君いろ想い

おなかヒヱル

第1話

 またヴィジュアル系バンドのボーカルに間違えられた。

 何て言うバンドなのか知らないけれどサインと写真を求められたので快く応じてしまった。

 これで24回目の人違い。

 沙希矢なる人物のサインはだんだん上達して、今ではたぶん本人よりも上手く書けている。

 べつに塩対応であしらってもよかったんだけどそのことが原因でバンドの評判が落ちたらなんかヤだ。

 これだけ間違えられると知らないバンドでも愛着が沸いてしまうのだ。

 それにしてもヴィジュアル系のファンというのはなんであんなに早口なんだろう。

 しかもバンド名が長いから毎回覚えられない。

 まるで古代の恐竜が未知のウイルスに感染して新たな病気が発見されたみたいな名前だった。

 それを唐突に早口で言われるものだからヒヤリングなんてとてもムリ。

 それに何よりつらいのはあの女の、崇拝者を見つめるあの女の瞳……輝いた女の……近寄るな、ぼくは、女なんか好きじゃないのに……

 とにかくこの、人に何かを頼まれると断れない性格をなんとかしたい。

 やりたくないのに、好きじゃないのに、どうして世界は毎度毎度ぼくに無理難題を押し付けてくるのだろう。

 神様は乗り越えられない試練は与えないという。

 それはその通りかもしれない。

 だけど、試練というのは乗り越えられて初めて価値の出るものであって、たとえば試練の途中で死んでしまってはそもそも試練の意味がないと思う。

 このままではサイン攻めにあってぼくは死んでしまう。

 神様は人類史上初めて乗り越えられない試練を人間に与えようとしておられる。

 その乗り越えられない試練を最初に与えられそうになっている人間が、このぼくなのだ……

 ……なんにせよ、今度サインを求められたらきっぱり断ろう。

 もともとサインを書く義理なんてないんだし、なによりもうこれ以上、女どもの無責任な羨望には耐えられそうにない。

 ぼくはヴィジュアル系の沙希矢じゃない。

 夏休みを持て余している十七歳のしがない高校生なのだ。


「ライトくん、おまたせ」


 あ、ヒロシくんだ。


「やっと夏らしくなってきね」


 え、あ、「うん、そうだね……」今年は梅雨がなかなか明けなくて、曇ってばかりだったけど、やっと夏らしくなってきたよねッ!……て元気いっぱいに応えたかったんだけど、緊張してさっぱり言葉が出てこない。

 頭が真っ白だ。

 きっと顔がひきつって変な笑顔になっているに違いない。

 そんなことはお構いなしに、ヒロシくんは青春を絵に描いたような爽やかなスマイルで微笑んでいる。

「じゃあ、行こうか」

 プールバッグをヒョイと肩にかけたヒロシくんは駅に向かって歩き出した。

 ぼくはドラクエのパーティーのようにその後に続いた。

 なるべく人がいないところがいいよね、ということで選ばれたのが郊外の市民プールだった。

 選んだのはヒロシくんだった。

 まさかヒロシくんからプールに誘われるだなんて夢にも思わなかった。

 いまはヒロシくんからプールに誘われるために生まれてきたんだと言い切れるぐらいに嬉しい。

 市民プールは想像以上に閑散としていた。

 白いペンキが剥げて所々に錆が浮いている。

 プールの水はきれいだったけれど全体的に廃墟を連想させた。

 そこにいたのは出稼ぎとおぼしき中国人女性の四人組と地元の小学生が三人だけだった。

 ぼくとヒロシくんを入れても客は十人にも満たなかった。

 更衣室ではヒロシくんの裸体を拝むことができた。

 6パックに割れた腹筋、薄いけれど張りのある胸板、サッカー部で鍛え抜かれた太ももとおしり。

 そして横目でチラチラと盗み見ることしかできなかったけれどヒロシくんのあそこはかなり大きいようだった。

 それはぶらぶらと揺れていて、北朝鮮産のまつたけよりは大きかったと思う。

 この日のために水着は慎重に選んだ。

 そしてなるべくゆったりしたサーフパンツをチョイスした。

 もし万が一ぼくのあそこが反応してしまったら、きっと恥ずかしくて死んでしまいたくなるだろう。

 ぼくのあそこだって北朝鮮産のまつたけよりは大きいのだ。

 生地に余裕があれば心にも余裕ができる。

 このサーフパンツならばあそこが反応してもある程度ならば誤魔化せるはずだ。

「ウォータースライダーに乗ろうよ」

 まだ準備体操もやってないというのにヒロシくんは無邪気な笑顔でそれを指さした。

 そこには場末の市民プールには似つかわしくないショッキングピンクの立派なウォータースライダーが鎮座ましましていた。

 15メートルほどの螺旋階段を登るとイオンが見えた。

 手摺は白いペンキが剥げ落ちて所々に錆が浮いている。

 風はないけど揺れているような気がした。

「ライトくん先に滑っていいよ、ぼくはあとで行くから」

 背後にいるヒロシくんはぼくの肩に手を置いて耳もとでそう囁いた。

 フィットネスタイプの競泳水着を着用したヒロシくんのあそこがぼくのおしりに触れた。

 まずい、あそこが反応しかけている。

 ウォータースライダーというのは柩に収まるファラオのように腕を組んで仰向けになって滑る、というのが常識とされているが、このままではあそこがテントのようになったまま滑らなければならなくなる。

 それは非常にまずい。

「ヒ、ヒロシくんが先に滑りなよ。ぼくは後で行くからさ」

「あ、そう。じゃお先に」

 係員の指示に従ったヒロシくんはファラオのように仰向けになって地上へと流されていった。

 係員が女性だからか、ぼくのあそこは間違って真冬に咲いたアサガオのように急速にしぼんだ。

 そして、ファラオのように仰向けになって流しそうめんのように流された。

 勢いよくプールに着水したぼくをヒロシくんは手をさしのべて引き上げてくれた。

 一瞬、バランスを崩してヒロシくんの胸に寄りかかった。

 ヒロシくんの乳首にボクの唇が触れた。

「あ、ごめん……」

 ぼくは咄嗟に顔をそらしてヒロシくんを見上げた。

「大丈夫? 少し休もうか」

 そのまま何ごともなかったかのように売店で焼きそばを食べた。

 売店には店員のおばちゃんしかいない。

 プラスチックのテーブルと椅子が乱雑に並んでいる。

 ワンパック300円の焼きそばを黙々と咀嚼する。

 その間、ウォータースライダーから滑り降りる中国人を目で追った。

 中国人たちはウォータースライダーが気に入ったのか、登っては降り登っては降りを繰り返している。

 まるで装填されては発射される魚雷のようだった。

「さて、ひと泳ぎしようかな」

 焼きそばのパックをゴミ箱に捨てたヒロシくんは50メートルプールに駆けて行った。

 クロールと平泳ぎを交互に15分ほど泳いだヒロシくんがプールから上がってこっちに歩いてきた。

 黒髪は水に濡れてオールバックになっている。

 競泳水着は肌に密着して光沢を放っていた。

 どうしても目線があそこに行ってしまう。

 今すぐにその競泳水着をずり下げてヒロシくんといろんなことを試したい。

 どうしてそんなことをしたんだと司法に訊かれても太陽のせいだと答えられるぐらいには今日は晴れている。

 でも、おばちゃんの視線が気になるからやめよう。

 なんとなく見られているような気がする。

 それに、ぼくにはそんな勇気はないから。

 プールから出たぼくたちは、まだ陽が高く時間があるからと地元のミュージアムで貸し出されていた自転車に乗って市内を廻ることにした。

 少し行くと古びた木造家屋が建ち並ぶ坂道があって、そこを登ると神社があった。

 蝉の鳴き声が凄まじい。

 手水舎にはボウフラが浮いている。

 スルーして苔だらけの狛犬が守護する拝殿に向かう。

 とつぜん、ヒロシくんはおもむろに財布を取り出すと、がま口から小銭を全部出して賽銭箱の中に放り投げた。

「これで願い事し放題だね。ライトくんの分も入れておいたから遠慮なくお願いするといいよ。二礼二拍一礼を忘れずにね」

 どうやらヒロシくんは硬貨1枚につき願い事ひとつだと思っているらしい。

 可笑しいなと思いつつ、目を閉じて願い事を暗唱した。


 この恋が、成就しますように。


 参道から鳥居をくぐって境内を出たら自転車がなくなっていた。

 ぼくが鍵をかけ忘れた1台だけが消えている。

「盗まれちゃったみたいだね」

「ごめん……ぼくがちゃんと鍵をかけなかったから……」

「しょうがないよ、誰にだって失敗はあるから」

 自転車に跨がったヒロシくんは荷台を指さした。

「じゃあ乗って」

「でも、それ犯罪じゃ……」

「大丈夫、下まで行くだけだから。しっかり掴まっててね」

 ゆっくり走り出した自転車は徐々にスピードを上げて下り坂にさしかかった。

「もっとちゃんと掴まって、ぎゅって」

 ヒロシくんはボクの腕をシートベルトのように腹筋に固定した。

「行くよ!」

 一瞬、ヒロシくんの腹筋に力が入る。

 そして自転車はトップスピードで坂道を駆け降りた。

 古民家の軒先からは燕が飛び込んでギリギリでぼくたちを避けてゆく。

 通り抜ける夏風が汗で湿った肌を乾かした。

 ぼくはヒロシくんの背中に顔をうずめた。

 時間よ止まれ。止まってしまえ。

 そしてこのまま、どこか遠い世界へ連れて行って。

「ふぅ、到着。ジェットコースターみたいでおもしろかったね」

 もう少しヒロシくんの腹筋に巻きついていたかったのだけどそうも行かず、借りた自転車を返却するため地元のミュージアムに向かった。

 盗難届はこっちで出しておくから、と職員のおばちゃんは淡々とした口調で言った。

 どことなくプールの売店で焼きそばを売っていたおばちゃんに似ている。

 似ているというだけで、もちろん別人だけれど。

「へぇ、今日お祭りがあるんだね。行ってみようよ」

 掲示板に張られていたポスターには8月3日、つまり今日このあと18時30分から花火大会があると書いてあった。

 もちろん断る理由などなく、ぼくははからずも知らない町で最愛のひとと同じ夜を過ごすことになった。

「お祭りの会場はどこだろうね。ポスターにも書いてなかったし、グーグルで検索しても出てこないし、おかしいなぁ……」

 たしかに、お祭りの会場はポスターには記されてはいなかった。

 そしてさっきから検索してはいるものの、ヤフーでもいっこうにヒットしない。

 スマホのデジタル時計は18時10分だった。

 まだ外は明るいが、お祭りまであと20分しかない。

 とくに急いでいるわけでもなかったけれど、なぜか心がそわそわする。

 そういえば、この町に来てからほとんど人とすれ違っていない。

 プールの監視員と係員、中国人たちと小学生の三人組、売店のおばちゃんとミュージアムの職員。

 ここまで、その人たち以外とは誰とも出会わなかった。

 駅でさえ、無人で誰もいなかったのだ。

「ヒロシくん、この町……」

「うん、今この町のことを検索してるんだけど、まったく何も引っかからない。ちょっとへんだね」

 スマホを片手に町をさ迷ったけれど、祭りの会場へはたどり着けそうになかった。

 陽は沈み、辺りは薄暗くなった。

 もうとっくに花火大会は始まっているはずなのに、花火の音はまったく聞こえてはこなかった。

 花火の音どころか、蝉の鳴き声さえ消えていた。

 コンビニは営業してはいるもののそこに店員さんの姿はなく、さんざん歩き廻っても人どころか車一台走ってはいなかった。

 今、この町にはぼくとヒロシくん以外には誰もいないかのようだった。

「もしかすると、もうみんな花火大会の会場に集まってるのかもしれないね。そして何かのトラブルで開始時刻が遅れているのかも。とりあえず花火だけでも観たいから眺めのよさそうなところを探そう。ほら、ちょうどあそこに階段があるよ。行ってみよう」

 遠くから見ると山に梯子がかかっているような階段があった。

 その先には、雑草に埋もれた小径があった。

 スマホの灯りを頼りに、真っ暗な道をずんずん進んだ。

 突然、辺りに爆音が響いた。

 その音を頼りに森を抜けると海に出た。

 ロカ岬を彷彿とさせる崖の上にはベンチがあって、無数の花火が夜空を彩っていた。

 ぼくとヒロシくんは無言のままそのベンチに腰をおろした。


『始まったね、花火大会』


『うん、すごく綺麗だよね。水面に映る花火、まるで水平線から打ち上げてるみたいだ』


『ライトくん、今日はごめんね。なんかいろいろと付き合わせちゃったみたいで』


『ううん、ぼくのほうこそごめんね、緊張してあまり話せなかった……あの……ヒロシくん、ぼく……ヒロシくんに言わなきゃいけないことがあるんです……』


 心臓がドキドキする。


 鼓動と花火の区別がつかない。


『ぼく、ヒロシくんのことがどうしても好きなんです。愛してます』

 

 ほっとして涙が出た。

 

 その涙を、ヒロシくんはそっと拭ってくれた。


『愛してるって伝えてくれてありがとう。ぼくも、君のことが好きです』


 ヒロシくんはぼくを抱き寄せて少し強引にキスをした。


 そしてぼくは射精した。

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