第4話

 屍竜樹ネグドラディは一年中休むことなく果実を実らせる。

 カヤたちは儀式をすませ、それぞれ任じられた職業についた。父の言った通りカヤは摘み人ジックとなり、朝日が昇ると同時に屍竜樹ネグドラディへと向かう毎日が始まった。

 ティコは毎朝やるせない気持ちで、文句ひとつ言わず出かけていく姉を見送っていた。屍竜樹ネグドラディの高枝からは、オセルをはじめカヤに負けた男たちが槍人ゴークとしてぞろぞろ森へ出て行くのがよく見えるはずだ。

 どんなにつらいだろうと姉の気持ちに寄り添ってみるが、ティコからその話をするのはためらわれた。望まぬ仕事に耐えている姉を傷つけるのが怖かったし、カヤにはオセルがついている。年下の自分が口を出すべきではないだろうとも思った。

 カヤにオセルがいるように、ティコにも胸の内を打ち明ける相手がいた。幼馴染みで、許婚のザカだ。

 夏も終わりにさしかかったある日の夕暮れ、ティコはザカを頼って家からジャガラ=チセの流れとは逆に歩いた。ジャガラ=チセは里の北西にある洞穴の奥の奥、深い地の底から湧き出ている。そして洞穴の中に、彫り人ナンクの工房もあった。

 彫り人ナンクはこの洞穴の中で仕事をすることが多い。自分が作った竜燭ムーリの灯り具合を確かめるためだ。ティコが訪れたとき、洞穴からはすでに日向ひなたの光が去り、代わりに薄紅の灯火がぽつりぽつりと浮かんでいるのが見えた。――そのうちのひとつがだんだん大きくなって、やがて竜燭ムーリを手にした人影に変わる。

「あれえ、ティコじゃないか。どうした?」

 ザカはカヤやオセルと同い年で、彫り人ナンクに任じられたばかりだった。オセルとは違って細っこくて小柄で、決して大柄ではないティコの隣に立ってもほとんど背丈が変わらない。癖の強い長髪を、鮮やかな赤と緑の刺繍が入った頭布で雑に束ね上げているぶん、少しティコよりも大きく見えるかもしれないが。

「なんか嫌なことでもあったんか?」

 ティコが口を開くより先に、笑顔で言う。ザカはなんでもお見通しだ。

「……嫌なことばっかりだ」

「だろうなあ」ザカはうんうんと頷いた。「まあ、ぼちぼち歩こうか。ちょうど今日の仕事も終わったとこだからさ」

 屍竜樹ネグドラディの小枝の先に吊された竜燭ムーリがゆらゆらと揺れながら、夜の迫る帰り道を照らした。ザカの家はティコの家の三軒向こうだ。

 道すがら、ティコはザカに何もかも話した。カヤが女だからという理由で槍人ゴークに選ばれなかったこと、つらいはずなのに話を聞いてあげられないこと、きっとティコも同じ道を辿るだろうということ、それが怖くてたまらないこと。ティコがオセルに恋心を抱いていることさえザカは知っている。許婚が自分以外の男に惹かれているというのに、彼は「まあ、あいつはいい男だから当然だなあ」と笑い飛ばす。きっとザカにとっての自分は、妹みたいなものなんだろうとティコは思っている。

「ふうん……」

 ティコがひとしきり話し終わった後、ザカは間延びした調子で言った。

「みんな、なんでそんなに槍人ゴークになりたいもんかねえ。おれにはよくわからんなあ」

「そりゃあザカは……」言いかけて口を閉じたが、ザカはその先の言葉までお見通しだった。

「おれは弱っちいから、か? ハハハ、全くもってその通りだ」

「……ごめん」

「謝るこたあないだろ。確かにおれは弱っちいが、だからって恥ずかしいとも思ってないよ」

 ザカは鷹揚に笑う。そもそも彼には戦う必要などないのだ。昔から手先がとても器用だったし、美しいものを見つける感性がずば抜けていた。ティコのために、ジャガラ=チセで拾った色も形もさまざまな石を革紐で繋いで首飾りや腕輪を作ってくれたこともある。ティコが真似をしたとしても、とうていザカのように綺麗なものは作れっこない。ザカは槍人ゴークになれないから彫り人ナンクになったのではなく、なるべくして彫り人ナンクになったのだ。

「ザカは、私が槍人ゴークになるの、どう思う?」

 ティコの問いかけはもちろん、自分の妻が、という意味合いを含んでいる。ザカは「うーん」と小首を傾げていつになく真剣に考えた後で、「……そうだなあ、ちょっと嫌かなあ」と正直に答えた。

「どうして?」

槍人ゴークは戦士だからさあ。ワベ族やヒディカ族と戦うこともあるし、獣が里に下りてきたときも真っ先に行かなきゃなんないだろ。おれは、ティコが痛い目に遭うのは嫌だなあ」

 やっぱりそうなんだ、とうつむきかけたティコに、ザカはめいっぱい白い歯を見せてこう付け足した。

「でもおれは、ティコがやりたくもない仕事をやらされて、毎日嫌な思いをするほうがよっぽど嫌だ」

「じゃあ、許してくれるの?」

「許すとか、許さないとか、おれが決めることかなあ? まあ、おれはティコの夢が叶ったらいいなあと思うよ」

 ザカは細かいことを気にしない。その大らかさは、ティコにとって居心地がよかった。彼の妻になったら、自分はきっと幸せになれるだろうと思う。

「……ありがとう、ザカ」

 それなのにどうして、この心はオセルにしか向かないのだろう。

 ティコの心は太陽が去って行く空とともに暗く冷えていった。ザカに恋心を抱いている女の子ならほかにいる。ジャガラ=チセの対岸に住む、ティコと同い年のリュオンがそうだ。ティコは知っている。彼女が毎朝岸辺に出て、仕事へ出発するザカを切なげに見つめているのを。

 リュオンはいい子だ。きっとティコに取って代わりたいと思っているだろうに、外で会うといつも笑顔で接してくれる。

 ティコは思った。私じゃなくて、リュオンがザカの妻になるべきだ。ザカのことは好きだが、どうしても優しい兄のようにしか思えない。ザカだって同じだろう。

 なぜ親が子どもの結婚相手を勝手に決めてしまうのだろうか。カヤとオセルのように、お互い好き合っている同士が夫婦になればいいのに。――

 ティコの思考は、慌ただしい足音によってかき消された。

もうすぐ家に着こうというとき、向こう側から母が血相を変えて駆け寄って来たのだ。

「ティコ、いままでどこへ行っていたの!」

 ものすごい剣幕で怒鳴られて、ティコは当惑した。「大変なのよ、カヤが、カヤが……ああ……」

 さっきまで怒っていた母は、突然泣き崩れた。ティコはその後に続く言葉を察し、それが間違いであってほしいと願った。

「……ティコ、おれも一緒に行くよ」

 ザカがそう言ってくれなければ、ティコもその場にへたり込んでしまいそうだった。

 カヤが、死んだのだ。

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