第32話 呪い
一緒にこの町に来た――【
『依頼人と連絡を取ってくるから、都合がつくまでは自由行動』……と、同じく彼に言われているために、別行動だった。
時間的に、そろそろ連絡がきそうな時間なので、
ここでプラムが去ったのは、まあ、ちょうど良いのかもしれなかった。
今は、さっきまでいた雑貨屋さんを出て、商店エリアを歩き――、ここが国のどのあたりなのかは、地図でも見なければ分からなかった。壁は離れている――ということは、端の方にある商店エリアの中でも中心地点に寄っている場所なのだろう。あくまでも大体だが、位置は掴めた。
これでも充分だった。
このまま進んで行けば――、王国内の中心地点に向かうことができるだろう。
それだけ分かれば、もう他のことなど知らなくてもいいくらいに、充分である。
そして、会話をする相手がいなくなり、最初と同じように黙って、一人で歩く。
寂しくはなかった。いや、言ってしまえば、寂しいけど……、同じなのだ。
さっきまでプラムと一緒にいたからこそ、比較してしまうからこそ、そう感じてしまうだけで、今の状況――、そして精神状態は、いつもと変わらない。
同じ――、同一なのだから。
「…………」
すると、
「おーい、お前、こんなところにいたのか」
目の前には、見知った顔の男がいた――司令塔だった。
彼は小走りに近づいてきて、
ヴァルキュリアの肩を、ぽん、と叩く――というよりは、置いた。
「なによ、無線機があるんだから、それを使えばいいじゃないの――なに?
そんなに私の顔を見たかったわけ? 反抗期、真っ最中の娘の父親みたいな行動力ね」
「それを言うな――年齢的にリアルにありそうだからな。まあ、ともかくとしてだ。
仕事の都合がついた――どうせ暇してたんだろ? さっさと終わらせようぜ」
「ねえ――
「あん? なんだよ、珍しいな。
俺のことをコードネームで呼ぶなんて。そういう時は決まってお願いごとだよな――。
なんだ、言ってみろ。買いたいものでもあったのか?
言ってくれれば、それくらいは出せると思うが――」
違うよ――とヴァルキュリア。
それから、彼女は下から見上げるようにして、
「明日も、この国にいたい」
と、言う。
「……できねえ相談だな。すぐにでもこの国から去らねえと、証拠が残って、捕まりやすくなっちまう。だから今すぐ仕事を終わらせて、夕方までには、国を出なくちゃいけねえんだが――、
それくらい、お前だって分かってんだろ?」
分かる――けど。
頭では理解していても、しかしプラムにもう一度だけ会いたいという本能が、理性を押し込め、邪魔をする。
「う……っ」
「おいおい、泣くんじゃねえよ。悪いな、こればっかりは、俺にもどうしようもねえからな。
組織として、上からの命令だからな――悪い」
「――いい、わがままだっていうのは、分かってるから」
流れてしまった涙の二粒ほどを、手の甲で拭って――、ヴァルキュリアは聞いた。
「『他人行儀』は、悪だと言われているけど、
助けを求めている人を助けているんだから、善と、言える――と思う?」
「……それは、お前がそう思ったのか?」
「いや――そうじゃないけど」
「ふん。そんなもんは、お前がどう思うかの、勝手じゃねえか。
人の意見に流されているだけだ、お前は。大多数の奴が、そいつは死ぬべきだと言ったら、お前も思うのか? ――違うだろ。
お前がそいつのことを、死ぬべき人間じゃないと思ったなら、それがお前の気持ちだ。お前が、どう思うか――、結局のところそれが、お前が『他人行儀』に抱く気持ちなんだよ」
「…………」
その通り――だった。
流されて、悪と言われているから、悪だと決めつけていた。
でも、悪に見えても確かにその中には、善もある。言うならば、ごちゃまぜなのだ。
悪と善、そうはっきりと分かれてはいない。ヴァルキュリアは人質を使われ、脅されている――それは避けることができない真実だ。
それだけを切り取って見れば、悪でしかないが――、しかし、救われない人々を救ってきた。罰を受けるべき人間を裁いてきた――それはやられる方からすれば、自分達のことは悪に見えるだろう。だが、頼んだ方から見れば、自分達は善に見えている。
司令塔は――どうか。
彼からは、脅されているだけであって、その他に、直接、なにかをされたわけではない――ならば、この男は、信頼してもいいのではないか。
悪の中にある善として、見てもいいのではないか。
考えたけど、どうしたいのかなんて、決まっていた。それが自分の気持ちだった。
だから、
「あんたは――司令塔は、私の仲間、だよね?」
「…………そうだ」
「そっ……か」
そして、ヴァルキュリアは、
薄く笑いながら、見られないように、と顔を俯かせた。
目を離した。
警戒を解いた。
それが――、敗北のきっかけだった。
「ぐ、むぐッ――!?」
ヴァルキュリアの口が、大きな手によって塞がれた――、その手は冷たかった。
腕を辿っていけば、信じたくはなかったけど、司令塔の顔があった。
口元を歪めて、不気味な笑み――、勝ち誇った、その顔。
ついさっきまで、頭の片隅には、こうなる可能性もあると考えていた。
しかし、善だと認め、仲間だと認識し、警戒を解いた瞬間に、そんな考えなど、予防線など、綺麗さっぱりに消えていた。
仲間なら警戒する必要はない――だからこれは、必然とも言える対応だ。
だがそれが――敗北の一手を呼び寄せた。
後悔が前に立つ。
この読み合い――自分の負けだ、と。
「この時をどれだけ待ったことか――お前に分かるか、ヴァルキュリア。
お前は警戒をし、俺になにもさせてはくれなかった。お前の他者を寄せ付けない
もしかして、さっき言っていたが、『明日もここに残りたい』っていうのは、誰かに会いたいってわけか? だとするならば、お前、そいつになにか吹き込まれたな?
ふん――そりゃあ、可哀そうなことだな。
俺達と、本当に仲間になれるとでも? そりゃあ無理な話だな。
結局、お前は仲間じゃねえ――ただの物でしかないんだからよ」
口を塞ぐ手は冷たく――それは手でありながらも、手ではなかった。
正確には手に装着する、ぴったりと張り付いたグローブのようなもの。長袖なので細かくは分からないが、そのグローブは、肩まで続いていることだろう。
茶色い手は――手の平には、穴が空いている。
まるで、そこからなにか出てくるような、そんな気配が感じ取れた。
その穴は、当たり前のようにヴァルキュリアの口元に向いている。
なにか出てくる――はずだが、一向に結果は現れない。
驚き、腰が抜けそうなヴァルキュリアは、しかし口を塞がれて、多少なりとも持ち上げられているために、尻餅はつけなかった。
立ちながら、ぶら下がっているような、思ったよりもきつい体勢を強いられている。
体力がどんどんと削られていっている――それだけではないだろうけど、なんだか、意識が遠のいてくる。間違いない――、自分が気づいていない間に、なにかをされている。
「……んぐ」
ヴァルキュリアは、すー、すー、という微かな音を聞いた。
まるで、風が吹き込んでいるような……なにか、ひっそりと、出ていっているような……。
音の源を目で探せば――、最有力候補に挙がったのは、司令塔の、手だった。
もっと正確に言って、手の平の、穴だった。
「お前は知ってるか? ――【ノンストップ・バブルの呪い】ってやつを――」
ヴァルキュリアは、ふるふる、とできる限りの範囲で、首を左右に振る。
聞いたこともない名前だった。だが、『呪い』と言っている時点で、決して、いいものではないことは確実だった。
両手を使って、口を塞ぐ手をどかそうとするが、力が抜けて、さっきまでと同じく、まったく動かせなかった。穴から出ているなにか――、恐らくは風、もしくは空気は……まずい。
吸ってはいけないものだと分かってはいても――遅かった。もう、充分以上に吸ってしまっている。吸い込んだ量で効果が出るかどうかが決まるのならば、間違いなく、効果は出るだろう。
ただ、それがいつなのかは、分からないが。
――だめだ、意識が……。
ヴァルキュリアはかろうじて立っていた、体を支えていた膝を折る。
これで、彼女の体は完全に、彼の支配下だ。
持ち上げる気のない司令塔は、ヴァルキュリアの体を躊躇なく、膝を地面につかせる。
「『他人行儀』は呪いの量産に成功した――、昔から存在する負の塊を、エネルギーを、利用することができるんだ。世界征服なんてバカ丸出しな真似はしねえが――、まあ、強さを求めるのは、当たり前だろう。この世界、力が全てだ。強ければ、上に立てる」
司令塔は、既に気を失い、力のないただの人形と化したヴァルキュリアを、離す。
「精神に一癖ある奴は、能力が発現することがあるんだが――お前は、どうなんだろうな。
まあ――見せてもらうよ、ヴァルキュリア。
『人でなし』のお前の、その後を見届けてやろう」
いつか会えるといいよな――と言って、司令塔は見つめる。
からん、と音を立てて転がった、ヴァルキュリアの姿を見て。
―― ――
「これどうしますかね」
「そうだな――取引き用の箱に入れておけ」
「はい」
部下に指示を出す司令塔は、部下の近くにある二つの箱に注目し、
「気をつけろよ」
「――はい?」
「それ、片方はたぶん――【剣闘大会】行きの箱だよな?」
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