第20話 3種族のラプソディ

 ヴィズが、ルイジアナ州に入って最初に行ったのはマスタングの給油だった。


 深い山脈のを抜け辿り着いた、山岳と森林の境目に建てられたガソリンスタンドは、建物自体は古かったが、電灯だけは最新のLEDで、星空と蛍くらいしか光源のないルイジアナ州東部の森林の中で、恒星のように輝いている。


 このスタンドは個人経営で、給油所と繋がった売店には店主がいたが、電話を受けながら贔屓ひいきの野球チームを応援していたので、ヴィズたちには気がつかないでいた。


 「チッ。ガソリンの予備タンクを積めば良かった」


 ヴィズは、ミッドクラスレギュラーガソリンのノズルを絞りながら呟く。

 キーラは、後部座席で丸くなって身を隠し、立ち込めるガソリンの臭いに不快感を表していた。

 計量メーターはアナログで、文字盤がシャリシャルと一文字ずつ回っている。


 ヴィズはこのただレバーを捻っているだけの時間は苦手だった。

 レバーを握り、非常に揮発性の高い石油製品を扱っている上に、立ち位置を固定されている。そんな人物を狙撃するのは、どれほど簡単な事だろうか……。

 ヴィズは、手持ち無沙汰になると取り留めない妄想を抱きやすく、そこに無意味に現実味を植え付け、自身を苦しめる悪癖があった。


「ん……!」

 

 パラノイア妄想から我に帰ったのは、反対側に車が入ってきた音のせいだった。


 何の変哲もないシボレー製のワンボックスで、雰囲気は家族旅行の途中といったところ。

 運転に疲れ気味の父親が給油の為に車を降り、車内では母親が幼児を寝かしつけている。


「やぁ。君は、ニューオリンズへ向かうのかい?」


 ガソリンがタンクに注がれている間に父親の方が、給油機の隙間からヴィズを覗き込んで東の方面を指差す。


 男は、気弱そうな顔ながら、清潔感のある身だしなみをしていて仕事はセールスマンで間違いなさそうな気勢をしていた。


 ヴィズは一瞬迷ってから「えぇ」とだけ答えた。


「それなら大変だよ。ニューオリンズに行く道は全部検問が敷かれていて、まるで大統領でも来るみたい厳重なんだ」


「そう………なんだ……」


 ヴィズが逡巡しゅんじゅんしている間に、相手の方が先に燃料を足し終わりガソリンスタンドを去った。


「私たちの行き先がバレてる。クソ」


 考えを巡らせながら、ガソリンを入れ終えた時。

 先程まで接客という言葉を知らないような態度だった店主が店から姿を現した。


「おい。ダーキー。あんたマイアミから女を連れてきてる———ひぃぃ!?」


 店主は、ヴィズにまるで厄介ごとを抱え込んだと言わんばかりに眉をひそめながら尋ねると、ダークエルフは躊躇なくホルスターから銃を抜いて答えた。


「誰から聞いた?」


「あ、や、ま、待て!! 違う! 誤解だ、誤解!」


 ガソリンスタンドの店主は、腰を抜かして尻餅をつき、そのまま尻をすりながらヴィズから逃げようとした。

 ダークエルフは、確実な情報を得る為に、店主の脚を踏みつけて押さえ、胸ぐらを掴んで顎の下から銃を突きつけた。


「誰から何を言われた?」


「違う。本当に違うんだって」


「一つ忠告する。あんたは今から自身の命を取り返す交渉をしなければならない。

 交渉の鉄則は、相手を満足させると。さて、あんたは誰から何を言われたの?」


「イタリア人からダークエルフとブロンド女を見たら連絡しろって」


 男の体温がリボルバーに伝わりだした頃。店主は尋常じゃない量の汗をかき、着衣のままシャワーを浴びたようになっていた。


「ヴィズさん。誰か来る!」


車内からキーラが叫ぶと、深い闇へと続く道に、ヘッドライトが浮かび、それがヴィズたちのいるガソリンスタンドの方へ向かって来ていた。


「お、俺はダークエルフがいるって伝えたんだ。そしたら連中は、確認しろって——」


「連中って!?」


 ヴィズは、店主を激しく揺さぶりながら口角から泡を飛ばす。


「だから、イタリア人だよ」


 夜道を抜けてきた車は、ヘッドライトの横にウィンカーを灯して、ガソリンスタンドへと立ち入り、ヴィズとマスタングの前へと迫った。

 車両は黒いセダンで、ボンネットにはメルセデス・ベンツのマークがそびえている。しかし、高級なモデルではなく、型式もクラッシックとも言えない型落ちのモデルだった。


 ヴィズは、店主を無理矢理立たせると彼を肉の盾として、ベンツの前に立ちはだかった。


「全員降りろ!」


 ヴィズの怒号で、セダンの4つのドアの内3つが開き、運転席、助手席、左後部座席から3人の男が降りた。

 3人とも長身の男で、ダークエルフが人質をとりながら命令していることに全く動じている様子はない。


「こんばんは、ダーキー。こんばんは……ハロルド」


 セダンの後部に座っていた男がフェードラ帽を取ってお辞儀をする。


「…………」


ヴィズは、無言で3人を睨んだ。


「ハロルド……。またガソリンに混ぜ物でもしたのか?」


「違いますよ、レッソさん——痛っ」


 ヴィズは、来訪者に受け答えした店主の首に銃を押し付け、会話を遮る。そして店主をいつでも殺せる状態であると誇示しながら、3人組との会話に入った。

 しかし、武装も種族も不明な3人組と相対するヴィズの形勢は信じられないほど不利なままだった。


「えっと。ミスター。私たちはガソリンを補給しに寄っただけだから、出会わなかったように行かせてもらいたい」


「俺は、この辺を仕切ってるトーマス・レッソと言う者だ。こいつらは護衛のアントニオと運転手のルカだ」


 レッソは、何気なくマスタングを見やり、車内から様子を伺っていたキーラが慌てて身を潜めるのを見た。


「ダーキー……。いや、ヴィズ・パールフレア。俺は、あんたらの行き先も目的も知っているし、その計画が破綻しかけている事も聞いている。

 俺たちはあんたらを保護してやりに来たんだ。本当なら神の使いように扱ってもらいたいくらいなんだぜ?」


「黙れ、イタ公。そんな話し信用できるわけがない」


 “イタ公”という言葉に反応して、護衛のアントニオがヴィズを睨みながら一歩踏み出すのを、レッソが引き止める。


「アントニオ、ここは抑えろ。

 おい。口に気をつけろよダーキー。次はアントニオを止めないからな」


 ヴィズは、それぞれの人相も記憶しながら、この状況が最悪である事も認識している。

 敵か味方か分からない者に捕捉され、数で圧倒されているのだ。


 ヴィズの灰色の目が3人の男を睨み、3つの顔がヴィズの判断力を試している。


 この極限の緊張の中に、マスタングのドアが開いた。


「こ、これで2対3です!!」


 キーラが、車内から飛び出し、その手にはヴィズが隠していた予備の拳銃22口径オートマチックを握っている。


「お嬢ちゃん……それは君が持つべき物じゃない」


 アントニオがキーラをなだめようと試みた。


「来ないで!」


 キーラはそれを、撃鉄をあげる事で拒絶。

 レッソが顔を上げ、月明かりで赤い目がキラリと光る。

 その眼光は、いくつもの修羅場を見てきたことで培った冷徹さが宿っていた。


「そっちのダーキーが撃たないのは分かってる。何百ガロンのガソリンの真横だと理解できてるからな。

 お前はどうだ? 素人はそんなものを持つべきじゃない」


 キーラは、敵対者に銃を向けていたが、恐怖に体を縛られていて、引き金の場所にすら自信がない。


「キーラ。落ち着いて、今は静電気一つで全員丸焼きになってしまう」  


 ヴィズが、キーラに目線を向けた一瞬に、レッソが歩みより………。


「来ないで!」


 キーラが、パニックに陥りながら引き金引いた。


カチッ!


 銃声は無い。キーラは自動拳銃の構造を知らず、弾丸を発射できる状態ですらなかった。


「も゛う゛い゛や゛だぁぁぁ!!!」


「あっ、てめぇ——」


 ガソリンスタンドの店主にして、ヴィズの人質にされていたハロルドが泣き崩れ、この小太りの中年の体重がヴィズの姿勢を崩した。

 それと同時にレッソが呆れたようにヴィズたちに背を向けてベンツに向かい、ボンネットに腰をかけながら、再びフェードラ帽を被る。


「さて、アントニオ、ルカ。周りを見てみろよ。コメディ番組のテレビクルーがいるんじゃないか?」


 銃を構えたまま固まるキーラに、泣き崩れる中年男性。

 ヴィズも呆れすぎて膝をついていた。


 セダンのヘッドライトには、イタリア系アメリカ人の帽子とスーツのシルエットがはっきりと浮かび上がり、レッソがタバコを咥えると、護衛がライターで火をつけた。


「ダーキー。俺はあんたらの味方だよ。信じるかどうかはお前次第だが、ハロルドごとあんたを蜂の巣にしたところで、俺の心は痛まなかったぜ?」


 ヴィズの見積もりでは、ガソリンスタンドの店主を盾に3人に銃撃を加えることは十分に可能だったが………彼女のリボルバーはホルスターに収めた。

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