第156話 銀の弾丸

 一悶着による遅れがあったものの、一同は2台の車に分乗して赤土の荒野を進んでいた。


「セルゲイとキーラちゃん。あの先の雑木林から下り坂になるからね。エンジンを傷めないように!」


 ヴィズのすぐ前にはルーリナの後頭部があり、彼女は地図と無線機を片手に助手席から2つの運転席に指示を飛ばしていた。


「了解です。それにしても延々と一直線が続きますね。地球平面説を推したくなります」


 返ったのは無線越しのキーラの声。

 彼女のルーリナに向けられた報告は、ヴィズの耳にも届いた。

 車両を行き来する短波無線の抑揚の無い音声は、キーラの言葉外の嘆き然とした情緒も如実に伝えている。

 ついで、無線機の向こうの会話も漏れ聞こえた。


「このだだっ広い平原での戦闘に備えて、南アフリカは20mmの対物ライフルを採用したほどよ」とは恐らく助手席のシエーラの声。


「20mm……ですか」と通話ボタンを押したままのキーラの声。


「一般に最強と呼ばれる対物ライフルが、50口径。つまり12.7mmだからね。

 20mmなんて対空機関砲とかのレベルだ。

 肩を掠ったって半身が吹き飛ぶでしょうね」


 電波を盗み聞きいていたヴィズは、警戒の色を浮かべながら車外周囲を見回す。

 しかし、四方に広がる無限の平原に懸念するべき違和感は見つけられない。


「ルーリナ。そのつまらないラジオを切ってくれ」


うんざりとタバコを咥える。

  耳から入る情報のせいで自身が抱いているモノが警戒心なのかパラノイアなのか区別がつかなくなりそうだった。

 二日酔いのように喉の真下で違和感がとぐろを巻き、妙に血が騒ぐ。

 鼻から吹いた煙には、“撃てるなら撃ってみろ”と書き溜めた。


そんな時に警戒心のレーダーが、自身に注がれている視線に気がついた。


「おい。露助。私の顔になんか付いてるか?」


 鏡で屈折したロシア人運転手の眼差しがその正体だった。


「あーいや。お前が吸ってるタバコはラッキーストライクか?」


「そうだ。悪いか?」


 窮屈な運転席に辛くも収まっている巨漢のロシア人は、ベビーカーに乗った成人男性のようで、そんな男が器用に肩をすくめる。


「いや、アメリカタバコに憧れていてな、“ラッキーストライク”や“アメリカンスピリット”。

 共産党がこの手の銘柄を厳しく取り締まっていたのは、危険思想の弾圧という名目だったが、処分の仕方はあんたのそれと一緒だったぜ」


「タバコの葉に国境は無いからな」


 連鎖的に愛煙家に産地はあっても国境はないのかもしれないという思いに至り、それが波及し、もとも国境も思想の意味も時価でしかないのだろうという結論に至る。


「ロシア人、あんたも吸うか? してやるぞ」


 そう言ってタバコを突き出す。が、その手は優しく押し返された。


「いや。しばらくの間やめてんだ」


 親友が突如現れ、忽然と消え失せた。


「おいおい、吸血鬼様が肺の健康を気にしてるのか?」


 2人を隔てるようにルーリナが割って入る。


「吸血鬼に不治の病は存在しないけど、治療で受ける体外的苦しみは同じだからね。

 ヴィズも本数を減らすところかは始まるべきよ」


「余計なお世話だ。隆盛と衰退。デトロイトのようにじっくりと破滅へ降っていくのが私の選んだ人生だ。

 劇的な死を望むなら頭を撃たれる時もタバコを吹かしているだろう。だから、私はタバコで死ぬんだ」


「タバコの煙が周囲にどのような健康被害を与えるか……——」


「んな事、パッケージに書いてある」


 ルーリアが“この話はやめた”と手を翻す。


 ヴィズも「お前は医者じゃないだろ」と勝利宣言を兼ねて窓に向けて煙を吹いた。


————————————————————


 あるタイミングまで、風景はそれまで変わらず、地平線の向こうには世界を縁取るように山脈の影が聳え、空との境が曖昧になるほど遠くまで大地が続き、雑草と痩せた木はパーティーの残り物ように地表に色彩を差している。

 そのエスニックな牧歌的風景が、に至った時、全ては音もなく崩れ去れ去った。


「お?!———————!?」


 前触れなく


 一瞬で車内が赤く染まり、無数のナメクジのように肉片がシートを覆う。

 司令の無い体がハンドルにもたれ掛かり車体は大きく道を踏み外して停車。


 一呼吸おいて悲鳴が上がった。


「撃たれた! セルゲイ! そんな!!」


 ルーリナの錯乱そのものの悲鳴が、フロアマットの血溜まりに波紋を生み落とし、運転手の鳥の丸焼き同様に千切れた首から、スプリンクラーの如き勢いで血飛沫と泡が吹き上がっている。

 どう見ても即死。例え彼が吸血鬼であっても死んでいるとしか形容しようがない。


 状況のピースをはめ合わせてパズルを組み立て、「狙撃だっっ!!」とヴィズが叫ぶ。


 何が起きたのかを把握しきれなくとも、ここで手をこまねくのは自殺と同じだという事は悟る。

 不意打ちを受けた時点でヴィズ側が圧倒的に不利なのだ。

 殊更、この攻撃がヴィズとローレンシアに与えた足枷は甚大だった。

 車の構造上、2人の座る後部座席にはドアがなく、ルーリナとセルゲイが前席にいる限り、ヴィズとローレンシアは脱出路にアクセスすら叶わない。

 しかも、ルーリナは無我夢中で死者に対して無意味な蘇生を試み、ローレンシアも焦点の合わない目で、自分の事に手一杯となっている。

 ヴィズに焦点を当てると彼女は完全に八方塞がりとなっていた。


「くそ。これじゃ座棺ざかんだ」


 その状況下でヴィズは、持ち前の行動力を発揮、一瞬で判断を下す。

 突破口が無いのなら作るしかない。と。


 足元に寝かせてあったらアサルトライフルを取り出し、ローレンシア側の窓ガラスを撃ち砕く。

 続いて自分の側の窓も銃床で叩き割った。


 強化ガラスが皮膚を裂くダイヤモンドダストとして舞い散る中、手にラメが入る事もいとわずに窓枠から這い出る。

 そして、窮地から脱した瞬間から思考を反撃モードに切り替えた。


 “スナイパーは次にどう動くか?”と思考は先読みに走るが、いかんせん判断材料が少ない。

 精査できる事柄は、弾丸は車の進行方向から運転手とローレンシアを襲った事。これはつまり狙撃地点は西にあると推測できる。

 次に敵弾の痕跡が証言している事象に目を向ける。

 

「………この煙……エンジンか。」


 セルゲイとローレンシアを喰らった弾丸の軌道は、フロントガラスから2つの座席と2人の人間の頭部と片腕を貫通しながら、後部のエンジンにまで到達している。


「例の20mmじゃねぇと説明がつかない威力だ」


 対応策を練る思考を区切らせたのは、土をタイヤで削る乱暴なブレーキの音。

 ヴィズを轢きかねない距離にキーラが追いついたのだ。


「ヴィズさん、大丈夫ですか!?」


 キーラは、ヴィズたちを助ける為に車を停めた。しかし、それは敵の思う壺でもある。


「馬鹿! 狙撃だ! 先は行け!」


「でも………」


 ドアを開け、ヴィズを招こうとするキーラ。


「くだくだ抜かすんじゃない。エンジンが吹き飛ぶまでアクセスを離なすな」


 今のキーラはいつ撃たれてもおかしくな。可能性で言えば、既に弾丸はキーラを目掛けている事だってあり得るのだ。


「置いていくなんて———」


「言う事を聞け!」


 差し伸べられた手を振り払うように、車のドアを蹴り閉める。


 唖然とするキーラの後ろからシエーラが覗いた。


「———パールフレア。ここは任せたよ!」


 戸惑うキーラの背後で、シエーラが助手席から強引にアクセルを踏み込む。

 キーラの身体が座席に押し付けられ、車は脱兎の如く駆け去る。

 そのコンマ数秒後、ヴィズの頭上を弾丸の金切り声が掠めた。


 間一髪キーラたちは落ち延び、残されたヴィズは再び戦闘に舞い戻る。

 2発の弾が飛んで来た位置からスナイパーの位置を絞ろうと試みた。


「やはりスナイパーか。テキサス以来だな」


 車体を盾に助手席のドアに忍び寄る。


「ルーリナ。いい加減に出てこい」


「ヴィズ。手伝って! セルゲイが撃たれた」


「諦めろ、もう死んでる」


 ヴィズは、ドアを引きちぎれんばかりに弾き、ルーリナを引きずりだす。

 指揮系統の頂点であるはずのルーリナは未だに錯乱状態でを一心不乱にかき集めていた。


「いい加減に」


「黙っててヴィズ」


「セルゲイ………私の血を分けてあげる……特別だよ」


 そう言って、自らの手を握りつぶすルーリナ。

 果物をそうしたように、肉と液体が肉と体液の壺へと溢ら落ちた。


「…………なんでっ!? どうして戻らないの!?」


「ルーリナ。傷口を見ろ、銀だ。銀の傷だ。敵はあんたを狙ってるんだ。

 今の私たちは獣道の鹿だ。用意周到に待ち伏せされていたんだ———危なっ!?」


 ルーリナに手をかけた瞬間。再び車体を弾丸が貫通。

 その直後サスペンションが激しく揺れ、空からローレンシアが降ってきた。


「ローレンシア!? 何してたんだ」


「みんな元気? 全滅何歩手前?」


「3歩だな。そっちの負傷の具合はどうした?」


「片手をちぎられたけど付け直した。血は止まったけど神経が繋がってない。タコより8分の5ほど不器用な状態」


 意味は分からなかったが、ローレンシアは血まみれで青ざめた顔をしていても、溌剌としている。


「よし、………それなら、普段より役に立ちそうだな」


 ヴィズは冷静に努め、平常心を取り繕っている。

 その態度はローレンシアでも目を丸くするほど異様に映ったらしい。


「こんな時までタフなのね。

 幸運は勇者に味方する。という事でビックニュース。敵はカニング家で間違いない」


「どうして分かる?」


「弾の到達方法が、ロンドンで私が撃ったれた銃と似ている。私たちを狙ってるのは呪具化されたライフルだと思う」


「位置が分かるか?」


「真西の丘の中腹。ほぼ1km先。でも姿が見えない点」


「お前は本当に大事な時だけ役に立つな。

 敵が見えないのは、塹壕かトーチカでも作っているのだろう。キーラたちが撃たれなかったのもそれが理由だ。

 射撃口の射角から外れる事が出来たんだ」


 2人の打ち合わせにルーリナが割って入る。


「ローレンシア、貴女なら彼をなんとかできるでしょ?」


 相変わらず死体を蘇らせようと必死なまま。


「ルー。相当なキてるね」


「冗談言ってる場合じゃないの」


「あはっ。それ笑える」


「お願いだから」


 下がるように目に涙を浮かべるルーリナ。

 だが、ローレンシアの判断は錯乱した親友に向けても的確だった。


「くどいよ」


 ローレンシアは、躊躇なくルーリナの頭を鷲掴みにすると、そのまま車体に叩きつけらる。

 鉄板がへこみ、ルーリナが崩れ落ちる。完璧な一撃が彼女の脳を震したようだった。


「これで静かになった。

 で、ヴィズ。これからどうするの? 敵の弾は私の防御殻でも貫通するよ」


「死角から迫ってカウンタースナイプしかないだろう。

 …………お前の言った敵の位置が正確なら稜線伝いに死角に回れるはずだ」


 今、ヴィズが頼れるのは自身とローレンシアのみ。


「今更だけど、私は私の判断に自信を持ってないよ?」


 ハーフエルフの保険のような泣き言も、彼女の信頼性を下方修正するまでには至らない。


「お前の情報が間違っていたら私がなんとかする。その代わり後でお前もただじゃ済まさない」


 ローレンシアは、OKサインを作る。


「じゃあ、私は………敵の前にいた方が安全そうだね」


 使ったのは“神経が繋がらない”と言っていた右手だった。

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