第126話 潮騒
ヴィズは、潜水艦恐怖症の兵士よろしく甲板へと登った。
潮で赤茶けた甲板に立ち、船首で切り裂かれた海風に紫煙を運ばせる。
流される煙の先は、自我すら忘失しそうなほど莫大な大海原。
宇宙から甲板のヴィズを見分けられるような時代になっても、ヴィズが海に見出したのは強烈な孤独感だった。
「船の中で害獣のように溺死するのはごめんだとして………。
私は、自分のどんな死に方なら受け入られるのだろうか?」
船べりを登り、海底からヴィズへと手を差し伸ばす群青色の波。それを拒絶するように引き返す白い引き波。
それらの中に疑問の答えはない。
そして、妄想に似た思考は、不快な声で現実に引き戻される。
「あ、ヴィズ見っけ。ねぇ。キューバってどんなところ?」
音も気配もなく、舌を巻くような静寂の中からそんなローレンシアの声が届いた。
気づかれる事なく忍び寄られた事に強い不安感と一抹の感心が湧き立つ。が、態度はあくまで石像と競合するレベルの静観だ。
ヴィズは高鳴る心拍を無視し、雷光のように走った思考も平静で抑え込み、何食わぬ顔で向き直った。
「キューバ。アメリカの下に位置する国。
挨拶は返さないが、木の葉が敷地落ちると文句を言いにくるタイプの隣人だ」
「ふーん」と風上で欄干に背を預けるローレンシア。
「ウェールズに住んでた時のスコフィールドさんの家みたいだ。あの絵本の魔女みたいなおばさんは、身の毛もよだつイングランド人だった」
ローレンシアは、タチの悪いサイコパスという客観的事実を除いて、容姿端麗で、無意識に洗練された振る舞いを取れる人物だ。
ローレンシアという特大の減点ポイントさへなければ、黄昏れる彼女の姿は値の張る絵画のようだ。
「ご近所トラブルはご近所としか起きないからな。国同士でも似たようなものだ。
キューバとアメリカは互いに核兵器を向け合ったり、難民を送ったり送り返されたりと、仲が悪い」
「じゃあ、ヴィズも嫌いな感じ?」
2カ国の関係を端的に言い表したヴィズだが、自分自身の目で見てるとそれぞれの国に対する評価と心情には乖離が存在する。
「国に深い意味で好き嫌いなんてない。
ただ、あの国は葉巻とラム酒の名家だからな」
心情混じりの煙が水平線への向こうへと、元から何も無かったように霞んでいく。
「そもそもルーはキューバに何の用事があるの?」
景色に感化されて、心に芽生えかける哀愁を無視する。
冷理冷徹に徹すると、斜陽はただ暑く、潮風は粘性のぬるま湯のようで、ローレンシアの声はノイズの一つに過ぎない。
「知るか。お前こそルーリナに四六時中付き纏ってるから何か聞いてるだろ?」
「聞いてない。つまり、我らがルーには、何かやましい事があるのかな?」
「やましい事だらけだろうさ」とタバコが香味を失い始めたタバコをじっと眺める。
そろそろタバコの味は辛くなる。満喫も会話も区切りにする頃合いだ。
「信頼の表れか信頼の無さの表れか、私たちが逃げるタイミングを無くしてから、その目的とやらを知らせるんだろうさ」
その場を去ろうと吸い殻を海面へと放り捨てる。
火種は海水に圧殺され、波紋に屠られた。ヴィズ自身が感情にそうしているように。
「ヴィズは怒らないの?」
「さぁな。でも、怒る事が物事の解決に繋がるならそうすかもな」
「ヴィズ。カッコつけるのもいいけど、生者と死者を分けるのは行動力だよ。適者生存とは、行動の答え合わせの事だからね」
思わず足を止めるヴィズ。
ローレンシアの“全てお見通し”と言わんばかりの表情とシンプルな言葉が深く心に刺さり、ナイフで刺されたような痛みと切創に似た苛立ちが芽吹いた。
「何が言いたい?」と踵を返し睨みつける。
行動に遅れて追いついた思考の隅で、その動作の全てが相手の思惑にのってしまったと気き、取り繕うように言葉を選ぶ。
「お前の言葉………言い当て妙だな。
ガッツのある奴は、自分の頭を撃ち抜けるからな」
その返答に向けられたのは、人を掌で転がす者が浮かべる笑み。
「聞かれたら言うけど、このままルーリナのそばに居続ければ、誰が死ぬよ。
その可能が高いのは人間の青烏と一介のエルフのあなただ」
「人はいつか死ぬ。そうそう思い悩む事でもない」
「自分だけは大丈夫だと思ってない?」
「まさか。覆せない結果に思い悩むのが面倒なだけだ」
「どんな死に方でも受け入れるのね」
「………逆に聞くが、あんたはどんな死に方なら受け入れられる?」
首を傾げる。そのまま根元から折れて転がりそうなほどに……。
「うーーーん。魔法で焼却するヴェルサイユ宮殿とエッフェル塔が空を彩る中、根元から崩れるビッグベンとロンドン橋を見ながら、崩壊するバッキンガム宮殿に飲み込まれたい」
「……………叶うと良いな。異常者め」
「これも聞かれたから答えただけだよ。聞いても答えないルーリナとは違うからね」
孰考に孰考を重ね、ローレンシアが喜びそうな言葉を選ぶ。
「ルーリナとキューバ。私は古い人間だから、偏見を持って言うが………。
あの女は、キューバからアメリカに攻撃して、第三次世界大戦でも起こすつもりなのだろう」
「それって世界平和とは真逆じゃない?」
「文句を垂れる奴がみんな死ねば、この世のは平和としか言えないだろ?」
一問一答の呪いを受けたハーフエルフも、今回は猫のような目で笑うだけだった。
追加のタバコを唇から提げ、気まぐれに断言する。
「ついでだ。ローレンシア。私はどう死にたいかと聞かれれば、「みんな死んじまえ」と血反吐を吐きながら銃を片手に死にたい。だが、クソどもに殺される事だけは御免だ」
「………心にぐっとくる言葉だ。演説の才能があるよ。私はクソじゃないから、貴女がダメそうな時は引導を渡してあげるね」
「黙れ」
「本当に感銘を受けたんだ。だから、ルーリナに従う形を続けて、あなたの願望を手伝う手助けをしてあげる」
純情から端を発したように、ヴィズの手を両手で掴むローレンシア。その目は可憐に輝き、曇り一つない眼差しでヴィズの顔を写す。
「……ルーリナを裏切る度胸のないお前が、自分のプライドを保つ為に言ってるように聞こえるな」
ヴィズは、全力でその手を振り払おうとするが、危うく自分の肩が外れかける。
ローレンシアの腕力は、怪力を通り越して、万力装置なのだ。
「ヴィズ。私は半分イギリス人だけど、友達は裏切らないよ。
それに言いたい事も聞きたい事も聞けたしね」
ヴィズの手を解放すると共に踵を返すローレンシア。
そんな彼女が船内に消えるのを見送ったヴィズは、閉まる扉に視線を固定しながら、ゆっくりとタバコを味わう。
口腔内を撫で回す紫煙を感じながら、生存本能を満たすような解放感に浸った。
「半分イギリス人か………」
半分イギリス人を自称するハーフエルフには、舌が何枚あるのか、何が嘘で何が本当か、真剣に考えれば考えるほど、真剣に考える事するは無駄だった。
「…………何を言おうが、お前がろくでなしなのは変わらないぞ。サイコ野郎」
タールの残り香を払うようにそう呟いた。
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