第4章 Raging Avenger〜復讐鬼〜

プロローグ

第122話 1961

 ある晩、キュアアクア号の船室にいたはずのルーリナを見下ろしていたのは、現実離れした程巨大で煌々とした満月だった。


「いつのまに外に……いや。陸地についていたのかしら………?」


 記憶は曖昧模糊に錯綜し、今、目にしている物が記憶なのか現実なのかすら釈然としない。

 現実を突きつけるような月光が見せているのは。冷淡なモノクロに照らされた無限に続きそうな荒野と乾燥地に特化した植物群。

 

「この花は竜舌蘭………。ここはメキシコ? ………記憶が確かなら、この時は1960年頃ね」


 国と国を分けている柵など知らずメキシコから伸びた竜舌蘭の根はテキサスの地で新たな葉を芽吹かせている。


 自分は夢を見ているらしかった。


 少なくとも記憶の断片同士が繋がり、朧げな月明かりの下で、とても夢と括れないほどリアルな追体験を追憶していた。


полнолуниеルーリナ様………。Кажется, пришел гость来客のようです


 記憶が鮮明になるにつれて、傍にいるボディガードを務めていたロシア人吸血鬼のセルゲイの姿が浮かぶ。


“そうだ。昔はだった。”


Дарそのようね

 このエンジンの音はアメリカ製だ。ここからは英語で話そう」


 アメリカ側の荒野からセダンが土煙りを巻き上げながら、ハロゲンランプで砂塵に影絵を描きながら現れた。車種はキャデラック。

 とにかく大きな車体が弧を描いてルーリアの前に横付けすると、巻き上げた砂埃が車体を包む。

 エンジンの火を止められた後、残火が一度だけエンジンを回して、咳き込むようにマフラーが全てを飲み込もうとする静寂に抗った。

 そして、サイドブレーキがタイヤを噛むと同時に後部座席のドアが開く。


「……ルー。遅れてすいません。この辺は特に道が分かりづらいものですから」


 そう謝罪を述べたのはイタリア系移民にして純血の吸血鬼、俗に言うマフィンのボスでもある、アンソニー“ソニー”スカレッタだった。

 ブランド物の帽子を胸に、イタズラの見つかった子犬のように肩を落としての登場だ。


「ソニー。待ってはいないよ。私たちが早く着き過ぎたんだ。

 私が


 月の下に一房の排気ガスが漂う。

 それを嫌うかのようにルーリナは不満に溢れる険しい顔を作った。

 しかし、彼女がわざわざ表情を変えたのは、異臭ではなく約束を反故からだ。


 ルーリナはセルゲイを連れ、ソニーも運転手に加えて客人を連れ、この場には5人の登場人物が存在している。


「ソニー。話が違うよね?」


 だが、ルーリアが取り付けた約束では、ここに現れるのはルーリア、セルゲイとソニーの3人だけのはずだったのだ。


 荒野の端で集団を取り巻いたのは、再会を祝うムード以前に、確かな質量を持った言語化されていない不信感。

 汚名返上とばかりに場の音頭を取ろうとソニーが口を開く。


「ルー。俺が連絡を入れたのは———」


 見え透いた誤魔化しに、「まだ本題に入らないよ」とルーが手で制止す。


「ソニー。話よりもこの状況の説明をお願いしたいな……」


 ソニーはビジネスマンとしてら表裏の社会で超一流の実業家であるが、ルーリアはそれ故の傲慢さを決して許す気はない。

 拝金主義者ソニーがギャンブル好きのイカサマ師のように振る舞い、ゲームを自身が必ず有利になるように進めようとするのならば、ルーリアは厳として互いの立場の示す事に切り替えた。


「私が連れている、このスラブの大男はボディガードだ。

 それに対して、あなたが連れてきたのは——………」


 ルーリナが醸し出す雰囲気を察知したマフィアは車の中の2人を会合の場に呼びつける。

 運転席と後部座席それぞれからアメリカ人が降り立つ。


「ボス。お久しぶりです……」


 運転席から降りたのは、敬拝と緊張を指先まで張り詰め、自慢のフェードラ帽を胸に抱えたイタリア系アメリカ人。


「トーマス・レッソ。久しぶりだね」


 ルーリナはこの男に対して、本心から笑みを浮かべる。

 彼とは1944年には旧知の仲を築いている。彼には信頼を置き、もう1人の男へと視線を移す。

 もう一人のアメリカ人は、萎縮するトーマスとは対照的に、両手をポケットに突っ込み、アキンボスタイルのガンマンさながらにルーリナと相対。

 そのポケットからは親指が揃って覗いている。この行為は心理学的には“自信”の表れとされるらしい。 


「ルー………。また会ったな」


 ルーリナは、その態度は当然。男の存在そのものに嫌悪を表した。

 その男が、不敬でCIAの人間だからだ。

 

「ローグ。お前に“ルー”なんて呼ばれる筋合いはない——」


 そう言って背を向けるルーリナ。


「…………セルゲイ。帰ろう。こんな所にいても時間の無駄だよ」


 踵を返すその背中にソニーがすがる。


「待ってください。ルーリナ。話だけでも……」


 彼女に向けて足音が一つ起こると睨みを効かせていたセルゲイが、自動砲台さながらに脇のホルスターに手をかける。

 その瞬間から今までとは次元の異なる緊張の糸が張り巡らされる。

 一触触発の空気を盾にルーリアは宣言した。


「トーマス。あなたが一番まともだから頼むわ。 

 その馬鹿者ソニーことわりを教えて起きなさい。我々吸血鬼は利己主義に徹するべき存在だ。

 それ以外のイデオロギーに傾倒する事は許されない。特にその男ローグのように善悪の区別もなく政府に尽くすような奴愛国者は論外だ」


 反論はソニーから起きた。


「ルー。善悪で言うなら、こいつよりも俺たちの物を根こそぎ奪い取ったカストロが1番の元凶だろ!」


 ソニーの言った“カストロ”とは、キューバ革命によって就任したキューバ共和国の新たな首相を示した。

 キューバ革命の成功により、彼の国は社会主義政権を樹立し、それまでの方針であった親米路線を切り替えたのだ。

 この一件により、キューバ国内のアメリカ資本の施設は政府に取り上げられ、ソニーを含めた、キューバを小賢しく活用していた資本主義的強者は大きな損失を受けたのだ。


 この早々に破綻した会合は、新生キューバ共和国の再建打倒を打診する為の支援をルーリアから取り付ける為のものだったのだ。

 

「ソニー、もうやめとけ。ルーの連れのソ連人を見てみろよ。あんたのボスはとっくに赤く共産主義染まったらしい」


 損失を取り返したいマフィアに加勢したのは反共イデオロギーに塗れたCIAの声。


 ルーリアはその声に毅然と反論する。

 世界規模で暗躍してる彼女とて、たかが経済体制のジャンルごときで軽薄なレッテルを貼れるのは我慢ならないのだ。


「ソニー。トーマス。気をつけなさい。最近はこの世をが流行っているらしい。ちょうどそこの男のように」


 政治思想の話に飛躍した会話を、ソニーが叩きな直す。


「ルーもローグも、そんな高尚なお話は議員どもとしてくれ、俺が言いたいのは、にはルーリア、あなたが必要だと言う事なんだ」


 ルーリナは口腔内で牙を舐め。


 他者の視覚が追いつかない速度でソニーに詰め寄った。


「キューバを取り戻すですって?

  そもそもあの島ははるか昔から独立国家だ。取り戻すも何もアメリカが口出す権利を持っていないでしょう」


 ルーリナの風圧を帯びた威圧は、ソニーをコンマ数秒怯ませる。が、それだけだ。


「いいや。ルー。キューバは去年のクソッタレの革命以来、共産主義者に“自由”を奪われたんだ」


「あなたがキューバ政府に土地の利権を取り上げられただけでしょう?」


 ルーリアの恫喝に対し、ソニーは体格差と自尊心で取り繕って威圧し返す。


「あんただって南米へのコネクションが欲しいと言っていただろう!?」


 「確かに」と口添えてからルーリナはソニーの望みを断つ。


「ただ、私はその所在地をどこに置くかはこだわらないよ。そもそもだしね」


 ルーリナが示したスタンスは中立。


 むしろ、当時の情勢ではそれしか有り得なかった。この時代に明確な立場を決める事は行動の全てに自縛を設ける事になると見据えていたのだ。


 「そもそもね。共産主義云々以前に、革命とは“自由”を取り戻すための行為だ。フランス革命、南北戦争も。そこにあるのは善悪ではなく、圧迫からの解放というごく当たり前の行動原理だ」


 破綻から修復された会合は、交渉決裂という最悪な形で“同意”がなされた。


「分かったよ。あんたの力になんか借りない。俺たちだけでやる」


 幼稚に感情を表すソニーに対しルーリアは底冷えする平静で答えた。


「あなたの言う、“俺たち”はあなた以外の誰かでしょうに………。

 その“誰か”が必要としているのは、あなたのように熱意を持って、言葉に拙い若者が必要なだけよ」


 「話を聞け」と逆鱗を逆立て迫るソニーを、セルゲイが文字通り肉壁として遮る。


 アメリカ人としても長身なソニーを、彼より頭一つ分大きいセルゲイが遮るが、腹の虫が治らないソニーは、障壁の肩が越しにルーリアを指差した。


「クソッタレ。もうお前には関係のない事だ」


「えぇ。あなたがどう小遣いを稼ごうかなんて気にしない。勝手にしなさい」


 ボディガードは、敵から目を逸らさぬようにルーリナの背を守る。


「———セルゲイ。帰るよ」


 そんな会合からの去り際にルーリナが見たのは、CIA工作員と共に車に乗り込むソニーたち。

 彼は、さながら蛇に惑わされ林檎な手を伸ばしているような哀れだった。

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