第10話 鬼がいる間に その1

 クードはいつも通りに、木の棒を振っていた。

 森の中、日の光を浴びながら、何時間も――何百回も。


 普段の練習通りに、疲労もいつも通りなら、

 そろそろ腕が疲れてくる時間だった。そして――、


「――っ、きた!」


 ぴしっ、と腕のどこからか、痛みが走る――、そして腕の全体が重くなり、精神的に、これ以上は体を動かしたくないという拒絶の欲求に駆られる。

 しかし、クードはこれを待っていた。


 こういう極限状態での選択だ。ここで諦めるくらいの精神力を、殺しておきたかった。

 自分の欲求を押し殺し、諦めを潰す。

 そして限界を越えてもまだ動かし続ける命令を、通し続ける。


 これを毎日やれば、限界を越える力を出し続けても、それが体に【普通】だと認識させることができる――。その領域に辿り着ければ、それは剣士になるための、大きな一歩になることができるだろう。


 苦痛が体を縛るが、その苦痛という鎖を無理やり千切り、クードは体を動かし続ける。


「が、あ、ああああああああああああああああああああああああああああッッ!」


 目を瞑り、一心不乱に振り続ける。


 オーバーワークなんて知ったことではない。

 これくらいのことをしなければ、一か月後の【剣闘大会】には間に合わない。

 出るのなら、悔いなく、勝ちにいく。そのためには力が必要だ。


 まだ――まだ足りない。

 まだまだ力は、こんなものでは通用しない。


 そう言い聞かせて――クードはさらに力強く、木の棒を振って、


 その時、がさがさと、音がした。


「――クーくん! こっちにユーちゃん、来なかった!?」


 茂みから、ひょこっと顔を出して、プラムがそう聞いてきた。


「は? ユーちゃん? それ誰だっつう……まあ、ここには来てないけど」

「そっか……もう、どこに行ったのよ! 村から出たらダメって言ったのに!」


 そのまま顔を引っ込めて、離れて行ってしまうプラムに向けて、


「――プラム」


 クードがそう声をかけて、引き止めた。

 プラムの方は、

「なにー? どうかした?」と、また茂みから顔をひょこっと出す。


「……お前がおれと戦ってから、そろそろ一週間くらい経つけどさ、なにしてるわけ?」


 クードは修行に時間を割いているために、あまり村の中にはいないし、村のみんなと遊ぶこともないので、詳しくは知らないのだが――、


 どうやら最近は、プラムが積極的に村に出てきて、村の子供達と遊んでいるらしい。それを聞いて不安に思ったクードであったが、しかしプラムは今、別に病人ではない。


 口を開けてまで驚くことではないし、わざわざ本人に「家で安静にしてろ」と言うほどのことではない。逆に、いつまでも家に引きこもっているのは、プラム自身、良いこと、になるとは思えなかった。


 最近はあれだけ言っていた【例のこと】も、プラムからは聞いていない。

 これは良い変化だ、と思う反面、悪い変化のようにも感じてしまう。


 普通に考えれば、良いことだろう。


 だが――この良いことが、なにか、認められないような、大きな事柄の伏線のような気がして、心がざわつく。だから、クードはここあたりではっきりさせようと思ったのだ。


「なにって――鬼ごっこだよ。みんなと一緒に鬼ごっこしてるの。それでね、今はわたしが鬼なんだあ。わたしが鬼で、わたし一人で全員を捕まえないといけないから、大変なんだよね」


「なんだよ、お前が一人で鬼? しかも全員を捕まえるって――なんだそれ。

 入れ替わり制じゃないのかよ。

 お前が全員を捕まえないと終わらないんだろ? それって、不可能に近いことだぜ? 

 お前の体じゃ絶対に無理――、お前、まさか、いじめられてるのか?」


「うーん? ――って、違うよ違う。これはわたしから言ったこと。

 なんだか――今日こそは行けそうなんだよね。

 昨日はあと二人だけだったから――、今日こそ、全員を捕まえてやるんだあ」


「……なんだかお前、たくましくなったか?」


「そう、かな? 最近は少しずつ、運動もしてるからねー」


「……鬼ごっこもまともにできなかった奴がよ……。

 あ、それとさ、この前、ちらっと見ただけで、あれはたまたまかと思ったんだけどさ。

 プラム――お前、早朝、村の周りを走ってるよな?」


「…………うん、そうだよ」


「――なんで、だよ」


 なぜいきなり、自分の体力のことを意識し始めたのか。

 確かに、成長すればハンデになるだろうし、どうにかしたいと思うのは当然かもしれないが、時期が気になる――タイミング的にも、クードが【認めたくない】事柄に繋がっている気がして、落ち着いていられなかった。


 プラムは弱い――それはクードが、信じていたいことだ。


 プラムは弱いから、だから自分が守るんだと、

 それがクードの中で、モチベーションに繋がるのだ。


 しかし、そんな守られるべき対象であるプラムは、

 どんどんと、他人の守りが必要なくなるくらいに、成長してきている。


 どうして――こうも変化してきた。


 きっかけは――そして、変化をし始めたのは、あれからだった。


 あの時――クードとプラムが戦った、あの一週間ほど前の、出来事から。


 剣士になりたい――と、プラムは言った。

 そして、クードは「無理」だと言ったはずだ。だが、頑固なプラムが、クードのその否定をまともに受け取るはずもない。

 抗うはずだ。そしてどうにかして認めさせようと、努力をするはずだ。


 プラムを知っているからこそ――分かる。


 良いところも、悪いところも――良い展開も、悪い展開も。


 自分では、どうすることもできない、ということも。


「クーくん。わたしはね、剣士になりたい――だから」


 やめろ――と叫びたかった。

 しかし、プラムの目を見たら、やはり分かってしまった。


 ここでなにを言ったところで、プラムは絶対に諦めない。

 最悪、クードと縁を切ってでも、プラムは剣士を目指すだろう。

 それくらいの覚悟を、その目から感じ取った。


 プラムの成長は早い――、剣士になりたいと言ったのは、一週間ほど前のことだ。

 なら、体力をつけることを始めたのも、一週間ほど前、ということになる。


 あれから――今になるまで。

 この短期間でプラムは、鬼ごっこで、

 わんぱくな村の少年に走りで追いつけるほどに、体力をつけていた。


 昨日はあと二人だった、と言っていた――、それは恐らく、この村の中、子供達の中でも、リーダーと呼ばれている少年と、副リーダーと呼ばれている少年のことだろう。

 もしもプラムが、その二人を捕まえることができるのだとしたら……、体力は充分についていると言える。


 プラムの修行を見ていたわけではないけど、必死に、誰よりも努力していたのだろう、ということが分かる。修行というのは、ただ数をこなせばいいというものではない。

 どれだけ、集中していたか。


 テキトーに長時間やっていたところで、身にはつかない。短い時間でも集中していれば、たとえ短くても、テキトーに長時間やっていた修行よりも、効果は出る。


 プラムは、それだ。

 たった一週間だけど、集中してこなしていた――、

 だからこそ、ここまでの成長が見えたのだ。


 そろそろ――認めてもいいのではないか。


 弱いだけだったプラムを守ることが、クードの中で、頑張る理由になっていた。だけど、弱いプラムに、こだわる必要はあるのだろうか。

 別に、弱くないプラムを守ることだって、変わらないのではないか。


 なんでもない、ただのプラムを――守りたかったのだから。


「プラム――おれもその鬼ごっこ、入れてくれ」

「え、今から? いいけど……ならみんなに伝えないと――」


「村の中なんだよな、範囲は。だったら出会った奴に言っておくよ。

 どうせ音速で伝達するんだから、あいつらにも届くだろうしな」


「……うん、分かった――でも、いいの? 修行中じゃなかったの?」


「いいんだよ――これも修行の内だ。まあ、お前のだけどな」


 そしてクードは、人差し指をびしっとプラムに突きつけて、


「お前におれは捕まえられねえよ。あとな、鬼ごっこで全員を捕まえられるくらいじゃねえと、剣士になんて、絶対になれねえよ――プラム」


「……なるほどね。クーくんはわたしの邪魔をしたいってわけなんだね……」


「言っておくが、善意だ。お前を剣士にはさせねえ。

 大きな怪我をする前に、ここで小さな傷を作っておいて、ぼろぼろにしておくぞ」


 クードがプラムに背を向ける。

 プラムは目を瞑って、数字を数えていた。


 どうやらクードの行先が分からないようにするためらしい。それくらいはハンデとしてプラムに与えてもいい情報だとは思っていたが、どうやらプラムは徹底してやりたいらしい。


 そっちがその気ならば――こっちも手は抜かない。


 クードは全速力で駆けて、村へ向かう。


 

 そして鬼ごっこ――、残りはクードを入れて、五人。


 剣士プラムまでの、最初の関門が立ちはだかる。

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