）に差（さ）し込（こ）みました。扉（とびら）はゆっくりと静（しず）かに開（ひら）きました。

　宮殿（きゅうでん）の中（なか）には、一本（いっぽん）の廊下（ろうか）が続（つづ）いていました。その両側（りょうがわ）は、薄紅色（うすべにいろ）の花々（はなばな）で飾（かざ）られています。

　二人（ふたり）が廊下（ろうか）を進（すす）んでいくと、何（なに）やら少（すこ）し開（ひら）けた場所（ばしょ）に出（で）ました。

　始（はじ）めは暗（くら）くてよく分（わ）からなかったのですが、どうやらそこは円（まる）い形（かたち）の、程（ほど）よい広（ひろ）さの寝室（しんしつ）になっているようでした。

　ふたりの目（め）が徐々（じょじょ）に暗闇（くらやみ）に慣（な）れてくると、少（すこ）しずつ部屋（へや）の中（なか）の様子（ようす）が分（わ）かってきました。

　部屋（へや）の奥（おく）の壁（かべ）は一面（いちめん）、鏡（かがみ）になっていました。その手前（てまえ）に、大（おお）きなベッドが一（ひと）つ置（お）かれていて、天井（てんじょう）からは、紫色（むらさきいろ）の薄（うす）いレースのカーテンが降（お）りていました。その寝室（しんしつ）のベッドに、一人（ひとり）の女（おんな）の人（ひと）が眠（ねむ）っているように見（み）えました。

　ロヨラです。

　ロヨラをさらった男（おとこ）は、レースのカーテンのこちら側（がわ）にいました。

　男（おとこ）はふたりの姿（すがた）を認（みと）めると、不敵（ふてき）に笑（わら）ってこう言（い）いました。

「ほう、ここまでたどり着（つ）くとは。どうやら、門番（もんばん）をしているはずの巨人（きょじん）が、お前達（まえたち）の味方（みかた）に付（つ）いたようだな。だが、私（わたし）の魔力（まりょく）は、お前達（まえたち）ふたりの力（ちから）を合（あ）わせたより、ずっと強（つよ）い。今（いま）、お前（まえ）たちがいる場所（ばしょ）から、少（すこ）しでもこちらに近（ちか）づくことはできないぞ」

　そう言（い）って、左手（ひだりて）の薬指（くすりゆび）にはめた金色（きんいろ）の指輪（ゆびわ）から、激（はげ）しい竜巻（たつまき）を巻（ま）き起（こ）こし、こちらに投（な）げつけてきました。

　二人（ふたり）は、サッと左右（さゆう）に分（わ）かれました。間一髪（かんいっぱつ）、竜巻（たつまき）は二人（ふたり）の間（あいだ）を通（とお）り抜（ぬ）けて、寝室（しんしつ）の入（い）り口（ぐち）から飛（と）び出（だ）していきました。

　男（おとこ）は言（い）いました。

「おのれこしゃくな。だが、一度（いちど）くらい免（まぬが）れることはできても、この竜巻（たつまき）は何度（なんど）でも私（わたし）の指輪（ゆびわ）から呼（よ）び出（だ）すことができるのだ。まだまだいくぞ」

　そう言（い）って、次々（つぎつぎ）に竜巻（たつまき）を呼（よ）び出（だ）しては、二人（ふたり）の方（ほう）へ放（はな）ってきました。二人（ふたり）はキリキリ舞（ま）い。すんでのところで身（み）をよじって、竜巻（たつまき）をかわし続（つづ）けます。

　けれど、ふたりとも、どんどん寝室（しんしつ）の入（い）り口（ぐち）の方（ほう）へ追（お）いやられてしまいました。もう、ロヨラのいるこの場所（ばしょ）に、とどまる術（すべ）はありません。

「ふっふっふ。もう逃（に）げる場所（ばしょ）は無（な）いぞ。この竜巻（たつまき）を食（く）らえば、お前達（まえたち）の体（からだ）は、この部屋（へや）から投（な）げ出（だ）され、宮殿（きゅうでん）からも吹（ふ）き飛（と）ばされて、この塔（とう）の外（そと）へと放（ほう）り出（だ）されてしまうだろう。はっはっはっ。さらばだ」

　そう言（い）って、今（いま）までで一番（いちばん）大（おお）きな竜巻（たつまき）を指輪（ゆび）から呼（よ）び出（だ）し、二人（ふたり）へ投（な）げつけようとしました。

　その時（とき）、勝利（しょうり）の笑（え）みを浮（う）かべた男（おとこ）の背後（はいご）の鏡（かがみ）から、稲妻（いなづま）が飛（と）び出（だ）してきました。男（おとこ）は、とっさに身（み）をよじって、その電撃（でんげき）をかわそうとしましたが、その電光（でんこう）は正確（せいかく）に、男（おとこ）の薬指（くすりゆび）にはめられている金（きん）の指輪（ゆびわ）に落（お）ちたのでした。

「あばらおぼろえばらべ」

　哀（あわ）れ、男（おとこ）は、金（きん）の指輪（ゆびわ）に落（お）ちた、その雷（かみなり）に感電（かんでん）してしまい、ジタバタとおかしなダンスを踊（おど）ったあと、その場（ば）にのびてしまいました。

　気（き）がつくと、男（おとこ）と同（おな）い年（どし）くらいの女（おんな）の人（ひと）が、部屋（へや）の奥（おく）一面（いちめん）に張（は）られた鏡（かがみ）から現（あら）われ、紅（くれない）のマントをたなびかせて、こう言（い）いました。

「アンタ、こんなところでなにやってんの？」

　その声（こえ）は、あきれはてていました。

　この女魔法使（おんなまほうつか）いの名前（なまえ）は、ミセス・マイラといい、ロヨラを連（つ）れ去（さ）った男魔法使（おとこまほうつか）い、ミスター・マイラの奥（おく）さんでした。ミセス・マイラの左手（ひだりて）の薬指（くすりゆび）にも、ミスター・マイラと同（おな）じ、金色（きんいろ）の指輪（ゆびわ）がはめられていて、そこから制裁（せいさい）の稲妻（いなづま）が飛（と）び出（だ）してきたようでした。

「まったく、あんたは、いっつもフラフラして困（こま）るんだから。はいはい、起（お）きた起（お）きた」

　伸（の）びていたミスター・マイラの頬（ほほ）を、ぺちぺちと手（て）で叩（たた）くミセス･マイラ。

　この騒（さわ）ぎに、ロヨラも目（め）を覚（さ）ましました。

　マイラご夫妻（ふさい）とロヨラは、元（もと）より顔見知（かおみし）りの、魔法使（まほうつか）い組合（くみあい）のお友達（ともだち）でした。ロヨラのあまりの美（うつく）しさに、ミスター・マイラもつい魔（ま）が差（さ）したのでしょう。魔法（まほう）の力（ちから）でロヨラを眠（ねむ）らせて、この地下宮殿（ちかきゅうでん）の一室（いっしつ）に、さらってきてしまったのでした。

　しかし、もうロヨラには心（こころ）に決（き）めた人（ひと）がいます。オキです。オキは魔法使（まほうつか）いではありません。でも、生（う）まれ変（か）わった魂（たましい）と、へりくだった心（こころ）で、ロヨラのハートを射止（いと）めたのです。

　その話（はなし）を聞（き）いて、ミスター・マイラは、奥（おく）さんについてすごすごと帰（かえ）ってゆくことになりました。

「ほんとうに申（もう）し訳（わけ）ないね。うちの人（ひと）が迷惑（めいわく）をかけて。この人（ひと）は年中（ねんじゅう）こんなものだから、もう慣（な）れてしまっているけどね。でも、魔法（まほう）を使（つか）ってロヨラさんを眠（ねむ）らせてしまうだなんて、今回（こんかい）ばかりは言（い）い訳（わけ）ができないね。二度（にど）とこんなことがないように、後（あと）でようく言（い）い聞（き）かせておくから《ここでミセス・マイラはニッコリ笑（わら）い、ミスター・マイラは小（ちい）さな悲鳴（ひめい）をあげて飛（と）び上（あ）がりました》、これまで通（どお）りとはいかなくても、どうか私達（わたしたち）とお付（お）き合（あ）いを続（つづ）けてくれないかい？」

　ロヨラは少（すこ）し気（き）を回（まわ）して答（こた）えました。

「いいえ、私（わたし）の方（ほう）も、オキの告白（こくはく）にときめいて、ちょうど油断（ゆだん）していた時（とき）だったんです。私（わたし）が気（き）の緩（ゆる）めなければ、ミスター・マイラの魔法（まほう）は、決（けっ）して私（わたし）に効（き）く種類（しゅるい）のものではありませんでした。どうか、あまりご主人（しゅじん）を責（せ）めないであげてください」

　ミスター・マイラは、あの自信（じしん）に満（み）ちていた時（とき）の姿（すがた）が信（しん）じられないほど、隅（すみ）っこで小（ちい）ちゃくなっています。ただただモジモジして、シュンとしています。

　マイラご夫妻（ふさい）が、魔法（まほう）を使（つか）って家（いえ）に帰（かえ）るついでに、みんなはご夫婦（ふうふ）の家（いえ）で、お茶（ちゃ）を呼（よ）ばれることになりました。

　ミセス・マイラがその真紅（しんく）のマントを大（おお）きく広（ひろ）げ、みんなの体（からだ）を包（つつ）み込（こ）んでしまうと、次（つぎ）の瞬間（しゅんかん）、一人（ひとり）残（のこ）らず全員（ぜんいん）が、マイラ夫妻（ふさい）の家（いえ）の前（まえ）にいました。

　家（いえ）でのお茶会（ちゃかい）は、和（なご）やかなものになりました。ミスター・マイラは、ロヨラとオキとユタの三人（さんにん）各々（おのおの）に、自分（じぶん）のしでかした過（あやま）ちと非礼（ひれい）の数々（かずかず）を詫（わ）び、今回（こんかい）ばかりは奥（おく）さんに特（とく）に深々（ふかぶか）と頭（あたま）を下（さ）げて、みんなは互（たが）いに打（う）ち解（と）け合（あ）いました。

　ミセス・マイラお手製（てせい）のクッキーと、庭（にわ）でとれたというハーブのお茶（ちゃ）を頂（いただ）きながら、話（はなし）はユタが旅（たび）で出会（であ）った、風車守（ふうしゃも）りのおじいさんの話（はなし）になりました。

「あの風車守（ふうしゃも）りのおじいさんは、たった一人（ひとり）で風（かぜ）と一緒（いっしょ）に、あの奇妙（きみょう）な形（かたち）の風車（ふうしゃ）を守（まも）ってくれています。寂（さび）しくはないでしょうか」

　そうユタが言（い）うと、ミセス・マイラは風車守（ふうしゃも）りの近況（きんきょう）を教（おし）えてくれました。

「あの風車守（ふうしゃも）りの風車（ふうしゃ）は最新型（さいしんがた）だからね、最近（さいきん）、近（ちか）くの村（むら）の子供（こども）たちが、見習（みなら）いとして手伝（てつだ）いに通（かよ）い始（はじ）めたらしいよ」

　その話（はなし）を聞（き）いて、ユタは嬉（うれ）しく思（おも）いました。そして、また風車守（ふうしゃも）りのおじいさんに、きっと会（あ）いに行（い）こうと思（おも）うのでした。

　その様子（ようす）を見（み）ながら、オキとロヨラはいつまでも微笑（ほほえ）んでいました。

　これは、東（ひがし）の塔（とう）に住（す）む、美（うつく）しい魔女（まじょ）、ロヨラに聞（き）いたお話（はなし）です。《おしまい》

《2021-02-07 1401版》