第155話 小競り合い
「善は急げというが、どう急ぐんだ? 飛行機じゃ降りる場所がないだろうし、脚で向かえる距離に人工物は無さそうに見えるだか?」
腰を浮かしたヴィズは、日常会話の流れに乗って話題を広げた。
態度は通常通りの無愛想なものだが、内心ではこの炎天下に徒歩で移動する事を心の底から忌避しての発言。
「その点は問題ない。
ザンギトー達が手配した、古いフォルクスワーゲンがある」
とシエーラが答える。
「古い……フォルクスワーゲン?」
形容詞と社名だけで通用する車種は少ない。しかし、ヴィズはその車種のシルエットもエンジン音まで想像できた。
「ありがたいね。さぁ、みんな、移動の時間だよ」
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藪に隠されていた2台の自動車を囲むと、最初に口を開いたのはキーラだった。
「たぶん……皆さん同じ感想なのでしょうが、車と呼ぶか……エンジン付きの馬車と呼ぶべきか迷うくらい………とにかくオンボロですね」
「まさかのビートルか」
1930年代に設計されたスタイルは、その車は確かに
しかし、この車の特徴はデザインよりも大局的な領域で真価を発揮さるのだ。
「キーラちゃん、この車を馬鹿にしない方が良い。
第三次世界大戦では、この車にブローニングを載せて戦う事になるだろうからね」
古い設計故の基幹システムのシンプルさは、堅牢さと堅実さに直結し、この車は故障はしても廃車にはならない。
「お言葉ですが……これはその………もう壊れてると言っても差し支えないかと……」
ヴィズがリアフードを開け、トランクに該当する部分に乗せられたエンジンを眺めた。
焦げたパイのように変色したパーツは太陽光でも輝やかず、ありとあらゆる配管から打撲傷の様にオイルが滲んでいる。
その様な状態でもこの車は、“なんとなく走りそう”と思わせる魅力があった。
「オイルは入ってるし、エンジンも冷め切ってない。さっきまで動いていたのならまだ動くだろう。
まぁ、こんな辺鄙な場所で手に入る車なら、一番信頼できる部類だろうな」
2台の車を総勢8人のメンバーが囲む。
ヴィズもその列に加わり受動的に指示を待った。
「私とセルゲイとヴィズとローレンシアで、先行。後方は、青烏とシエーラと狗井とキーラね」
役割分担の相談には参加せずに黙って情勢を把握。戦闘と自分の生死に関わらなければ、彼女は消極性の中に胡座をかき、能動的な流れが形を作るのをただひたすらに待つのだ。
「運転は誰がする?」
そう問いかけるルーリナは偶然を装って、ヴィズに目を合わす。
腹のうちが分かったヴィズは、露骨に顔を背けハンドルを握る権利を放棄した。
「俺でもいいぞ」
名乗り出たのはセルゲイだった。
見るに見かねたという様子で長距離ドライバーに名乗り出たのだ。
「私が案内するから、私の隣に座りたい人が運転すればいい」
「それなら、ロシア人で決定だ」
ヴィズが議長のように場を締める。
雰囲気はその流れに従って取り決めが繕われ、移動に関しての指揮系統と組織が完成した。
この中で、ヴィズが重要視したのは“自分は何もやらない”という事だけである。
「じゃあ、私と隣同士だね。嬉しいよねヴィズ?」
「そうだな。長旅だろうから、一つゲームでもしよう」
「いいよ! ヴィズから誘ってくれるなんて、私たちすごく進展してるよね。どんなゲームをしたい?」
「お互いの嫌いな所を100個言い合おう」
「あぁ………すごく面白そう……。
その事とは関係ないけど前言撤回ね」
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「こっちは私が運転しますよ」と、キーラが車のキーを受け取り、シエーラと共に車両のチェックをし始めていた。
「ヴィズ。キーラちゃんを取られちゃったね」
やる事がないローレンシアが、粘性の笑顔とともに、同じくやる事ないヴィズのもとに絡みつく。
「いい事だ。若い奴が率先して動けるようになれば、私は楽ができるからな」
「ふーん」と聞きながすローレンシア。ヴィズは、彼女がこのパターンの態度をとる時は、別の話題を持ち帰る時の前座だと気がついた。
少なくとも、ただ単にヴィズをキーラに焚き付けに来たわけではないと。
「で、何の用だ?」
「お、私の思惑を見抜けたのね。
ほら、あのエルフの女は確かシエーラよね? この発音で合ってる?」
「合ってるぞ。ただ向こうは相当あんたを嫌ってるから近づくことすら避けた方がいい」
「ふーん」と目を細めてシエーラの方へ足を向けるローレンシア。
“忠告はしたぞ”と胸内で呟く。
しかし、トラブルを予感しても、彼女を止めなかった。
案の定、ローレンシアはうるさいほどの勇み足でシエーラへと歩みを進め、ヴィズの忠告を全て承知の上でシエーラのところへ向かう。
そして、左手の手袋を投げつける代わりに彼女の手元をを影で遮った。
「改めて初めまして、シェーンラさん。私はローレンシア」
振り返った顔に、わざとらしく握手の手を差し出す。
当然の如くシエーラの眉間には皺が寄り、無機質に目を大きく開く、兵士特有の目つきになった。
「………人の言葉の真似が出来るなんて利口な雑種ね」
シエーラは、さっと左足に重心を移し、いつでも殴り合いができるように備え、ローレンシはそれを知ってか、知らずか相手の挑発に噛み付いた。
「あ゛? 雑種?」
「中途半端な生き物。雑種ってのは、人間とエルフの交雑種、あなたのようなハーフエルフの事を指すのよ」
稲妻が通る直前のようにヒリつき、ヒートアップする雰囲気に、キーラが無謀な仲裁として割り込む。
「あ、あ、あの、あの、やめましょうよ」
が、シエーラとローレンシアのどちらも彼女に反応する素振りを見せない。
2人の反応は当然だ。相手が今にも殴りかかってくるかもしれない時に、第三者に意識を割くなど、自殺行為以外なにものでもないのだ。
「老いぼれた傭兵さん。人種差別はダメだよ…………愛の形は人々それぞれ。
でも、私は寛大だからね。
私の両親の過ちしかり、イングランドでの貴女しかり、過去は水に流して仲良くしようよ?」
ローレンシアは意地でも手を差し伸べ続けた。
「ほらほら、握手しましょう。そうしたら、今の侮辱は聞かなかった事にしてあげるから」
傲慢に振る舞いローレンシアに、全身から一触即発の雰囲気を醸し出すシエーラ。
そこに再びキーラが奮い立った。
「ろ、ローレンシアさんも、シエーラさんも本当にやめませんか……」
本来なら何度やっても無意味なのだが、今回ばかりはシエーラがキーラに反応を示す。
「……そうね、分かった」
嫌々とされど大人の対応を教唆するように、手を差し出すシエーラ。
「この仲直りもキーラちゃんの為になる」
手と手が触れた瞬間。
「ごめんね。シェーンランさん。
やっぱ、私への侮辱は許せないや」
握り合った手を拘束具に位置を固定したシエーラに目がけて、拳を握るローレンシア。
「ほら、きた」
素早く身を屈めパンチを避けるシエーラ。掴まれた手を逆に利用して体術を繋ぎ、ローレンシアを地面から切り離すと、あっさりとに大地に叩き伏せる。
完全に騙し切ったつもりでいたローレンシアこそが、相手の思うがままにされていた。
「!?」
そして、地面で伸びた無防備な顔面に、完璧な右ストレートを打ち込まれる。
血飛沫と喘ぎに加え、受け身のままならない姿勢から再び地を擦る。
「騙されるわけがないだろ、この
「黙れ、
やっと出たローレンシアのカウンター攻撃は血反吐の混ざった罵倒。
生理現象とはいえ目に涙を浮かべ、鼻と口から血を垂らす姿には痛覚の共感を催す生々しいさを孕んでいた。
「ヴィズ! あの2人に何が起きたの!?」
頭に血が昇っている2人よりも慌てて、騒ぎを聞きつけルーリナが駆けつけた。
友達と呼んでいる、殺人者同士が殴り合いを始めたのだから、それも仕方ないだろう。
肩で息をする雇い主から説明を求められたヴィズは、とりあえず自分には非が無いと宣言。
「私は忠告した」
打てば響く。皮肉のエッセンスを含んだ端的な説明がルーリナに全てを悟らせ、意思を固めさせる。
「ヴィズ………。ローレンシアは天邪鬼なんだから忠告したら逆効果でしょう」
第二ラウンドのゴングが鳴り響く前に、風音を纏ったルーリナが吸血鬼らしい俊敏さで割り込んだ。
「2人ともそこまで!」
シエーラは、目線を逸らさずに肩をすくめ、かたやローレンシアが口角から泡飛ばす。
「邪魔しないでルーリナ!」
「ローレンシア! “そこまで”っていってるの!」
旬のすぎた喧嘩に飽きたヴィズも重い腰をあげて、ローレンシアの首根っこ捕まえた。
「止めないでヴィズ。目に目を。ハムラビ法典にもそう書いてある!」
「それを言い出したら、お前の目なんか微塵切りにしねぇと済まないぞ」
「私は殴られたんだよ」
「鼻が折れてるから見りゃわかる。仕掛けたのはお前だろう。
「猫なら自由気ままに振る舞うよ。まずその女を殺す」
「喚くな、
親猫に嗜められるように首根っこを掴まれたローレンシアは、ヴィズの顔を見上げながら、胸に手を当て澄ました顔で呟いた。
「ふぅーーー………。
そうね、そうね。落ち着いた。目には目を、なんて事を繰り返していたら、この世界は眼帯と義眼だらけになってしまう。私も寛大な人間になろう」
そうして、平和主義者の顔で、ヴィズの手を優しく振り払うと、まだ舌の根が乾かぬうちに叫んだ。
「明日から!!」
再び放たれた矢のようにシエーラに飛びかかるローレンシア。
が、シエーラはまたもや見事な反撃を披露。
今度は闘牛士さながらの身のこなしで回避してみせた。
闘牛はその華麗な身のこなしに翻弄されるがまた、勢いそのままに藪の中へと滑落していった。
「ふん。お前の考えてる事なんかこの程度でしょうね」
肩の埃を落とす真似をしながらシエーラは「キーラ、エンジン!」と始動の令を発する。
程なくして空冷エンジン特有の機織り機に似たアイドルリング音が轟かせた。
排気音をBGMにシエーラは、ルーリナとヴィズに向けて恭しく腰を折る。
その姿は、まるで名誉の決闘に勝利した騎士だ。
「後はよろしく」と腰が戻ると同時に、そそくさと車に乗り込んだ。
「ふふっ。勝ち逃げというかやり逃げというか。見事な手際だな」
面白いショーだったとシエーラの背中に向けて空の拍手を送るヴィズ。
一連の出来事全てに
「はぁ………。ノーコメントよ」
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