第23話 GREEN RIVER〜ウシガエルとギャングとニンジャ〜

 ニューオリンズ南の典型的なマングローブ。

 水面下に網のように根を張り巡らす木々と天を覆う鬱蒼とした枝葉は、川面を不気味に波立たせ、僅かな星あかりも遮っていてる。


 ホタルが水面を照らし、ツキヨタケの青白い光が木の洞を浮き立たせる幻想的な雰囲気こそ素晴らしい。が、沼の臭気の混じりの湿気はとても居心地が良いとは呼べず、地元の人々ですら忌避するような場所だった。


 そして、地元民は、決して夜のバイヨーには出向かない。

 ぬかるんだ地面に足を取られやすく、川や水溜りには必ずワニか毒蛇が潜んでいる事に加え、密猟者は夜間にワニ狩りを行い、彼らはライフルやショットガンを動く物全てに弾を撃ち込んでくるので、危機極まりない。

 さらに、夜の沼は人目が無いので、麻薬取引や麻薬絡みの死刑など、犯罪行為が日常的に行われているのだ。


 ポー・バレンショーは、この風土を好んで住み着いたが、それ故に彼に降りかかった悲劇を察知した者はおらず、吸血鬼の捕獲を狙うジミー・バフェットとその一味は、じっくりと獲物が来るのを待つことが出来た。


————————————————————


 四方八方から響くウシガエルの鳴き声は、立体音響のように空間を支配している。


 血で汚れた桟橋に、ギャングの一人が立ち寄った。片手にはバレンショーの遺品である酒を持ち、もう片手は背中にかけられたアサルトライフルのベルトを押さえている。


「ヒック。うぃ〜。ったくいつまで待ってればいいんだか………」


 バレンショーの小屋にトイレは無く、小屋の真後ろには川がある。

 バレンショーの血と肉片の転がる桟橋の端に立った男は、ズボンに手を突っ込んだ。


「あれ、おい。ムスコがいねぇ!?」


 酔っ払っていたので相当大きな声量だったが、バフェット一味もウシガエルの軍団も反応を示さない。


「お、おい、まじかよ———ッ!!??」


 慌てて探し物をする男の顔に、背後から金属質の手が忍び寄り口を塞いだ。

 

ゴキッ!


 ギャングの男は、生涯で初めて自身の脊椎の折れる音を聞き、心底ゾッとしたが、すぐに生命活動も停止した。


————————————————————


 軍隊の運用する兵器の中で、最も悪路走破性能が高いのは人間である。


 太平洋上のルーリナの船から空路でアリゾナに降り立った狗井は、そこからひたすらに走った。

 機械に侵食されるように作り替えられた肉体は脚力、持久力共に生物の範疇を超えていて、その身体能力の恩恵がこの長距離攻撃任務を可能とした。


 このサイボーグである狗井・天にとって殺人は数少ない得意分野でもある。


 彼女の天性の鋭い勘は、戦闘行為の際に尋常ならざる集中力を発揮し、本人の弁を借りなら、“相手の行動を読み取れる”と豪語している。

 そんな彼女にとって、2mに迫る長身を宵闇の中で気配を消し、刹那の奇襲で人を葬り去っていくことなど造作もない


 彼女の性格は生真面目で愚直。彼女のこの性質を理解しているルーリナは、常に彼女への指示はシンプルにまとめていて、今回は、“ポー・バレンショーの安否確認とそれ以外の武装勢力の排除”。この命令下では、狗井の何も考えずに人を殺せる才角が役に立った。

 

 川底に死体を隠した狗井は、背中に背負った反りのない日本刀を静かに抜いた。この刀は、高品質な鋼材で誂えた軍需品で、独自の改造として、刃まで光を反射しないように黒く仕上げられていた。


 刀を逆手に持った狗井は、刀の峰をピタリと腕に沿わせると無法者に占拠されたポー・バレンショーの小屋へと忍び寄った。


————————————————————


 仲間が帰って来ないことに気がついたジミー・バフェットは、別の部下に様子を見てくるように命じた。


「おい、お前、奴が死んでないか確認してこい」


 バフェットは、そこでふっと重大な事に気がつく。

 自身を含めたこの小屋にいる6人は相当酔っていて、大半の者は真の目的を忘れて酒瓶を抱いているのだと。

 だが、その問題に取り組むのは、もう一口ウィスキーをあおってからでも十分に間に合うようにも思えた………。


「おい、奴を見てこいって言っただろう!!」


 様子見を命じた男がドアノブに手をかけたまま棒立ちしていて、バフェットの頭は湯気が出そうなほど真っ赤に染り………。


 一瞬で青ざめた。


 棒立ちした男の後頭部から何かが伸びていて、それが一瞬で頭部へと引っ込む。見間違いかと目を擦ったバフェットだったが、異変は既に起きていた。


ドサッ。


 男が、扉に頭突きするかのように前のめりに倒れ込み、床に黒々とした血溜まりが広がった。


「ッ!? て、て、敵襲!!」


 バフェットのほろ酔いが吹き飛び、即座にアサルトライフルを構えると扉に向けて火を吹かせた。


 一瞬で、20発弾倉を撃ち尽くし、再装填を行う。

 けたたましい銃声で部下たちも酔いが覚めた。


 小屋の中には硝煙と酒臭い吐息が立ち込め、ウシガエルの声と白熱球に体当たりを繰り返す甲虫の羽音だけが残る。


「お、お前、外を見てこい」


 バフェットは、ライフルで下っ端に指図する。


「ふ、ふざけるな! 自分で行け」


 下っ端の男はアサルトライフルを抱きしめながら拒否。すると別の男が叫ぶ。


「窓———!?」


 ガシャン!


 窓ガラスの割れる音と共に黒い影が外から飛び込み、バフェットの部下たちの間を通り抜け、対角となる窓へと滑り抜けた。


「おい! 今のはなんだ? 何か見たか!?」


「わ、分からない」


 バフェットの呼びかけに答えたのは、4人の内の1人だけで、その男は、恐怖心をかき消すように窓に向けて銃撃を行った。


「他のやつは———」


 言葉を失うバフェット。それもそのはず、黒い影の飛び込んで来た窓に最も近い場所にいた男は首が無く。見慣れた顔が無表情で床へと転がっていた。


 悲鳴をあげるより早く、バフェットはこの小屋が地獄絵図と化していることを知った。


「バ……フェット……」


 見慣れた顎髭の男は、立ち尽くして首を押さえ、その指のすき間からは、艶のある真っ赤な血が溢れて言葉と呼気に合わせて血漿混じりのよだれを垂らす。


「クソッ! サム。ジェフを………」


「誰か、た、た、助けてくれ。腹が、腹がぁぁ!!」


 もう1人の部下は膝をついて腹を押さえている。

 ズボンは既に血に染まり、手と腕では押さえきれない傷口から、赤い粘膜と白っぽい内臓がはみ出て覗いている。


 バフェットには、部下は、残り1人しかいないという事になる。


「ボイド、俺のところに………」


 弾を撃ち尽くしたと思われた部下の方を見やったバフェットはさらなる絶望を覚える。先程まで反撃に出ていた、最後の部下は忽然と消えていて、銃口から硝煙をくゆらせるライフルが転がっていた。

 

 小屋の中に生きているのは3名。その内2人は死に体で、息をするだけの肉塊同然。


「クソッタレ! 俺はやるぞ! このジミー・バフェットがお前を殺してやる!!」


 バフェットは、ライフルを構えながら、窓から窓へと時計回りに敵影を探る。


「出てこい化け物! てめーがなんだろうがズタボロにしてやる!!」


 照準越しのバフェットの視界が、窓を向こうを駆け抜ける影を捉えた。


「見つけたぜっ!」


  輪郭すら定まらない影を追うバフェット。

 しかし、影はバフェットの全く検討違いな方向から小屋へと飛び込んだ。


「チッ!?」


 過剰なアドレナリンで感覚の冴えていたバフェットが弾丸を何もない空間に放ち、狗井はその銃身とハンドガード、そしてそれを支えていたバフェットの左手をを切り落とした。


「ぎぃぃぃやぁぁぁ!!!」


 バフェットの右手は、引き金を引いていたが、機構の破綻したライフルは弾を放たない。


「殺す! 殺す! 殺してやる!」


 バフェットがライフルを投げ捨て、腰ホルスターのコルト45に手をかけた時。


 狗井は既に刀を振るっていた。

 

 彼女の自慢の太刀は、バフェットの左肩に振り下ろされ、鎖骨と肋骨を断ち切り、肺を裂きながら、心臓に到達。


「クソ……め」


 バフェットの最後の言葉共に、狗井は刀を引き抜いた。


 ギャングのボスは、最後まで狗井を睨みながら血の海へと横たわる。


「結果は二つに一つ」


 ブンッと刀の振りを血を吹き飛ばす狗井。


 脂と血で光る刀身を見ても、彼女には思うことはなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る