第31話 最後の闘争

【レミリアーヌ・エリシス・グラース】

 ウーちゃんとあっさり目のお別れの後、冒険者ギルドへ向かう。

 カレンさんへの告白で内心かなりテンション上がったんだけど、カレンさんの気持ちを聞いてみたら思いっきり否定されてしまった。

 うぅ、失敗したぁ。

 仮にカレンさんの方にも気持ちがあったとしても、カレンさんの性格からして、絶対否定するよね。しかも私が勢い込んでツッコんだせいで、怒らせちゃったかもしれない。

 二重の意味でしょんぼり。

 幸いその後の様子を見る限り、カレンさんはそれ程気にしてなかったようだったけど、自分的には大いに反省だ。大事なお友達を怒らせてはいけない。

 ん? 喧嘩するほど仲がいいとも言うよね? でも、私はお友達と喧嘩とか想像もつかないんですが?

 まぁ、関係を深めていけば追々分かってくるのかもしれない。希望的観測。


 ギルドに到着すると職員さんの誘導で応接室へ連れられて行く。

 この理由を告げられずに連れていかれるの、何となくデジャブが。

 うーん悪い予感?


「御一行がご帰還されました」

「……どうぞ入ってください」


 応接室に入る。妙な空気。だけど、どこかで覚えのある空気。

 そこに、私が心のどこかで予想しつつも、考えることを拒絶していたモノが見えた。


 黒い絹糸の様な長髪。

 能面の様な白皙の美貌。

 長い耳。

 そして黒に近い赤眼は、私のものと同じ。


「お父様……」


 ソレを認識した瞬間。

 全身が強張る。

 心臓の鼓動が高まる。

 視野が狭まるような奇妙な感覚。

 周囲の音が遠ざかる。

 お腹の中が重くなったような不快感。

 両脚の膝から力が抜けそうになる。


 崩れ落ちそうなところで、わずかに冷静になる。

 なぜ……?

 確かに私はお父様が苦手だった。

 だけどそれは、これほどのストレスを感じるほどだっただろうか?


「レミリアーヌ」


 その声に反応して、不意に体がびくりと跳ねる。

 いけない! 叱られる!


『常に泰然自若たれ。貴族たるもの他者に内心を悟られるべからず』


 それがお父様の教えだった。

 久々の再会で、いきなりその教えを目の前で破ってしまった。

 心臓を掴まれるような恐怖感が全身を支配する。

 ぎゅっと瞑った眼からジワリと涙がにじむ。

 ……

 ……?

 おかしい。

 いつまでたっても、お父様の口からお叱りの言葉が出てこない。

 恐る恐る、そっと目を開く。


 何の感情も浮かばない顔。

 ソファーの上で姿勢を正したまま、身じろぎ一つせず、顔だけをこちらに向けている。

 だけど、ありえないことだけど、私にはお父様が、なぜか茫然としているように見えた。


「レミリアーヌ」


 もう一度名前を呼ばれる。

 いけない! 呼ばれているのだから返事をしなければ!


「はい」


 はい、だけで良いのだろうか?

 何か弁明をするべきでは?

 弁明?

 動揺を表に出してしまったことについて?

 それとも、勝手に家を出てしまったことについて?

 それよりも一年半も音信不通でいたことについて?

 久々の再会なのに挨拶すらろくにできない事について?

 思考が千々に乱れ、まとまらない。

 取り繕うこともできず、呆然と立ち尽くす。


「……」

「……」


 不意に訪れた沈黙を破ったのはお父様の方からだった。

 ため息。

 ……あれ?

 ひょっとして、初めてではないだろうか? お父様がため息をつくのを見たのは。

 内心驚いていると、お父様がソファーから立ち上がり、正面から私に向き合った。


「帰る支度をしなさい。明日にでも国に戻る」

「あ……」


 国に戻る?

 それは私も、という事? 決定事項なの?

 ……そうだ、拒否しなければ。

 拒否? いや、私は冒険者を辞めることも考えていたではないか。

 これは丁度良い区切りという事になるのでは?


「お待ちください!」


 カレンさんが声を上げる。


「そんな一方的に……! レミリアーヌ様の意志を尊重してあげて下さい!」


 震える声で抗議する。

 カレンさんは凄いな。

 今、この場で声を上げる。ただそれだけの事がどれほど困難な事か。

 お父様は声と立ち居振る舞いだけで、場の空気、あるいは雰囲気とでもいうべきものを支配する術を体得している。長年の修練による一種の技能であり、それに逆らうのは普通の人間では容易ではない。

 そして今、それにより場に込められたお父様の意思は『口出し無用』だ。

 カレンさんは今、それを破って声を出したのだ。

 それは……、私の為なのだろう。

 なのだとしたら、とても嬉しい。心の底から嬉しい。

 けれど……。


「レミリアーヌ。この街はお前を傷つける。お前はここに居るべきではない」


 お父様はそれを一顧だにしない。


「シオン殿、君も一度国に帰りなさい。今後の事は後日御父上を交えて話し合おう」

「ですが」


 シオン君が咄嗟に反論しようとする。


「君と今ここで話すことはない」

「……!」


 シオン君が絶句する。シオン君の年齢でお父様の意志に逆らうのは難しいだろう。

 クラリスさんがソファーに座ったまま、私に目を向けてくる。私を思い遣る目だ。

 今回もだけれど、クラリスさんにはいつも迷惑をかけてばかりだな。

 一瞬感慨にふけっていると、背中をつんつんとつつかれて、ビクリとしてしまう。ノエルさんだ。


「大事なのは『どうすべきか』じゃないよ」

「ノエルさん?」


 ノエルさんも声を出せるのか。いや、この人を掣肘することなど何人なんぴとたりともできないのだろう。なぜか、そんな考えが心に浮かんだ。


「大事なのはレミィが『どうしたいか』だよ」


 ノエルさんはそれだけ言って沈黙する。


 私がどうしたいか。

 ――目を瞑る。


 私がどうしたいか。

 ――自身の心に問いかける。


 私がどうしたいか。

 ――決まっている。


 だけど、私はお父様に逆らえるのだろうか。

 静かに目を開く。


 そこに意外なものを見つけた。

 お父様の鉄壁の能面がわずかに崩れていた。気のせいではない?

 そこに浮かんでいる感情は……、困惑と、……驚き?


 この人にも感情があるんだ。

 そう思った時、今まで噛み合っていなかった何かが、私の中ではまった気がした。

 先程感じた異常な精神的負荷、それはお父様を恐れての事ではない。

 お父様は象徴だ。かつて実家での暮らし、私にとっての煉獄への。

 お父様本人を恐れる必要はないのだ。


「お父様、私は……」


 それでも……。

 語尾が震える。

 続きが口から出てこない。

 思えば私はお父様に面と向かって逆らったことがない。

 ……まぁ、秘かにサボったり、わざと分からない振りをしたりで、面と向かわずに逆らったことは何度かあるけどね。

 でも今は正面から立ち向かわなければならない。

 深呼吸をして呼吸を整える。

 一言で良いんだ。


 その時、私の左手がなにかに包まれた。


 カレンさんだ。

 カレンさんは無言のまま私の手を両手で包み込むように握ってくれていた。

 顔を向けると目で訴えかけてくる。


 そして、右手が握られる。


 シオン君だ。

 シオン君もまた、無言で私の手を握る。

 顔を向けると静かに頷きかけてくる。


 背中から誰かに抱きしめられる。


 ノエルさんだ。


「大丈夫」


 静かな声。心が自然と安心する。

 そういえば、他人から抱きしめられるのって、前世を含めて初なのでは?

 うおお、初体験。でも相手女の子だよ。……まぁそれも良し。


「ずるい」

「仕方ないですね」


 カレンさんとシオン君の囁き声が聞こえる。

 途端に心が酷く軽くなったのを感じた。

 ふふ、そうか。

 自分一人で立ち向かう必要なんてなかったんだ。

 自分では敵わない相手でも、みんなの力を借りればよかったんだ。

 今なら言える。きっと。


「お父様、私は家には戻りません。……少なくとも今しばらくは」

「……」


 あはは、最後の最後でビビって、ちょっと保険を付け足してしまうのは流石私だね。そこは愛嬌。許して欲しい。

 お父様は何か考えこむ様に無言だ。

 ドキドキする。

 どんな言葉が返ってくるんだろう?

 反論を用意しないと……。でも想定が難しいな。

 あれ? ところで、これってもしかして親子喧嘩なのかな。だとしたら、これも初だ。しかも、びびりの私にとっては異例なことに、ちょっとわくわくしている。


「そうか」


 ……?

 え、それだけ?

 お父様が天井を見上げる。

 え、え、何事!?

 こんな感情を表しているお父様は初めて見た。

 多分実家の人たちも、ほとんど見たことがないじゃないかな?

 お父様は、ため息とともにこちらに視線を戻す。本当に何事?


「わかった。ただし、最低一月に一度、近況を手紙で送るように」

「え……」


 手紙? え? 許されたってこと? お父様に限ってそんなことがあり得るのか?


「返事は?」

「あ、はい」

「……まぁ良い」


 そのまま私の横を素通りして、シルバの頭に手を置く。


「すまんが頼むぞ、シルバ」

「ワフッ」


 そのまま応接室を出て行ってしまう。

 私はその後姿を茫然と見送ることしかできなかった。

 あ、挨拶! お別れの!

 ……まぁ、いいか。お父様自身が無作法にも何も言わずに去ってしまったのだから。

 私の知ってるお父様にはあり得ないことだ。


「許して頂けたのでしょうか?」

「多分、おそらく」


 カレンさんの疑問に、私もはっきりと答えることができない。


「良いお父さんだね」

「そうなんですしょうか?」


 ノエルさんの評価にも素直に頷けない。私には厳しいばかりの人だったし。


「……手強そうです」

「?」


 なんで今のでそういう感想が出てくるんだい? シオン君。


 いろいろな疑問を置き去りにしてお父様は去って行った。

 ただ一つ言えることがあった。

 私の冒険者生活はまだ続くのだ。

 そう実感すると、心が浮かれるのを感じた。

 やっぱり私は、今の生活を気に入っているのだ。

 悩んでいたけど、それも一旦棚上げしよう。

 そうだ、がんばればなんとかなるさ。

 弱いなら強くなれば良いんだ。


「ふぅ」


 不意に心地良いため息が口から洩れた。ネガティブなものではない、何かを成し遂げたような。

 この一年半、ずっと心に引っかかって来た、実家の事、家族の事、私の本来の立場が要求する義務。

 なくなったわけではない。ただ棚上げを認められただけだ。

 多分、他人にとっては取るに足りないことなのだろう。

 でも私にとってはとても大きな前進なのだ。


「カレンさん、ノエルさん、シオン君。これからもよろしくお願いします」

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