第106話 無制限降下
「あー、こちらチーム7。フロア制圧完了。損耗なし」
ローレンシアは、欺瞞工作として人質たちに聞こえるように、無線報告のフリをする。
自分たちの支配力を効率よく維持するなら、歯向かう事に少しもメリットが無いことを教えるのが1番だ。
もっともヴィズが率先して人質を殺害した以上、信頼関係の構築は不可能に近いというのも事実。それを踏まえても計画の本筋への影響はない。
ローレンシアは、繭のように拘束された人質たちに、あくまで欺瞞工作を続けた。
「諸君。我々は、これ以上誰も傷つけたくありません。非暴力、非服従で構いません、その場から動かないでください。
これが脅し文句では無い事は明白だと思いますが、動けば殺します。
ヒーローになろうとしないでください。下手に企むとピエロとして弄ばれるだけですからね」
特に反応をします事もなく、人質たちは恐怖と暴力に屈していた。
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ヴィズとローレンシアが向かったのは真の目的であるサーバールーム。
そこはパソコンの本体部分を巨大化したような機器が無数に並び、何かしらの電気的なやり取りが行われているようで、小さらなランプが星のようにきらめいていた。
「いやに寒いな」
機器のパフォーマンス維持の為に、部屋そのものが空調で冷え冷えしていた。
「人殺しで火照った体に丁度良いでしょう?」
「人をなんだと思ってる」
「人でなし、かな」
2人は、機材の森を進んだ。
「あの状況じゃあ、あれしかなかった。理想と心中するつもりなんかないからな。模範解答がないなら、あんなやり方でも正答だ」
「責める気はないよ。落ち込んでるっぽいからいじめただけ」
「…………クズめ」
ローレンシアとヴィズが探していたのは簡単に見つかった。ここに置かれている機器は、ほとんどが最新の冷蔵庫のような見た目なのに反し、その一台だけが前時代的なボタンやパネルスイッチの制御盤そのもの姿だったからだ。
「こんなのをベトナムで見たことがある。なんかの防空レーダーかなんかの機械だ」
製作された時代は70年代の代物なのは間違いない。
埋め込み式のブラウン管ディスクに、ポケットに内蔵されているのはコンピューターマウスとマウスパッド。
機械本体にパソコンを内蔵させた、古めかしいミニマニズムが垣間見える。
「ふふ。あのナードも慌てたのだろうな」
ヴィズは、人の苦労を想像して笑みを浮かべた。
青烏やキーラがUSBメモリーを重宝していたが、今回2人に渡さらているのはMOディスク。世代の古い記憶媒体だ。
機械の電源は入っていて、後はディスクを挿入するだけ。
ヴィズがディスクを入れると、機械の中で小さな円盤の回るカシュカシュという摺動音が響き、ダウロードを示すインジゲーターが画面に表示される。
それとはほぼ同時に、ローレンシアのスマホに通知が届いた。
「向こうに届いたって、全部完了。私たちは逃げていいって」
「じゃあ、ムラなんたらは、ここには無いのか」
ヴィズにとって、それは非常に都合の良い命令だ。
「これ以上時間の浪費は出来ない。運がいい。これ以上リスクを侵さずに逃げる事が出来る」
押し気味だった時間の問題が解決し、作戦は手順が飛躍した。
「よし、私は消化器を持ってくる。お前は取り敢えず目につく機械を片っ端から壊していけ。私たちはあくまで反企業テロリストなんだからな」
———————————————————
ヴィズたちが真の目的を隠す為にサーバールームをめちゃくちゃにしている最中に、建物が揺れる程の衝撃が起こった。
「!!?——何が起きてる!?」
サーバールームの扉が吹き飛ばされ、コンピュータの一つに突き刺さる。
敵襲と身構え床に伏せたヴィズ。床に近づいたお陰で、エレベーターシャフト内を滑り、唸るような音で落ちるワイヤーの音を聞き取れた。
そして、ローレンシアに怒鳴った。
「おまえ、エレベーターに何を仕掛けた!?」
「…………あー、覚えてないかな……」
ヴィズは、ローレンシアを殴り飛ばそうとしたが、体に刻まれた作戦行動能力が感情よりも理性を優先させる。
「クソッタレ!」
サーバールームを飛び出すと、内装と通気ダクトの崩れた廊下が目に飛び込み、扉のひしゃげたエレベーターが見えた。
会議室の窓ガラスが割れて強烈なビル風が吹き込み、巻き上げられた書類が螺旋状の怪物のように部屋に舞い、物や体に絡みつく。
エレベーターを確認しに行ったヴィズは、エレベーターが既に落下している事に気がつかず、危うくシャフト内に足を滑らせかけた。
「最悪だ」
そう呟く彼女は、底の見えないコンクリートの角柱を覗き込んでいた。
「最悪だ!」
吹き抜ける風と何かが地面で砕ける音が、さらに怒りと絶望を誘う。
ダンと床を殴ってヴィズの背後からのほほんとした声が響く。
「私たちは別の部屋にいてよかったね」
ローレンシアの指差す方向には、身動きも取れずに爆風を浴びた人質たちがウジムシのように悶えている。
「そんな事はどうでもいい」
ヴィズがローレンシアの肩に手を置き、自分に目線を向けさせる。
「お前をここから突き落としてやる——」
「で、あなたは階段で降りるの? ヘトヘトになって、下にいるであろう
「捕まるなら1人でも多く殺す。まずはお前からだ!」
「落ち着いて、逃げ道はまだある」
「は? どこに?」
ローレンシアは、ゆっくりとむき出しの外壁と夜景の方へと視線を運ぶ。
「三角関数と二次関数とかは得意?」
「放物線の話か? ……飛び降りる気か?」
「計算された墜落だよ。さながら堕天使のようにね」
ローレンシアが手を翻すと、そこからホタルのような光源は空に舞い、ゆらゆらと漂いながら、ホバリングを始める。
「向こうの通りのビルの屋上にパールがある。際どい水着の女の子が泳いでいて、水深は1800mmほどのようだ」
ローレンシアはそう言って、ガラス片と火花を散らすケーブルを踏み散らかしながら、風が金切り声を上げる窓際へと歩いていく。
「ビル風と私たちが描く放物線を計算すれば、着水も夢物語じゃない」
ローレンシアの提案に、ヴィズは真っ向から反対。
「高さを考えろ、例え水だろうと重力加速帯びた体じゃあ、コンクリートに飛び降りのと変わらない」
ローレンシアは首を横に振った。
「流体力学は不得意? 重力と慣性と親睦を深めて、物理法則に
ヴィズは澄ました顔で語るハーフエルフの胸ぐらに掴みかかる。
「集団自殺のセミナーかよ!?」
ヴィズの怒りのこもった手が、純粋な腕力で引き剥がされ、逆にその手をハーフエルフの手が包み込む。
「受動的な自殺か、能動的な自殺か、アメリカ人なら後者を選ぶでしょう? ロス・アラモスだよ、ベイビー」
「…………ここにいても、飛び降りても同じだ」
「意外とビビりなのね」
「この場合の臆病さは生き残るのに必要な能力なんだ」
「そう。じゃあそうすればいいよ。私はヴァルハラに行けるけど、あなたは無理だね!」
「そんな事知るか、生憎私は死んだ事がないんでね!」
言い争いを打ち切ったのはローレンシアだった。
「ヴァルハラだとお酒が飲み放題だよ? ここに残ってたら、ホルマリンとか培養液漬けになるから、あなたにとってそれは、とんとん?」
ヴィズから目線を外し、助走をつける準備を始めるローレンシア。
舌打ちをしてから、ヴィズも後に続いた。
「もし、飛び降りて生きていたら——」
「もしはいらないよ。下で一杯奢ってあげる」
「———前歯を全部へし折ってやる」
ヴィズは決断を下した。
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アクセルを踏み込むように、廊下の端から全力で駆け、恐怖心を噛み殺しながら地上56階の空に飛び出した。
風の音と浮遊感が全ての感覚を上書きして支配される頃、光球の目印を体がすり抜け、全身を巨大な風圧の拳に殴られる。
視界に満遍なく夜景が広がり、時間は恐ろしいほどゆっくりと流れだした。
夜の明かりが流星の尾のように伸びて縦長の柱となって視界を流れていく。
つま先の奥には、街灯と車のヘッドライトが見えた。
その感覚は空挺降下に似ていたが、パラシュートの救いがない投身は、抗いようのない恐怖心を心に湧き上がらせ、いっそコンクリートの衝撃による終焉を心から望むほどに膨れ上がる。
しかし、告げられた予定が正しいのならコンクリートとは無縁のはずだ。
戦争経験から得た強靭な意志、精神と肉体から離脱した意地のような理論的思考で、着水の衝撃に備え腕を組む。
つま先の向こうの景色が少しずつ揺れ動いていき、紫色に照らされたプールの水面が足元に広がる。
落下の感覚が薄れ、水面が猛烈に追い上げくるような錯覚に襲われる。
水面が足元に来た時、ヴィズは意を決して夜空を見上げた。
ローレンシアの軌道計算は完璧で、ヴィズは着水すると、航空魚雷のように水中を滑り、重力加速で与えられたエネルギーを水の抵抗と水の中を進む推力で減衰させることに成功。
彼女は人の原型を保ったままプールの底に着底、足と尻を底面に打ち付けたが、負傷には至っていない。
水の中であることを知覚したヴィズは、水面を目指して跳び上がり、その勢いでプールの中で立ち上がる。
「わぁお!! 神様! 生きてるぞ!」
ヴィズは叫んでいた。生存反応と緊張からの解放にアドレナリンの陶酔感が加味され、経験したことのない多幸感に包まれていた。
「誰か見てたか!? あんなジャンプは二度と見れないぞ!!」
じゃばじゃはと水をかき分けてプールサイドに上がる。気分は未だに最高だった。
「サインが欲しい奴はいるか!? 書いてやるぞ!」
プールサイドに横たわり、そこでやったローレンシアを探した。
その瞬間、ローレンシアが空からプールに飛び込んだ。
水飛沫と大波がプール周囲に行きわり、その波紋の中心から落下体が起き上がる。
「生きてる………」
「おい! 死に損なったな! こっちだぞ!」
ヴィズは、意気揚々とローレンシに手を伸ばし、プールサイドに上がるのを手伝う。
「ありがとう……」
ローレンシアがお礼を言うと、ヴィズは彼女を抱きしめ、額にキスまでした。
「いいってことよ!」
そう言ってもう一度、今度は頬にキスをした。
「ちょっと待って、頭でもぶつけた?」
「……………ふふ。生を満喫してる感じ」
「じゃあ、もっかいキスしてくれる?」
ローレンシアの喜びを感じとったヴィズは、その瞬間から一気に感情のボルテージが下がり、冷静さを取り戻す。
「………いや、状況を開始する」
ローレンシアは、空を見上げ、数十メートル上の自らが飛び立った窓を探していた。
「そうして、次飛び降り時はビデオカメラを用意しなくちゃね」
ヴィズは、二度とごめんだとばかりにプールの水面を見つめた。
「ふっ。その時は私がカメラを持つよ。女の
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