第164話 負傷者

「アオさんが、アオさんが刺された!!」


 シエーラがキーラと合流した時、若い吸血鬼は、鳴き声のようにそう連呼し、血まみれの青烏を抱えていた。

 

「見れば分かる。貴女が落ち着きなさい」


 パニックは伝染する。とシエーラは経験則を元に冷静に振る舞う。


「でも、アオさんが!」


「キーラちゃん。私の質問に答えて。ここに狗井ちゃんがいないのは応戦しているという事ね?」


「は、はい! そうです。アオさんが刺されて、そこに狗井さんが飛び込んで引き抜いたんです」


「引き抜いた? 何を」


「ア、ア、アオさんをです!」


「つまり、敵が刃物を握ったままだったから、身体の方を引き抜いたのね?」


「それです!」


 質疑応答は、キーラの冷静さに一定の効果の示す。少なくとも叫び回るという敵に位置を知らせるうえに、負傷者を心理的に圧迫する行為を停止できる程度には客観性が戻っているのだ。

 状況の鎮静を成したシエーラは、応急処置の原則に添い、青烏の傷を診る為に服を裂いていく。


「キーラ。この娘に声をかけ続けて」


「助かるんですよね?」


「私を信じなさい」


「で、で、でも、その血の色普通じゃないですよ」


「素人は黙ってて」


 シエーラは思考から外野を占め出し冷静に検分するに努めた。

 負傷者に意識はあり傷口も小さいが、右脇腹を貫かれている。

 出血は多く。流れる血の色はタールのように黒ずみ、内臓、恐らく肝臓からの出血なのは明らかだった。

 その容態から余命を約15分と見積もる。


「シエーラさん。私………死ぬの……ですか?」


「安心して、私が助けるわ。あなた血液感染症のキャリアじゃないでしょうね?」


「シエーラさん………もうダメなようです………キーラを呼んでください」


「ここにいますよ」


「キーラ、敵は………世界中にいる。世界を囲むの……」


「なんですかそれ!?」


 青烏は、壊れたCDデッキのように同じ言葉を復唱する。

 朦朧とする意識の中で、生存よりも遺志の継承に望みを託しているのだ。

 しかし、シエーラは衛生兵として、ピポクラテスの誓いを立てた者として、そんな事を許さない。


「質問に答えて、貴女の魔力耐性はどの程度なの?」


 医療行為を優先するシエーラに対して、青烏の容態は悪く、風前の灯となった意識は、魂のボイスレコーダーであり続ける。


「世界を囲む物………。あれば世界を囲んでる」


 シエーラは自らに決断を迫った。青烏は無処置では数分で死亡する。物理的な処置をすれば数時間は延命を図れるかもしれないが、この周辺に彼女を担ぎ込める病院を知らない。

 と、なると彼女を救命するには魔力による治療しかない。

 懸念しなければならないのは負傷の程度と青烏の魔力耐性の如何。

 生半可な治療では効果が薄く、しかし、無闇矢鱈に魔力を注ぎ込めば、治癒術式こそが地獄の苦しみを与える致命傷となり得るのだ。

 しかし、今の青烏はショック状態に近く、会話は成立せず、悩んでいる時間もない。


「青烏。今からレベル3相当の治癒魔法を施すから覚悟して」


 シエーラが消去法で導いた選択は、青烏の身体が持つ才能に賭ける事だった。


「彼女の身体に魔力をかけて傷口を再生させる。でも、彼女の耐性が低かったら魔力そのもので魔力焼けを起こすかもしれない。

 そうなったら、覚悟を決めて」


「でも、でも、シエーラさん………それだと……」


「邪魔しないでキーラ。他に方法は無い」


「わ、私の血を分かれば———」


「こんな状態の人間に吸血鬼の血を分けたら、それこそショック死する」


「わ、私に何か出来ませんか?!」


「彼女を押さえて」


 そう言って、シエーラは青烏を回復体位で固定すると、魔力を宿した指を肝臓を挟むように突っ込んだ。


 深い傷に異物を捩じ込まれた青烏は当然、うめき、暴れる。

 

「我慢して。助かるから」


 生暖かいゼリーのような感触の表面をなぞり、傷の位置を探り当てる。

 

「私に癒し手の力を与えください」


 活性化した魔力は、熱としてシエーラの体に変化をもたらした。

 発汗による寒気と体温上昇による感覚の鈍化。

 その一方で熟練とも言える彼女の治療術式は、指先から数ミリ単位でパルス状の魔力を放ち、青烏の肝臓を急速に修復させていく。


 彼女の全神経を支えているのは経験値から編み出された第六感並みの触覚のみ。

 その神業を駆使して、内臓に負った致命傷をかすり傷へと抑えていく。

 しかし、ほぼ同時期に青烏は魔力の副作用としてえずき始める。

 死神とシエーラ、青烏の生命力のチキンレースだ。

 

「内臓さえ治癒できれば……」


 切創を左右対称の2つの傷口と定義し、シエーラは皮下の傷口をなぞる。


「もう少しで、済む」


 血で黒光りする指が大気に触れる頃、青烏の腹には2つの臍が出来ていた。


「内臓は回復したけど、これ以上は彼女が身体が持たない。内臓より皮膚に近い傷は縫合型で繋げる」


「シエーラさん。アオさんは無事なんですよね?」


「峠は超えたよ。ただ回復度合はここからが正念場ね。

 今は、失血死と臓器不全の危険性が格段に下がっただけ」


 膝に乗った頭を優しく下ろし、キーラは、彼女に珍しく明確な意思を持って顔を上げた。


「アオさんをよろしくお願いします…………私にはやる事がありますので」


「離れても構わない。もう私たちに出来る事はないからね。で、この娘の復讐にでも行くの?」


「半々ですね。“世界を囲む”の意味が分かったんですよ」

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