第5話

 ナティウ族の弔いは、炎によって行われる。

 薪と藁の上に遺体を乗せ、屍竜果ネグドルトゥから搾り取った脂を撒いて着火する。その周囲をぐるりと囲むように並べられた竜燭ムーリが、死者を竜神のもとへ導くのだ。

 祭り人トゥークであるハガティは、葬儀のたびにまじない歌を歌って死者の魂の平穏を祈ってきたが、まさか自分の娘を弔うことになるとは予測しなかっただろう。ほかの葬儀と変わらず、冷静に務めをこなす父の姿を見ていると、ティコは悲しみよりも怒りが湧いてくる。

 カヤは高い枝先の屍竜果ネグドルトゥを摘もうとして体勢を崩し、頭から転落したのだという。摘み人ジックにはよくある事故なのだが、ティコはそうは思わなかった。

 ――カヤ姉さんが、そんな失敗をするはずがない。

 竜の炎は高温で激しく燃え、美しかった姉は灰へと変わる。ティコには死に顔すら見せてもらえなかった。頭が割れて、とても悲惨な有様だったらしい。それでも、ひと目最後のお別れをしたかった。

 炎を囲む人々の中に、ティコはオセルを見つけた。その顔は蒼白で、視線はうつろに炎の上を漂っている。あまりにも痛ましくて、とても直視できなかった。

 カヤの遺灰は竜燭ムーリとともに、ジャガラ=チセへと流されていった。竜燭ムーリの灯火が遠ざかり見えなくなった後、ティコはハガティに呼びつけられた。

「ついてこい」と言われた後は、ティコも無言で歩いた。いまは顔も見たくないほどハガティが憎らしい。父も話しかけてこなかった。

 家に帰るのかと思ったが、辿り着いた先はオセルの家だった。出迎えてくれたオセルの母スウラが優しく家族の不幸を悼んでくれたが、ティコはなぜ自分がここへ呼ばれたのか分からないままだ。

 やや遅れてオセルが、父親のダオとともに戻ってきた。まだ顔色は悪いものの、火葬のときよりはいくらか落ち着いた様子のオセルは、自分の家にティコがいることに驚いたようだった。

「ハガティよ、わざわざ来てもらってすまんな」

 ダオが槍人ゴークたちの長らしく、威厳に満ちた声で話し始めた。まずはカヤの死を悼む言葉から始まり、彼ら一家も将来の家族を亡くしたことに深い悲しみを感じていると告げた。特にオセルは、本当にカヤのことを気に入っていたために、まだこの現実を受け入れられないでいると。

 しかし、とダオは続けた。

「このままオセルを、独り身のままにさせるわけにはいかないのだ。……ティコよ。わしの言いたいことが、分かってくれるか」

 ティコは首を振った。分からないのではなかった。分かるのが怖かったのだ。

「ならばはっきりと言おう。ティコよ、カヤの代わりに、オセルの妻になってくれ」

 オセルが息を呑む音が聞こえた。彼もいま初めて聞いたのだ。ティコは恐る恐る、義兄になるはずだった男の顔を見た。

 オセルもティコに顔を向けていた。あからさまに困惑の色が浮かんでいる。彼は無言のままで、「嫌だ」と言い出したわけではなかったが、その表情は十分にティコの心に鋭い槍を突き刺した。オセルに対して怒りさえ感じた。カヤを亡くして間もないのに、突然代わりの婚約者を宛がわれたのだから無理もないが、ティコもまた姉を失ったばかりで、オセルを思いやるほどの余裕がなかった。

「……私は、ザカの妻になるはずじゃなかったの」

 どうにか答えると、ハガティが横から口を出した。

「ザカの家には、私が後で話をつけておく。あちらが了承してくれたら、お前はオセルの婚約者になる」

 なぜダオではなく、父がザカの家に行くのか。芽生えた疑問は、すぐにティコの怒りに火をつけた。

「これは父様が決めたことなんだな!?」思わずティコは目を剥いた。「カヤ姉さんが死んだから、代わりに妹を差し出しますって、そういうことなんだな!? ふざけるな! 誰のせいで姉さんが死んだと思ってるんだ!」

「ティコ、父上を責めるな。あれは事故だ」

「事故なもんか!」なだめようとするダオにも歯向かった。「カヤ姉さんは里の誰よりも身軽で機敏だったのに! 姉さんは自分で落ちたんだ! 槍人ゴークになりたかったのに、許してもらえなかったから! 父様が姉さんを殺したんだ!」

 ティコは感情に任せて叫んだ。言葉と一緒に涙も溢れ出す。

 何もかもが憤ろしく、悲しかった。カヤが死んだのも、父がその死を悲しむ時間さえ与えてくれないのも、カヤの代わりにされるのも、それをオセルが喜ばないのも、そして、何より――。

「分かってくれ、ティコ。オセルが持つ槍人ゴークの血は、屍竜樹ネグドラディの守人の血。絶対に絶やすわけにはいかぬものなのだ。それに……」

 ハガティは言い訳を連ねた後に、さらにティコの心を踏みにじった。

「お前も、オセルを憎からず思っているだろう」

 目の前が真っ白になって、気づけばティコは父親の顔に拳を叩きつけていた。ダオもオセルも、ティコを止められなかった。槍人ゴークのくせに、情けない男たち。

「父様は、最低の人間だ」

 ――最低なのは、私のほうだ。

 ティコはオセルの家を飛び出した。ティコが一番怒っている相手は、ほかの誰でもなく自分自身だった。オセルの妻にと言われたとき、ほんの一瞬だけ心が躍ったのだ。

 ティコはザカを頼りたくなっている自分に気づき、また腹が立った。槍人ゴークになれないと知ったときのカヤもこんな気持ちだったろうか。自分にも同じ弱さがあるなんて、認めたくなかった。

 ザカはきっと婚約の破棄に同意するだろう。ティコがオセルを好いていることを知っているから。そしてザカには別の許婚が宛がわれる。もう気安く一緒にいるべきではない。

 走って、走って、山を駆け上った。その先には屍竜樹ネグドラディが聳え立っているが、柵が張り巡らされて近づけない。中に入っていいのは摘み人ジックだけだ。ナティウ族の子らは、その理由を「聖域だから」だと教わるが、本当は皆が嫌がる摘み人ジックを尊い職業に仕立て上げるために、摘み人ジツクに特権を与えただけではないか。

 ティコは恨みを込めて屍竜樹ネグドラディを見上げた。いまのティコにとって、屍竜樹ネグドラディは恵みの大樹などではなかった。むしろ呪いだった。この木さえなければ、みんな思い通りに生きられるのに。

 その一方で、やはりどうしても槍人ゴークになりたいと強く思った。

屍竜樹ネグドラディの守人」になりたいのではない。ただ槍を愛しているから、槍とともに生きていきたいのだ。

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