ドッグ・オブ・ザ・コーポ

第85話 Silent Majority

東京国際羽田空港。


 国内線ターミナルに、鹿児島発の旅客機が予定通り20時15分に到着し、機内に詰め込まれていた搭乗客が、ぞろぞろと広大なメインターミナルへと拡散していく。

 その中に、『コーポ・ジンドウ資産情報管理部・機密保全課・課長代理』の菅野・椿という女性がいた。彼女は黒い髪をポニーテールでまとめ、先端はうなじのあたりで揺られている。目の色は濃い茶色。容姿には自信があったが、企業人として顰蹙ひんしゅくを買わないよう。キャリアウーマンらしい化粧で表情を整えている。

 服装は、上下とも濃い紺色のレディースのスーツを着こみ、下のワイシャツは薄い桜色。パンプスや綿の手袋は黒色で統一してあり、これも企業人としての正装を意識しての選択だ。

 そして、よく訓練された社会人として、報連相を肝に銘じている。

 に手を当て、部下に向けての回線を開いた。


「椿だ。羽田に着いたから、迎えを寄越してくれ」


 ジンドウ製品の通信機の特殊回線にはラグや雑音は無く、隣で話されていると勘違いするほど明瞭な声が届いた。


「了解。“ボス”。車は用意してあるんで、到着したら連絡しますよ」


「よろしく」


 そうして、椿は、ほかの客と同じように手続きを終え、メインターミナルへと向かう。

 メインターミナルのドーム球場のように高い天井の下では、国内線と国際線の利用客たちが合流し、とてつもない人混みを生み出していた。アナウスが反響し、それに共鳴するように雑踏がひしめいてる中を、彼女は一直線に喫煙所へと歩く。

 喫煙所は、壁とすりガラスで囲まれた四角い2畳ほどの空間で、利用者は椿を含めて4人。彼女を除いて、皆、中高年の男性であり、全員が、日本人らしいようで、それぞれ喫煙所の角に腰を落ち着け、他人を気にかけないようにタバコをふかしている。その暗黙の了解に気がついたので、空いていた最後の角へと腰を下ろした。


 慣れた手つきで胸ポケットからタバコを取り出し、ガスライターで火をつけ、煙を味わた。


 喫煙者同士の会話などは無く、お互いに物理的にも精神的にも距離を取り合い、不特定の誰かに迷惑をかけまいと無意識に警戒している。没個性的で奥ゆかしい空間。

 その雰囲気が崩れたのは、もう1人、喫煙者が現れたからだ。


 乱暴に扉を開け放ち、椿の横一人分の間をとってどかりと女性が座る。

 女はダークエルフで相当苛立っている事が振舞いから見てとれた。

 

 その女性は、綿の温かみのないジャケットからラッキーストライクを一本取り出し、それを咥えながら、片手でオイルライターの蓋を開け、乾いた金属音を響かせた。


 ジギッと火打ち石を擦り、火花が瞬く。


「チッ」


 火花がオイルに着火せず、ダークエルフは、大きな舌打ちをした。


 ジギッ! ジギッ!


Fuckクソ………」


 ライターはオイル切れを起こしているようで、火は一向に着かず、ダークエルフはタバコのフィルターを噛み潰してしまほど辛酸を舐めている。


「使いますか?」

 

 見るに見かねた椿は、自身のライターを彼女に回した。片手で火をつけ、もう片方で風を遮るようにカバーして、ライターの火が消えないようにもてなす。


 ダークエルフは、その火でタバコを灯し、確実に着火させるために2度短く煙を吐き、3度目に大きく吸い込んだ。


「ふぅ…………」

 

 ダークエルフは、艶かしい吐息と共に、恍惚とした表情を浮かべ、うっとりとしたように椿の方を向いた。


「Thanks………ドモ、アリガト」


「あーっと、you're welcomeどういたしまして


 椿は、このダークエルフの不自然な日本語と日本では馴染みのない香料の匂いで、外国人だと判断した。

 また、噛み潰してしまったフィルターを食いちぎり、フィルター無しでタバコを吸い始めた事から、かなり年齢層も上なのでないかと推測したが、成人したエルフ族の年齢は外見から推し量り難いので、予想の範疇を出ない。


 椿は、英語に自信はなかったが、ダークエルフとの会話を試みた。


Were are you fromどこから来たのですか?」


 ダークエルフは、不自然なほど間を置いてから答えた。


「……Brazilブラジル


 ダークエルフはハスキーな声で無愛想に答え、会話が弾まない。


 椿はふっとなぜこの自称ブラジル人は英語で答えたのだろうと疑問を抱いた。そして、すぐ自分なりの答えを見つけた。それは、自分が英語で話しかけたからだ。だからポルトガル語を母語とする人であってもその返答に不自然はない。

 そう結論付けた彼女は、普段日本語で行なっている世間話を英語に変換しようと努めた。


「w.....Way are you here来訪の目的は....?」


 “なんでここにいるんだ?”渡航の目的を聞こうとするにはやや攻撃的にも取れる表現だったので、すぐに和やかな笑顔と言葉で補足した。


tourism観光ですか or Businessそれともお仕事?」


 椿の質問にダークエルフは見落としてしまいそうなほど僅かに頬を緩ませて答えた。

 

Business仕事。. A fuckin' Business割に合わない仕事だ


 ダークエルフは質問に答えると、タバコを咥えて席を立ち、どこかへ行こうとしている。裏を返せば椿の横にいたくないという意志の現れだった。


have a nice job上手くいきますよに missお名前は…………——」


 彼女は椿の言葉を遮るように答えた。


yaえぇ.……kill me不本意ながらね


 喫煙所から咥えタバコで出て行くダークエルフを見送り、呟く。


「嫌われちゃったなぁ」

 

 スマホの通知で迎えが到着した事を知り、そのままタバコを最後まで吸う。

 椿は時代と文化の流れに沿って生きる人間だ。タバコと無縁の人々の気分を害したり、呼吸器に基礎疾患を抱えた人たちに迷惑をかけるような愚かな真似はしないよう最低限の一線は心得ていた。


————————————————————

※作品外


余談ですが、椿の発した『have a nice job』は英語の言葉として正確に適しておらず、誤用になります。

 感覚的に、慣用句のhave a nice day《良い一日を》を言い換えて伝えた感じです。


お仕事“頑張る”してください。的なカタコトのニュアンスで使っています。



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