ダーギー・ザ・ヤンキー

第5話 自堕落で大胆な社会不適合者

アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ


 太陽が水平線に消え、薄暮はくぼの名残は潮風をねっとりと人々へと絡みつかせた。

 陽光の下ではエメラルドグリーンの色の海も、月の下では深い暗緑にヘッドライトが瞬くだけの暗幕になっている。

 青い海へと続く白い砂浜を凶々しい色のネオンサインがサイケデリックに彩っている。

 

 旅行客がラム酒をベースにしたカクテルやナイトプールに涼を求める一方で、夜間救急救命の当直医達は、一号患者がメジロザメとイリエワニのどちらの咬傷で運ばれて来るのかを賭けている頃。


 マイアミビーチとウェストパーマビーチを同時に眺める事などできる廃材置き場ジャンクヤードバラックボロ小屋では、裸電球が揺らぎながら灯り、仕事を終えたダークエルフが椅子へと腰を下ろした。


 彼女の名前はヴィズ・パールフレア。


褐色の肌と長い耳を持つ、ダークエルフであり、国税局からすればマイアミの繁華街に巣食うロクデナシの1人だった。


 一息ついた彼女は、目に掛かった黒髪をかき上げ、シャツの胸ポケットに押し込まれたタバコを取り出して咥えた。


 タバコの銘柄はラッキーストライク。これはヴィズが従軍時にまぐれ当たりラッキーストライクのジンクスにあやかっていた名残りだった。


ともれ」


 ハスキーな声で呪文を唱えると、指先に火が燃え上がり、その火でタバコに火をつけた。

 

 タバコの先端が赤く輝き、肺に紫煙が流れるのを感じると、彼女はより崇高な享楽を求めて、テーブルの下へと手を伸ばした。

 テーブルの脚に寄り添うように置かれたウィスキーを手に取り、天板へと引き上げる。

 750mlの酒瓶に、7分の1程残ったバーボン・ウィスキー。その酒瓶を囲むように両手で掴むと、タバコを口端に寄せて呪文を唱えた。


「全能なるいにしえの賢者よ、あなたの導きで、私に魔力をつかわせたまえ。私の両掌に、万物を凍てさせる力を与え給え」


 声は響く事なく立ち消え、手を添えた箇所を始点に酒瓶全体を霜が包む。

 強力な力を使うには口上長い呪文が必要で、ヴィズは酒をキンキンに冷やすためならそれをいとわない。


 ヴィズは、ウィスキーのボトルに微笑みかけ、更に手を祈るように組んだ。その組んだ拳に額をつけ、さらに呪文を唱える。


「全能なる古の賢者よ、あなたの導きで、私に魔力を遣わせ給え。そして、私に、ウォッカとコーヒー・リキュールと生クリームを生み出す力を与え給え。ホワイト・ロシアンを飲みたいんだ」


 彼女を照らす裸電球が、演出でもするように点滅するが、それは電源接続線の電圧降下のせいで、狭い室内に響いた彼女の願いは無意味に消えていった。


 エルフ族故の魔力の適性と正式な教育を受けたヴィズでも、魔力を用いて出来るのは単純な自然現象の任意での発生と簡単な魔法陣での破壊工作のみ。

 物質の生成は遥かに高度な領域の技術だった。

 

 短い静寂の後、ヴィズは一人失笑して、それから一口のウィスキーをあおる。

 口腔をウィスキーが冷却する安堵感と、一口分酒が減った事に涙しそうな落胆を覚え、ため息混じりにタバコを燻らす。


 冷えた酒は喉の熱を奪ったが、アルコールが彼女の胃を焼く。


 度数の高い酒の一気飲みとタバコの相性は最悪で、さらに、彼女の酒はルール無用の密造酒。“バーボン風のウィスキー紛い”だったので、ほんの数十分でヴィズは椅子に座れないほどの酩酊し、搭乗ヘリコプターが、不発弾のロケット弾にエンジンを撃ち抜かれ、2つの九死に一生を引き当てながら墜落した時の事を思い出し、床へと転がった。


「あーー、ま……っすぐに立たないのは、飲み足りないからに違いない」


 ダークエルフは、星を見上げようとして、電球と埃の溜まった屋根の梁を眺めていた。


 これがこのダークエルフが、85年にアメリカ人になる事を諦めた時からの26年間の毎日だ。

 

 その日は変化が起きた。


・パールフレア………?大丈夫か?」


 閉めたはずの玄関扉。正確には風化した一枚板の材木に蝶番ちょうつがいを取り付けた物が開け放たれており、天地の逆転したヴィズの視界には、幅広で走り易そうなローファーが映り、そこから目線を這わせるの、ちょうど男の股下に目が行った。


 来訪者を下から見上げると、彼女を見下ろすイタリア人がいた。


 ヴィズは状況を理解できていない上に。自身が無防備である事を理解していたが、自身の命にすら執着の薄い彼女は何に一つ対策を取ろうとしない。


 それどころか、男の間違いを訂正した。


「あー……ヴィズ。Vの音がアクセント。はい、もう一度」


 例え、アルコールの力がなくともヴィズの生存本能と羞恥心は底をついており、非常に太々しく振る舞う事に迷いがなかったが、今回はアルコールが力を倍増させている。


 この態度には、イタリア人もコイツは大丈夫なのかと戸惑っていた。

 

「………ヴィズ・パールフレアだな? 俺は———」


 ヴィズは、寝転んだままの姿勢でタバコに手に移すと男の話を遮り、火山のようにダバコの煙を吐いた。


「みなまで言うな。お洒落な青のスーツに品のあるYシャツ。外にいる部下の2人もお洒落さん。その手の人たちイタリア人マフィアでしょう」


 ヴィズは、性急かつ沈黙の必要な廃品物的証拠処理も手掛け、さらにとある元締めから小遣いをもらって間男を脅した事もあったので、裏社会のルールにもある程度精通していて、彼らの所属を見分けられた。


「さて、マフィアが私に何のよう?」


 ダークエルフは忽然と、見透かしたように要件を尋ねた。


 スーツの男がサングラスを外し、整髪料で撫でつけられた髪から、前髪が一房、男の青い目にかかる。

 

「俺はドン・ファンディーノから直々の命令で、お前のとこに来たんだ」


 スカレッタ一家傘下の組織ファンディーノ一家。ヴィズのところへと訪れたのは、ドン・ファンディーノの腹心の1人だった。


「はぁ……。いつもお世話になっています」


 この時。世界規模で暗躍するルーリナ・ソーサモシテンから、北米のマフィアを介し、傭兵とも呼べるダークエルフへと依頼が届いた。

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