第20話

「お帰りなさいませ坊ちゃま。簓も、お帰り」

「ただいま山本」

「ただいま帰りました、お祖父さま」

 これも十分縁故採用だよなあと思いながら、簓はぺこりと頭を下げる。まず受け取られるのは重箱、義景の鞄はPCも入っているので自室に持っていくのだ。書斎の方でスタンドアローンにしてから今日の会議や諸々の明日の仕事の準備をする。その間に山本と簓は夕飯の準備をしていた。新しく買ってもらった黒いワンピースに白いエプロン、三角巾が少し様にならないが一応メイド姿だ。今日の予定はオムライス。また食べたことのないものなので、簓はうきうきと肉をさいの目に切って行く。勿論、『異常』を使ってだ。鶏もも肉は包丁が滑って危ないし、皮目を切るのも節々が痛むリウマチ持ちの山本にはきつい仕事だからだ。彼は卵を使って卵焼き――しかも相当大きい――を作っているようだった。どんな料理が出て来るのか楽しみにしながら、今度は玉ねぎをみじん切りにしていく。やはり『異常』でだ。家庭科の授業では誰も手伝わせてくれなかったな、と思い出す。もっとも育ての祖父の下でも包丁を握らせるなんて恐ろしい事は絶対にさせてもらえなかったが。別に投げもしないと言うのに失礼な話だ。否、あの頃ならしたかもしれない。肉親の情は今のところないも同然だ。育ててくれた人、程度の認識である。十分肉親と言って良いのかもしれないが、泣いている子供を杖で叩く――叩こうと努力する――人を家族とは思えなかった。それよりなら山本の方がよほど肉親と言える。簓の『異常』を見ても動じず、挙句孫と扱ってくれるのだから。ではあの家ではなんと扱われていたのだろう。昼吠ゆる犬、と言う言葉が出て来たが、犬に失礼だろう。あれは賢い動物だ。簓を見付けたら瞬時に飼い主の陰に隠れるぐらいには、危険に対して敏感である。危険人物。あの村での自分はそういうものだったのだろうか。

 みじん切りが終わると、オリーブオイルを少し垂らしたフライパンで混ぜるよう言われる。はいと頷いてシリコンのへらで玉ねぎから炒めて行くと、徐々に飴色になって行くのが分かる。鼻にツンとしていた匂いも消えて、甘い匂いになって来た。そこで肉を入れ、一気に炒める。白く肉に火が通ったら、次はなんと炊飯窯をひっくり返された。えっと思っていると、洗い物を少なくするにはこれが一番なんだよ、と言われる。はあ、と頷くと、だんだん三つの材料が混ざり合ってチャーハンのようになっていく。チャーハンは先日食べたので知っていた。炒め方も。あれは豪快で良い。

 切るように混ぜるんですよ、と言われてはいと返事をする。ご飯がぽろぽろになってきたところで、今度はケチャップ――酸っぱい奴だ、先だっての休日に義景にハンバーガーショップに連れて行かれた時教えてもらった――を一面に掛けられ、えええええとなってしまう。良いのかそれ。ご飯全部酸っぱくなってしまったではないか。不安になって山本を見るが、大丈夫大丈夫と言われる。

 皿に移す段になって、そこには半分ほどさっきの卵が乗っているのに気付く。乗せてごらん、と言われて半分程を乗せた。それから余っていた分の卵をペロンと被せると、卵に包まれたチキンライス――オムライスの出来上がりである。もう半分も同じようにすると、黄金色に輝いているようにすら見えた。おおおっと声を上げると、山本に心配そうな顔をされてしまう。

「見たことがないのかい? 普通のオムライスだよ、こんなものは」

「普通でないオムライスもあるんですか!?」

「まあ上にオムレツを乗せて割り開くのもあるかな……それは来週作ってあげましょう。さ、運びますよ」

「はいっ」

 勢いよく返事をした簓に、唾が飛びますよ、と言われて慌てて閉じる。山本の分は小さく取り分けられていた。一緒に食べればいいのに。メイドがご相伴するぐらいなんだから、執事も一緒で良いと思う。が、そこは頑なに執事としての一線を守る山本だった。よく解らないなあ、と思いながら簓は義景を迎えに書斎に向かう。その間にアポートで屋敷中の埃やゴミを手の中に集めるのは止めない。溜まったら義景の部屋のゴミ箱に入れよう、思いながらこんこんこんこん、と四度のノックで呼び出せば、はあい、と言われてドアを開けられる。ひょいと入り込んでごみを捨てた簓は、今日はオムライスですよ、と義景に告げた。わあい、と喜んだ姿が子供のようで可愛らしくなる。十も年上の男に覚える感情ではないと思うが、可愛いものは可愛いのだから仕方ない。くすっと笑って一緒に食堂まで向かうと、水の準備もされていた。やっばり酸っぱいのだろうか、と思うと、椅子に座った途端義景はハインツの特徴的なボトルを逆さにしてさらにケチャップを掛けた。見てるだけで口の中がキューっとしそうだったが、なんとか堪えた。

「簓ちゃんも使う?」

「いえもう十分」

「そう? それじゃあ、頂きますっと」

「頂きます」

 スプーンはどこから差し入れたら良いのだろう、とりあえず端から入れてみると、とろっと半熟の卵がこぼれかかって来た。少量のチキンライスを卵と一緒に食べると、なるほどケチャップの酸っぱさを卵が包んで美味しい。これはたしかに追いケチャップしたくなるな、思っているとすすすっとケチャップを寄せて来たのは山本だった。思考が漏れている。まさかテレパシーにも目覚めてしまったのだろうか、それとも家族ゆえの何かだろうか。とりあえずありがとうございます、と礼を言ってからどばっと追いケチャップをすると、ケチャップ・卵・チキンライスの三層になった。チキンライスは案外酸っぱくもなくて、そう言えば一度も味見をしていなかったと思いいたる。山本の長年の勘に助けられた料理であるが、いつか自分一人でも作れるようになりたいな、と簓は思った。自分の力で義景を、今のようにとろけた笑顔にさせたいと思った

 それまでは山本にもっとレシピを教えてもらって実践しなければ。料理だってメイドの担当だ。メイドとして新たな賃金が発生してしまっている以上、責任を持って行わなければ。

「坊ちゃま。食後のお酒はお召しになりますか?」

「いや、今日はこれだけで大丈夫だよ。ちょっと詰めてる仕事もあるしね」

「何かお急ぎの書類、ありましたっけ?」

「急ぎじゃないけど、僕のモットーは明日やれることは今日やれ、だからね」

「初耳です」

「私も初耳です」

「エロ本読みたいならそう言って下さればいいのに」

「違うから! それは断固否定するから! 明後日の役員会の名簿整理だよ!」

「ではそういうことに」

「ではじゃなくて! 簓ちゃんにも明日渡すからチェックお願いね!」

「解りました隠れエロ様」

「僕は簓ちゃんの何なの……主人にエロとか言っちゃう子なの? どうして山本がこの子引き取らなかったのさ! そしたら僕今頃光源氏だよ!?」

「息子が私の存在に気付くのが随分遅かったのと、この家には無数の美術品がある所為ですね。全部外して倉庫にぶち込んでは、家格が問われますよ。こんな家に何もないだなんて。それにその頃の私めの主は先代様でしたので、わざわざお耳に入れることもためらわれまして。坊ちゃまと簓が出会わなければ、こんなことになるとは思っていませんでしたし。良い老後をありがとうございます、坊ちゃま」

「ありがとうございます、義景様。私も人生でこんなに幸せなのって初めてですから、楽しいです」

「簓ちゃん……苦労してたんだね……」

「苦労の意味が分からない程度には。今の仕事も覚えてきたら楽しいものですし。顔見知りの社員さんにあいさつされるのも嬉しいことですよ。まるで自分が仲間みたいで」

「みたいじゃなくてそうなの! 簓ちゃんは僕の秘書兼ボディガード兼メイドさん! それを忘れることがないように!」

「はいはい。じゃあ明日はエプロンドレスで会社に行きましょうか」

「誰がそんな話してるの!? もう良い……どっと疲れた……僕は仕事に戻るよ。ごちそうさまでした」

「では私はその間のボディガードを、って辛っ! お祖父さま、この水辛いです!」

「炭酸水ですからね。口の中がすっきりするように、今宵はそちらを選ばせていただきました」

「簓ちゃん炭酸飲めないの? お子様~」

「だってこんなの買えるほど贅沢じゃなかったし……」

「簓ちゃんそれ贅沢じゃないからね。やめてたまに来る虐待トーク。本人が認識してないから余計痛々しいよ」

「あ、泥水なら飲んだことが」

「やめてー!」


 五年後、二人がこっそりと婚約しこっそりと結婚式をあげるのは、まだまだ秘密のことながら。

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針本簓は傷付けられない ぜろ @illness24

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