第20話 壁の中へ その1
ヒノワ村から出て森を通り、抜けると、そこには大きな壁がある。
壁の中は【マリアーク王国】という大都市――、
大まかに言って、貴族しか存在することができない、制限された王国がある。
プラムとクードの目的はこの中にあるのだが、しかし言うまでもなく、二人は剣士でもなければ貴族でもない。入ってしまえば、ばれる確率は少なく、欺くのは簡単だとよく言われるが、その前の【入る】までが絶望的に難しいという問題があった。
門番が二人――、二人の視界、足して三百六十度の、隙がない、糸すらも通れないこの道を見つからずに進むことなど、不可能だった。
だとすれば奇襲でもして、そもそもの視界を潰してしまおうという策もあるのだが、しかしそれも難しい。
実力としては、自身で拮抗している、と思えるものなら思いたいが、だが仮にも国の大事な玄関を任される者達である――、自分達が勝てるとは、とてもじゃないが思えなかった。
つまりは、八方塞がりの手詰まりで――行き止まり。
残りは壁を自力で登っていく、という策しか、二人の頭の中には存在していなかった。
武器なんて、まともなものは持っていなかった――、剣士でなければ剣の所持は認められていない。剣士でなくとも、職業によっては認められているものもあるのだが、どちらにせよ免許など持っていないクードもプラムも、剣を所持することはできなかった。
武器はない――手に持つのは必要最低限の、生きるためのものでしかなかった。
さて、どうするか。
先にそう言ったのは、クードだった。
「計画性のなさに、呆れるばかりなんだけど……」
「全部をおれ任せってのも酷い話だと思うけどなあ!」
「……男の子なら、ここは引っ張るのが正解なんじゃないのかなあ」
うぐ!? とクードは痛いところを突かれて、がっくりと肩を落とした。
こういう時、プラムの正論は酷く正確に心を抉ってくるので、ダメージが思っているよりも大きいのだった。それを見て、いつもなら言い過ぎた、と罪悪感に惑わされるプラムだが、今回はクードを見ていなかったので、反省はしなかったようだ。
草の茂みから、門を見る――、
こうしていると、この一ヶ月、ずっと続いていた鬼ごっこを思い出す。
初めて全員を捕まえた鬼ごっこ――、その後からは、みんなを捕まえることが、難しくなっていった。プラムだけではなく、みんな、個人個人で成長をしていたからだ。
それでもやはり最後まで残っているのは、プラムとクードで、いつもいつも、二人だけの戦いになってしまう。知り尽くした相手との、全力での、追い詰められた状況でのやり取りは、段々と相手の考えを読むための修行になっていた。
思いがけなく生まれた修行方法――、遂に最後まで、二人は気づくことはなかったが。
この一ヶ月間は、できることをできるまでやってきたと思う。
それの成果が、明日の剣闘大会で出せると思ったのだが、
まさか、王国内に入ることさえできないとは思わなかった。
いや、知ってはいたのだ――、貴族の国であり、高い身分でなければ入れない国だというのはプラム自身、知っていたのだが。
しかしクードが自身満々にも中に入るための問題点を挙げなかったために、それについてはもう案があるのかと思っていたが……、まさか、まさかのノープランだったとは。
クードに確認を取らなかったプラムも悪いとは思うけど、それよりも母親と父親に、大丈夫の一点張りで無理やり許可を取り、安心させてきたのを後悔しそうになる。
せっかく、体が丈夫になってきて、クードとなにも変わらない体力をつけることもできて、二人に心配をかけることがないと思っていたのに……、ここでこれとは!
重い溜息が出る。
幸福が逃げてしまいそうだが――、逃げるほどの幸福があるのかどうか、怪しいものだった。
どうにか、どんな手でもいいから、と必死に案を絞り出そうとするプラムの後ろから――クードの声が聞こえてきた。彼はとんとん、と声と同時に肩もつついていた。
振り向いたプラムの頬に、むに、と、クードの指が突き刺さる。
「…………」
「――え? ……あ、まさか、ほんとに引っ掛かるとは思っていなくて――、そ、そうだ!
警戒心が足りないことをお前に教えたかっただけで――」
「クーくん……? こっちは必死に、どう中に入るか考えているのに、なのにクーくんはなんっっっっにも考えずに遊んでいるの……? ねえ、どういうことなの……?」
どのアングルから見ても暗く、目が赤く光っていそうなプラムの様子に、苦笑いで返すクードは――しかし、ただ遊んでサボっているわけではなかった。
門の方向から、横に、クードは指を向けて、
「あそこに自動車が見えるだろ? ほら、荷台があるやつ」
指の向きを追うプラムは、雰囲気を元に戻し、
「うん――って、もしかして、あれの荷台に乗って、そのまま中に入ろうってことじゃ……」
「――まさかの、その通りってわけさ」
そんなの――、と一瞬、否定しそうになったが、
しかし瞬間で思ったよりも、特に否定する理由はないように思える。
というか、どちらかと言えば、良い案なのではないか――探せば否定材料もいくつか見つけることができるが、否定してまで、他の案を意識するほど、他の案があるわけでもなし。
ならば、特に問題という問題もない【荷台に乗っていく案】を、採用するべきだろう。
「いくぞ――プラム!」
「待ってよ――クーくん、速いってばっ!」
がさごそと、大きな音を立てることなく二人は、忍者もびっくりの静かさで、自動車の真後ろ――荷台の入口に辿り着いた。
注意力は人並み以上にあるようで、最初の関門だった鏡の存在も、二人は言葉を交わすことなく気づいていて、器用に躱していた。
こういうところは、鬼ごっこで育てられた知識と、経験だった。
入口は布が被さっていて、防衛としての機能は薄過ぎるように思えたが、今の自分達には好都合だったので、指摘することはなかった。心の内で突っ込むだけだ。
そして、二人は荷台の中に乗り込んだ。
中は暑く、汗がなにもしなくとも出てくるような狭い空間だったが、
微かな、この暑さの中でも衰えることなく漂ってくる果物の甘い匂いで、なんとか不快感を和らげることができた。
四角い箱の中に果実が綺麗に並べてあるものもあれば、ぎゅうぎゅうに詰め込まれているのもある。それを見て、確認して、ぐう、と腹の虫が鳴いたのは、クードの方だった。
「……分かってるよね?」
「いや、さすがに、勝手に人の物を取ったりはしねえよ。
ここにある果実は中の貴族に運ばれていくものだろうし――、もしもおれ達が食って、それがばれれば、洒落にならない刑が待ってるはずだしな」
「ならいいけど……、クーくんはすぐに人の物を盗るから、安心できないんだよね……」
「おい待て。今の、字が『取る』じゃなくて『盗る』になっていた気がするんだけど――」
「さて、どうなんだろうねー」
クードの言葉は見事に的中していたが、
プラムは答えをはっきりとは言わずに、はぐらかしておいた。
荷台の中、
空いたスペースが少しだけしかないほどに、果実が入った箱は分散されて置かれていた。
床はちらり、としか見えていないのだ。
置き方は最初からこうなっていたのかもしれないが、だとしたら相当、変な置き方だった。
なにか他に、目的があるような気がするが、その目的の予測など、できようもない。
運転手には悪いと思いながらも、少し置き方を変えるだけで、僅かしかない空いたスペースも、大きく広げることができる。
プラムは箱を両手で押して、壁際に移動させる。
そしてできたスペースに、座ろうとしたところで、
「――え?」
と声を出す。
「どうかしたのか?」
「いや――クーくん、なにか言った……わけじゃないよね?」
「なにも――言ってないはずだけど。
でも箱を移動させる時に少し声を漏らしたかもしれないけど、それかもしれないな」
いや、それではないことは確実だった。
声は声であり、クードの声と謎の声も、音というところでは共通しているところではあったが、でも、謎の声は、言葉になっていた。
クードの漏れた、吐息レベルの、言葉になっていない声と間違えるはずはない。
謎の声は言っていた――助けて、と。
「ひ――」
運転手に気づかれないように、今まで声を極限にまで抑えていたのだが――、クードとの会話も小声で済ませていたのだが――、だけど頭に流れ込んでくる声の濁流が、プラムの必死の制御を狂わせる。
抑えていた声が――爆発しそうになる。
緊張の糸は、今は一本――、ぴん、と張られているが、不安定過ぎるその直線は、やがて歪んでいき、一本の糸でありながらも、中心部分からやがて、数本の――何本もの糸が出てくる。
裂け目――切れ目が出現し、
そうなればあとは、崖から落ちる砂、泥のように、踏ん張る余裕もなく、崩壊が起こる。
――助けて……――ここから出して……――おうちは、おうちは、どこぉ……――やめ、娘、だけは……――夫だけは……――なんでこんなことに……――なんでおれはここにいる……――もう、終わりだ……――俺たちは殺されてそれで終わりなんだ!……――逃げられない……――助けは来ないのに……――希望は……――なにが、なんでおれたちが……――なにもできない、どうしようも……――うあ、うわぁああああああん……――誰か、誰でもいいから、助けて、よぉ……――助け……――助けて……――助……――た……――助けて……――助けて……――助けて……――助け……――助け、誰、か……――
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