重なる涙

『パールは皇帝を辞めろ‼︎ パールは皇帝を辞めろ‼︎』

『民の生活を守れない皇帝などいらない‼︎』

そう叫ぶ群衆が『白の宮殿ホワイティア・パレス』を取り囲んでいた。しかし、当の『白の宮殿』の住人は冷めた様子で群衆を見ていた。

「……奴らも懲りないねぇ。暇人なのかな?」

「気にしたら負けだ、コバルト。どうせ他の『色の教団』の連中がぐちゃぐちゃ騒いでるだけであろう」

側近のコバルトは、外の様子を見て何やら落ち着かない様子である。しかし、『白の宮殿』の主である女王パールは、興味が無いと言わんばかりに窓の外を全く見ない。

「そんな事より、こっちの方が重要だ。……ボルドーの奴め。なんでこう毎回毎回大きな爆弾を抱えてくるのだ」

パールは、たった今読み終わった紙束を机に放り投げ、頭を抱えた。その紙束には、こう題名が記してあった。


 『色素欠乏症に対する特効薬の提案』


『色素』は、人間を構成する大事な要素の一つである。人々はこの『色素』を『魔力』に変換し、『魔法』を繰り出している。『魔法』は人々の生活に根付いており、料理の火を起こすのにも『魔法』が使われている。

『色素欠乏症』は、体から『色素』が抜けてしまう病で、原因は様々である。適切な処置を受けないと、最悪の場合死に至る。この病には今まで特効薬が無く、対症療法だけで治療していたので、この提案は非常に嬉しいものである。

 しかし、パールに渡された紙束(報告書)は、その功績を帳消しにしてしまう程の内容も記されていた。

「……いくら被験者の了解を得ているといえ、効能を確かめるために被験者を瀕死の重体にするのはやり過ぎであろう」

『色素欠乏症』の原因の一つに、人が命の危機に瀕し『色の涙』を流すというものがある。ボルドーは手早く『色素欠乏症』の患者を生み出すために、瀕死の人間を作る事を選んだらしい。

「しかも、その被害者……もとい被験者は全員女性。ボルドーは一体何を考えているんだ……」

報告書を先に読んでいたコバルトも未だに困惑しているようだ。

「……何はともあれ今回は庇いきれん。コバルト、奴には一ヶ月ブタ箱で反省していろと伝えておけ」

「はっ!」

パールが拵えた命令書を持って、コバルトは執務室をあとにした。しばらくしたらボルドー本人に伝わるだろう。

「……あのバカ、変な気を遣いおって」

そうぼやくパールの表情は、とても悲しそうなものであった。


 ○○


 その日、パールの姿は議会堂の場にあった。先日、マルーンが引き起こした反乱は、かなり大きな爪痕をこの街『ホワイティア』に残した。あれから一月近く経ち、街は元の姿を取り戻しつつあった。この日は復旧の進捗を貴族議会が報告する日である。

「──こちらの資料をご覧ください」

パールが資料を読むために、メガネをくいっと直す。

「多少遅れが見られますが、建物の復旧は順調に進んでおります」

ずるっとメガネが落ちる。パールは慌ててメガネをくいっと直す。

「黒環付近の街はほぼ復旧が完了しております」

またずるっと落ちる。慌ててくいっと直す。

「住宅街や繁華街など、被害が比較的小さかった地域も予定通り復旧作業が進んでおります」

ずるっと落ちる。くいっと直す

「問題なのは、被害が大きかった屋敷街です」

ずるっ。くいっ。

「先の事件で当主が死亡、もしくは行方不明になった家も多く──」

ずるっくいっ

「……パール様、大丈夫ですか?」

「……エメラルド卿にはこれが大丈夫に見えるというのかね?」

パールの額には青筋が浮いていた。

「だああああ‼︎ 我慢ならん! 卿らはよくもこんなものと付き合っていられるな⁉︎」

パールは怒りに任せてメガネをその辺に放り投げる。後ろに控えているメイドが、うまい具合にキャッチしたので、メガネは無事だ。

「……まぁ、こればっかりは慣れでしょうな」

「そうですなぁ……」

「装飾品と同じように、段々と馴染んでいくものなのですよ」

エメラルド卿をはじめとした貴族諸卿は、何やら微笑ましいものを見る目でパールを見ている。

「──それでしたら、メガネ枠を軽いものに致しませんこと、パール様?」

そう持ちかけてきたのは、女性貴族の中でも一際美人だと噂されるスカーレット卿であった。彼女もまたメガネをかけている。

「メガネ枠を軽くする?」

「ええ。見たところパール様のレンズ、特注品ですわね? 多分そのせいでメガネが重くなっているのですわ」

「ほう? 詳しいな、スカーレット卿」

「私、自前で眼鏡屋を経営していますのでね。その辺の知識は人並みよりはありますわ。よかったら、家の眼鏡師に見せて頂けませんこと?」

積極的にパールへ話しかけるスカーレットを見て、周りの貴族はかなりざわつく。その様子を知ってか知らずか、パールは「良いじゃないか」とスカーレットの話に食いついた。

「余の眼鏡師とも会わせたいが良いか?」

「ええ、喜んで♪  家の眼鏡師にも、良い経験になると思いますわ」


 ○○


「ほぉ〜、確かにこれは軽いですな」

「でありましょう? こちら、赤龍の鱗を使用しておりまして」

「赤龍の鱗⁉︎ なるほど、どうりで。でも、よくも加工できましたね? これはどのように?」

「そこは、企業秘密でございます。それよりもこのメガネでありますが──」

眼鏡師二人がメガネトークで盛り上がる様子を見て、パールとスカーレットもまた談笑に花が咲いていた。

「……あんなに生き生きと語るシュネーは久々に見たな」

「家のヴォルカンもですわ。やはり、好みが似通っていると自然と話も弾みますわよね。うふふ♪ ヴォルカンったら嬉しそう」

お付きの眼鏡師が生き生きしている様子を見て、スカーレットも嬉しいようだ。

「パール様」

ここで眼鏡師の方からお呼びがかかる。

「どうなった?」

「はい。こちらになります」

眼鏡師が新しいメガネを差し出す。手に取ったメガネは、パールにも違いが分かる程変化していた。

「……明らかに軽いな」

「はい。さらに、パール様の顔に合うよう、少し枠の形も変えました。どうぞ、お召しになってみてください」

言われるがままにメガネをかけると、顔にかっちりとはまる感触がした。今までのメガネよりも快適なかけ心地である。

「良いなぁ、これ」

「お気に召したようで何よりです」

思わず出た感想に、眼鏡師は心底嬉しそうであった。


 ○○


 黒環近くの路地裏。いつもの喫茶店をパールは訪ねていた。立て付けの悪い音の鳴る扉を開けると、「いらっしゃい」と女店主から声がかかる。

「あら、パール様! 体のお加減はいかがです?」

女店主ことカメリアがパールに気づき、丁重に出迎えた。

「大丈夫だ、変わりない。……というか、この会話昨日もしたばっかりだよな?」

「私に心配させた罰です。人の気もしらないで無茶ばっかりするんだから」

「……返す言葉もない」

パールは、店の奥のテーブル席に腰掛ける。

「ご注文は?」

「ココアを頼む」

「承りました」

カメリアは厨房に引っ込み、ココアを作り始める。

「それで、今日は何のご用ですか?」

カメリアが厨房から話しかける。しかし、パールは応えなかった。トレイに乗ったココアと共に、カメリアが厨房から出てくる。

「はい、アイスココアです」

「……うむ」

パールは、テーブルに置かれたグラスを素手で掴み、そのまま半分ほど飲んで喉を潤す。

「それで、今日の本題は何ですか?」

カメリアがパールの向かいに座る。パールが重い口を開いた。

「……ボルドーの処遇が決まった。禁固一ヶ月だ」

「……そうですか」

カメリアは実兄の処遇を聞かされ少し俯く。兄がしでかしたことに、何か思うところがあるのであろう。しかし、悲しそうに笑いながらも、カメリアは「ありがとうございます」とパールに頭を下げた。

「何故頭を下げる? 礼を言われる筋合いはないと思うが」

「パール様がいろいろ頑張ってくださった結果がこれなのでしょう? なら感謝をすることはあれ、非難なんてするわけないじゃないですか」

「……お見通しってわけか」

「私と貴女の付き合いですから」

「ふふっ」と、二人から自然と笑みが生まれる。しばらく心地よい沈黙が続いた。

 

 その後も、パールとカメリアは「あら? メガネ変わりましたか?」「お、気づいたか」などと、他愛ない話や愚痴の言い合いで大いに盛り上がった。

「では、そろそろ戻るとするか」

「今後も体にお気をつけくださいね?」

「……善処しよう」

パールは身支度をして、「釣りはいらん」と、代金をテーブルに置く。

「──ああ、そうだ。カメリア、言伝を頼まれてくれないか?」

「良いですよ。どのような内容でしょう?」

パールの頼みに、カメリアは自然と応じた。

「──もう変な気は遣うな、と」

「あの人がそれを聞き入れると思います?」

「だからお前に頼んでいるのだ」

「……言うだけ言っておきますね」

「よろしく頼む」

店をあとにするパールに、カメリアは出口まで付き添い「またいつでもいらしてください」と、お辞儀をして見送った。


 ○○


「北方の領地?」

「ああ。あそこに何があるのか知らないかなぁって思って」

宮殿でいつも通りディナーをとっていると、コバルトが気になる話をしてきた。

「北方はスカーレット卿の領地だな」

「そう。そのスカーレット卿の私兵が、領内で少し妙な動きをしていてね」

「領内ならば特に気にすることはないと思うが?」

「まぁそうなんだけどねぇ……」

コバルトは何か引っかかるようで、「う〜ん」と悩ましげな声をあげながら肉をほおばる。

「だから、何かないか、なのか」

「うん」

コバルトがあまりにも気にするので、パールは改めて心当たりを確認してみる。頭の中に地図を思い浮かべていると……

「あ」

一つ、心当たりを見つけた。

「いや、まさかな」

「……その言い方、わざとやってない? そんな言い方されたらすっごい気になるんだけど」

パールの意味深なぼやきに、コバルトはすかさず食いつく。

「いやなに、そういえばあそこには、代々皇帝が直轄している神殿があったなと。正直、スカーレット卿がアレをどうにかするとは思えんが」

「……皇帝直轄の?」

パールの話を聞き、コバルトは食事そっちのけで考え込む。

「パール、その神殿にはなにがあるんだ?」

「さぁ? 私も詳しくは聞いてないが、何かやばいものが封印されているらしい」

すると、コバルトの顔から血の気が引き、コバルトはこう言った。


「……それ、当たりかもしれない」


 ○○


「準備は順調かしら?」

「はい。滞りはありません、スカーレット様」

「よろしい。予定通り進めなさい」

「はっ」


「──待っていてくださいね、パール様。あなたを玉座から引き摺り下ろします!」


 ○○


 その日、パールの姿は図書館にあった。スカーレットの領内にある神殿について調べるためである。

「しかし、いつ来ても慣れんなぁ。この広さには」

宮殿にある図書館なので、国中の書物がここに集まる。なので、規模が巨大になるのは必然なことだ。所蔵数は数千とも数万とも言われている。パールは伝承を扱う本棚に向かい、片っ端から本を漁った。

 すると、一冊の本を見つける。それは、この国がまだカラール帝国になる前の時、当時の皇帝が各地の伝承を纏めさせた本であった。当時の皇帝は、このような伝承を蒐集するのが趣味であったらしい。パールが手に取ったのは、全八巻からなる大全集の一冊であった。ページをめくり、目当てのものを探す。

「……見つけた」

 それはやはり、北方で伝わる伝承であった。

 曰く「それは神の怒りである」

 曰く「それは天の裁きである」

 曰く「それは災いの果てである」

 抽象的ではあるが、とてつもなく危険なものであることは嫌でも伝わる。

「しかし、『災いの果て』か。不思議な言い回しだな。読んだ限りでは、コレそのものが災いである気がするが……」

だが、伝承を読むだけではわからない部分も多い。幸いここは宮殿の図書館なので、調べる本はいくらでもある。その日は本を漁れるだけ漁り、そして、とある事実にたどり着く。


「……これが本当であれば相当まずいぞ」


 ○○


「スカーレット様! 大変です!」

「どうしたの? そんなに慌てて」

「宮殿が我々の動きに感づきました!」

「ッ⁉︎ それはまずいわね。決行を早めます。準備なさい!」

「り、了解しました!」


「これもパール様のため。大人しく待っていてくださいね♪」


 ○○


「──……ぅあ? さわがしいなあ」

その日、パールは少し早めに目が覚めてしまった。何故か朝から外が騒がしい。パールは理由を確かめるために窓を開けた。その目に飛び込んできたのは──。

『『『パールは皇帝を辞めろ! パールは皇帝を辞めろ‼︎』』』

街を埋め尽くさんとする人の群れであった。

「……え?」

茫然と立ち尽くしてしまうパール。目の前の光景を受け入れることができない。

「……うるさいなぁ。なにごとだい?」

あまりの騒がしさに、コバルトも起きてくる。

「──ッ⁉︎」

窓の外を見て、コバルトも言葉を失う。

「……コバルト、どう言うことだこれは?」

「……僕にも何が何だか」

「……私は、皆に嫌われたのか?」

「ッ! そんなわけないじゃないか‼︎」

「なら何なのだアレは‼︎ あそこに群がっている人数は今までの比じゃないぞ⁉︎」

「それは……」

宮殿の前に集まっている人の数は、目に見える範囲でも今までの数十倍になっていた。

「……コバルト、あなたは私のことが嫌い?」

「なにを言ってるんだパール⁉︎」

突拍子のないパールの質問に、コバルトは目をむいた。

「だって! だってッ‼︎ 皆私のこと嫌いなんでしょ⁉︎ だから皆あそこに集まってるんでしょ⁉︎」

「だから! そんなことないって言ってるだろ⁉︎」

「嘘!」

「嘘じゃない!」

「じゃあアレは何⁉︎」

「それは……!」

コバルトは言葉に詰まってしまう。自分はパールのことが好きでも、他の人はどうであろうか。もしかしたら嫌いな人がいるのかもしれない。でも……。

「──でも、僕はパールが好きだ」

「嘘だ」

「嘘じゃない‼︎」

突然大きな声を浴びせられ、パールは驚きのあまり身を縮めてしまう。しかし、パールは恐る恐るコバルトに「本当?」と聞き返す。

「本当だ」

「じゃあ私の目を見て」

コバルトは、言われた通りパールの目をみる。すると、パールの目が怪しく光り、意識が定かでなくなる。

「──術は解けていない。加護もある。じゃあコバルトは本当に嘘をついていない? なら何であんなに人が? 何が起こっているの?」

視界が定まらない中、パールがブツブツと何かを話している。

「コバルト」

「……はっ⁉︎ あれ? 僕寝てた⁉︎」

「コバルト、何を言っているのだ?」

「あれ? いや、なんでもない」

急に意識が飛んだことに違和感を覚えつつも、コバルトは気にしないようにする。

「まぁ良い。コバルト卿、仕事だ。アレの首謀者をここに連れて来い」

アレと言ってパールは窓の外を指差す。その意味を正しく理解したコバルトは

「はい。直ちに」

意識を仕事に切り替え、寝室から出ていく。

「──何があっても僕は君の味方だから」

すれ違いざまにそう言い残して。


「……ああ、知っているとも。そう言う人間にしたのは私だからな」


パールの呟きは、無人の部屋に溶けていった。


 ○○


 パールの姿は、謁見の間にあった。騒動の首謀者を待ち受けるために。しばらくして、謁見の間の扉が開く。現れたのは見知った顔達であった。

「……卿らであったか」

「ええ、そうですよ、パール様」

貴族議会の面子が、誰一人かけることなく揃っていた。スカーレット卿がこちらに歩み出てくる。

「本日はお話があって伺いました」

わざとらしくお辞儀をし、いきなり話の本題を切り出す。

「帝位を退いてはいただけませんか?」

「断る」

パールは取りつく島を与えない。

「……何故、そこまで帝位にこだわるのです?」

「私がここにいることで民を守れるからだ」

「臣民はそれを望んでいないようですが?」

「どうやらそうらしいな」

パールが少し自嘲気味に笑う。しかし、すぐに顔を引き締め言う。

「それでも、私が渇望した末にやっと手に入れたものだ。そう簡単に手放すつもりはない」

「交渉決裂ですね」

スカーレットは、心底残念そうに言う。そして、ゆっくり立ち上がり、こう言い放った。


「これより、貴族議会の名において、皇帝パールに対しクーデターを起こすことを宣言します‼︎」


 その宣言と共に、室内にいた衛士達がパールを取り囲む。パールは、玉座に立て掛けてあった剣を抜き、抵抗を試みる、しかし、

「雷の精霊よ!」

「があっ⁉︎」

雷の魔法が飛んできて、パールの体を麻痺させる。

「……エンダイブ卿、貴様……!」

「お許しください、パール様。これもこの国のためです」

この隙を逃すほど衛士も馬鹿では無い。すぐさまパールを拘束する。

「さて。これで詰みですわね、パール様」

スカーレットがパールに歩み寄る。

「くそ! 離せ‼︎」

「あまり抵抗しないほうがよろしいですよ? 抵抗すると、この方の首が無くなります」

衛士が投げて寄越したのは、パールの命を受け外に出ていたコバルトであった。

「コバルト⁉︎」

コバルトは猿轡をされており、口をきけない。

「チッ、余をどうするつもりだ!」

「天の業火に焼かれてもらいます」

スカーレットは懐から通信魔石を取り出し「始めなさい」とどこかに指示を出す。

「おい。今何をした?」

「言ったでしょう? 天の業火に焼かれてもらうと」

「まさか、北方の神殿⁉︎」

「あら、流石ですわね」

パールの顔から血の気が引く様子を、スカーレットは少し寂しそうに眺める。

「大人しく退くと言ってくだされば、命はお助けしたのに……。残念です」

そう言って、スカーレット達貴族は、謁見の間から立ち去ろうとした。

「待て! おい待て‼︎」

パールは必死に彼女らを呼び止める。

「……まだ何か? 命乞いしても助かりませんよ?」

幸いにも、スカーレットが対話の意思を見せる。

「一つだけ聞きたい。アレの起動には皇帝の許可がいるはずだ」

「はい、そうですね」

「誰の玉璽を使った?」

「パール様のですけど、それが何か?」

「…………嘘だろ?」

ただでさえ白かったパールの顔から、さらに血の気が引く。そして


「この、大馬鹿野郎どもがああああ‼︎‼︎‼︎」


謁見の間にパールの大絶叫が響き渡る。

「アレはな、皇帝の血統が変わる時に、それに納得しない奴等を滅却するための兵器だ。アレは玉璽が変わることで血統が変わった事を認識する。だが、登録されている玉璽と同じ玉璽で起動すると、どうなると思う?」

「ど、どうなるんですの?」


「皆殺しだよ」


「…………はい?」

「本来は、新しい玉璽で起動することによって、古い玉璽の信奉者に狙いを定めて起動していた。だが、玉璽を変えずに起動すると、狙いがその玉璽の信奉者全員に狙いが定まる。つまり、臣民全員に狙いが定まるのだよ。余も! 貴様も! ここにいる全員だ‼︎」

「そんな……。嘘よ……」

「嘘だと思うのは構わんが、その内被害が出るぞ」

そう言った矢先であった。

「ぐわあああああああ‼︎」

室内にいた衛士の一人が燃え上がった。

「「「ひぃいいいいいい⁉︎」」」

城内は阿鼻叫喚の地獄絵図となった。いたる場所のあちらこちらで衛士が火だるまになり、逃げ惑う人々で城内は埋め尽くされた。

「どけ!」

パールは、拘束している衛士を振り払って、謁見の間を飛び出す。廊下は人で埋め尽くされていて、通り抜けることが出来ない。なので、手近の窓から外に出て城壁を滑り降りる。パール目掛けて火の玉が飛んできた。どうやら、これが衛士を火だるまにした原因らしい。

「チッ、邪魔だ!」

剣を使って火の玉を切り飛ばす。しかし、火の玉は際限なく飛んでくる。

「くそ、キリがないな」

パールは火の玉をかわしつつ城下へ急いだ。

 

 パールがたどり着く頃には、城下の地獄絵図が既に完成していた。様々な所から上がる火の手。逃げ惑う人々。その様子は城内よりも酷いものであった。

「どうすればいい。何か、何か手は……!」

パールが策を考えている間にも、臣民が目の前で焼き殺されていく。その光景がパールをさらに焦らせる。ふと、城門の衛士が、火の玉を槍で叩き切っている様子を目にした。衛士の武装は、何の変哲もない鉄で出来た槍である。

「……ということは、あの火の玉は物理攻撃に弱い?」

その時、丁度パール目掛けて飛んでくる火の玉が。

「丁度良い。土の精霊よ!」

魔法で土壁を作り出す。すると、火の玉は土壁にぶつかって消えた。

「なるほど。ならば──」


 パールは祈るように手を合わせる。

 頬を涙が伝った。

 その涙には色がついていた。

 『色の涙』だった。

 しかし、その色は赤でも青でもなかった。

 その色は『虹』だった。

 様々な色に光り輝く涙だった。

 その涙は頬を伝い、顎を伝い、落ちていく。

 落ちていく雫を手に取った。

 雫を取った手に力を込める。

 そして、力強く呪文を唱えた。


「我が声よ届け。我が望みは盾。民を守護する盾なり。我が願いが届いたのならば、叶え給えよ虹の女神!」


 握りしめた雫が光り輝く。

 その色は青だった。

 青い光が広がっていく。

 そして街は青い光に包まれた。


「聞け! 臣民達よ‼︎」

パールは人々に呼びかける。

「我が国は今、前代未聞の厄災に襲われている。このままだと、この国は厄災に滅ぼされるであろう。ただ、余は皇帝として、この国とこの国の民を守る義務がある! お前達からすれば、余は頼りない皇帝なのであろう。ただ、この国を守るために、お前達を守るために! どうか、余の言葉を聞いて欲しい」

人々は、パールの言葉に耳を傾けていた。

「門番よ、城門を開け! 宮殿内に臣民を避難させる! 衛士よ、すべての部屋の扉を開けろ! 膨大な数の臣民が宮殿内に避難する。宮殿内のすべての部屋を使い、臣民の避難先を確保しろ! 牢屋の扉も開けて構わん!」


 そして一息。



「臣民よ、生き残れ! 愛するこの国のために! この国を絶やさないために! これは、皇帝パールの命令である‼︎」




「──城門を開けろ! 市民を避難させるんだ!」

「こっちだ! 急げ!」

人々はパールの言葉通りに行動を始める。パールはまだ、この国皇帝でいられるのだ。パールは安堵し息をはく。火の玉は青の盾によって進路を阻まれ、街に侵入できずに砕け散っていた。人々の避難も順調に進んでいる。これでしばらくは犠牲者を出さずに済むだろう。


 しかし、そう簡単に物事は運ばない


「ん?」

突如として日が陰りだす。

「なんだ? 雨でも降るのか?」

パールが太陽の方を振り返ると

「…………冗談だろ?」

そこには、太陽を覆い隠す程の巨大な隕石があった。段々とこちらに迫ってきている。おそらく、この街『ホワイティア』の外周、あるいは、それ以上の大きさである。このまま堕ちると、確実に国が滅ぶ。

「どうすれば、どうすれば良い⁉︎」

完全に冷静さを失ってしまったパール。慌てふためきつつも、青の盾を、隕石が降ってくる方角の部分だけ厚くする。しかし、それでも応急処置だ。


「随分と騒がしいな。いつもの高慢ちきな態度はどうした?」


 いきなり背後から声が掛かる。しかし、聞き覚えのある声であった。パールは振り返る。

「ボルドー⁉︎ 何故ここに?」

「どこかの誰かが地下牢の扉を開け放ったからな」

国が滅ぶかの瀬戸際なのに、ボルドーは変に落ち着いていた。

「それより、何か困っているようだな。手を貸そう」

「貴様に何ができる。ただの科学者であろうが。あの隕石をどうにかできるのか?」

「勘違いしてもらっては困る。隕石をどうにかするのはお前だ、パール」

「はぁ? 何を言っているのだ?」

ボルドーはこちらに近づき、徐に首筋へ何かを突き立てる。

「へ?」

ブシュゥゥウウッと、何かを打ち込まれる。

「なっ⁉︎ な、何をしたオロロロロロロロロロ」

強烈な吐き気と目眩が襲い、たまらず吐いてしまうパール。

「報告書を渡しただろう。例の特効薬、それの量産先行品だ。気分はどうだ、パール?」

「ハァ、ハァ、い、良いわけないだろッ!」

当たり前であった。しかし、そんな気分とは裏腹に、体の体力は回復しつつあった。

「すごいな。本当に効き目があるのか」

「意識がある人間に打つのは初めてだったが、うん、うまくいって何よりだ」

「おい」

とんでもない事を平然と言ってのけるボルドー。狂人と言われるだけはある。

「それで、何とかできる算段はついたか?」

隕石は今にも青の盾に突っ込んでくる勢いである。

「……ボルドー。その薬、あと何本ある?」

「今持っているのは二本だな。ただ、連続使用はお勧めしないぞ。まだ実験してないからな。どうなるか分からん」

「なら、その実験。余で試してみないか?」

「……正気か?」

「お前に言われたくないな」

普段、平気な顔で外道な実験を行うボルドーが、パールに対しては躊躇をする。

「口惜しい事だが、この状況だと、あと一手足りない。その一手が、今目の前にぶら下がっている状況なのだが?」

「チッ、わかった。ただ、あと一本だ。それ以上打つと多分死ぬ」

「十分だ」


 パールは祈るように手を合わせる。

 頬を『色の涙』が伝った。

 しかし、その色は赤でも青でもなかった。

 その色は『虹』だった。

 様々な色に光り輝く涙だった。

 その涙は頬を伝い、顎を伝い、落ちていく。

 落ちていく雫を手に取った。

 雫を取った手に力を込める。

 そして、力強く呪文を唱えた。


「我が声よ届け。我が望みは翼。空を飛翔する翼なり。我が願いが届いたのならば、叶え給えよ虹の女神!」


 握りしめた雫が光り輝く。

 その色は白だった。

 白い光がまとわりつく。

 その背に顕れたのは翼だった。


「綺麗だな」

「気色悪いから二度と余を褒めるな」

ボルドーが自然と口にした賛美の言葉を、パールは拒絶する。

「惚れた女を褒めて何が悪い」

「だから褒めるなと言っているのだ。鳥肌が立つ」

ボルドーは悪びれる事なく、むしろ、パールに対して抗議する。

「この薬も余のためであろう?」

「良く分かっているじゃないか。これは相思相愛ということではないか?」

「死にたいのか? え?」

真面目な顔をして突拍子のない事をいうボルドーに、怒りを抑えきれないパール。その隙をついてボルドーは、パールの首筋に薬を打ち込む。

「オロロロロロロロロロロロロロロ」

やはりたまらず吐いてしまうパール。気分は最悪である。

「……さて、もう一回だ」


 パールは祈るように手を合わせる。

 頬を『色の涙』が伝った。

 しかし、その色は赤でも青でもなかった。

 その色は『虹』だった。。

 落ちていく雫を手に取って力を込める。

 そして、力強く呪文を唱えた。


「我が声よ届け。我が望みは剣。悪を断罪する剣なり。我が願いが届いたのならば、叶え給えよ虹の女神!」


 握りしめた雫が光り輝く。

 その色は赤だった。

 赤い光が伸びていく。

 その手に顕れたのは剣だった。


「さあ。始めようか」


 パールは切っ先を隕石に突きつけ、狙いを定める。

「出来れば無茶はして欲しくはないのだがな」

「余の無茶で民が救えるなら本望なのだがなぁ」

「民はそんな事、望んでいないみたいだぞ」

ボルドーが振り返る。それにつられて振り返ると、貴族議会の面々が集まっていた。

「何だ貴様ら。余が死ぬところでも見にきたのか?」

「違います! あなたを止めに来たのです、パール様。ただ、もう手遅れのようですね」

「止めに来た? どういう事だ、スカーレット卿?」

スカーレットは一歩進み、パールに語りだす。

「パール様はいつも無茶ばかりなさる。何かある度に死の瀬戸際をさまよう。そんな貴女の様子を見て、私たちが何も思わないとお思いですか?」

「……何を言っているのだ? 卿らは余を疎ましく思っているのではないのか?」

「それこそ、何を仰っているのですかパール様⁉︎ 私たちがパール様を、疎ましく思うはずないじゃないですか‼︎」

「では、此度のクーデターは……?」

「パール様に、無理やりにでも皇帝を退いてもらいたかったのです! パール様は皇帝だから無茶ばかりなさるのですよね? なら、皇帝をお辞めになれば無茶はなさいませんよね⁉︎」

「………………………………………………………」

 パールは、貴族たちの告白に固まってしまう。

 そして


「──はっはははははははははははははははは‼︎‼︎」


 大爆笑した。

「この国には馬鹿しかおらんのか! 君主のためにクーデターを起こす家臣! 君主のためにどんな手を使ってでも薬を作る科学者! 滑稽にも程があろう‼︎」

パールは腹を抱えて笑う。

「そして、それに気付かない余も、馬鹿な君主よな」

「パール様……」

パールは恥ずかしそうにはにかむ。誤解も解け実に良い雰囲気だ。

「さて、余は家臣がしでかした尻拭いのためにまた無茶を重ねるわけだが……」

パールの言葉を聞き、固まる貴族諸侯。

「戻ったら相応の罰を与える。覚悟しておけ?」

「「「「「……はい」」」」」

貴族諸侯が全員頷いたのを見て、パールは向き直る。この国を救うために、背中の翼を広げ

「──では、行ってくる」


 空高く飛翔した。


 ○○


 目を覚ますと、見知った天井が見えた。

 どうやら、今回の代償は視覚ではないらしい。

 コバルトを呼ぼうと口を開く。

「ホ……ホハ……ハッ、ハッ!」

 しかし、声が出ない。

「ハァッ! ハァッ‼︎」

 何度やっても声が出ない。

 異変に気づいたのか、コバルトが覗き込んできた。パールはコバルトに抱きつこうとする。しかし、体が思うように動かない。コバルトはそれに気付いたのか、パールを抱き起こしてくれた。

 パールは抱き起こされて、初めて己の体の現状を確認する。

「ッ!」

 そこには、骨と皮だけになった己の体があった。茫然自失としているパールを、コバルトはそっと抱きしめる。だが、そこでパールも気づいてしまった。


 己の感覚が無い。


 今抱きしめられているはずなのに、それが分からないのだ。手足が動かないのも当然である。よくよく考えてみれば、寝かされていることにも気付いていなかった。ふと、窓の方に目をやると、窓が開いていた。その縁に小鳥もとまっている。外に植えてある木も、風に揺られていた。そこでまた、気付きたくも無いことに気付いてしまう。


 音が聞こえない。


 小鳥が囀っているはずなのに。

 木が揺られて心地よい音を奏でているはずなのに。

 コバルトが自分に話しかけているはずなのに。

 何も聞こえないのである。

(女神には三回祈った。代償は三つ。そういうことか……)

 世界を救った彼女には、とても大きな代償だった。

 

 〇〇


 こうして、カラール帝国は平穏な日常を取り戻した。一人の少女が願った平穏な世界は、これからも他愛ない日常を描きながら続いていくだろう。   

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色の涙 dragonknight/AKANE @dragonknight2107

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