第105話 Parade

 ローレンシアとヴィズが、ジンドウに襲撃を仕掛けていた時、椿は裏瀬に設けた活動拠点のホテルで便器に抱きついていた。


 彼女は、一週間前にヴィズを後一歩のところで取り逃がし、そのまま完全に足取りを失い、それ以降全くの実績を上げる事が出来ていない。


「あー、やばい、ハイテク・アレルギーだこれ」


 頭のチップで脳の効率を底上げしていた彼女だが、狩猟本能のような責任感が体の悲鳴を無視し続けていた結果、チップと身体に変差が表れ、ノイローゼを起こしていた。


 特にこの2日間は、口に入れた物を胃が受けなくなり、胃液の混ぜた食物を全ての便器に移すはめに陥り、経口摂取できるのはニコチンだけ。

 体の機能は注射型の栄養剤で賄っているが、気力が微塵も湧かず、自殺する社員の気持ちが分かり始めていた。


 水を飲み、それを吐き出して胃のムカつきを取り除くと歯を磨いて臭いを消し、本日5箱目のタバコを咥えた。


 ライター置くと、箱から栄養剤の注射器を取り出して、手首の供給チューブから動脈に内容物を注射。これで1日に必要なエネルギーを賄った。


「講習で言ってた、心の栄養不足って感じね………はぁ」


 感情も感覚も鈍くなり、自然と重くなった瞼は、彼女の意識を睡眠とも失神とも区別のつかない状態へと誘い込んだ。


 そんな椿の頭の中で、通知音が響く。


「椿課長、鵺です!」


「あー………はい……どうしたの?」


「東京が襲撃を受けているそうです!!」


 椿の胡乱な脳機能では、その言葉の意味を理解するに時間を要した


「はぁ……………はぁ!!?」


 理解すると同時に、エンジンが始動するように心臓が動き出し、瞳孔がフォーカスが整い、思考が明瞭になっていく感覚が全身を駆け抜ける。


「状況は確認中ですが、勤務中の同僚に電話をかけた者に、折り返しでそのような報告があったそうです」


「警報はどうなっていの?」


「一度作動したようですが、手動で解除されていて、しかも現在、外部からアクセスは出来ません」


「偶然発覚したということ?」


「判明しました。警備課の者は、勤務中にゲームをしていて、その操作が止まったので発覚したそうです」


「………皮肉ね。分かった」


 タバコを灰皿の淵でもみ消し、冴え始めた思考で状況と選択肢を吟味。


「緊急宣言を出して、この事件の機密保全で突発対応する」


 スーツを探し、部屋中を見回してから、着ている事に気がつく。


「了解です。現場に急行できますか?」


 先程もみ消したタバコを咥え、再びひをつける。


「出来る、あなたは?」


「向こうにアクセス出来ないので、無理です、近藤もこちらに………。

 あ、現場対応に出た警備課の回線が判明しました。繋ぎますか?」


 タバコの煙が脳の覚醒にブーストを掛けたように気分になり、迅速果断を発揮する。


「お願い」


 鵺の手筈で、ジンドウに到着している対応チームとの連携が整う。


「こちら警備課の武田係長です」


 タバコを歯で噛み、車の鍵を探しながら電話の応対もこなす。


「機密保全課課長の椿です。今事案の突発対応において全権限を持っています。状況報告を願えますか?」


 電話の相手は、平坦な音域のトランシーバーで答えた。


「あー、はい! えー、現在、私を含めた警備部3課の2班、及び4課の1班が招集に応じています。

 えー、負傷者は4名、死者はおりません。被害者は全員警備課の者です。キット診断では、外傷によるダメージで、重症及び重篤な状態です。現在緊急搬送の手配中です。

 えー、中枢インフラ設備に損害が出ており、即時復旧は困難、施設は補助電源で稼働、警報が出ていないので夜間勤務者が多数残っていると思われます。

 現状、下層設備の閉鎖措置を行い、次対応は指示待ちです」


 報告を精査し、完璧な攻撃だと驚きながらも、口では敵の先手を打つ手立てを探した。


「敵は分かっていますか?」


「負傷者の報告では、敵は1名、おそらくサイバネティクス強化を受けた人間です」


 その誤報を修正させる。


「あり得ない、敵は2人以上だ。おそらく例の2人」


「例の?」


「こちらの話です、犯行声明は?」


「現在ありません」


 敵の敵は味方理論で、警備課に情報を提供。


「相手は反企業テロリストでは無く、義賊的なアナーキストです。目的は企業に損害を与える事ではなく、ジンドウの保有している資産情報だと推定しています。これの阻止には実行犯の無力化しかないと考えています。

 その流れで、ですね………現在、到着している戦力での突入は可能ですか?」


 椿が望んだのは手柄ではなく勝ち星。その為になりふりは構っていられない。


「えー、エレベーターの一つは使用中、片方はロビーにて……停止工作が施されているもよう。

 階段に1班を残して、閉鎖しつつ、感電銃装備の2班の戦力で対処する事は可能かと………」


 手柄を譲るなのだとは微塵も考えずに、遠回しに“ヴィズ・パールフレアを仕留めろ”と告げる。


「私の名のもとでその現場の指揮権をあなたにお譲りします。即時対応及び襲撃者の処理を行ってください。

 敵は、ゲリラ戦や室内戦闘において我々より知見がある可能性が高いので、その点だけ肝に銘じください」


 応対の末、椿は上司として相手を労った。


「私も現場に急行していますが………出来れば、後始末のような、楽な仕事を望んでいます」


「ははっ。分かりました。あなたに苦労はおかけしません。ですが、だれが苦労したかちゃんと覚えていてくださいよ?」


 電話を終えた椿は、生き返ったような気分だった。状況からすれば、敵に出し抜かれ、自身や課に何かしらのお咎めがあるのは間違いない。しかし、そんな事はどうでも良いと思えるほど胸が高鳴っている。


「ヴィズ・パールフレア………やっと会えそうね」


 念のために先行試作品の外骨格をアタッシュケースに押し込み、拠点から飛び出した。

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