第50話 God's Gonna Cut You〜名家の威信〜

 冬が迫り、晴れる事なく重い雲を冠したロンドンの市街に開放感という言葉はない。古く曲がりくねって狭い道には車がひしめいていて、それに影を差すように古臭い集合住宅がそびえ立ち、街のどこもかしこも袋小路のような陰鬱さに沈んでいる。

 

 そんなロンドンの日常的な朝に、サマンサ・カニングは、シティメトロ8番駅から、パームス通りへと出た。

 

 彼女は上流階級の人間だ。政界と財界にその名を知らない者がいないと謳われる名家“カニング家”の一員で、カニング家現当主の娘にあたり、彼女には、一昔前の英国人のように諸外国で悪さをするのが好きな正規軍人の兄パトリックがいた。


 サマンサは、“カニング家の女性の例に漏れず、とびきりの美人”と称されていたが、それは10代後半までの話で、目立たない事を絶対条件とする職場に就いてからは、容姿について言及されないように努め、それは私生活でも根付いていた。現在の彼女の格好は、厚手のコートのポケットに手を入れ、顔は鼻までをマフラーで隠し、明るい茶髪もハンチング帽で隠れている。

 彼女の容姿が垣間見えるのは、長く綺麗にカールしたまつ毛と切長の青い目だけだった。


 セントラルの官僚街に向かう人々の流れに逆らって歩き、繁栄しているロンドンの中心区画から1ブロックごとに衰えていく街並みを進む。

 パームス通りの10番街を越えた頃には、産業革命の時から変化が無いような景観が顔を出してくる。

 煤けた粗製レンガの建物が並び、その大半はレンガというよりは使いかけの消しゴムのように角が落ちていて、レンガを繋ぐモルタルはボロボロに剥がれ、ほとんどの建物には同一規格で、薄いガラスの格子窓がはまっており、それらは全て同じようにビクトリア朝建築を模倣した模様が施されているいる。


 彼女は、その一蹴りで壊せそうな建物が並ぶ地区を抜け、パームス通り13番地の6という住所を目指した。

 その場所には、辺りの街並みと同じようにくたびれた雑貨店『ウィーイザードの店』がある。

 通りに面したショーウィンドウの店名のフィルムは剥げかけていて、無人の店内は本棚や鳥籠に薬棚が乱雑に並び、全てに大量の埃が積もっている。破産と夜逃げが連想される店構えだった。


 サマンサが、ガラスの汚れを手で拭って店を覗くと、自分の顔が空の鳥籠に自分が囚われた生首のように写った。


 彼女は、躊躇なくその店の扉を開けた。


ギィィ。


 油の切れた蝶番が悲痛な叫びをあげ、ドアチャイムは固着していてコンッとだけ鳴った。

 建物に染み付いたカビの臭いにうんざりとばかりに目を回し、彼女は、魔導士の所有解錠の儀式に取り掛かった。


 まず、雑貨で狭く縛られた通路、戦争捕虜くらいしか通れないような隙間を抜け、壁にかけられた鹿の剥製の目を抜き取り。

 商談用の談話室にある暖炉へと向うと、暖炉の横にかけられた火かき棒の取手の絡みに嵌め込んでから元の位置に戻した。


ウィーイザードwiizardの店でアイをとる。ウィザードwizard。はぁ………」


 彼女が、火かき棒を戻して数十秒後、壁と暖炉が組み合わせパズルのように崩れ、その裏に隠された階段が露わになる。


 顔には喜びも安堵も浮かべないように口を1文字に結び、幼い頃にさんざん教え込まれたお淑やかな足取りを思い出しながら階段を下った。


————————————————————


「………サマンサか」


サマンサが地下室に降り、暗闇に目が慣れると見覚えのあるイングランド人がいた。

 アラブ人並みに豊かが顎髭を持ち、ウェールズ訛りの荒っぽい口調と短く刈り上げた髪は、映画に出てるアメリカ海兵隊の切り込み隊長を思わせる。彼女の兄パトリック“パッキー”カニングだった。


「久しぶり、パッキー兄さん」


「おう。1発で開けられたようだな」


 地下室は、適度な大きさがあり天井は低い。明かりはランタンで、空気は湿っぽくひんやりとしていて辛気臭い。


「とにかく大急ぎで来いって母さんに呼ばれたけど、同じ理由?」


 パトリックの眉の下の深い窪み収まった青い目が、忌々しそうに部屋を見回す。


「俺もそんなとこだ。母さんは、俺が異教徒を追いかけ回すよりも大事な事があるらしい」


 パトリックは、憎たらしいそうに愚痴り、腕に刻まれた陸軍特殊部隊のタトゥーを撫ぜた。


「私だって、大事な活動の途中だったのに———ん?」  


「——サムサマンサ。静かに」


 サマンサは、自分の言葉が言い終わる前に、この部屋に何らかの変化が生じた事に気がついた。

 パトリックもほぼ同時に異変を察知し、拳銃を取り出しながら、サマンサに黙るようにジェスチャーで伝えた。


「大丈夫よ、パトリックにサマンサ。2人のお偉いさん方にはちゃーんと話をつけておいたから」


 暗闇の中から届いた耳馴染みのある声に、サマンサとパトリックは警戒を解く。


「お母さん? そこにいる?」


「えぇ」


 サマンサとパトリックの母親にして、カニング家の当主。メアリー・カニングが闇の中から何もなかったはずの空間からランタンの光輪の中にへと姿を表した。

  


 彼女は、小さなシルクハットに、黒地に白い糸が使かわれたロングコートに全身を包み、スカーフ、手袋、靴下、靴の全てが同じ配色で、昔の軍将校のような格好をしていた。


「母さんが俺を呼び出すなんてな。てっきり縁を切られたかと思ってたよ」


「やめてよパトリック。生きて帰ってきてくれるなら好きなところに行っていいのよ。生きて、帰ってきてくれるならね」


 パトリックは軍に入る時、母親の強烈な反対を押し切っていたので不穏な空気が漂った。このような場合、緩衝材に回るのがサマンサの役目だった。


「2人共。私は、そのの親睦の深め方は好きじゃない。母さんも兄さんも家族愛に飢えて呼び出したわけじゃないでしょ?」


 パトリックは、そっとサマンサに“よくやった”とウィンク。

 メアリーは、咳払いをして仕切り直した。


「傾注。ローレンシア=シルバーシルビアという、私たちの血を引いた巨悪が活動を再開している可能性がある」  


ローレンシアの事はカニング家でも、隠蔽されていてメアリーの所有する秘密蔵書にしか存在しない情報だった為、サマンサとパトリックは合点がいかない。

 母の言葉にサマンサとパトリックは、同じ血がながれているのを証明するようにシンクロした。


「「それは誰?」」


「ハーフエルフ。18世紀末期に、我々の血族と純血のエルフが交配して産まれた女。

 優れた魔力を持った、文明社会に馴染めない化け物だ」

 

 パトリック、サマンサ共に母親の言葉を黙って話を聞いた。


 「問題なのは……この情報の精度。家族だからはっきり言うけど、私はこれを“告げ”られた。予知夢でもいい。とにかく、魔法より上位の神秘の概念か、精神科医の言う妄想癖のどっちかで知った」


「普通なら信じないさ。ただ、母さんのそれは外れた事がないからな………」


 サマンサ、パトリックは冷静に話を聞き、メアリーも淡々と説明を続ける。


「私とカニング魔導兵団は、シルバーシルビアの抹殺の為に行動を開始している。2人にも協力して欲しい」


サマンサは即答。


「お母さんの頼みだし、家の問題だし、協力するよ」


 メアリーはサマンサに笑顔を返し、わずかに不安の色を浮かべてパトリックを見た。

 パトリックも冷たい眼差しで母を見ていた。


「お母さん、言葉が足りない」


 パトリックが無表情でそう告げ、メアリーは、目を細めた。


。パトリック」


 兵士然とした男は、いかにも“仕方ない”という風に頷く。


「いいぜ。あの書物庫を守らなければならないからな。協力するぜ」


 メアリーは、パトリックにも笑顔を返す。


「2人とも自慢の子たちよ。特別に当主にのみ使用の許されたあのライフルを使っても良いよ?」


 パトリックとサマンサは共に難色を示す。


「は? この時代にあの単発式は無いぜ」


「お母さん、私もちょっとあれは嫌」


「そう」とお茶目に、露骨に落胆したような雰囲気を出し、メアリーはもう一度仕切り直した。


「まず、前述の通り、我々は既に出遅れていると考えて間違いないけど、基本プランは索敵と排除に撤する。

 つまり、先行できる可能性が低い以上、事が起きてからの即応に重点を置き、意図的に遊兵を置く。

 あなた達もご存じの通り私たちの兵団は非公式の兵隊だ。その都合上、兵士も一個中隊の規模しかないから、この人員を私たち3人を隊長とした三個小隊に編成して、積極的行動を執るのはこの中の一個小隊に留める。

 残りの二個小隊は常にイングランド、ヨーデンシャーの基地に待機させる」


 言い終わったメアリーに、サマンサがおもむろに手を挙げた。


「警察や他のサービス諜報機関の動きは?」


「非常に協力的。誰かがこの国に入っているとしても、もう出ることは出来ない」

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