文芸部の犬神さま

渡貫とゐち

犬にも追われて


 電柱の裏からそっと顔を出して周囲を窺う。

 てくてくと犬が歩いている……今時、リードも付けずに犬が野良で歩いている光景なんて珍しい。珍しい以上にあり得ないことだった。

 猫とは違って野良がほとんどいない犬だ……一匹いるだけで大騒ぎ、くらいには驚いているが……めちゃくちゃいるのだ。


 犬が多過ぎる。

 さっきよりも増えてきてないか?


「? わふ?」


「やべ、やっぱ鼻が利くからバレるよな……このままだと増え続ける犬から逃げるのは無理、か……。けど、それは地上ならの話だ!」


 犬に、猫みたいに塀の上を歩く器用さはないはず……たぶんな!


「わんっ、がるる、わんっ!」


「うぉ、あっという間に下に集まって――あ、でも上がってはこないのか。爪を引っ掛けるって頭がねえらしい……まさか跳躍でいこうとしてる? っ、ムリムリ(笑)! お前らには無理だぜ犬ころ!!」


 上がってこれないなら俺の独壇場だ。


 このまま塀の上を渡って距離を稼げば――――



「よっ、あたしのこと忘れてる? 犬たちはあくまでもあたしの手伝いであって、君を追いかけているのはあたしなんだよ?」



向井(むかい)、先輩……」



 塀の上に立っていたのは二メートルを越える身長の、金髪美人――ジャージ姿の向井先輩だった。

 塀の上でさらに二メートルを越えているからより高く見える。つーか、よくその身長でバランスよく立っていられるよな……ちょっとした風で倒れそう。


 けど、先輩はバレー部だから……体幹が強いのかもしれなかった。


「多勢に無勢? やり過ぎたなーって反省してたけどさ、そうでもなかったかね? あの数のわんちゃんたちから逃げられるなんてすごいじゃん……ハイエナに群がられたみたいにすぐ捕まると思ってたんだけどね」


「ハイエナみたいに……? 残るは骨だけじゃないか」

「それはハイエナを悪く見過ぎだよ。ハイエナだって可愛いんだよ?」

「そんなことを言い出したらみんな可愛いです」


 言うと、先輩は目を見張って……え、なに?


「ふーん……そういう……なるほどねえ。(あわい)が誘うのも分かる気がする……君の中に特別ななにかが埋まっているかもしれない、ってのは本当なのかもね」


「なんもないですよ。なにがあるんですか、こっちはしがない帰宅部です」

「帰宅部なら入ってあげればいいじゃない――文芸部に。本が嫌いなの?」


 先輩が首を傾げる。

 バレー部だからか、肩で揃えた――にしては不揃いな金髪が揺れた。

 自分で切ったのかな? それでも美人に見えるのだから顔が良いのだ。


「本は好きです、淡先輩が嫌いなんすよ」

「……それ、本人に言っちゃダメだからね? 本当に泣いちゃうからさ」


 あの先輩がそんなに弱いかなあ……。という表情を読み取られたようで、向井先輩が「ね?」と強めに押してくる。あ、はい、本人には言いませんよ。

 俺だって傷つけたいわけではないのだ。


 すると、塀の下で、向井先輩に飛びつきたい犬たちがぴょんぴょん跳んでいる。

 先輩は長い手を伸ばして「もうちょい待っててなー」と。いや、俺のことは放っておいて犬たちに構ってあげたらどうなんだろう……。


「そもそも、なんで俺なんかを誘って……」

「詳しいことはあたしも分っかんないんだよねー。だって君、特別に秀でたところがあるわけでもないし、体質だって普通でしょ?」


 先輩みたいに犬に好かれるような体質もない。

 俺にはなにもないのだ。


「典型的な高校デビューの男の子。金髪にしてたけどすぐに黒に戻したのは先生に怒られたからかな? 素直だねー、良いことだと思うよ。でも、隠れて耳にはピアスを付けてるし、憧れや、反抗心はあるみたい。反骨精神はなさそうだけど」


「よく見てますね……」

「ピアスくらい目に入るってー」

「いや、そこだけじゃないっすけどね」


「それに、わんちゃんたちから君の評価は聞いてるしね」

「聞いて――え、犬と喋れるんすか!?」


「なんとなくだけどね、想像すればわんちゃんの言いたいことが分かるの」

「それ、もう大半が作り話なのでは……?」


 ふと視線を回すと、塀の上から見える道の先から、ぞろぞろと犬が集まってくるのが見えた。

 道中で猫もびっくりしている。犬の群れに参加して、波に乗るように猫も群れの中に混ざっていき――やがて犬の群れが先輩の足下へ集まる。


 犬笛を吹いたわけでもないのに。


 先輩、懐かれ過ぎでしょ。


「先輩、匂いでもつけてます?」

「ううん、なんにも。でも匂うのかな? わんちゃんにしか分からない特徴的な匂いでもあるのかもしれないね」


「……かもしれないですね。人間の鼻じゃ嗅ぎ取れないのかも」

「嗅いでみる? 後輩くん」


 先輩はイタズラっ子のような笑みで。

 ほらほらおいで、と先輩風を吹かせていた。


「先輩の体臭を、ですよね……いいんですか?」

「あ、でもちょっと…………汗臭いかもしれないけど」


「そう言って俺を捕まえるつもりなんじゃ? 先輩、俺を捕まるために追いかけてきたんですよね?」

「それはもちろん! 隠す気もないし言っちゃうけどね! ――で、どうするの。嗅ぐの? 嗅がないの?」


「嗅ぎます」


 嗅ぐんだー、と先輩。

 先輩が言い出したのに……言い出した手前、先輩からは断れない?

 まあ、知ったこっちゃないけれど。


 塀の上、狭い足場だけど真っ直ぐ素早く先輩の元まで辿り着き、彼女の腕を上げて脇に鼻を近づける――くんくん、っと。


「っ!? え、ちょっ――脇なの!?」

「だって体臭の温床ですよね」

「犬でも嗅がないところを……!!」


 先輩は動揺し、ぐらぐらと不安定だった。危ないな……、しっかり掴んでおかないと。

 先輩は嗅がれていることで目をぎゅっと瞑っている。俺を捕まえることはすっかりと忘れてしまっているらしい……好都合だ。

 俺が狙っていたものでもある。


「くんくん…………んん? 別に汗臭くもないですね……でも、気になる匂いです」


 フェロモンかな?


「え、臭い!?」

「臭くはないですけど――あ」


 その時、ずる、と。

 塀の上から足がはずれた。


 先輩を連れたまま、俺たちは塀の下までまっ逆さま。

 咄嗟に先輩を抱き寄せ、落下地点に俺が向くように調整――下には犬がいるけど、押し潰してしまうことは許してくれ。


 お前たちが大好きな先輩に怪我をさせないためだ、これくらいはがまんしろ――俺を避けるなら好きにすればいいさ。


「きゃっ――」


 先輩の可愛い声を耳元で聞きながら……俺たちは落下。

 犬たちがぎゅっと集まってくれたおかげでクッションとなり、俺たちは怪我をすることがなくて……、


「わんっ!!」


「……さんきゅー、犬」


 見渡すと、ちょくちょく犬の中に猫がいる。豚も混ざってて――え、豚!?

 近くの山から下りてきたのかな……?


「…………」

「先輩? 臭くなかったですよ? だからそう睨まなくても……」


「脇を上げさせて近くで匂われたら傷つくよ! 臭くないけど気になる匂いって言われたら、その……恥ずかしいし!!」


「気になるって、良い意味で言ってますよ」

「良い意味なら良い匂いって言ってよ!!」


 癖のある、忘れられない匂いだった……。


「それ、遠回しに臭いって言ってるじゃん!」

「言ってないです。俺は好きな匂いです。他人がどうかは知りませんが」


「それを臭い匂いと言うんじゃないかな!?!?」

「先輩は被害妄想がたくましいですね」


 そんなやり取りをしている間にも、犬の群れは動いていた。

 行き先は、当然であるかのように学校だった。


 名残惜しそうにしている多くの犬とは別れ、俺と先輩、そして足下に寄ってくる数匹の犬たちを連れながら――文芸部の部室へ向かった。


 捕まったのだから言うことを聞くしかないな。

 よーいどんの鬼ごっこだったわけでもないが、先輩にはちょっと大胆で恥ずかしいことをしてしまったから……償いである。


 入部はしないけど部室に顔を出すくらいなら、まあ……。



 先輩が、がらら、と扉を開ける。

 すると、本棚の前、日本人形のような小柄な黒髪先輩が、一冊の文庫本を抜き取っていた。

 その本の表紙は同年代の少年少女であり……、ライトノベルである。


「やっときたか……待ちかねたぞ、後輩」

「うっす」


「それに夜澄(よすみ)も……ご苦労だったむぎゅ!?」


 向井先輩――下の名前は夜澄先輩――が、文芸部部長に抱き着いた。

 あ、胸に潰されそう……。


 高身長な向井先輩と小柄な部長……身長差があり過ぎる。

 部長が先輩の胸置きみたいになっていた。


「相変わらずちっちゃくてかわいーな! わんちゃんみたい」

「それはバカにしてる、と受け取るがよいか……? でっかいからってうちのことをバカにするなだし!!」


 ――部室を見回す。

 テーブルの上に平置きされていたライトノベルを見つけ、なんとなく、めくる。


 すると、部長――淡先輩にそっくりな小柄で黒髪な美少女がいて……たぶんそれの真似なのだろうと思った。コスプレではない……そこまで本格的ではなかった。


 それ以上に、自分色に染めて上手く吸収している。

 ――部長は、ライトノベル好きなのだ。


 そして、ライトノベル的な特徴を持つ人を部に誘っている……とも考察できる。

 向井先輩の犬に好かれる体質も、ラノベ的な観点で言えば能力みたいだしな。


 しかしそうなると、なぜ俺を誘ったのか? だ。

 俺にはなにもない。


「なにを言う、キミはモテモテのハーレムだろう? 知っているぞ」

「モテてないです……なんでそんな酷いことを言うんですか?」


「ああ、美人にはモテていないな……しかし、地味子クラッシャー、と呼ばれていることは知っているか? 冴えない女の子はみな、キミに夢中だと言うじゃないか。ふふ、手が届きそうなところだけを選ぶ……身の程を知り、高嶺の花にはまったく見向きもしない現実主義者(リアリスト)のラノベ主人公めっ!!」


 それは……でも逆なのでは?

 ラノベ主人公なら不相応な相手に手を伸ばすんじゃないだろうか。


 理想を書くのが、ラノベ――に限らず創作物だし。

 それに、その言い方だと地味子が悪く映る。

 冴えないと思っているのは周りだけじゃないか。


「……俺、ブス専じゃないっすから。この世のどこにブスがいるんですか?」

「そういうところがラノベ主人公だよ……っ! いいねっ、いいよ、後輩君!!」


 部長がその場で跳ねている。

 クールな印象が一気に消え去った。


「後輩くんはいい子だね」

 と、足下の犬の頭を撫でながら、向井先輩が褒めてくれた。


 褒められるようなことはなにも……。

 すると俺の方にも犬が寄ってくる。食べ物? 俺は持ってないよ。


「それにね、見向きもされないと美人だって気になってしまうものさ。高嶺の花までキミを見ようとすれば、それはもう現実で起こるラノベ展開じゃないか……! くーっ、やっぱり欲しい、キミが欲しい!! こんな面白そうなラノベ主人公、手元に置かずになにが文芸部だ!!」


「充分に文芸部ですよ。普通に活動してください……変な活動はいらないですから」


「バカだなキミは。キミはバカなんだ。せっかくの高校生活、変なことをした方が楽しいじゃないか」


「影響を受け過ぎなんですよ。……この人、そのうち異能バトルとかしそうだなあ……」


 オカルトにハマって、変な儀式とか始めなければいいけどさ。

 俺を巻き込まないでもらいたいものだ。


「ともかく、後輩よ――部に入りなさい」

「嫌です」


「なにが欲しいのかな? できる限り用意しようか」

「平穏です」


「っ、それはまるで、過去に重たいなにかがあったみたいな……! このっ、生まれつきのラノベ主人公め!! 匂わせてくるぅーっっ!!」


 と、俺の脇腹を肘で小突きながら……、先輩だけど言ってしまおう、うっぜー。

 たぶん、なにを言っても先輩の中で俺はもうラノベ主人公なのだ。

 なんでもそう思い込める。思い込んだことが現実、みたいな?



 甘いを辛いに、魚を肉に。

 黒を白へと、思い込むことができる。


 それは人間の良いところでもあり、悪いところだよなあ……。




 …おわり

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文芸部の犬神さま 渡貫とゐち @josho

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