第87話 Apollo

 椿が送迎ターミナルに足を運ぶと、そこにはジンドウ本社の社用車、全自動運転式送迎車両“シャフ”がまち構えていた。

 この車両は、国内最大手の自動車メーカーとジンドウ・コーポが共同開発したオートマトンで、四輪自動運転式ラグジュアリーカーの市場を開拓した傑作車だ。

 セダン形式の車体に、大容量のトランクケースの機器材とマルチモーターシステムの詰まった長いボンネットを持ち、角張った古くさいシルエットをしている。


 トランクの後ろに荷物を置くとアームが自動で格納作業を始め、椿本人が右後輪辺り立つと、車は自動で彼女の社員証を読み取り、機械質な音声案内と共にドアが開いて後部座席へと誘った。


「お帰りなさいマセ。椿サマ」


 続いて、扉の内側から人の手の形をした物が伸びる。


「お疲れ様です。ボス」  


 そう言ったのは、彫りの深い濃い顔の青年で、スーツの下に筋肉を着込んでいるような体格の企業人だった。


「近藤か………。もしかしてトラブル?」


 近藤と呼ばれた、角刈りの頭髪と、身長に対する筋肉の量でずんぐりとした男は、がっかりしたように泣き顔を作った。


「これは心温まる歓迎っすよ?」


「肝が冷えたわ。でも、今はあなたが暇そうで頭が痛い」


「いえいえ、激務に次ぐ激務の僅かな隙間を使ったポイント稼ぎですよ」


 部下のもてなしに笑みをこぼしつつ、車に命令した。


「シャフ。ジンドウの本社正面へ向かって」


「了解しまシタ。椿サマ。所要時間は20分デス」


 シャフは車体の周囲に発進警告を促すと、モーター動力特有の静かで滑らかに発車した。


「ポイント稼ぎ……そうね。あなたの肉体改造狂いは、いくらお金があっても足りないもの」


 肉体改造。この国は70年代後半のバブル景気時に、“企業戦士”の概念と人間工学において急成長を遂げ、現在では国民の60%は身体の一部を機械に入れ替えている。

 近藤はその際たるもので、機械化と筋肉に取り付かれた男だったら、


「まあ、そうっすね。先週、胸を手先までを総入れ替えしたんで、片手で300キロ。両手なら800キロまで物を持ち上げられるようになりやした」


 スーツの上からも分かる逆三角形の上半身。素肌の見えている腕は、一見は人の物だが、関節部にはライダーズグローブのようなプロテクターが埋め込まれている。


「ふーん。でも、上司の私には腕相撲で勝てないんでしょう?」


 椿は、逆に珍しいほとんど生身の肉体の持ち主だ。

 

「そーすっね。腕力より権力の方が強いっす。はははっ」


 そう言いながら、これ見よがしに腕に力を込める近藤。本来の上腕二頭筋のある部位には、深部冷却用のクーラントファイバーがあり、それが筋肉のように隆起した。


「でも、課長。生身で38時間勤務は辛くないっすか? 最近なら日帰りで全とっかえもできるじゃないっすか………過労で倒れるよりは、業務に支障がないと思うですけどね」


「私ももうすぐお婆ちゃんだからちょっとは考えてるんだけどねー……。

 ほら、トダ症候群とかさ、村上医院フランケンシュタイン事件とかと丸被りの世代だから、施術そのものに抵抗あるんだよね。そもそも、ウチの会社の隠蔽工作なんかもこなしてるしさ……こないだ手を焼いた、互換神経のサイレントリコールなんて、超ド級のスキャンダルじゃん?」


 椿が例に挙げたのは、どれもがサイバネティクス業界のタブーばかりだった。

 ジンドウ本社でその話をすれば白い目で見られ、この緘口令かんこうれいは機械にすらフィルターとして刷り込まれている。


「音声録音を中止しまシタ。3分前からの音声を消去シマス」


 近藤も場を誤魔化そうと、苦笑いを浮かべる。


「まぁ、それも一理ありますかねー……」


「おい。その前に私の年寄り発言を否定しろ」


「あ、すいません。まだピチピチっすもんね」


 椿は、会話の合間に窓から外を眺める。海とその円弧の向こうに煌めくビル群がある。


「認知機能拡張と処理負荷軽減だけでなんとかなってるから大丈夫。これ以上脳も体もいじりたくない」


 2人の乗った車は、東京湾に沿って、ジンドウ本社のある港区へと向かっていた。


 世間話の途中。椿の耳に連絡が入る。


「あっ、通知」


「……俺もだ。ぬえだろう」


 もう1人の仲間と共同回線を開く2人。こうする事でいつどこでも会議を開く事が出来る。


「お帰りなさい。椿さん。機密保全課のアイドルの鵺です」


 連絡をしてきたのは機密保全課の技術アドバイザーという名目で在籍しているハッカー。

 この3人がジンドウ・コーポ資産情報管理部・機密保全課のメンバーだ。


 「ただいま鵺。ついでに要件をお願い。報告書は出来た?」


 椿は既に鵺に出張先の仕事で得た情報を伝えてあった。鵺の役割は、その情報を基に起こりうるすべての事態を予測することだった。


「報告書は出来てます。要約すると鹿児島支部のエンジニア失踪は、誘拐でも暗殺でもなく、引きこもりでしたって事ですもんね。細部は後で直接確認してください」


 鵺のタイピング速度なら音声報告の文字起こしは一瞬で完了しただろう。椿が知りたがったのはその次の展開だ。


「ありがとう。それであなたの技術面での見解はどう?」


 椿の質問に、鵺は原稿でも用意したかのよに答えた。


「まぁ、そのエンジニアの気持ちは分かりますよ。自分の管理するサーバーってのは愛着が湧きますからね。他人に唾をつけられたとなれば、そりゃマッハでキレますよ。 

 ただ、サーバーの再構築もウィルスの排除という面では確実な方法ですが………それを誰にも相談せずに勝手にやったのは問題ですよね。

 連絡くれれば今回のように本社の管理部がエマージェンシーを発する事はなかったのですから。

 まぁ、それでも再構築したサーバー方がトラブル頻発はアウトですけどね」


 鵺に悪い点があるとすれば、“おしゃべり好き”なところだ。

 椿は、辛抱強く鵺にを求めた。


「そのきっかけになったウィルスの影響力や実害は?」


「まずないでしょう。ほとんど画面を遅らせるだけの嫌がらせですし、そもそもサーバーを切った時に自壊コードを入れているので、取り出せる情報はありません。下手にデータを抽出してあれば、向こうのシステムも破壊しているでしょう」


 椿は、技術アドバイザーの承認欲求を満たしたから、知りたい事を尋ねる。


「じゃあ、情報漏洩の危惧はしなくていいんだね?」


 歪みない電波は、単発の返事を伝えた。


「はい!」


 その答えを聞いた椿は素朴な意見を求めた。


「じゃあ、なんでウィルスなんて仕掛けたのか」


 椿の素朴な質問に、近藤が当たり障りのない答えを出す。


「……嫌がらせっすかね」


 鵺も肯定しかけた。


「そう思いますよ。サーバーの再構築なんて、ウチの会社で言えば最終手段ですから、ウィルスがどうしても見つけられない場合じゃないと……………」


 電波越しでもはっきりと分かるほど、声色に変化を起こし、今にも叫び出しそうになる鵺。


「……まずい!!」


 鵺が悲鳴に近い声を挙げたので、通信音声に音量リミッターが作動するジッという音が入った。


「鵺、なにが問題? またとでも言う? あなたには、あの公安の人のように、それだけで周りを動かせる権限はないからね」


「いえ、冗談は言ってられないかも知れません。虫の知らせですよ」


 椿の催促に、鵺は思考と口を並走させながら喋る。


「……そのエンジニアの人格的な面を除いても、ウィルスを見つけられなければサーバーは再構築されたとします。

 ですが、ウィルスを仕掛けたクラッカーの目的が、サーバーを再構築させる事だったとしたら………」


 そこで押し黙り、1番最悪な事態を導き出した。


「そのクラッカーは、全ての行動パターンを予見した上で、タイミングを見抜く事ができたはずです。

 つまり、本社と支社のサーバー開設情報を抜き取る事ができ………今や、顔パスでジンドウ本社のメインにアクセスできている可能性があります!

 こ、これは、すぐに情報管理課に通達しましょう」


 椿は、マイクに拾われないように舌打ちをし、鵺の予想と進言に対する正答を考える。


「鵺。あなたは上司に報告した。それでいい。私は部長に報告して相談するから、それまでは何もしないで」


 無線の声には諦念似た冷淡さがあり、それに応えた声には憤りが混じる。


「椿さん! そんな悠長な事は言ってられないんですってば!」


 その忠告には、歯痒さを誤魔化すために髪をかきあげる。


「鵺。ウチの会社はね。会社の存続なんかよりも社内ルールの方を重要視する指揮形態なのよ? 私やあなたが勝手に動けば、そちらを問題視されて身動きがとれなくなる」


「くっそう!」


 電波の向こうで鵺が物に八つ当たりしたのが感じとれた。

 鵺の横で、近藤も指示を仰いだ。


「椿さん。緊急事態宣言っすか?」


 椿は、頭の中できらめいた直感を会社員としての常識で否定。


「いや。出来る事は多くないけど、出来る事を迅速にこなしていきましょう。とにかく部長の判断を仰ごう。後々、警備部門と連携するとしてもだ」

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