第3話

 槍試合に勝ったからといって、槍人ゴークになれると決まったわけではない。

 十五歳になった者たちの職業を決めるのは、《祭り人トゥーク》だけが持つ権限である。祭り人トゥークは重要な職業だ。竜燭ムーリを使って未来を占い、大切なことを話し合って決める。里に五人しかいない祭り人トゥークのうちひとりは、ティコとカヤの父ハガティだった。

「カヤ。そこへ座れ」

 槍試合の後、ジャガラ=チセ沿いの家に帰った姉妹を待っていたのは、険しい顔をした両親だった。言われるがままにカヤが板の間に腰を下ろすと、父の背後で竈の埋み火が瞬いた。

「お前、オセルに勝ったそうだな」

「そうだよ、カヤ姉さんは全員に勝ったんだ!」

 ティコは嬉しくて、つい口を挟んだ。けれども父も母も、むっつりと黙ってティコを睨むだけだった。そのときようやく気づいたのだ、両親はカヤの勝利を喜んでいないことに。

「この馬鹿者が。なぜ負けてやらなかった?」

「なぜ、って……」

 カヤの整った顔に、困惑の色が浮かんだ。

 ティコからすれば、なぜ父がそんなことを言うのか全く理解できなかった。カヤとオセルは正々堂々と戦い、結果としてカヤが勝ったのだ。わざとに勝ちを譲るなど、槍使いの誇りに反する行いだ。そんな勝利、オセルだって望むわけがない。

 物分かりの悪い娘だと言わんばかりに、母のジュラムがこう付け足した。

「オセルは将来あなたの夫になる人ですよ。妻が夫の顔を潰すような真似をするものではありません」

「でも、母様」

 ティコが抗弁しようとしたとき、カヤはその肩をつかんで制した。

「父様、母様、ごめんなさい。私が浅はかでした。以後はオセルを立てるように気をつけます」

 両膝と両の拳を床につけ、深く頭を下げる謝罪の仕草。ティコはなぜカヤが謝らなければならないのか分からないまま、ただ呆然と見つめていた。

「分かればよいのだ、カヤ」

 ハガティは娘の謝罪を受け入れたが、その口調は重々しいままだった。

「私も間違っていた。幼いお前が面白がって槍を振り回すのを、良かれと思って許してしまったのが良くなかった。もとより槍は、女の使う道具ではないものを」

 そして祭り人トゥークでもある父は、カヤにこの上なく残酷な宣告をしたのだ。

「カヤ、儀式より先に教えてやろう。お前の職業は《摘み人ジック》だ。槍人ゴークにはなれん」

「どうして!?」

 姉よりも先に、ティコが叫んだ。

 納得がいかなかった。カヤは槍術の天才だが、何より努力家だった。槍人ゴークになるために、厳しい稽古に耐えてきたのだ。そして全員に勝って、同年代で一番優れた槍使いであることを証明した。それなのに、なぜ。

「女は月の障りがあるうえに、子を孕めば長く家に籠もらねばならん。子が生まれた後は乳を飲ませねばならん。その間にお前の腕はどんどんなまる。いまは弱い男の槍使いも、これから身体が大きくなってお前より強くなる。そもそも『ゴー』と『ゴー』は同じ言葉で表されるように、槍は男の道具なのだ」

 それは股ぐらについているもののことだろう、とティコは心の中で反発したが、両親の前で口に出すのは憚られた。

「私も若い頃は摘み人ジックでしたよ、カヤ」

 打って変わって、母が優しい声を出した。

屍竜樹ネグドラディに登って、屍竜果ネグドルトゥを摘んでくる大切な仕事です。屍竜樹ネグドラディに登ることを許されている唯一の職業ですし、摘み人ジックがいなければ父様が使う竜燭ムーリも作れないのですよ。身の軽い女性だけが選ばれるのですから、誇りに思いなさい」

 ティコは伏せたままの姉を見つめた。

「……はい。大変尊いお役目をいただけて、光栄です」

 カヤは殊勝にもそう答えたが、その肩は小刻みに震えていた。

「うむ。ナティウの繁栄のため、精進せよ。話は終わりだ」

 ご飯にしましょう、と母が努めて明るく言った。

 母はいつもの草粥に加え、子兎の丸焼きを支度してくれていた。ナティウ族にとってはかなり豪勢な食事だし、カヤもティコも大好きな料理だったが、この日ばかりは甘い脂の匂いが苦痛で仕方なかった。兎を狩るのも槍人ゴークの仕事だ。「お前たち女は、一生槍人ゴークに養われるだけの存在なのだ」と言われているような気がした。

 ゆっくりと時間をかけて、どうにか二人で一匹の兎を食べ切ったとき、カヤが言った。

「少し食べ過ぎたようです。腹ごなしに、散歩をしてきます」

 ティコにはそれが嘘だと分かった。夜はすっかり更けて星が出ているのに、竜燭ムーリも持たずに散歩なんて。カヤは両親と一緒に居るのが耐えられないのだ。

「姉さん……」

 ティコも一緒に外へ出た。カヤを元気づけたかった。けれども十歩先にいるカヤは、ティコのほうを振り返ってはくれなかった。

「ついてこないで」

 姉の厳しい声色に、ティコの身体は凍りつく。優しいカヤがこんなに怖い声を出すのを、いままでに一度も聞いたことがなかった。

「……ごめんなさい、ティコ」

 カヤはすぐに謝ったが、やはり背中を向けたままだ。

「ううん。気にしないで」

 姉が見ていないと分かっていながら、ティコは大きく首を振った。「父さんも母さんも、ひどすぎるよ。女だから槍人ゴークになれないなんて……」

 いまの姉のすがたは、ティコにとってはそのまま二年後の己の姿だった。カヤが槍人ゴークになれないなら、私もきっと無理に違いない。いくら努力しても駄目なのだ。女に生まれてしまったのが運の尽きなのだ。

「いいえ、ティコ」

 まるで妹の心を見透かしたかのように、カヤが言った。その声は、静かな水面に波紋が広がるような響きだった。

「あなたは、きっと槍人ゴークになれる」

 ようやくカヤが振り向いてくれた。はっきりとその表情は見えなかったが、続く声の調子はいつもの明るさを取り戻していた。

「これから行くところがあるの。父様と母様には内緒にしてくれる?」

 オセルのところに行くのだな、とティコは思った。

「……うん。姉さんはジャガラ=チセで髪を洗ってるって言う」

「ありがとう」

 ティコはもう何も言わず、姉の背中を見送った。

 カヤは妹の前では泣かなかった。でも、オセルの前では泣くのだろう。あの逞しい腕に抱かれて慰められる姉のすがたを想像したとき、ティコは嫉妬とは別の感情を覚えていた。

 ――私は、そんな風にはなりたくない。たとえ槍人ゴークになれなくても、誰かの胸にすがって泣くのは嫌だ。

 そんな激しい思いが渦巻いたのはほんの一瞬で、ひゅうっと冷たい夜風にさらされると、ティコの心は鎮まった。なぜ自分が大好きな姉に対して非難めいたことを思ったのか訝しく思いながら、再び両親の待つ家へと戻っていった。

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