第二章 エピローグ

 風竜トールの騎上。冬の夜の空は身を切る寒さだった。

 防寒に万全を期したウルリヒでも、大いに後悔を感じる程度には。


(感情の赴くまま行動すると、これだからいけない)


 実のところ、ウルリヒの気性は人並み以上に烈しい。

 若い頃にそれを自覚した彼は、自らの立場にふさわしい立ち居振る舞いを備えるべく、それを抑えるよう努力してきた。

 彼の父と祖父は、貴族として生まれたわけでもなく、不意にその立場に就くことになったに過ぎなかった。にも拘らず、彼らはこの上なく貴族という身分に適合しているように見えた。

 その事実はウルリヒの劣等感を煽り、自らに対する過酷な自制と努力を強いることになった。

 そしてそれを周囲の人々、とりわけ彼の愛する家族にまで、必要以上に強いてしまっていることに、彼自身も気づいていた。

 自己嫌悪を感じることも多々あった。

 だが、やめられない。自身が正しいと信じるものを、彼は否定することができない。

 それが彼の性分だった。


 レミリアーヌは常に彼の悩みの種だった。

 あらゆる分野に輝くほどの才能を発揮しながら、ただ他人とのコミュニケーションに関してだけは、異常なほどに向いていない。

 書庫の書籍の内容、その全てを暗記しておきながら、人の顔と名前を覚えられないと聞いた時は、何の冗談か真剣に悩んだほどだ。


 貴族社会は厳しい。エルフの内輪だけならばそれ程でもないが、特にグラース家は人族の国々との折衝を担当することも多い。コミュニケーション能力に難のあるレミリアーヌには致命的に向いていないことは明らかだった。

 ゆえに彼は自身の経験に基づいてレミリアーヌの『矯正』を試みた。

 すなわち、ひたすらな『自制』と『努力』である。

 それは、その人生を貴族として生きねばならない彼の娘が、穏当に過ごすために必要なものなのだと彼は信じていた。

 レミリアーヌが彼の課す努力に疲弊していることは知っていた。だが、将来いずれそれが彼女の役に立つのだと。

 ゆえに、レミリアーヌが出奔した時、彼は天地が引っ繰り返るほどの衝撃を受けた。

 まさか、あれほど他人と交わる事を苦にしていた娘が、よりによって冒険者の道を選らぶとは……、そこまで苦しんでいたとは、と。


 だが、それはただの逃避なのだと思っていた。

 すぐに戻ってくるだろうと。

 しかし、様子を見に行った祖父がレミリアーヌを連れ戻すでもなく「心配無用」と告げるに至り、自分が何か考え違いをしているのではないかという事に気が付いた。

 常に心のどこかでレミリアーヌの事が引っ掛かったままの日々。

 祖父の持ち帰った新聞の記事が、ついに彼に行動を起こさせた。


 そして今日、彼は人として確かに成長している娘を目の当たりにした。

 それはささやかなものだったかもしれない。しかし、何より貴重なものの萌芽だった。

 実家では常に、自分と目を合わせつつも内心の恐れを隠せないでいたレミリアーヌ。娘に恐れられているという事実は彼を落ち込ませたが、それも娘の為と思い耐えていた。

 それがどうだろう。しばらく見ないうちに彼女はその恐れを克服していた。

 最初はむしろ悪化しているように見えた。

 だから連れ帰ろうとした。

 しかし、あの白い少女の言葉を聞いた後の娘の目は、彼がかつて見たこともないほど力強さを湛えていた。

 それが、それこそが彼が望んでいたものだった。


 騎上で今日起きたことを思い返していると、いつの間にか黒い騎影が傍で平行に飛行していることに気が付いた。

 ウルリヒは自身の失態に舌打ちする。いくら夜間とはいえ、エルフの目でそれを見落とすのは本来あってはならない事だ。

 だが、今回の所は大きな問題はない。騎影が見慣れたものだったから。

 黒竜クロヴィス。

 その背に乗る人影が、いくつかの手信号の後、眼下の国境の凍った湖を指さす。

 それに了解の手信号返すと、湖へ向けて高度を落としていった。



 凍った湖の湖岸に降りると、クロヴィスから降りた男が声をかけてきた。


「冬の夜間飛行とは風流だな」

「やめておけばよかったと後悔していたところです」

「ははっ、儂でも滅多にやらんからな」


 であるならば、なぜ今彼――ウルリヒの祖父、先代グラース公ハインツ――はここに居るのだろう? ウルリヒは飛行眼鏡を飛行帽の上に引き上げながら、疑問をあえて顔に出す。


「お前は自分が一人前のつもりかもしれんが、儂にとってはかわいい孫、まだまだ半人前よ」


(行動を読まれていたという事か)


 ウルリヒは自身の未熟を実感する。


「それでどうだった?」

「はっ」


 レミリアーヌと会った感想という事だろう。相変わらずの言葉足らずは貴族としてあまり頂けない、と思いつつも今は素直にその意に従う。


「今しばらくは見守ろうかと」

「ふっ、だから言ったであろう。心配無用と」


 ウルリヒは自身が笑われているようで、少し面白くないと感じていた。そもそも新聞を使ってウルリヒを煽ったのは彼ではないか。

 だが、いつも通り自身の感情を隅に追いやる。


「一月に一度は手紙を寄越すように言い含めておきました」

「くく、心配性よな」


 それくらいは当然だろう。父親なのだ。心配して何が悪いのか。

 感情が顔に出ていたか、ハインツの笑みが深まる。


「グラースの子供は代々手がかからん。勝手に独り立ちしていく。親からすると少々寂しくもあるな」

「……」


 この人が寂しいなどと思うのだろうか? むしろ大笑いで見送るのではないだろうか。


「儂とて人間だぞ。親として思うところはあったよ」

「は……」


 俄かには信じられない。だが、自分も祖父の生ける伝説という肩書に惑わされているであろうことは否めない。


「さて、もうひとっ飛びして帰るとするか」

「……日が昇ってからにしませんか?」

「ん?」


 夜間飛行のあまりの寒さに辟易していたウルリヒは、この場での夜明かしを提案する。

 この国境の湖は飛行時のランドマーク兼、緊急時の着陸場所として簡易ながら宿泊できるように小屋が湖岸に建てられているのだ。

 当然暖炉もあり薪の用意もある。粗末な施設だが凍った体を温めるには十分だろう。


「おお、そう言えばここの小屋に酒を隠しているのを思い出したぞ!」

「小屋には備蓄の酒もありますが?」

「あれは保存のことだけを考えた安酒ではないか! あまりのまずさに儂用の酒を用意したのだ。三十年ほど前だったかな?」

「……酢になってませんか?」

「飲んでみればわかる。行くぞ」


 踝ほどに積もって固まった雪を踏み割りつつ小屋へ向かう。


「……」


 見上げれば満点の星空だった。明日の朝も酷く冷えそうだ。


「朝は避けて昼まで寝て過ごすか」


 ウルリヒは久々の怠惰な時間を自らに許すことにした。

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コミュ障エルフ公女レミリアーヌの華麗なる逃走 〜自分から逃げ出すのは追放に入りますか?〜 始永有(シエイ アル) @scheer951

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