第86話 模範的渡航者
羽田空港を出たヴィズとローレンシアは、まず、とっくに日が暮れていたことに驚いた。
時差と空港内の明るさが時間感覚を完全に狂わしていたのだ。
標識の指示に従って行動して、タクシー乗
り場を見つけると、タクシーを捕まえ2人とも後部座席に乗り込んでいた。
「足立区の裏瀬までお願いします」
ローレンシアが運転手に行き先を伝え、車は走り出す。
ヴィズは、ローレンシアがSNSに“一言”を呟いているのを確認すると、シャツの裾を捲り、腹筋の割れた腹部を晒し、左脇腹の傷を手でなぞる。
「ヴィズ〜。あなたお臍が2つあるのね」
体を寄せようとしたローレンシアの顔を掴んで手で押し退ける。
「黙ってろ。あっち向け」
乱れた銀髪を整えながらハーフエルフは、笑った。
「あなたのソレのせいで、私も多大な迷惑を被ったのよ?」
服の裾を戻しながら中指を立てるヴィズ。
「口を閉じてろ」
ローレンシアは、ニタニタと笑い続けていた。
「私は問題なく出国ゲートを抜けたのに、あなたは金属探知機に引っかかってた。あの特製パソコンや荷物じゃなくて、あなたがね」
「うるさい。私だって知らなかった。って言うか知りたくなかった。自分の体に鉄片があるなんて」
飛行機に乗り込む際、金属探知機に引っかかったヴィズは、人間用のX線検査機かけられれ、内臓の内側まで調べ尽くされてた結果、小腸の横に金属が打ち込まれていた事が判明。幸いな事に飛行機への搭乗には問題はなかった。
「クソッタレ。ベトナムしかない。72年のブラッドリーで食らった迫撃砲弾だ。しかもアメリカ製だぞ。ふざけやがって」
無意識に脇腹をさする。
「でもさ、傷痍軍人さん。迫撃砲ってあの、臼砲みたいに真上に撃つやつじゃないの?」
「地球では、打ち上がった物は落ちてくる。迫撃砲は、榴弾を山なりに打ち出して、敵の足元に落ちる。で、地面に当たってドーム状に爆風と鉄片をばら撒く。近くにいると一瞬で
「でも、あなたはミートボールのトマトソース煮に見えないね」
「馬鹿言え。ちゃんと塹壕に隠れた。でも、はなんかに跳ねたのが刺さったんだ」
「うふふふ。ラッキーストライクね」
指を指して笑うローレンシアに、肘鉄を入れた。
「痛いなぁ」と眉間をさすりながらヴィズに手を伸ばしローレンシア。
「だから触るな。身体に金属が入ってるような奴は、頭のネジがとんでるんだ。お前をペーパーナイフで惨殺するかも知れない」
「いやいや。そこは金属片を取り出して切り刻んでよ?」
ヴィズは、無言で座席にかけられた白いレースのカバーを外し、ローレンシアの口に捩じ込もうとした。
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タクシーは街中へと入り、車内には、料金メーターの回る音と車外の街の音だけが響いていた。
習慣的にヴィズはタバコを口に咥え、それを運転手がバックミラー越しに注意する。
「あ、お客様。タバコはちょっと……」
2人の外国人には“ちょっと”の意味が分からず、日本語を聞き取ったローレンシアが聞き返した。
「ちょっと……? あなたも吸いますか?」
「いえ。車内は禁煙です。ノースモーキング」
「分かりました。ごめんなさい」
「
「
「ご協力感謝します」
程なくしてタクシーは指定された場所に到着。
「到着しましたよ」
ローレンシアが料金を払い、運転手の操作でドアが開いた。
「荷物は自分で出します」
ローレンシアが素早く車から降り、後部に回り、その後に続きながら運転手に紙幣を差し出した。
「お客様。料金は受け取っております」
「………It's a Chip」
「チップ? いえいえ、日本では必要ありません」
受け取ろうとしない面倒くさくなったヴィズは、運転手の胸ポケットに無理矢理紙幣を押し込んだ。
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電光掲示板とネオン管の張り巡らされた通りでヴィズは、タクシーが走り去るのを眺めながらタバコを咥えた。
「あー。代金にサービス料も入ってたのか? まぁ、恩を売ったと思っておくか」
タバコの煙が空を目指して漂い、電飾で虹色に輝いた。
「ロンドンより狭く、マイアミより眩い、“奇抜”な街だ」
「ダウンタウンはもっとすごいと思うよ」
ヴィズのぼやきに答えながら、素早くスマホを操作するローレンシア。
ヴィズが予定の宿に着けるかどうかはローレンシアに任せてあったので待つしかないのだ。
「ところで、その携帯の電波やSNSで私たちが捕まるなんて事はないよな?」
「私たちの存在がバレた場合は特定されるでしょうね。でも周りを見て」
ローレンシアに促されてヴィズが周りを見ると、通りを歩くほとんどの人間はスマートファンの画面と進行方向を交互に見ているだけだった。
「この普及率と私たちの完璧な偽装があるから、偶然見つかる事はものすごく天文学的な確率だから、その心配をするくらいなら隕石に気をつける方がまだ建設的だよ」
「私たちがやろうとしている事は、誰かが未然に防ごうと躍起になっている事案だ。嗅ぎつけられないなんて楽観視するな」
ヴィズは潜在的な不安を訴え、ローレンシアは論理的に答えた。
「電波の広大な衆人環境で、“着いたー”とか“寒い”とか“
そこから何か良くない事を見出すのは、もう被害妄想の領域だ」
「…………どうだかね」
納得する様子のないヴィズに、ローレンシアは何かを思い出したようにニヤリと笑う。
「普通は逆だよね。古い人が、新しい人に諭されるのがお決まりだ」
ヴィズは、露骨に目を鋭くする。
「…………」
ローレンシアは、手でヴィズを制し、鼻をすする真似をし始めた。
「ごめんね、ヴィズ。私だって物忘れくらいするよ……本当にごめんね。あなたに正論は残酷すぎた」
ヴィズは、黙ったまま煙を吐きだすと、タバコを指で弾いた。
「私たちは似た者同士だ」
「どう言う意味……——うわっ!?」
手から打ち出されたタバコは煙が軌道を残しながら飛翔し、ローレンシアの胸元に赤々と火花を散らす。
「自分の役割を果たすだけの存在だ。それ以外は知ったことじゃない」
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