チョココロネギンギラギンにプロポーズ

金澤流都

チョココロネギンギラギンにプロポーズ

 なんでこんなことになったのか、わたしには正直分からない。とにかくわたしは、ビカビカの七色に光り輝くUFO……いや、正体が分かっているから未確認飛行物体じゃないな。宇宙人の乗り物に乗って、いまその宇宙人の星へいこうとしている。


 隣には、銀色の全身タイツを着た、端的に言ってタケモトピアノのCMのお姉さんみたいな装いの、クラスメイトの男子の姿がある。その、ギンギラギンの全身タイツに包まれた手で、わたしの震えている手をぎゅっと握っている。


「だいじょうぶ。俺が選んで連れてきた、っていったら星のみんなも納得してくれるよ」


「……ずっと気になってたんだけど。わたしも、雄太くんの星に行ったら、その全身タイツ着なきゃないの?」


「そんなに変かなあ。生まれたときからこのカッコだから、ブレザーのほうが違和感あったな」


 いや質問に答えてくれ。文脈から察するにはわたしもその全身タイツを着ることになりそうじゃないか。


「だいじょうぶ。俺がついてるぜ」

 そんなネズミーのキャラクターみたいな言い方しないでほしい。まあ全く暮らしを想像できない相手のところに突然嫁ぐという点ではネズミーのプリンセスたちと何ら変わりないが。


 なにがあって、わたしは宇宙人――彼らの言葉で言うところのデャペト・シル=シア人に嫁ぐことになったのか。話は数日前、そう、わたしの誕生日である2月14日、バレンタインデーにさかのぼる。


 ◇◇◇◇


 わたしの成績は学年でいちばん。でも友達らしい友達はおらず、家に帰ればアル中の父さんが数年前に事故で亡くなった母さんの写真を見て泣いている、という状態。そういうわけで、わたしはふだん、家にまっすぐ帰らずギリギリまで居残りをして、それから図書館に閉館ギリギリまでいて、図書館の閉まる七時半に帰途につく、という暮らしをしていた。家だと父さんが散らかしたものを片付けたり、洗濯をしたり、料理をしたり、とにかくやることがいっぱいある。


 父さんは本当に可哀想なひとだと思う。調子のいいときだけ日雇いで働いて、稼いだお金はだいたいアルコールになる。なんてみじめだろう。わたしが近所のパン屋で学校に内緒のアルバイトをしていることを父さんは知らない。朝の仕込みだけ手伝って給料をもらっているので、毎朝四時に起きてパン屋に向かい、学校が始まるギリギリまでアルバイトしている。


 人生を悲観しているのは、わたしも父さんとおなじだ。


 一生、恋愛とか結婚とかそういうのに縁なく生きて、父さんのために働いて、いつか父さんが死ぬころにはそれこそ恋愛とか結婚とかと無縁な歳になっているのだろう。


 自分のこれからを想像すると悲惨な人生だと思う。なにもクリエイティブなことができないまま、誰かに愛されることもないまま、死んでいく、それだけの人生しかわたしにはない。


 少なくとも、高校三年生のバレンタインデーまで、そう考えていた。


 バレンタインデー当日、クラスの連中は友チョコだとかなんだとか言って、手作りの豪華なお菓子を取り換えっこしていた。もちろわたしには、友達なんかいないし、チョコレートなんて余計なものを買ってくる予算もない。そもそも家財道具をちょっとずつ売り払うタケノコ生活をしているので、オーブンはおろかトースターすらない。羨ましいとすら思えないのだ。


 この学校は基本的に進学より就職に重点を置いているので、みんな就職するようだ。わたしも、アルバイトしているパン屋の店主さんのご厚意で、卒業したらそのパン屋で働かせてもらうことになっていた。でも、正直なところ、接客に全く自信がない。というか怖い。学校ではほぼ喋らないし、家でも父さんとまともに話すことなどない。


 パソコンはおろかスマホすら持っていないので、ネットを見られる環境が我が家にはない。だからツイッターとかそういうので文章のお喋りをすることすらできない。――スマホを持っていないのがクラスのやつらに知られたら恥ずかしいので、ダイソーで買ってきた手帳型スマホケースをカバンのポケットにいれて四角く出っ張らせて、スマホを持っているていを演出する程度に私は恥ずかしがり屋である。


「おっはよー」


 明るい口調でご機嫌な男子が入ってきた。深瀬雄太。明るくて元気で、クラスの太陽みたいなやつ。手にはわたしのアルバイトしているパン屋の紙袋を持っている。


 わたしはアルバイトしているパン屋のパンをまともに食べたことがない。家に持ち帰って食べているのはサンドウィッチを作る時に切り出したパンの耳。いいなあ、お店のパン、おいしそうに見えるんだよなあ。


「おー雄太おまえきょうも早弁すんのかー? ほがらかパンのチョココロネ、めちゃめちゃにうまいもんなー」と、誰かがそう言う。わたしのアルバイトしているパン屋は「ほがらかパン」という変な名前だ。店主さんに聞いたところによるとチョココロネがいちばんの売れ筋だという。チョココロネ。小さいころちょっと食べただけだ。


「いや? きょうバレンタインデーだろ? 海外だと男のほうから渡すのもありなんだろ?」


「マジか、雄太誰に告るんだ?!」クラスがざわついた。そりゃざわつくだろう。雄太はクラスの太陽だから。


「告るとかそういうみみっちーことじゃねーよ。俺は好きな子にプロポーズすんだ」


 ざわざわっ。父さんが元気だったころよく読んでいたギャンブル漫画みたいなどよめき。


「プロポーズってお前まじかよ! あっでも俺ら十八だから結婚できるな」


 誰かがそう言って、クラスは爆笑に包まれた。気楽なやつらだなあ。ため息をついて、教科書の要点をノートにまとめていると、深瀬雄太がわたしに話しかけてきた。


「坂東ちふゆさん。俺と結婚してください!」


 ……は?


 なんだこれ、罰ゲームかなんかでプロポーズしてる?


 深瀬雄太が差し出しているのはパン屋の袋。パン屋の袋を受け取って、喋る。


「なにそれ、罰ゲーム?」

 久しぶりに発した声は、ひどくかすれていて、調子っぱずれな声だった。


「いや。俺はマジだ。チョココロネ食べてみ」


 わたしは袋に手を突っ込む。チョココロネが出てきた。はむはむと食べる。すごくおいしい。わたしの働いているパン屋でこんなおいしいパン作ってるんだ……と思ったら、なにかすごく硬いものをかじった。いてて。なんだなんだ、とパンからその硬いものを取り出す。


 指輪だ。


 ダイヤがついてるとかそういうお高い感じじゃない。でも指輪だ。チョココロネのチョコのフタになっていた紙の上にそれをおいて、チョココロネを最後まで食べて、指輪を教室から出てすぐの手洗い場で洗う。――小中学生の女の子がつけるような、サン宝石の指輪だった。


 思わず笑いが出た。あははは。年単位で久しぶりに笑ったので、腹筋がすごく痛い。


 あははは。あははは。しばらく壊れたみたいに笑った。その指輪を、左手の薬指にはめてみる。ジャストサイズ。ますます笑いが止まらない。


 手洗い場で笑う変態をやっていると、深瀬雄太がつかつかと歩み寄ってきた。


「いいかな。俺、戴冠のためにデャペト・シル=シアに帰らなきゃいけない。俺はちふゆさんを、王妃としてデャペト・シル=シアに連れ帰りたいんだ」


「なんで? わたしよりかわいい子いっぱいいるじゃない。わたしみたいな貧乏で根暗な人間、どこの国か知らないけど、王妃とかそういうのには相応しくないと思う」


 深瀬雄太が言う変な冗談を、真に受けたていで返す。デャペト・シル=シア? なんじゃそりゃ。まあ九分九厘冗談だと理解はしている。


「ちふゆさんは、この学校でいちばん心がきれいな人だ」


 そんな、寅さんを「日本一心がきれいな男」って言うみたいに言わんでも。だいたいわたしは、……あれ? そういえば学校の誰か、先生やクラスメイトを呪ったことはないな。忙しすぎて、学校のことなんて授業の内容以外なにも覚えていない。クラスのやつらの顔と名前すら、一致しない。


「それに、ちふゆさんは、俺を……ちゃんと覚えていてくれたから」


 だってあんた目立つもん。そう言いたかったが、確かに顔と名前が一致しているのはこいつだけだ。


「おねがいします! お父さんの面倒も見ます。もうパンの耳食べて暮らさなくていいようにします。俺と結婚してください!」


 好きとか嫌いとか、あんまり考えたことのない人間に、いきなりプロポーズされたらびっくりするもんなんだなあ。よくテレビで田舎のおばあさんにおじいさんとの馴れ初めを訊くと、「祝言の日まで相手の顔も知らなんだアッハッハ」なんて答える場合がたまにあるけど、そういうおばあさんもこんな気持ちだったんだろうか。


「結婚したら、父さんの面倒見るとか、パン屋のアルバイトとか、しなくていいの?」


「もちろん。デャペト・シル=シアに帰って、王妃として国を治めるのを手伝ってもらうけれど、ちふゆさんのお父さんはうちの家臣が面倒をみるし、もちろんアルバイトもしなくていい暮らしを保証できる。勉強したければいつでも書庫を開けられる」


 涙が出た。


 嘘でもいい、そのプロポーズにすがりたかった。父さんの面倒を見るのも、パン屋のアルバイトも、図書館が七時半に閉まってしまうのも、ただただ悲しく思っていた。


「ありがとう、バレンタインデーに、……誕生日に。そんな素敵な冗談言ってくれて。すごくうれしい」


「冗談じゃないよ」


 そういう雄太は、窓の外を指さした。


 UFOだ。それも一目で宇宙人の乗り物とわかる、アダムスキー型の古典的なやつ。


「あれで、俺のデャペト・シル=シアにいこう」


 そういう雄太は、いつの間にか制服のブレザーでなくギンギラギンの銀色全身タイツをまとっていた。そして私の手を掴んで、窓の向こうにジャンプした。


 ぼふっ。そんな質感の椅子に、いつの間にか座っていて、この宇宙人の乗り物は、音もなく発進した。


 わたしは、宇宙人の王妃になるのだ。もう、不幸せな坂東ちふゆではないのだ。

 

 ◇◇◇◇


 バレンタインデーに生まれてきた、愛なき人生を送った女の子は、いま宇宙のかなたで「国母」と呼ばれ、慕われている。

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