色の涙

dragonknight/AKANE

色の涙

「助けて……うぐっ。もう……やめて……ぐふぅ!」

ドスッ、ドスッ、と。肉を打ち付ける鈍い音が、真夜中のスラム街に響く。

「さあ、さあ! 見せておくれ! 君の涙は何色だい?」

マントで顔を隠した男が、狂気じみた笑顔を浮かべ、年端もいかない少女を執拗に殴り続ける。

「ぐはぁ⁉ ……う、ぁ」

一際強い一発を浴びせられた少女は、意識を彼方に飛ばして、その場に倒れこむ。

「おっと」

マントの男は少女を抱きかかえ、上着のポケットをまさぐる。

「いひひ」

カチャカチャと音を立て、小さめのガラス管が出てきた。

「さあ、見せてください! 君の涙の色を‼︎」


 月明かりが少女の横顔を照らす。

 レモンイエローに光る涙が、少女の頬をつたった。


「おお‼︎」

マントの男は、歓喜の雄叫びをあげる。慎重にレモンイエローの涙をガラス管に流し込む。コルクの栓をして、マントの男は「ひひっ」と、満足げに微笑んだ。

 レモンイエローの涙を手にしたマントの男は、抱きかかえた少女を、まるで生ゴミの様にその場に投げ捨てた。

 ぐったりとした少女からは色が抜け、ピクリとも動く様子を見せなかった。


○○


「……という事件が最近頻発していてね」

「胸糞悪い話だな……」

宮殿の一室で、一組の男女が話し合っていた。

男は名をコバルトと言い、国王の側近である。

「しかも、そいつが狙っているのは、年頃の若い女性だけときた。パールの言う通り、気分が悪くなるよ」

「……お前、また余の名を軽々しく口にしおって。宮殿の中では女王と呼べと、何度も言ったではないか」

女は、不機嫌な様子を隠さずに文句を垂れる。

 女は名をパールと言い、『カラール帝国』を統べる女王である。ちなみに、コバルトはパールの婿である。

「いいじゃないか、二人きりの時くらい」

「余はきちんと公私は分けたいのだがなぁ……」

「人の目がある時はきちんとしているじゃないか」

「今も使用人の耳があることを忘れるな?」

「使用人くらいなんだっていうんだ。堂々と見せつけてやればいいだろ?」

コバルトはパールの背後から腕を回し、ぎゅっと抱きしめる。

「……暑い」

「んげっ⁉︎」

しかし、パールは容赦無く、コバルトの顔面を裏拳で殴りつけた。

「茶番は終わりだ、コバルト公。こうして余と二人きりで会うのだから、また余の手を煩わせに来たのだろう?」

「……話が早くて助かります、女王」

コバルトは、先ほどまでの態度はよそに、パールに対して恭しく頭を下げる。

「先程も申し上げました通り、年頃の女性ばかりが被害に遭っており、全員『色の涙』を流すまで執拗に暴行を受けています」

「そうか……」

パールは苦しげな表情を浮かべる。

「『色の涙』、それは最も感情がこもった最期の一滴。それを流すと、身体中の『色素』が抜け、適切な処置をしないと死んでしまう」

「今回の被害者の中にも、数名ではありますが、処置が間に合わず亡くなってしまった方が……」

「……チッ、ますます気分が悪い」

パールは不機嫌さを隠せない。

「それで? 犯人の目星はついているのか?」

「はい、科学者ボルドーの可能性が高いかと」

「ああ、あの気狂いか。確かにやりかねんな」

パールはさらに不機嫌になる。

「どうせあいつのことだ。簡単には尻尾を掴ませてくれんのだろう?」

「おっしゃる通りです」

「はぁ〜〜〜〜……」

パールは盛大にため息をついた。

 しばらく黙考して

「……わかった。こちらでも探ってみよう。そちらでも引き続き探ってくれ」

「はっ、承知いたしました」

命令を受けたコバルトが、部屋を出て行こうとする。

「……コバルト」

しかし、パールが呼び止めた。

「今夜、予定を空けておいてくれ」

「……はっ? また何で?」

「いやなに、先程の茶番の続きでも、と思ってな。丁度明日が休日だから、デートに行こう」

「はあ……」

突然のことで驚いたのか、コバルトは煮え切らない返事をしてしまう。

「なんだ、余とのデートは嫌なのか?」

パールはわざとらしく不機嫌な態度をとる。

「い、いやいや! 滅相もない。君からの誘いを断るわけ無いじゃないか。喜んでお供させて頂きます」

「うむ。ではまた後でな」

コバルトの返事に満足したのか、パールは席を立ち部屋を出る。

「今夜は寝かさないからな」

すれ違いざまにコバルトの耳元で囁いた。

「え、ええぇ⁉︎」

コバルトは、驚いて振り向く。背中越しに手を振る女王が、扉の向こうに消えていった。


○○


 カラール帝国の首都『ホワイティア』は、女王が住まう『白の宮殿ホワイティア・パレス』を中心として円形に広がっている。ホワイティアは『黒環こくかん』と呼ばれる城壁で囲われており、スラム街は黒環の近くに形成されている。

 パールは、黒環近くの路地裏にある、とある喫茶店を訪ねていた。立て付けの悪い音の鳴る扉を開けると、「いらっしゃい」と女店主から声がかかる。

「あら? パール様じゃありませんか! ご無沙汰しております」

女店主がパールに気づき、丁重に出迎えた。

「うむ。久しいなカメリア。調子はどうだ?」

「おかげさまで不自由無く生活していますわ」

「なら良い」

パールは、店の奥のテーブル席に腰掛ける。

「ご注文は?」

「ココアを頼む」

「承りました」

カメリアは厨房に引っ込み、ココアを作り始める。

「それで、今日は何のご用ですか?」

カメリアが厨房から話しかける。

「いやなに、視察の休憩にと思ってな。ここのココアは美味しい。もっと繁盛してもいいのに……」

「私は、パール様に来ていただけるだけで満足です」

トレイに乗ったココアと共に、カメリアが厨房から出てくる。

「はい、アイスココアです」

「うむ」

パールは、テーブルに置かれたグラスを素手で掴み、そのまま半分ほど飲んで喉を潤す。

「それで、今日の本題は何ですか?」

カメリアがパールの向かいに座る。

「……お見通しってわけか」

「貴女がここに来る時は、内緒話か愚痴かのどっちかですから」

カメリアは、悪戯っぽく微笑む。

「いやなに、大した話じゃない。ボルドーの居場所を知らないか?」

「……またボルドー兄さんが、何かしでかしたのですね。ごめんなさい、迷惑ばっかりおかけして」

カメリアは、また兄が愚行をしたに違いない、と呆れを隠せない。

「カメリアが謝る必要はない。……ただ、今回はかなり大事でな。お前にも火の粉が降りかかるかもしれん」

「……どういうことです?」

一転して、カメリアは不安そうな表情を見せる。パールは躊躇いながらも、その口を開いた。

「……実は、ボルドーが人を殺めたのではないか、と疑っているのだ」

「そんな……。ボルドー兄さんが人を殺すなんて……。ありえません。何かの間違いです!」

「落ち着きたまえカメリア」

「……すみません」

カメリアは深呼吸をして、何とか落ち着きを取り戻す。しばらくして、ポツリポツリと語り出した。

「……ボルドー兄さんは、優しい人です」

「そうは思えんな」

「……ボルドー兄さんは、献身的な人です」

「そうは思えんな」

「……ボルドー兄さんは、誠実な人です」

「そうは思えんな」

「貴女、人の話聞く気あります⁉︎」

「それが世間の印象だ」

「……!」

「『科学者ボルドー』は、世間からはあまりよく思われてない。少なくとも余は、今挙げた三つは『科学者ボルドー』の印象としては不適切だろうと思う」

「……」

カメリアは、二の句を継げなかった。全くもってパールの言う通りだからだ。その様子を見かねたパールが、呆れ顔で話し始めた。

「まあ、そう案ずるな。まだ、決定的な証拠は見つかってはいない。カメリアの言う通り、ボルドーは人を殺めていない可能性もある」

パールの言葉を聞いたカメリアは、まだ不安そうにしながらも笑みを浮かべる。

「……そうですよね。まだ何にも決まってないですもんね。私、ボルドー兄さんを信じます」

「うむ、ぜひそうしれくれ」


 その後も、パールとカメリアは、他愛ない話や愚痴の言い合いで大いに盛り上がった。

「おっと、そろそろ戻らねば」

「あら、もうそんな時間ですか。こうやって話し込んでいると、時が経つのが早いですね」

「まったくだ」

パールは身支度をして、「釣りはいらん」と、代金をテーブルに置く。

「世話になった。また来る」

「ええ、いつでも来てください」

カメリアは出口まで付き添い、お辞儀をして見送った。


○○


「遅い」

「はい、すみません」

コバルトは床に正座させられ、パールから説教を受けていた。

「確かに、誘ったのは余だ。だが、待ち合わせの時間を決めたのは貴様だろう、コバルト」

「はい、その通りでございます」

パールは一枚の紙を手で遊ばせていた。そこに書いてあるのは、待ち合わせの時間と場所である。

「なのに、貴様が重役出勤するとは何事だ? え?」

よほど楽しみにしていたのだろう。コバルトに待たされたパールは、最高潮に機嫌を損ねていた。

「……もう良い。座れ」

「はい」

コバルトは、申し訳なさそうに席についた。

「……なんで遅れた?」

パールは不機嫌そうに詰問する。

「いやぁ、仕事が立て込んじゃって」

「つまり、お前の自己管理がなってなかったのだな」

「面目無い……」

「わかった。減俸しておこう」

「横暴だぁ⁉︎」

パールが言い放った突然の宣告に、コバルトは思わず驚きの声をあげる。パールは、コバルトの大げさな反応に対して「冗談だ」と言い、呆れる。

「ただ、自己管理はきちんとしておけ。さもないと身がもたんぞ? ただでさえひ弱なのに……」

「珍しい。パールが僕を気遣っている」

「馬鹿。私とお前は、もう夫婦なのだぞ。夫の心配なんぞいくらしても、し足りないくらいだ」

「あはは、大げさだなぁ」

パールの心配をよそに、コバルトは快活に笑う。

「でも、ありがとう。心配してくれて。パールは優しいね」

「……改めて言われると恥ずかしいな」

コバルトからの不意打ちをもらい、顔を赤く染めるパール。

「うん、照れてるパールも可愛いよ」

「……貴様、調子に乗りおって。城に戻ったら覚悟しておけ」

追撃をもらい、パールの顔はこれ以上なく真っ赤になっていた。

「……だが、悪くない。人に褒められるのは、存外心地いいものだな」

くすぐったそうにしながらも、パールは嬉しそうに笑った。


 コンコンコン、と個室の扉が控えめに叩かれ、「失礼します」と料理持ちが料理を運んでくる。テーブルに前菜が並べられ、グラスにお酒が注がれた。「どうぞ、ごゆっくり」と料理持ちが個室を去っていった。

「それじゃあ、今日もお疲れ様」

「ああ、今日もよくやってくれた」

「「乾杯」」

お互いを労って、グラスを合わせる。今宵も、二人だけの晩餐が始まった。


○○


「進捗は?」

「予定以上に進んでおります」

「やはり、我々には『黒の神』のご加護があるようです」

「そうか。なら、少し事を早めよう」

「しかしそれは……」

「案ずるな。ここまでは完璧だ。それに、早いに越したことはないだろう」

「そうですな。一刻も早く我々の手で、同胞を救い出しましょうぞ」

「「「白き世界の崩壊を。黒き世界に安寧を」」」


○○


「−−−−…………ぅあ?」

目を覚ますと、見慣れた天井が見えた。どうやらここは『白の宮殿』の自室らしい。

「あ〜〜〜〜、頭痛い」

昨日は飲み過ぎたらしく、ひどい頭痛が起き抜けのパールを襲った。頭痛を堪えつつも起き上がり、ベッド脇の小机に置いてある水差しから、コップに水を注ぎ一気に飲み干す。痛みが幾分か和らいだところで、ベッドから抜け出し居間に向かう。

 ふと、居間の長机を見ると、隅の方にワインの空き瓶が数本片されていた。どうやら、居室に戻っても酒を飲み続けたらしい。

「ははっ、そりゃ頭も痛くなる」

自分の事ながらも、思わず呆れ笑ってしまうパールであった。長机には、蓋がされた朝食も置かれていた。おそらく、今朝方コバルトが作ったものだろう。

「……あれ、コバルトは?」

ここにきて、コバルトの姿が見えないことに気づくパール。いつもの休日なら、鬱陶しいくらいパールにまとわりつくのだが、今日はどこにもいない。いつもと違う状況に、少し嫌な予感を覚える。が、頭でそう考えていても、身体は食べ物を求め腹を鳴らす。とりあえず、コバルトが用意した朝食で腹を拵える。皿の傍には短めの書き置きが添えてあった。


『パールへ

 今朝方、部下に呼び出されました。まあ、大したことじゃないと思うので、すぐに戻ります』


「……いやいやいや、お前が呼び出されている時点で大したことだろう」

コバルトは、この国でパールの次に権威のある人物である。それが呼び出されるなど、余程の事があったに違いない。この文面を素直にそのまま受け取るほど、パールも馬鹿ではなかった。

「誰か! 誰かおるか!」

「お呼びでしょうか、パール様」

パールが呼び出すと、すぐさま御付きのメイドが駆けつけた。

「城下で何が起きているのか調べ、余に伝えよ。早急にだ!」

「かしこまりました」

メイドは一礼し、駆け足で部屋を出て行った。


○○


 時は少し遡る。コバルトは、部下から緊急の呼び出しを受け『白の宮殿(ホワイティアパレス)』の一室に出向いていた。

「何があった⁉︎」

「コバルト様‼︎ これを!」

部下が寄越したのは、一枚の便箋だった。

「これは?」

「脅迫状です。パール様を王座から下ろせ。さもなければ、臣民の命はない。と」

部下の一人が、長々と書かれた脅迫状を要約する。

「差出人は?」

「わかりません」

「そうか……」

コバルトは少し考え、決断を下す。

「いつ何が起こるか分からない。非番の衛士も使って、城下の警戒に当たらせろ。非番の衛士は鎧を着込まないでも良い。何かあったらすぐに報告させろ。良いな?」

「「「了解!」」」

指示を受けた部下たちが部屋を出て行く。指示を受けた衛士によって、城内が忙しくなった。


「随分と騒がしいな。今日は休日のはずだろう?」


聞き覚えのある声がして、コバルトは振り返る。

「ボルドー⁉︎」

部屋の扉に、ボルドーがもたれかかっていた。

「……お前、よくも僕の前に顔を出せたな」

「別に? 用があれば幾らでも顔を出すとも」

悪びれる様子も無く言って退けるボルドーに、コバルトは静かに怒りを募らせる。

「……それで? ご用件は?」

「今回行った実験結果の報告と、自首をしにきた。今回は流石にやりすぎた。反省の余地がある」

ボルドーは、まるで些細な失敗をしたかのように淡々と語り、報告書を机に投げ置いた。ボルドーの態度に怒りが振り切れたコバルトは、ボルドーの胸ぐらを掴んで投げ飛ばした。

「……いきなり投げとばすとはな。教養が無いにも程があるだろう」

「ふざけるな‼︎ 人殺しのお前に、教養云々を言われたく無い‼︎」

「なんだと?」

コバルトの発言に、ボルドーが不快感を露わにした。

「……何か、勘違いをしているようだな。俺は人殺しなどしない。それこそ、本物の狂人がやることだろう?」

「じゃあこれはなんだ⁉︎」

コバルトは、ボルドーに紙束を投げ付けた。ボルドーは体を起こしつつ、それを拾い上げてみる。それは事件の被害者リストだった。すると、ボルドーは懐からおもむろにペンを取り出し、リストに印をつけていった。

「……何をしている?」

「俺が手を出した奴に印をつけている」

「ほれ」と、印のつけられたリストを手渡されるコバルト。

「リストに載っていたのは、全部で37人。その内、俺が手を出したのは13人だ。俺の計算が正しければ、全員死んじゃいないはずだ」

ボルドーの言う通り、印のついた13人は一命を取り留めており、中には目を覚ました者もいるようだ。

「……では、他の24人は誰が?」

コバルトは手がかりを求め、机の上の資料を漁り始める。その様子を見兼ねたのか、ボルドーは大きく溜息をついて肩をすくめた。

「……『黒の教団』。知らんとは言わせんぞ」

「それくらい知っている。邪神崇拝をしている得体の知れない連中だろう? それがなんだと……まさか!」

「そう。そのまさかだ」

カラール帝国では、国王を白の神と崇める『白の教え』を国教としているが、信仰を強制してはおらず、ある程度の信仰の自由は認められていた。その為、国内には複数の宗教団体がある。そのうちの一つが『黒の教団』である。

 『黒の教団』は『白の教え』において邪神とされている、黒の神を崇める宗教団体である。例え邪神を信仰していようとも、ただ純粋に信仰している分には問題無かった。

「だが奴らは、俺が『色素』を集めている事を知ると、邪神召喚の儀式を行うべく、便乗して『色素』の収集を始めた。大方、俺に罪をなすりつけるつもりなのだろう。まあ、俺はそんなことさせないけどな。

 それより、捕まえるなら早くしたほうがいい。このままだと、見境なしに国民共を襲い続ける」

「……ああ。わかった」

コバルトの返事を聞いて満足したのか一つ頷き、ボルドーは周りの衛士に牢屋へと連れて行かれた。


○○


「『黒の教団』だと?」

『白の宮殿』の居室内にて、パールはメイドからの報告を受けていた。

「はい。一連の事は、邪神召喚のための『色素』収集だそうです」

「ふむ……」

パールはますます表情を曇らせる。

「コバルト様が言うに、証拠が固まり次第『黒の教団』に乗り込む、だそうです」

「そうか……」

パールはしばらく黙考した。

「……よし。コバルトに伝えろ。私も乗り込む、とな」


○○


「まもなく目標値に達します」

「そうか。なら『土台』の準備を進めろ」

「はっ。かしこまりました」

「……もうすぐだな」

「ええ、この時をどれだけ待ち望んだものか」

「我々の悲願が叶う時が来たのですな」

「「「白き世界の崩壊を。黒き世界に安寧を」」」


○○


「……またか」

増えたリストを見て、パールは独りごちる。

「今度は妊婦を手に掛けるとはな」

リストを持つ手に力が入る。

「妊婦の腹を掻っ捌いて、臓物ごと赤子を持ち出す……か」

とうとう耐え切れなくなったパールは「くそっ!」と毒吐きながらリストを床に投げ捨てる。

「……ははは。荒れてるねぇ」

「こんな物を見せられて、平常心を保てる訳が無かろう!」

パールの荒れっぷりに、流石のコバルトも苦笑をこぼす。

「今回襲われたのは5人。その内2人が死亡。もう2人も『色素』を抜かれてしまった。でも、1人だけ未然に防げたんだ。偶然衛士が現場に遭遇してね。見事に暴漢を捕まえてくれたよ」

「そいつには後で褒美をやろう。それで、捕まえた暴漢はどうなった?」

「……それがね、舌を噛んで自害してしまったんだ。余程僕たちに捕まるのが嫌だったみたい」

「そうか……」

「でも、所持品から、死んだ暴漢が『黒の教団』の構成員であることがわかったから、うまくやれば今日中にも令状が取れると思う」

「わかった。余も準備しておこう」

パールそう返事すると、コバルトがおもむろにパールを抱き締めた。

「……あまり無茶はしないでくれよ」

「わかっている」

「君の力は諸刃の剣だ。君がいつ壊れるかもわからない」

「そうだな」

コバルトの抱く力が強くなる。

「僕は不安でたまらない。君が壊れるのが怖いんだ」

弱音を吐くコバルトに、パールは優しく彼の手を握り語り掛ける。

「大丈夫だ。私は壊れん」

「でも……」

「なら、お主が完璧に立ち回ってみせよ。私が力を使う暇もなく、事を収めてみせよ」

「無茶言うなぁ……」

パールが出した無理難題に、コバルトは思わず苦笑する。

「……でも、うん。僕はやってみせる。君のためならなんだってするさ」

「うむ、頼もしい限りだな」

二人は、互いの思いを確かめ合い、静かに微笑んだ。


○○


 とある屋敷の一室。部屋の中央には大釜が一つ。大釜いっぱいの水が煮えたぎっていた。

「ただいま戻りました」

黒マントを羽織った男が部屋に入ってくる。

「遅かったな」

「すみません。追っ手を巻くのに、時間がかかりまして」

「そうか。それで、『土台』は手に入ったのか?」

「はい、こちらに」

マントの男は、壮年の男にずた袋を手渡す。中身を確認すると、血なまぐさい臭いとともに、人の形を成した肉塊が入っていた。

「うむ。確かに受け取った。持ち場に戻れ」

「はっ」

マントの男は部屋を去っていた。

「……これで材料は揃った。それでは、儀式を始めよう」

 煮えたぎる大釜に、男は向き直って儀式を始めた。

 まずは、集めてきた『色素』を大釜に全て入れる。

 すると、みるみるうちに色が混ざり合い、大釜の中身が不気味な色に変わっていった。

 次に、ずた袋から肉塊、即ち妊婦の腹から取り出した胎児を、大釜に投げ入れる。

 すると、大釜の中身が吹きこぼれ、不気味な色の湯気を吐き出す。

 しばらく煮込むと、拍動が聞こえ始めるに合わせて、大釜の中身が光り出した。

「おお……!」

ここまでくれば、後は呪文を唱えるだけである。

 壮年の男は、呪文が書かれた紙を取り出し、呪文を読み上げようとした。

「そこまでだ‼︎」

鍵がかかっていたはずの扉を突き破り、外から大勢の人がなだれ込んできた。

「公安執行部だ! 貴様が『黒の教団』のマルーンで間違いないな?」

「はい。私がマルーンです」

衛士の質問に、壮年の男──マルーンははっきりと答える。

「貴様を『国民の平穏を犯した罪』で捕縛する! 総員、捕らえろ!」

衛士はマルーンの周りを取り囲み、逃げる隙を与えない。マルーンも観念したのか、膝をつき手を頭も後ろで組んで平伏した。衛士が麻縄でマルーンを縛り上げる。

「この屋敷の捜索を行う。証拠は全て押収しろ!」

マルーンを部屋の隅へ追いやり、数人の見張りを残して屋敷の捜索に向かう衛士たち。しかし、マルーンはまだ諦めておらず、衛士に気付かれぬように呪文を唱え続けていた。

「我が願いを聞け。我が望みは力。世界を崩壊せしめる力なり。我が願いを聞いたならば、叶え給えよ黒の神」

マルーンが呪文を唱え終えると、大釜がさらに煮立ち、さらに輝き、そして−―。


○○


 ッドーーーン‼︎‼︎ と。巨大な爆発音がホワイティア中に鳴り響く。爆風によってマルーンの屋敷はもとより、周辺の建物もまとめて吹き飛んだ。

「「「うわあぁぁぁぁ⁉︎」」」

周辺にいた住人や衛士たちも、例外なく吹き飛ばされた。

「……総員、被害状況を報告……!」

「第一中隊、壊滅……!」

「……第二中隊も壊滅!」

「第三中隊、身動きとれません……!」

「全滅……だと⁉︎」

有事に備えて集まった衛士隊も、圧倒的な力に為す術もなかった。

「パール様! コバルト様! ご無事ですか⁉︎」

「ああ、なんとかな……」

「イタタ……。何だい今の?」

馬車の中に居たので、運よくかすり傷で済んだパールとコバルトであったが、突然の出来事に混乱を隠せない。横転した馬車から這い出る。市街の悲惨な状況を目の当たりにした二人は、混乱のあまり言葉も出ない。

「驚いたか? パール。偽りの世界の王よ」

屋敷があった場所から声がかけられる。振り向くと、黒いオーラをまとったマルーンが中空に浮いていた。

「これはお前がやったのか、マルーン」

「いかにも、さぞや驚いたであろう、パール。これが黒の神の力だ」

マルーンは地上に降り立ち、パールに向かって歩いてくる。

「本当は、街を壊しながら宮殿に赴こうと思っていたが、まさかそちらから来てくれるとは」

「生憎、待ち続けるのは性に合わんのでね。待ち伏せるよりも、迎え撃ったほうが苦ではない」

「ははは、勇ましいなパール。だが、今日に限ってはそれは命取りだ」

「何だと?」

マルーンは、まとっていたオーラを手元に集め、剣の形に成形している。その様子を見たパールも、腰から剣を抜いた。

「この世界のために死ねぇ! パール‼︎」

「ッ⁉︎ 危ない‼︎」

マルーンは、大上段から剣を振り下ろす。一見すると受け止められそうな攻撃だが、コバルトが本能的に危機を察知し、パールを突き飛ばして無理矢理避けさせる。

マルーンの斬撃から衝撃波が放たれる。衝撃波はホワイティアの街を蹂躙し、巻き込まれた建物はたちまち崩れ去った。もしこれを生身で受けていたら、粉微塵になっていただろう。

「チッ、外したか。だが次こそは殺す」

マルーンは、再度オーラを剣の形に成形する。

「死ねぇ!」

衝撃波がパールに向かって放たれる。だが、衝撃波は直線にしか進まないので、避けられないことはない。二度三度放たれる衝撃波を、パールは辛うじて避けていく。

「この、猪口才な!」

衝撃波が何度も街を蹂躙する。ついには、白の宮殿までもが衝撃波の餌食になってしまった。

「ハァハァ……。クソ、なぜ当たらん!」

オーラの力も無限ではないらしく、どうやら燃料切れを起こしたらしい。

 これを機に、パールはコバルトに指示を出す。

「コバルト、お前は臣民の避難を急がせろ」

「わかった。けどパールは?」

「このままでは街がもたん。ここで一気に決める」

「……わかった。無茶しないでね」

コバルトはそのまま、中心街へ向かって走り出した。

 周囲に誰もいなくなったことを確認するパール。

「さて、余も本気を出すとしよう」

 

 パールは祈るように手を合わせる。

 頬を涙が伝った。

 その涙には色がついていた。

 『色の涙』だった。

 しかし、その色は赤でも青でもなかった。

 その色は『虹』だった。

 様々な色に光り輝く涙だった。

 その涙は頬を伝い、顎を伝い、落ちていく。

 落ちていく雫を手に取った。

 雫を取った手に力を込める。

 そして、力強く呪文を唱えた。


「我が声よ届け。我が望みは剣。悪を断罪する剣なり。我が願いが届いたのならば、叶え給えよ虹の女神!」


 握りしめた雫が光り輝く。

 その色は赤だった。

 赤い光が伸びていく。

 その手に顕れたのは剣だった。

 

「さあ。始めようか」


 パールは切っ先をマルーンに突きつける。

「虹の女神……だと? どういうことだ? 貴様は白の神の化身ではなかったのか⁉︎」

「はっ! あんなのハッタリに決まっておろう。これも、国の平穏を保つための策だ」

「なるほど、それも貴様の願いの形か」

マルーンも切っ先をパールに突きつける。

「この世界は間違っている! 本来、人は欲を持っていて然るべきだ。それをお前は歪めてしまった! 貴様が生ぬるい安寧を求めるあまり、人は本来の姿を失ってしまった! 私は間違ったこの世界を正す。その為に貴様を殺す!」

「はっ、ほざけ。私はもう二度と、あんな暮らしをするのはごめんだ。搾取され、何もかもを奪われるよりも、何も起きず、ただ毎日をのうのうと生きていたいのだ。お前も私から奪うと言うのなら、私はお前も殺す」

「話にならんな」

「そもそもが分かり合えんからな」

お互い剣を構える。辺りを静寂が包んだ。お互い呼吸を見合って−―。


 一閃を交わした。


○○


 目を覚ますと、暗闇の中にいた。

 辛うじて、自分が寝かされている事がわかる。

「……コバルト? コバルトはいるか?」

「パール! 気がついたかい?」

「何処だ? 何処にいるコバルト?」

「ここ、ここにいるよ!」

ぎゅっと右手が握られた。

「ああ、そこに居るのか。……暗くてよく見えん。明かりを点けてくれぬか?」

「……!」

息を呑む音が聞こえた。しばらくすると、コバルトの声が聞こえた。

「……今はお昼時だよ、パール。窓の外をご覧? 鳥が囀っているじゃないか」

一瞬、何を言われているのか、わからなかった。しかし、すぐ納得がいった。


「……ああ、そうか。今度は、目がやられたのか」


「ッ!」

「泣くなコバルト。いつもの事だ」

「泣かずにいられるか! だから無茶をするなといったのに。心配するこっちの身にもなれよ!」

「はは、すまんな。迷惑かけて」

コバルトの涙が、腕に滴り落ちた。

 白の宮殿の居室では、二人きりの世界が広がっていた。誰も邪魔することの出来ない、虹色の世界が広がっていた。


○○


 こうして、カラール帝国は平穏な日常を取り戻した。一人の少女が願った平穏な世界は、これからも他愛ない日常を描きながら続いていくだろう。







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