Kaleidoscope

ヅケ

トラベルするテディ

カレイド氏は、トラベル中だ。


「退屈で退屈で仕方ないですぁ。」


同部屋の無造作に髭を蓄えた小男のテディは、そればっかり呟いては

項垂れているが、さっぱり気持ちが分からない。


同氏に言わせれば、「むしろ時間が足りない」と。


こんな世界で、何をそんなに急いで成すべき事があるのか。

死なない為に粗末に飯を食って、生き延びる為に寝て、やがて起きるサイクル。

テディは部屋の中を、飼い犬みたいにクルクル部屋の中を回っては

ため息を吐いて、壁を正拳突きしている。暇な奴だ。


隣の部屋に迷惑かかるだろう、と考えながらカレイド氏は目をつぶり、

一時中断されてしまったトラベルを続行する。


「なぁ…何かこう、楽しい遊びは無いもんかね、旦那?」


2段ベッドの上階で仰向けになっているルームメイトに向かって、

小さなテディが問いかける。


「ほら見てくだせぇよ。腕立てと懸垂ばかりしていたら、

腕があんたの胴くらいになりましたぜ。」


二の腕には、日々鍛錬されたであろう筋肉の結晶体が隆起している。


「ふぅ。」

観念したのかカレイド氏は一つ息を吐き出し、ベッドを下りる。


「テディ、ところでトラベルの経験はあるかい?」

ニヤリと口角の右側を上げ、しゃがんだ。


「ハハッ。こう見えてもあっし、イタリアと香港なら何遍もありませぇ。」


「違うよ、テディ。心の中にさ。

正確には皮膚の裏側、血液や骨、五臓六腑や柔毛の更に奥深くへ。

人間自体の核やマントルに行く事さ。」


「…それは、何か?瞑想とか潜思の仲間ですかい?」

大きく仰け反った生え際をポリポリ掻きながら、小男は疑問を浮かべる。


「いやいや、全く異なるものさ。さぁ、こちらに寝転がって目を瞑るんだ。」


「えぇ…分かりやしたよ。」

一段目のベッドに、怪訝そうな顔のテディをこけしみたく寝かせる。


「じゃあ、これから僕が言う事を頭の中で繰り返すんだ。できるかい?

すぐにトラベル先からこの部屋に戻されてしまうから、

口を聞くのはしばらく無しだ。頷くだけで良いよ。

大丈夫、催眠術とかマジックみたいなインチキとは違うのさ。」


「…へ、へい。」



「さて。そうしたらば始めよう、テディ・ハイズワイト。

まずはこの自分の名前を考え続けるんだ。

うむ。

ご両親がつけてくれた大変素敵な名だね。

ところで、自分とは本質的には何者なのだろうか。

テディ。ハイズワイト。テディ、T、E、D、一文字ずつ、ゆっくりと確実に。

瞼の裏に浮かぶ真っ暗な世界に、白い文字で己の名前を

浮かび上がらせるんだ。

ゆっくりとでいい。ゆっくりと。だが確実に。描くんだ。

出来てるかな?よし、そのまま続けるんだ。」


外の世界は、今日も工事現場の様に騒がしい。


ガキンガキンと耳障りな金属音や、人間の怒りや悲しみに溢れた声、

すすり泣く音がこの世界には飽和している。

しかし、カレイド氏の部屋はしんしんと雪が降った様に静かだ。


「まだ戸惑いがある顔つきだね、テディ。大丈夫だ。

問題はないよ、時間はいくらでもあるだろう?

ゲシュタルト崩壊するくらい考え続けるんだ。

そう、その調子。

ぐるぐるぐるぐる反芻していると、次のフェーズへ移行するよ。


さて、テディ・ハイズワイトとはなんなのだろう?今一度考えてみよう。

さて事象?現象?物質?数式?法則?無機物?物体?有機体?生命体?

そう…人間。

では、何をしている?死んでる?泳いでる?

…生きてる。

それならば、なにゆえ生きてる?

目的はあるのかい?

余計なことは考えるな、集中するんだ。

考えるんだ、ぐるぐるとやめちゃいけない。そうそう。

ずっとだ。

存在意義を延々と自問自答していると、立ち上がっていようが

座ってようが、足元の地面や床が崩壊する様な感覚に陥る。

足のつかない深さの海に浮いている感覚になる。

股関節あたりが自らの役割を放棄して、宇宙の彼方へ消失しそうになる。

やがて身体全体で、無重力を感じる様になるはずだ。

無限に広がる、自分という小宇宙だ。

どこにでも行けるし、何にだってなれる。

スーパーマンであり大統領であり、怪盗でありレンジであり、同時に貧民だ。

髪の毛先からは薔薇が、血液は水に、骨細胞は桜の様にピンクに染まり、

臓器はひっくり返り、中からはぬいぐるみが出てくる。」


カレイド氏によれば、初めての方や慣れていない人は、

必ず仰向けになってからトラベルしてほしいとのことだ。

慣れた者なら、各駅列車に揺られるほんの数分でも深く潜り込めると言う。



「ここで辞めても問題ないが、もうしばらく続けてみよう。

さぁ、目をつぶったままだよ、テディ。

自分の苗字、名前、血液型、星座、利き手、出身地、夢、好物、趣味、経歴、

特技、血縁関係…

私とはなんだ、自分とはなんだと繰り返し考えるんだ。

同じ事をただただ実直に繰り返して。

どうだい?

ひとつ、またひとつと。

自分の肉体に宿されている色がポツリポツリと抜けていく感覚だ。

雨が降る街の映像を逆再生する風にね。

いや、それより自然との同化と説明した方が正しいか。

周囲の環境とテディの肉体がコネクトし始めた証拠だね。

つま先から脛に上がり、腰へ胸へ首へ、最後は頭頂部さ。

君は今、白い部屋でしゅわしゅわ浮遊しているね?」


テディは呻いているのか喘いでいるのか、声にならない声を発している。


「僕たちは自分一人では、存在理由を確信できないのだ。

他者との関わりを持って、初めてヒトとして生存するんだよ。

この部屋では、君は私がいて初めて証明される難問だ。

私が公式で、ルールで、潤滑油で、手がかりで、容器なんだ。

逆もまたしかりだけどね。

私という数学、物理学、哲学、工学、法学、文学、心理学、音楽、医学だ。

さぁ、かなり遠い場所まで観光に行ったみたいだね。」


テディの呼吸が深く、ゆっくりと繰り返される。

顔つきも数分前と比べ、柔和な印象を受ける。


「この世界は無色で無重力で無関係で無味で無臭だ、テディ。

君は独りだ。

でも、何も悪いことではない。

生存と、食物連鎖と、殺戮を別個で考えるのに近いのさ。

しかし、いやまさか、初めてでここまで辿り着くとは思わなかった。

アドバイザーが優秀なのかな、驚いてしまったよ。

今の君なら僕以外の声も聞こえるんじゃあないかな。

例えば、さっき君が殴った壁。

耳をすませてごらん?

そう…

…ほらやはり、シクシク悲しんでいるじゃないか!

自然に近い存在になることで、無機物・有機物に限らず世界の

あらゆる発信・感情の訴えが脳内に直接入り込んでくる。

自然と一体になってきたんだ。

愛玩動物として飼われる、犬や猫やインコなどがいるだろう。

何を思ってると思う?悲痛なもんだよ。

皆自由を望んでいるんだ、言葉が伝わらないのは残酷なんだね。

首輪を付けられ、監禁されて、太らされて、癒しだなんだとこき使われて…

彼らは怯え、泣いているんだ。

自分の喉を振り絞って、声を出すしかないんだ。

飼い主には届かないけどね、そんなもんだよ。

他人事とは思えないな。

そう、僕にとっては人身売買と感覚は同じなんだよ。

…って、君まで泣くなよテディ。

今日は、もう十分歩き疲れただろうからここまでだ。」


パチンッと手を叩き、ブルブル泣きながらベッドに横たわる小男を

ゆっくりと起き上がらせる。


「旦那…こんなのいつもやってたんですかい?」


「ふふっ、満足してもらったかな。」


「えぇ…こりゃ時間足りないってのもわかりますぁ。気持ちがいいけどなんとなく不気味な…海をみてなんとなく怖くなっちまうみたいな感覚でしたよ。

でも、これで益々わからねぇんですわ。」


ヒグマの様な毛むくじゃらの腕を組み、首を傾げた。


「どうしたんだ、テディ?」


「…旦那って、何しでかしてここに来たんですかい?」


「ふむ。」


こことは言い換えれば、刑務所である。

州でも3番目に大きいため、様々な入居者がいる。


テディ・ハイズワイトは、度重なる窃盗の罪でここに収容された。

刑期はあと10年と8ヶ月だ。


「もう、そろそろ教えて下さいよ。

ルームメイトになってもう2ヶ月は経ってるんですよ。」


カレイド氏は顎下のほくろをいじりながら、しばらく考え込んだ。



「…さっきのトラベルはどうだった、テディ?」


「…え、そりゃ楽しかったですよ!なんだか夢の中にいるみたいな

気持ちよさでしたよ。こんなのタダで合法なんてあり得ないですぁ。」


「ふふふっ。私はね、他者との繋がりが自分を生存している証明になっていると思っている。

両親や兄弟、親族、友人や恋人や先生、先輩後輩、ご近所さんやネットの友人。

カレイドと呼ぶ親がいることで、親しんでくれる友人達がいることで、私は私に

なるのだ。私という説明であり、免許になるのだ。

君言ふ、故に我有りだ。

もし遠く離れた国に行って、言語が通じず誰にも私のことを説明できなければ

私は何者でもない。

足元の石ころとおんなじなんだよ。」


「へ、へぃ…」


「もちろん君もだよ、テディ。僕たちは友人だ。

君が旦那と呼ぶから、私は私になるんだ。」


いつの間にか空は赤く燃えあがる、もうこんな時間か。

そろそろ夕飯の時間だ。


「…その中で疑問が出てきた。

であれば、この繋がりを全て断ち切ると私はいなくなるのか。

私を知っている者が全員、マジシャンの手の中に隠した一万円みたいに

消失すればその瞬間、私もこの世から…」


「えっと、旦那?」


「そんな仮説が正しいのか、間違っているのかを試したんだよ。父親や母親、

祖父や祖母、姉に従兄弟、学生時代の級友と教師、バイト先や会社のあらゆる同期・上司・後輩、取引先にご近所さんに諸々すべての…

結果として私はここに来たんだ。

そうだね。考えうるすべての繋がりを消した。

波打ち際の砂浜に書いた文字みたいに、サッと全部ね。

クリスマスケーキのロウソクを吹くみたいに思い残すことなく、

むしろ祝う様に。

でもほら、私は君の前に確かにいる。存在してるんだ。

つまり僕の仮説は間違っていたのか?」


窓にかかる鉄格子を眺め、続けるカレイド氏。


「違う…まだだったんだ…!

君が残っているんだ、テディ。一番強い結びつきなんだよ。

君を断ち切らないと、私の仮説が証明できない。

あとは最後の1ピースをはめるだけなんだ。

QEDを書き加えるだけなんだ。」


「だ、旦那…それはどういう?」


「トラベルは私の全てなんだ。そんな私に興味を持ってくれた人間が最後で私は嬉しいよ。先ほどのトラベルなんかより、もっとすごいのがあるんだ。

なんだと思う?

永遠だよ。楽しかったなんて言ったって、限界はあるんだ。

僕だって2時間がやっとだ。

あれが何秒でも何分でも何時間でも何日でも何年でもできるんだ。

大丈夫、初めてであんなに続くのはすごいことなんだ。

そんな君なら、さっきよりもっと楽しい日々になる。

さぁほら、目を瞑るんだ。

こっからは異世界への入り口だ。」


「ちょっ、ちょっと待ってくだせぇ、旦那!!」



「良いご旅行を、テディ。」

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