第35話 予備本命

 一瞬――、なにが起きたのか分からなかった。


 ただ、見えるのは血――、赤いカーテンのように広がる血だけだった。

 赤を浴びた男達……その黒は、全体を赤に染める。

 そしてばたりと、一人ずつ、叫び声も上げずに地面に倒れていく。

 そしてごろごろと、転がるのは頭――、首から上。

 声など、発することなどできないだろう。


 あの時――、


 あの時、物陰から隠れて様子を窺っていたのは正解だった――、良い判断だと思っていたが、それは絶対的に見つからないという保証を得てからやるべきだったのだ。

 油断していたわけではないが――、意識を、作業をしている黒服達に向けているために、後ろから迫る、遅れてやってきた黒服の仲間に気づくのに、時間がかかってしまった。


 気づいた時には頭部に一撃を受ける寸前だった。相手が振り下ろした、剣に似た鈍器を、ギリギリのところで躱し、反撃を喰らわせる。

 剣は持っていないので単純な腕力で――とは言え、プラムに戦闘技術など、皆無であるし、腕力などもないのでがむしゃらに突っ込んでいっただけであるのだが――、それでも当たりどころが良かったらしく、相手は一撃で倒れ、戦闘不能になった。


 弱い力でも使い方によっては、力ある者に勝るほどの威力を誇る。


 プラムはそれを、無意識に――やってのけた。


 だからこその危機回避だが――しかし反撃が、相手を倒したことが、この場合では圧倒的な不利を作り出す『種』になってしまっていた。

 簡単なことだ――音のせいで、作業をしていた、今までプラムに見られていることなど知らなかった黒服達が、プラムの存在に気が付いたのだ。

 こうしてプラムは認識され、黒服達の、

『消さなければいけない人間』の枠に入ってしまったわけであった。


 動きは早かった――いつの間にか、囲まれていた。

 黒服達はプラムに向けて、三百六十度の包囲で、剣を向ける。

 武器のないプラムは腰を落として構えるが、しかしどうしようもない――、じっとりと全身から汗が垂れてくる。そしてそんな包囲の真ん中にいるプラムと距離を詰めるように、一歩、近づいてきたのは、身長の高い、男だった。


 鞘に収まっている剣を、腰に差している。


 真っ白な剣だった――純粋な、色だった。


「……私達は考えもなしに、対策もせずに、この場所を選んだわけではない。人目につきにくく、気づかれにくい場所を選んだつもりなのだが……、ここにいる私達を見つけることができたということは、あなた――、一般人ではないですね?」


 声は高い――が、女性ほどではないので、間違いなく、勘違いなく、男だろう。


「…………」


 プラムは沈黙し――、しかしそれを一貫するわけではなく、頷いてから、


「剣士……になる予定だから、一般人ではないと思う……けど」


「なるほど――素人ですか。これはこれは、楽しめませんねえ。

 私達の姿を捉え、今こうして囲まれている危機でも、実力者ならばどうにかできると楽しみもあったんですけど――、まあ、そうですよね。期待なんてしても、はずれることは、私自身、分かっていたはずなんですが……、これは心の弱い私でした――。

 素人同然のあなたには悪いですが、ここは潔く、斬られてしまいなさい」


 女口調で話す男が、剣を握る――しかし腰に差している真っ白な剣ではなく、部下の黒服が持っていた剣を、受け取り、プラムに向けた。


 些細なことではあるのだが、その行動には、突ける隙があると思った。

 心のどこかで、期待していた、クードとナルマリエの登場――そして助けは、期待できないと判断した。どういうわけか、ここにはいないらしい。

 一体、どこでなにをしているのかは分からないが、二人がいない今。

 今は、この危機を自分で脱するしかない。


 拘束されているわけではない――、

 命を人質にされて、動きが封じられているだけに過ぎない。

 考えれば、なにをしなくとも、なにかをしても、どの道、危機という危機は同じなのだ。


 相手に自分の命を助ける気など皆無……、相手は斬られてしまいなさい、と言い切ってしまっているのだから――動き、反撃をすることに、躊躇いはなかった。


 だからプラムは駆ける――長距離を想定した体力温存の走りではなく、一瞬だけ、二、三歩先にいる男に近づくためだけの、瞬間的な加速に、全てを懸けるように。

 そしてプラムの伸びた手は、真っ直ぐに、男の腰に差さっている剣に向かった。


 瞬きができない攻防――、防をさせる前に攻を成功させる。

 相手を倒すためではなく、それに力を注ぐのではなく、相手の武器を失わせることに全力を注ぎ――そして、自分の武器を手に入れるために、プラムは、指先をさらに伸ばす。


 ちりっ――と、柄に指先が触れて、引っ掛かる。

 走り抜ける方とは逆の方向に手を振り抜き、相手の剣を、腰から抜く。

 鞘と刀身が別れる、剣として存在していた二つは、同時に、からら、と音を立てて、地面を転がる。そこで、しまった――と、プラムは己の失敗を悔やんだ。


 地面を転がせるつもりはなかった――、手から離すつもりもなかった。そのまま自分の手元に残し、そして鞘から抜き出し、目の前――、黒服の男の一人の剣を、はたき落すつもりだった。


 だが剣がない今――黒服の一撃を、避ける術は、躱すしかない。


 しかし不運にも足が絡まり、転んでしまう。転んだその位置は、黒服のちょうど足下だったようで、黒服は、剣をただ、振り下ろせばいいだけ――。

 そう、まるで、処刑台のギロチンのように。


 プラムはそれでも目は瞑らなかった。まだ可能性はある――諦めるのは早過ぎる。

 プラムは、目が良いのだ――さっきも、この目のおかげで黒服達を観察することができたのだ。だから、可能性はあるはずだ――、

 振り下ろされる剣の切っ先を見て、避けることは、難しいことではない。


 くる――、


 剣の切っ先が――、

 しかし、切っ先がプラムの目の前に迫る前に、赤いカーテンが、視界を覆う。


 ぴと、と生温かい液体がプラムの頬に付着し――まさに今、プラムに剣を振り下ろそうとしていた男の体が、ばたりと倒れた。

 そして、ごろごろと音を立てるのは、

 プラムの、地面に着いた手に当たってきたのは、その男の、頭部だった。


 表情は固まったまま――驚きの表情を隠せないまま、絶命していた。


 

 一瞬――なにが起きたのか分からなかった。



 ――……やっと、自由になれたぞよ。


 声が聞こえてくる――女性の声……、だが、しかしこの場に女性はいない。

 女性のような口調をする男はいても、女性はいないのだ。

 ならば、黒服の中に女性が混じっているという可能性も、ないわけではないのだが――、

 だけど、プラムが辺りを見回せば、黒服の男は、一人を除いて、全滅していた。


 倒れている――体勢に、差異はあれど、結果は変わらず、絶命のまま、変わることなく。


 立っている黒服は、女口調の、あの男だった。

 手には真っ白な剣がある――鞘から抜かれて地面に落ちたそれを、拾ったのだろう。

 そして――どうしてかは分からないが、それに、確率的に、犯人は一人……、

 この男が、黒服の男達を殺した。


 全員を――殺した。


「なん、で……」


 ――うむ。馴染むに少しの期間がいるだろうが、まあ、わらわのことじゃ――こんな安っぽい男など、憑依するのに、そう時間などはいらんのじゃろうな……。


 混乱のせいで、この声は目の前の男のものだと思っていたが、やはり違う。

 女性など、どこにもいないのに、女性の声がするのは、女口調の男である彼が、本当は女性なのではないかと、あり得ないと思える予想をつけていたのだが――当然、間違っていた。


 声は男ではない――男が持つ、剣。


 プラムだけに聞こえる――その声だ。


「憑依する……? そんなことができる、剣も、あるってことなの……?」


 呟いたプラムに反応して、男は――剣は、プラムの方を向く。


 ――……どうやら、こちらの声が聞こえておるように見えるが、どうなんじゃろうなあ……おぬし、わらわの声が聞こえておるのか?


「聞こえてる……仕組みは分からないけど、聞こえてる」


 ――ふむ。おぬし……『救命ライフ措置ライン』じゃな?


「…………?」


 ――いやいや、質問はしなくていい――それよりも、わらわの声が聞こえるというのは、面白い素材じゃな、おぬしは。……まだ間に合うかもしれんな――憑依する相手を、おぬしにするのもまた、それも面白い。


 にやりと笑う相手に、ぞくりとしたプラムは、背を向けてでもこの場から、今すぐにでも逃げるべきだと思った。

 そして実行する――、

 しかしそんなプラムの速度など障害とせず、男は余裕でプラムを追い抜いた。


 プラムの前を、塞ぐように位置を取り、


 ――この男……『予備バック本命パック』とか呼ばれていたが――中々、体を鍛えておるようじゃな。わらわが操っても、少しの誤差しか生まずに、動くことができている。

 だが、やはり年齢の壁は厚いか……、もう、今すぐにでも体が壊れそうだ。


 そうは言うが、まったく、危機感など抱いている様子なく、予備本命は笑っていた。


 剣が体を操っている――が、感覚までは共有していないのだろう。

 しているのならば、ここまで、危険を感じて無理やりに動かすようなことはしない。

 やっと手に入れた操り人形なのだ――手放すのはもったいない。


 体が壊れそうと感じていても、それがどのくらいなのか分からない――、だから加減の仕方が分からない。肉体が悲鳴を上げても気づかない――気づけない。

 予備本命の体は、あちこちが、裂けてきていると言うのに――。


 ――おろ、変な音が鳴った気がするが――まあ、そろそろ限界だ、という警告なだけだろう。だが大丈夫じゃ――まだ、三振りくらいは耐えられるはず――。


 予備本命は剣を振り上げた――肘が、割れた音がした。


 そして振り下ろす瞬間に――プラムは、予備本命に抱き着いた。


「もう――もうやめて! それ以上は――体が……っ!」


 ――振り下ろせよ、予備本命。


 命令は絶対――だけど、……だが、起きたこれは、必然とも言える。


 肘が砕け――腕は、ぶらん、と、垂れ下がり――、メトロノームのように、動くだけ。


 からん、と剣が落ちて、音が無くなる――予備本命は、力無く、倒れた。


 その上に、プラムも倒れ込む。

 人体の、聞くことのないだろう音を聞いて、涙が出る。


「……ひどい、よ」


「――プラム! おい! 大丈夫か!?」



 遅くも、しかし現れたクードの声に安心して、プラムは目を瞑り、意識を落とす。

 その時、聞いた声――それを、聞かない振りをした。


 聞きたくなかった。

 受け入れたくなかった。

 現実を、認めたくなかった。



 ――ほお? 予備本命とは違う、若い男が、いるじゃあないか。

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