第163話 廃墟
一方、キーラの運転する車は、狙撃手から逃げのび、何もないところで大きく蛇行した。
心ここに在らずのキーラによる、完全な人的ミスによる誤操作。何かの拍子に集中力を取り戻し、何かを見間違えて避けたのだ。
「キーラちゃん。意識をしっかりもちなさい」
シエーラからの苦言を頭では理解するが、行動や認識には反映出来ない。
キーラの心には仲間を見捨てたという罪悪感が進駐軍として占有しているのだ。
「は、はい。スイマセン」
形式的な返事に返ってくるのは、先達者からの厳しい指摘。
「自分の役目を忘れないで」
耳には“先に行け”と告げたヴィズの怒声が残響し、心にはまだ彼女を助けようとブレーキを踏んだ感覚が固着している。
さらに、魂のような体の動力源が抜け落ちたように全身が重い。
「分かってます。衛星への攻撃です」
会話を取り繕う。しかし、思考も鈍重で脳味噌が半分しか活動してない気分だ。
そんな彼女に浴びせられたのは現実主義者の即物的な指摘。
「違うでしょ、運転をすることよ。それだけを考えなさい」
「でも———」
「でも。は無し。貴女は経験が浅いからこそ目の前の事に集中しなさい」
「ですがっ! ヴィズさんたちを見捨てたんですよ!」
「見捨ててなんかいない。それぞれの役割に従っているだけでしょう。
貴女があの場にいて何ができるの?」
シエーラの諭すような口調は、深海に引き摺り込まんとする蛸のように義務と良心で揺れる心に絡みつく。
「そ、それは…………」
「貴女の気持ちや意識は崇高な物よ。でも、現状に則していない」
殴りつけるような正論はキーラの言論を封殺し、彼女が最後に取った抵抗は黙りを決め込むという稚拙なものだった。
「……………」
「それにね、キーラちゃん」
「……はい」
拗ねたと思われたのだろう。シエーラは笑みを浮かべながら続ける。
「貴女も良く分かっているでしょうけど、ヴィズ、ローレンシア、ルーリナ、あの3人を敵に回したとなれば、スパルタ兵でも裸足で逃げ出すわ」
キーラは小さく頷き進行方向を見据える。シエーラの弄ぶような笑みの正体を悟ったのだ。
「わ、私の良心は……敵の身を案じていたのかもしれません」
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戸惑いと折り合いをつけたキーラは、果敢にオフロードを走破し、目標地点へと辿り着く。
目指した座標にあったのは、古いコンクリートの建物でドーム状の屋根が天体観測施設のような佇まいをしている。
「正面ゲートのチェーンは引きちぎられたうえに錆びてる。かなり前に誰かが入ったな」
ひしゃげたゲートとそこに息絶えた蛇のように垂れ下がるチェーンは、この建物からセキリティの概念が消滅している事を示していた。
「ザンギトーの言っていた“反体制派”の仕業かも、電子機器は根こそぎ盗まれてるかもしれないわね」
シエーラの知見には根拠があった。こういった情勢不安を抱える国では、堅牢な建物はあらゆる武装勢力から重宝されるのだ。
「その場合でも通信設備は地下のはずですし、最悪アンテナとノートPCさえあれば問題ありませんよ」
と、青烏が任務遂行に関しての不安要素を拭いとる。
「不安なのは通信プランの値段ですかね?」とキーラ。
「金なら問題ない」と狗井。「あんたが臓器を手放せばいい」と続けた。
「さて、財政を憂う前に、あの場所の安全を確保しよう。そのためにも構造を知りたい」
いつの間にか実務的な会話は青烏とシエーラの担当となっていた。
「出入り口は、正面入り口と2階の非常階段だけです。正面から入ると緩やかな階段があって、グランドフロアとなる地下1階に繋がっています。そこにはアンテナの基部とそのコンソールがあるだけです。
吹き抜けで地上1階となる部分がありますが、メンテナンス用のキャットウォークしかないので視界は遮られません。
入り口の反対に当たる位置に地下への階段があり、そこから8平米ほどの備蓄庫があります。
そこに入らずにまっすぐ地下へ降りるとパニックルームを兼ねた通信設備群のある部屋です」
キーラと狗井が図面を覗き込むが、理解が追いつかず、眺めているだけというのが実態。
一方でシエーラの頭には立体的な地図が完成していた。
「了解。典型的な大型通信施設だな」
「通信室へは、私たち3人で向かいますので、シエーラさんにはその他の掃討をお任せできますか?」
「了解。雑多な面倒事はお任せしてちょうだい」
「ありがとうございます」
大まかな役割の分担が決まると、チーム内での役割へと話が移る。
「キーラに狗井さん。言うまでもなく青烏さんがVIPだ。最優先事項は彼女を命にかけても守る事。
そして、優先事項は貴女たちの生還よ」
「そんな事言われなくても分かってる」と狗井のぶっきらぼうな返答。
「言っても分からない奴が多いからね。年寄りのおせっかいだと思ってちょうだい」
狗井は表情も変えず、サムズアップで締め括った。
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役割分担に従いシエーラは単騎、建物の裏口から侵入。安全を確保する為に動いた。
最初に手に入れた情報は、鼻をつくすえた腐敗臭。
発生源は通路に転がる缶ジュースや食べかけの食料の数々のようで、通路を汚している物質には人の尿も含まれているらしい。
「小便と汗とゴミ、この汚れ方………。ここは民兵が占拠していたようね」
痕跡の統制の無さから見ても、ここの前の住人はアフリカで最もタチの悪いチンピラの一種だと推測できた。
軍隊を模倣した愚連隊まがいの武装集団の痕跡。
射撃練習場と思もわれる箇所には、フルオート射撃とその反動制御におぼつかない少年兵特有の波打つ弾痕が見て取れた。
その中に新たな臭いが混ざった。
「この臭いは……真新しい硝煙……」
シエーラの足元から無数の寒気が末端神経を這い上がる。
ここにはかなり直前まで人がいたとする推測の裏付けには充分だ。
通路を進み、施設の死角を潰すために隠れ家となりやすいトイレの制圧へと向い………男性用小便器の間で屍山血河と邂逅した。
「なんてこと……!」
積まれているのは指揮官に相当したであろう数人の成人と大多数の少年たちの死体。
腐臭はなく空間全体が生暖かい生命の残り香を放っている。
虐殺の現場だけなら何度も同じような物を見た彼女が恐れたのは、ここは何者かによって掃討されていたという事実。
子供とは言えこれだけ多数の少年兵を一掃するには、それなりの勢力か人智を超えた戦闘能力が必要だ。
それも全員を虐殺している。
「ここにはまだ何かいる」
血を足音で巻き上げ、踵を返す。
「彼女たちと離れたのは間違いだったッ!」
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シエーラが事態に気がつく数分前。
狗井は、まだ冷気を保ち結露している缶ジュースを手に取った。
「アオ、キーラ。気をつけろ。ここには……直前まで人がいたみたいだ。私から離れるな」
「はい。そのつもりです。硬く結ばれた運命共同体ですよ」
「狗井。そうは言っても早くして。こっちは急いでる」
「分かってる」
缶ジュースを放り捨て、嗅覚センサーで痕跡を探す。
鼻先を血の匂いが微かに掠め。それを追って引き下ろされたカーテンを広いあげる。
掴んだ布はじっとりと粘質に濡れ、手にまで滴る。
「水……。いや、血か」
カーテンには血が染み込んでいた。
カーテンを引き下ろすと、ひん剥かれた目玉と叫び声のまま固まった顔と対面。
おどろおどろしい形相に加え死体の頭は2つに割られている。
「刀傷——っ!
キーラ! 菅野だ! 奴がこの場にいる!!」
「えっ、ありえない」
キーラにとって刀で人を殺す人間は狗井と菅野・椿以外に心当たりがない。
しかし、菅野は遠いヨーロッパの地で木っ端微塵になったのもまた確かな事実なのだ。
兎に角と危険信号を受け取ったキーラは、青烏を呼び止めようと振り返ると、青烏は道を知っていた分、キーラたちよりも速く進んでおりは、既に地下通路を目の前にしている。
「アオさん! 待ってください!」
待ち伏せが発覚したのは、その瞬間だった。
青烏の肩越しに不自然な蜃気楼が蠢く。
「青烏……。ジンドウの裏切り者………。介錯は無しだ、苦しみ抜いて死ね」
瞬く間、刀形をした蜃気楼が青烏の腹部を貫いた。
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「光学迷彩っ!?」
刃が青烏を貫いた時、狗井は脚の出力を最大に引き上げる。
もう攻撃を防ぐ事はもう叶わないが、まだ被害の拡大はまだ抑えられると。
移動速度は地を縮めたように
「キーラ! 受け取れ!」
人命救助と応戦を最短で切り替える為に青烏を放り投げる。
「小賢しい!」
獲物を奪い取られた椿も黙っておらず、踏み込む足で、剣先に殺傷能力を蘇らせる。
狗井は、直線的な軌道を腕で逸らし刺突を避けながら叫ぶ。
「キーラ、アオを退避させて、あの女に診せろ!」
キーラが命令に従った事は、慌ただしい足音で確信する。
その一方で、目の前の敵は、狗井だけが残った事がよほど嬉しいようだった。
「また会ったな。狗井・天」
「菅野…………本当にお前なんだな?」
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