第127話 揚陸
中米と南米を隔てるパナマ運河を越えたレインボー・クリル号は、太平洋からカリブ海へと渡り、大航海時代の海賊が使ったのと同じ海流を使ってジャマイカ、ハイチに沿って一旦大西洋側へ進路を取り、キューバとアメリカ合衆国の間を抜けるようにして、キューバ共和国北部、バハマ諸島に近い群島の一つに辿り着いた。
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「やっと見えた。陸地だ………」
航海者には、信仰心が強い者が多いとされる。
「あと2日海の上だったら、何かしら祈りだしていたところだ」
自分の身を守護するのは神ではなく、近接航空支援機であると確信しているヴィズで、さえ信仰が必要な気持ちが理解できるほどに、海には途方もない偉大さを持ち合わせているのだ。
甲板から見えたのは太陽を遮るヤシの木。
船が島へと入港すると、乗り込んできたのは潮風に混ざる南国特有の熟れた甘さと、キューバ軍の関係者たちだった。
彼らが持ち込んだスペイン語の音とユーゴスラビア製の突撃銃の擦れる音が甲板にひしめく中、積荷の確認と取引が始まった。
士官たちの“結局、俺はいくら儲けられるのか”という目に、ルーリナが身振り手振りで説明するなか、ヴィズはそれとなく港湾作業員に混じった兵士たち眺めた。
装備や振る舞いから陸軍だろうと推測。
みすぼらしい兵士が、よりみすぼらしい民間人たちに命令し、ボロボロのクレーンが船へと伸びる。
ルーリナが腰に手をあて、背筋を伸ばしている事からも、交渉は上手く言ったらしい。
「さて、ヴィズ。ここの観光案内してあげようか?
このまま真っ直ぐ西に渡って、本島を突っ切れば62年に一躍有名になったピッグス湾があって。
南西に進めばキューバの中のアメリカ。アメリカ軍基地グアンタナモがあるよ。
でも、あの基地には近づかないようにね、あそこにはキューバ、アメリカどちらの法律も通用しないから」
てきとうに話をあわせつつ、現地人を覗き見るヴィズ。
彼らの格好は、明るめの森林迷彩で統一された半袖ジャケットとカーゴパンツを着込み、ジャケットの下は裸の者とタンクトップに大別できた。
一兵卒らしいオリーブドラブ色のキャップ帽を身につけ、防具の部類は無く、アサルトライフルを手や肩にかけている者がいるが、予備弾倉や拳銃を持っているのはほとんどおらず、装備は極めて軽装。
総じて火器の状態は悪く木製の銃床には劣化のひび割れが目立ち、機関部には手の形に錆びているものさへ混っていた。
そんな観察者であるヴィズを観察していた者が1人だけいた。
「みんな銃を持ってるね」とローレンシア。彼女は相対した勢力の脅威度インジケーターとしてヴィズの動向を伺っているのだ。
「あぁ。士気は低そうだが統率が取れてる」
ヴィズも観察を続ける。
有象無象のこの軍人たちの中で一つだけ統一されていたのは銃の使用状態。全員のアサルトライフルは、セーフティレバーがオンになった状態であり、レバーも撃発位置の前方でロックされている。
少なくとも甲板上にいる全員が、平穏に作業が済むこと願っているらしい。
ヴィズもその雰囲気には賛成だと、口端にタバコをぶら下げ、火をつける仕草の中で呟いた。
「この手合は、ちょっかいを出さなければ、それなりに信頼できる」
欄干に足を掛けたローレンシアは、あたかも作業を監督している風を装いながら答える。
「そうね。皆んな“トラブルは嫌だ”って顔に書いてある」
ルーリナだけが、キューバ人たちの輪に加わり、談笑と贈賄で商売の潤滑を振り撒いていた。
いくつかめの木箱が円満に海を渡った頃。
ジャングルの奥から一台のコンパクトな四輪駆動車が現れた。
その車は年季の入った外見で、屋根に類する部分はなく、さながらタイヤのついた一斗缶のようなボディに、ちょこんとフロントガラスが載っている。俗に言うジープに該当する車両だ。
ジープは、侵入禁止のゲートを門番に開けさせ、肉体労働者たちをフロントグリルで掻き分けながら船に横づけする形で停車。
「チッ。面倒事じゃないといいが………」
国境警備隊にしろ、歓迎の接待しろヴィズの取れる行動はタバコを海に投げ捨てる他にない。
「ルー。客が来たみたいだぞ!」
ジープから運転手と軍の将校らしい男が乗っており、運転手が忙しくドアを開けると将校の足と杖が地面に着いた。
「ヴィズ。ローレンシア。彼はこの島を取り仕切る人物だから、くれぐれも粗相のないように着いてきて」
号令一つで頭に物を載せれそうなほど背骨を伸ばしたローレンシアは、立ち姿一つにもいとま簡単に気品を纏ってみせる。
「私は上流階級のマナーを身につけているけど、ヴィズが心配ね」
ローレンシアを真似て肩肘を張ったヴィズは、腰骨に微風を受けた。サイズの合わない服に、盆栽のように猛々しく巻いた寝癖から気品を抽出するのは不可能だった。
タラップを降りる3人の姿は、カラスを逆さにくくり付けたような顎髭の将校のアビエーターサングラスにもはっきりと写り込んだ。
「よく来てくれた。また会えて嬉しいぞ。ルー!」
「お久しぶですね。我らが将軍」と親愛を込めた挨拶を交わすルーリナ。
握手、続いてラテン文化らしく互いの頬へのキス。
将校は樽を思い起こさせる大柄な体格を持ち、小柄なルーリナとの身長差が生み出す違和感は親子を通り越して、見世物のそれに似た珍妙さを醸し出していた。
挨拶の儀式を終えると重そうな頬肉をニッと釣り上げ、タールで黄ばんだ歯を覗かせる。
「敏腕なお嬢様。噂と名声はこの世界の端まで聞きこえていますぞ」
「それは困ったな。我々は秘密結社のはずなのに」
2人分の笑いが起きた。
ヴィズを含めた周りには分からないところにツボがある笑いだ。
「さて、将軍。この2人がヴィズとローレンシア。私のビジネスパートナーだ」
ルーリナの紹介を受け、最初に動いたのはローレンシア。
機敏な屈膝礼で敬意を表し、無知な正常者なら間違いなく好感を抱く笑顔を浮かべた。
「ご紹介に預かりました。
私はローレンシア・シルバーシルビア・カニング。社会的に保証されている身分は指名手配犯です」
礼の時までは飼い犬が芸をしたような安堵を抱いたルーリナだが、続いた挨拶の言葉でローレンシアを睨む。
しかし、将軍はきついジョークと思ったようで、鼻の頭を掻きながら愛想笑いを浮かべる。
次はヴィズの番と、ローレンシアが肘で小突く。
「あー、私は………ヴィズ・パールフレア。ただの用心棒だ。気軽に“
挨拶の儀式は省いたものの、大佐は再び笑った。
ヴィズも合わせてぎこちない笑みを作る。
自らを“グリンゴ”と称し、出自を明かしておく。
遅かれ早かれ“訛り”でアメリカ育ちとバレるのだから、不必要な疑惑を抱かせる前にその火種を取り除いたのだ。
「仲良くしようや、グリンゴ」と将校も心得たとばかりに笑い、丸く白目だけは陶磁器のようにクリアな目が2人をまじまじと見つめた。
それから、腹を突き出すように胸を張り、ミディアムレアのステーキ色の軍帽を頭から下ろした。
「ふむ。私も古くからのルーのビジネスパートナーのロドリゴ・デ・エル・トリノだ。
キューバ西部軍大22歩兵連隊の大隊一つを私物化しているものだ。気さくに“
ヴィズの見立てでは、この将校は半世紀ほど鏡を見ていないだろうと推測した。
だから、ヴィズは将軍の乗ってきた車に向けて顎をしゃくる。
「ほぉ、
「ヴィズ、言い過ぎ」とルーリナが腕をつねる。
将軍の眉間にもシワが寄っていた。
「言葉に気をつけろ、グリンゴ。大男が泣き崩れるのが見たいのかね?」
一度憤怒の顔をみせてから、過呼吸のような笑い声で笑い始めた。
その隙に、ルーリナがヴィズを腕を掴む。
「将軍がウケたのは奇跡だからね。次にあんな無礼な真似をしたら、ローレンシアにお仕置きを考えさせるよ」
「今心配すべきは、将軍が笑い死にする事だろ」
ルーリナは口を閉じろとジェスチャーで示し、何食わぬ顔で将軍の元は戻る。
それから、ビジネスパートナーの言葉通り歩調を揃えて並び、陸揚げされたクリルの貨物を指差した。
「アレは細やかなお礼だ将軍。
私たちはセルゲイ達の忘れ物と預けた物を取りに来た」
木箱をサングラス越しに眺めながら、意図して取り繕った笑みで一言。
「あぁ。相変わらず良い耳をお持ちのようだ……」
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