第14話 プラムの秘密

 そして、プラムの姿は未だ、見つけることができていなかった――。


 どこから来るのか分からない状況は、結局、森の中にいたところで、こうして村に出て来たところで、変わらなかった。

 だが完全に状況が一緒というわけではない。

 プラムの姿を見つけることはできていない、予測すらできていないが、しかし――、

 森の中とは違って、クードは、活き活きと動くことができている。


 これは大きな違い――この違いは、やりやすさに大きな差を生む。


 たんっ、と跳躍して、さっきと同じように家の屋根に着地したクードは、村を上から眺め、プラムの姿を見つけようとする――。

 屋根の上に乗ったのは、自然なことだった。

 プラムが苦手としている高所であるから、なんて考えは、クードにはなかった。

 ただ、染みついていると言うべきか――、プラムはきっと、高所にはいないという、クードの中では確定している安心が、自然とその行動をさせたのだ。


 これで何度目だろうか――油断をしたのは何度目だろうか。


 しかし今回は素での失敗だ――油断ではなく。

 そういうものだと認識しているからこそ引き起こしてしまった、失敗だった。


 プラムの成長は――クードの中の、確定事項を覆す。


 クードの真後ろにあった、大きな――しかし大人一人は入らなそうな、だけど子供一人くらいならば入れそうなタルが、音を立てて、


 振り向き、そこで肌色の細長い物体が、顔の真横に迫ってきていることに気づいたクードは、反射的に身を屈めた。そしてそのまま、体を側面から滑らせて、屋根から転がり落ちる。


 着地は、成功とは言えなかったが――、

 痛みはなく、それよりもクードは、真上を見て、確認した。

 当然、プラムの姿があった。

 彼女は躊躇いなく、屋根から降りてくる。


 クードのように飛び降りるということはせず、壁を使って、安全に降りているが、もう――彼女の苦手は、苦手として機能していなかった。


 クードの中で、プラムの情報を書き換える必要がある。

 高所恐怖症なんて弱点は、もう既に、プラムの中には存在していなかった。


「プラム――ッ!」


「ここまできた――あと一人……あとは、クーくんだけだよ!」


 お互いに相手を見る――視線が一直線にぶつかり合う。

 火花散る、という表現が合っているのか、以前、疑問に思っていたクードは、この時、その表現は的確な表現だということに納得した。


 火花散る――、プラムの目が強くて、思わず引いてしまう。


 気持ちで負けている――自覚したクードは、プラムを睨みつける。


 だが――、


「…………!」


 あまりにも堂々と向き合い、まるで剣士と剣士の決闘のような形で落ち着いてしまい、こうして向き合って、睨み合ってしまっているが――、これは鬼ごっこなのだ。

 プラムは向き合った時点で、そこで止まらずに追いかけるべきだし、クードは逃げるべきだ。

 堂々とし過ぎて、当たり前のルールを、お互いに忘れてしまっていた。


 そして、最初にその事実に気づいたのは、クードだった。

 クードは一歩、前に踏み出すと見せかけて、フェイントを一つ入れて、真後ろにステップ。

 さり気なく、静かに、流れるようにして、体を後ろに半回転――、

 背中をプラムに見せて、そのまま駆け出した。


「あ!」


 と叫んだのはプラムだった。

 彼女の動き出しは遅く――その差は、軽く見えて、実際には重い差だった。

 クードは自覚しているが――プラムと実力は拮抗している。

 いま作られた一歩の差は大きく、逃げている側からすれば、追いつかれない距離だった。


 追いつかれない距離。

 安全地帯。


 そう思っていた。


 しかし――、


「はぁ、はぁっ……! 

 ……――くそ! 

 プラム――なんで……どんどんと、距離を縮めてくるんだ!?」


 クードは後ろを見る余裕もなかった。

 だが後ろから迫るプラムのことは、音で、気配で、感覚で、分かった。

 どんどんと距離を縮めてきている――、さっき作った一瞬の、一歩の差を作ったのに、それはすぐに潰され、それ以上の距離を、プラムは潰してきている。


 手を伸ばされれば、触れられてしまいそうな距離――捕まってしまう距離。


 足は限界に近かった。

 全速力以上――自己ベストを更新している走りを、今は常に使用している状況だ。

 そう長く続く走りではない。

 自己ベストの走りを常に続けていられるほどに、体は出来上がっていなかった。


 修行をサボったわけではない――そんなことは一度もしなかった。

 晴れの日も曇の日も雪の日も雨の日も、一度も欠かさずに、修行をやってきたはずだった。


 なのに、

 なんで。


 クードが作り上げてきたものが、一瞬で崩れる――そんな音がした。


 体の中で響くその音が少し、体を固くする。

 限界に近かった足は、その固くなった瞬間に、最高出力を出すことを、強制的に中止させた。

 自己ベストではなく、いつもの走りになった。


 それでも充分に速いのだが、しかしプラムには通じない。

 彼女はクードのいつもの走りなど、余裕で追いつけるはずである。


 なぜ――、

 なぜなのか。 


 クードはプラムよりも修行をしているはずだ。プラムの体が弱かった頃から、彼女が家でごろごろとしている時から、体を鍛えている――、剣士としての修行だってしている。

 積み重ねてきたものが圧倒的に違うというのに、どうして、一週間前からいきなり修行を始めたプラムに、こうも追い抜かれるのか。


「どうして……どうしてなんだ――」


 クードは気づけば、呟いていた。

 呟く余裕ができるほどに、速度が落ちていた。

 これでは、追いつかれるのは時間の問題だった。


 プラムの足音がよく聞こえる――、すぐ後ろにいるはずだ。

 村の中を逃げているから、障害物は家しかなく、家の近くにある柵くらいしかなく、プラムの邪魔をするために使うにしては、弱いアイテムだった。


 だからここは一直線に、村の端から端までを走るように、逃げる。

 範囲のギリギリまで粘り、そこから急回転して、横に逃げればいい――、そう考えたクードは、しかし頭の中に残っている疑問が、動きを最高出力にしてくれない。


 これでは捕まる――全力を出せずに、悔いが残る。


 ――どうして、プラムはこんなにも、成長速度が早いのか。


 才能や天才の類と言ってしまえば、話はそれで終わってしまうのだが、クードが求めているのは、そういう大きな枠の答えではない。

 天才でも、才能を持っている者でも、やらなければ体は機能しない。プラムは、なにがきっかけだったのか――なぜこうも早く、クードよりも速く、長時間も走ることができているのか。


「――っ、クーくん!」


 プラムの手は、クードの背中付近まで近づいていた。

 あと少しで服に触れそうなところだ――、だが捕まえたと判定するには、肉体に触れなければいけないので、服だけに触れても、それは捕まえたとは判定されない。

 服を巻き込み、肉体に触れる――、

 そのためにはもう少し、少し速く、速度を上げる必要がある。

 徐々に速くなってくるプラムに、しかし、クードは気づいていなかった。


 だが――気づいた。


 プラムにではない――プラムの、その成長速度の疑問に、気づいた。


 だから、クードの速度がここにきて、急に上がった。


 疑問がなくなり、精神の重荷が下りて、体が軽くなった――。

 肉体は速度の最高出力を出し、プラムでも、追いつくには難しい速度を、クードが出した。


「……負けられない……絶対に」


 クードの呟きは、プラムに聞こえていたのか――、

 分からないが、だが、プラムの速度も上がる。

 離れていた距離は、やがて元に戻り、プラムの優勢のまま、進んでいく。


 ――クードは、笑っていた。


 それは、もう勝てるわけがないという、やけくその笑いではなかった。

 逆――諦めではなく、前に進むための笑い。

 おもしろい、という笑い。


 クードにできた、新しい目標――。

 それを目指すことに、それに辿り着くために、これからのことが楽しみで。


 だから――笑った。


 この、逃亡戦の中でも。


 背中を見せているから、プラムには見えないだろう。


 見せるべきではない、と思った――、

 真剣勝負、その最中に、他のことを考えているなど、しかも、これから先のことを考えているなど、真剣勝負に集中していないなんて、対戦相手に失礼だ。

 プラムはそんなことは言わないだろう――思わない、とは、絶対、とは言い切れないが、恐らくは思っていないだろう。


 優しいのだから――プラムは。


 だからと言って、それに甘えていいわけではない。

 笑みを消して、クードは顔を引き締める。


 目指すべきは――プラム。


 今、そう決めた。

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