第121話 inner universal

 身体中の血液が沸騰したような、尋常ではない発熱。内蔵一つ一つが自転して捩じ切れるような猛烈な痛み。脳は溶けたのだろうと錯覚は倦怠感と混迷。

 それが、菅野・椿の意識の残り火だった。


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 覚醒した意識は、夜空の中心のような暗く虚無な空間を認知した。しかし、それがどのような状況なのかは一切の手がかりがない。

 

 視界は黒い無限で、自身の呼吸音を含めた物音や気配は存在せず、平衡感覚も重力も浮遊感も感じない。


「これが走馬灯……………?」


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「臨死体験か!」


 椿が目を覚ましたのは、機材が敷き詰められた無機質な空間で、無骨な手術器具と工具の数々は拷問部屋のイメージを想起させた。


 辺りを回し、自分が座っていること、部屋の天井高、奥行き、建築学的脆弱性がデジタル視覚情報として頭に流れ込んだ。


「…………勝手にレンズに変えられた……?」


 目と鼻の先に出口を知り、とりあえずこの部屋を出ようと考えた。


グニャリ。


 身体を起こそうとついた椅子のハンドレフトが飴細工のように曲がり、危うくバランスを崩した。

 身体が不自然に傾くと、頭に刺さっていた無数の電線が抜け、さらに対応の難しい方向へとバランスを崩す。


 転びんだ椿は、そこで初めて、自分の腕が自分の腕でない事に気がついた。


「この手……サイバネティクスだ」


 意識が視覚に変化をもたらし、一目で、自分の腕の製造元、製品名を理解する。

  女性的なしなやかさと人間本来のシルエットを持っていたが、関節部には白いパネルが緩衝材を成し、皮膚は伸縮性の防弾繊維だった。


「あっ、椿課長! お目覚めですか?」


 部屋に入ってきたのは、機密保全課での部下である鵺。


「鵺。私に何が起きたの?」


 鵺の秘密を知っていたことに加え、自身が混乱しており、知るべき情報の順序は無規律。


「話すと長いですよ」


 鵺が、バーコード読み取り機のような機械を椿の眼に当てた。

 

「じゃあ、簡潔にお願い」


 目から読み取ったデータを手元に確認しながら、椿の要請に応えた。


「まず、椿は死亡してジンドウから退社した事になりました」



「…………くっっそう! うっすら分かってたけど辛いな」


 感情任せに動いた手が、椅子を捻る。


「お気持ち察します。さらにあなたの元の肉体は強大な魔力に被曝して体組織のほとんどが急速に劣化していました。

 そこで、思考パターンや記憶を基に使ってサイボーグに“菅野・椿”を乗り移らせたました。要は、私と同じで、模倣された魂を持つオートマタです」


 四肢を動かす椿。ワイヤーやモータの回る音がするわけでもなく、五感は人間だった頃と変化がない。強いて言えば心音も呼吸音も発しない身体は不気味なほど静寂を内に秘めている。

 椿の人格の収められた人工脳髄が、断片的な記憶から、知識を抽出し、記憶と知見の互換を探した。


「はぁ、理解に苦しむな。そんな技術聞いた事もない」


 鵺が椿の手をとり、自身の手のひらと突き合わせた。


「理論上、脳は電気信号で動作しています。このメカニズムをそのまま工業化したと考えてください。その結果、いわゆる幽体離脱を自発的に行えるようになったんですよ。

 実際、私は東京と名古屋の事業所で別々の身体を使っていたでしょう?」


 「あぁ、そうだったかも……」記憶と知識が結びつき、椿の脳裏に理解の足掛かりが芽生えた。


「ところで、どうしてこの不老不死のような技術が商業的に使用されていないの?」


「まぁ、未完成な部分があるんですよ………」


「どんな?」と催促する椿。


 鵺の目が泳ぎ、喉奥まで迫り上がった言葉が顔を覗かせている。

 

「今、私の目の前にいるあなたは完全なオートマトンの菅野・椿です。その人格はあくまで、行動心理学におけるプロファイリングとそのデータをもとに書き加えたデータなんですよ。これは確証バイアスなどの変数を考慮にいれて自己同一性を維持できる程度の記憶と自我を模倣した演算プログラムです。

 で、それを考慮した上で、更に脳みそをいじった事、身体を一から作り直した事を考慮するの、例え生身の人間でも性格や習慣に変化か起きますよね。

 これが私たちに起きた場合原因の究明が実質不可能なんです。もともとイカれていたのか、脳外科手術で異常があったのか、人格演算のバグかというか———」


 鵺のマシンガントークのストレスが、ノイズとして視界を濁る。

 

「鵺、分かりやすくいって」


「施術前と後で、性格や人格があからさまに変わる可能性があります」


 提言されたリスクを、静かな衝撃を持って受け止めた。


「そう………。それで、あなたには私はどう見える?」


 証左を求める言い回しへの答えとして、椿の目と鼻の先に、ぴんと指が掲げられる。


「では、一つ質問をします。あなたは誰ですか?」


 椿は即答できた。


「ふん。菅野・椿としか答えようがないわね」


 続いて、相手の首肯に安堵する。


「良い兆候です」


「我思う故に我ありってね」


「ある意味では、その言葉は核心を突いていますよ。自分の存在を論証、反証する“自我”すら失ってしまえば、私たちの存在はフィッシング詐欺の広告と同然。電子の海の亡霊ですから………」


 椿が自分の仕草を意識して模倣と鵺が微笑んだ。


「お見舞いの品です」


 そう言って鵺がりんごを手に取り………。


「ほれっ」


 投げた。


「わっ、ちょっ!?」


ボンッ!!


 投げ渡された林檎が椿の手のひらに当り、咄嗟に掴もうと反応。その結果一瞬で林檎を握り潰し、破片と汁が床に広がった。


「力加減を覚えましょうね。それはそれとして。

 次のステップ。合わせたい人がいます」


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 椿の新しい体には猥褻物に該当する部位は存在しないが、それでも社会的通例に乗っ取り衣類を羽織った。

 そうして、自らの脚で自律二足歩行を行い、力加減を覚えていく。


「いや、あのローレンシアってクソ女は本当のクソですよ。私を一つを問答無用でぶっ殺しましたからね」


 鵺は、“殺された”事をあっけからんと笑い飛ばす。

 

「何をされたの?」


「セーフハウスを襲撃されて………私は、連中にとって貴重な情報資源だと自負していたんですよ。だから、まず取り入って隙をついてヴィズ・パールフレアももう1人、ローレンシア・シルバーシルビア・カニングをぶっ殺してやろうと企んでいました。

 ところが、あの白髪頭のハーフエルフときたら、質問のしの字を言う前に私を窓ガラスから放り投げて、電柱で串刺しに!

 串刺しですよ!? ブラド公かっつぅーの!」


 話しながら追憶に怒りを再燃させながら扉を開け放った。


「ははっ。良い着眼点だ。ローレンシアは貴族階級の人間で、吸血鬼とも縁がある。それに双方とも逸話は海外での方が有名だしな」


 その扉の向こうに、鵺の言った“会わせたい人”は待ちかねていた。

 

 灰色のクルーカットよ一昔前の軍人らしい髪型に、サングラスとスーツはスパイの正装だ。


「鵺。なんでこの男が?」


 その男が椿の目の前に現れたの3度目になる。1度目はアメリカ資本の警備会社役員偽りの身分として、2度目はアメリカの諜報員を匂わせる協力者。


「新しいパトロンです」

 

 ローグ。CIAの内部の独立したグループの人間は、分かりやすく演技じみた困り顔を作った。


「鵺さん。そう棘のある言い方をしないでおくれよ。いまやはパトロンなんて、金の使い方をするのはアカの連中の方が上手いからな」


 その白々しさが椿の心にザラつくような不快感を抱かせる。

 

「かの有名なスパイ組織の者なら、私の事は全部知っているのか?」


 椿の口調変化に気づいたのは鵺のみ。椿自身とローグは会話の流れを汲んだ。


「椿さん……」

 

「追加情報をくれてやる。私はアメリカ人と吸血鬼が大っ嫌いだ。あんたには恩義があるが、ここで殺しやる!」


 声量が加速度的に増し、完全な不条理な下でアメリカ人に拳は振る。

 サイボーグ技術で強化された拳が、アメリカ人の頬を裂き、下顎を砕いた。


「椿さん、落ち着いて! その異常な攻撃性は人格変異の可能性があります!」


 カッとなった椿が冷静さを取り戻したのは、鵺に抑えられ、床に血と前歯の数々が散らばり、自分が何をしたのか理解してからだ。


「私が…………キレたの?」


「えぇ。その通りです」

 

「あぁ……」


 殴られたアメリカ人の砕けた歯が抜け落ち歯茎から新しい歯が生え、裂けた頬は映像を巻き戻すように修復していく。


「良いパンチだ。ロッキー6のオファーがくるかもな」


 アメリカ人は唾液と血、舌の肉片が混じった唾を吐き捨てた。


「あの、その、ごめんなさい。ついカッとなって…………」


 椿の謝罪は、自身の失望への逃避の意味合いが強かった。

 

「大丈夫だ。気にするな。俺も伊達男なんでね。麗しい女性に痛い目に合わされるのには慣れてる」


 呆然とする椿とまだ打撃が効いているローグの会話が進むよう、鵺が動く。


「えーーっと。今しがた椿さんがぶん殴ったのはローグさん。椿さん治療費を出してくれて………さらに、ヴィズ・パールフレアへの報復も手助けしてくれるとか……」


 鵺の目がいそいそと椿とローグとの間を往来。さながら西部劇での三つ巴のようだった。


「で……見返りは?」


 椿が会話の流れをビジネスへと昇華。椿に合わせるようにローグもダメージをコントロール下におしやる。


「鵺さんの言い方は少し語弊があって、俺はただの偽善であんたを非人道的な方法で生きながらえさせた。

 んで、あんたをそんな目に合わせた極悪犯一味を懲らしめる手伝いをしてくれないかと相談しに来たんだ」


「断ったら?」


「なんで聞くんだ? あんたには無駄な情報だろう?」


 ビジネスライクな問への返答に、言葉とは裏腹に満足感を抱く。


「いけすかない。だけど、あなたに付けば、敵討ちができるのね」


 ローグが商談成立とばかりに手を叩き、残りのカードを提示した。


「我々が執り行う作戦は、作戦名マックス・ロメオ。目的は単純に、準備を整え、悪魔を追い、その親玉であるルシファーをこの地球から追い出す。それだけだ。

 ボスのルーリナという吸血鬼だけ俺が始末する。残りのローレンシアには先着があるが、パールフレアと狗井はフリー。残りのハッカー2人は鵺が唾をつけたがってる」


「協力させてもらう。この国に、もう一つくらい報復の美談があってもいいからね」


 この後の展望すら椿はローグに預ける覚悟を内心で固める。


「あーっと、椿さんに鵺さん。忘れるところだった。どちらかラジコンは得意かな? こーゆーのなんと言うだっけか……お近づきの印?」


 そう言ってローグは手に下げていたアタッシュケースを椿と鵺に手渡した。


 ケースを開けると、そこにはモニターとスティクコントローラーがついたパソコンのような機材が収められていた。


「「………これはなに?」」


 CIAに属する男が、そこで初めて感情に由来する行動として笑みを浮かべた。


「対艦ミサイルを積んだドローンの操作ユニットさ。

 君たちの尊い犠牲のおかげで、名古屋港から出港するルーリナの移動司令部“キュアアクア号”を見つけられたからな。

 とりあえず、ルーリナの船を仲間ごと沈めてみようぜ?」

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